第114話 呪術結社赤札

 古代遺跡を抜けた石畳の一本道。

 暗い回廊で、その場には不釣合いな、鮮やかな赤色が揺れていた。

 赤い袴に白い胴着、遠い異国の装いに身を包んだ女性の集団が、僅かな音も立てずに静々と歩みを進めていた。

 彼女らは異国の地においては巫女と称される、神事と呪術に通じた専門家の集団である。


「どうにも完全に出遅れてしまいましたね」

 静寂に包まれた洞窟の中では、小さな声であってもよく響く。平時ならば聞き逃してしまうような呟きも、今は会話が成り立つ音声として耳に伝わってくる。


「それにしても先発の方々はよく、あれほどの罠や敵をかいくぐって行ったものです、ふう……」

「私達のようにうまくやり過ごしたのでしょう。あれらの守護者と正面からまともに当たっては、命が幾つあっても足りません」

「本当ですねぇ。見た目からして『阿修羅』そのものの魔導人形なんて……恐ろしくて、私、お腹が痛くなりました」

 全員が似たような服装で、癖のない黒く滑らかな髪を背中に垂らして一括りにしているせいか、一見して彼女らの区別はつきにくい。

 だが、彼女ら自身はそれで不都合を感じることはなく、無論のことお互いの区別も容易である。


 ただ、そんな目立った特徴のない彼女達の中でも、一人だけ他とは違う雰囲気をまとった女性がいた。

 外見的特徴は軒並み同じであるにも関わらず、その中身が一人だけ大きく違っていた。


 ――否、中身の違いは外見的特徴として現れているというのが正しい。

 明らかな違い、それは痩身の彼女らの中にあって、一人だけ豊かに育った胸を抱える姿。

 折り目正しく胴着を着こなす女性達に混じって、唯一人、白い胴着を窮屈そうに押し上げて谷間を覗かせている。

 別格の貫禄である。


 痩躯の巫女が貫禄ある巫女に顔を向け、その慎ましやかな胸元から数枚の札を取り出して話を振った。

「集合地点へ到着する前に、限りのある『呪符』を使ってしまいましたね」

「気にすることはありません。必要な消費だったと思いますよ。我々はたぶん、試されていたのでしょうから」

 巫女は貫禄ある胸元に手を置き、自信なさげな巫女に花が咲くような微笑みを見せる。

「錬金術士クレストフは単純な戦闘力だけでなく、臨機応変な対応力も求めているのでしょう。そうでなければ宝石の丘へ辿り着くのは難しい、と」

 自信に満ちた表情で胸を張る巫女に、他の痩身の巫女達は安堵の表情を浮かべた。


「さすがイバラノヒメ。こんな状況でも落ち着いていらっしゃる」

「私達も精進しなければなりませんね」

「本当に頼もしい……」

 口々に誉めそやす痩身の巫女達に囲まれて、ますます胸元が大きく膨らんで見える貫禄の巫女、その名もアメノイバラノヒメ。



 回廊を抜けて、白亜の迷宮へと入り込んだ巫女達。すぐに分岐点にぶつかって、歩みを止めてしまう。複雑に入り組んだ隧道は闇雲に進めば二度と出てこられないかもしれなかった。

「それで、この先はどちらへ進みましょう。イバラノヒメ?」

「占術を使いますか?」

 巫女が探索術の一種である占術を使おうかと、胴着の袖口から八角形の魔導回路を覗かせる。


 しかし、イバラノヒメは屈み込んで床の窪みに手を当てて執拗に調べていた。

 膝に押し上げられて胸が歪み、胴着の前襟が浮き上がる。

「この迷宮……最近になって人の手で補修された形跡があります。幾つかの壁、そしてこの床も……」

 着衣が乱れるのも気にせずに、イバラノヒメは床を舐めるようにして観察を続ける。


 しばらくするとイバラノヒメは突然、得心がいったように立ち上がった。

「いいえ、占術を使うまでもないでしょう。水が流れるが如く、道の傾きに従って、最も深き場所を目指しましょう」

 イバラノヒメが呪符を一枚指に挟み、神経系を通して魔導因子を注ぎ込むと、呪符に描かれた文様が赤く燃え上がる。

 呪符が焼失して赤い火の粉が散ると同時に、黄色い光の粒が舞って大量の水の塊がその場に召喚される。

 床にぶちまけられた大量の水は、窪みに沿って流れていく。水の流れは分岐点を左へ右へと折れていき、一本の道を示していった。すなわち、入口から出口までの道標である。


「このような仕掛けがあったなんて……」

「さすがイバラノヒメ」

「ご慧眼、感服いたします」

 迷いなく進むべき道を示すイバラノヒメに、追従する巫女達は敬愛の念を示した。


 巫女達の賛辞にもイバラノヒメは驕ることなく、謙虚な笑みを浮かべた。

「これも彼の錬金術士の試しに違いありません。私達はまたひとつ、随行者としての資格を手に入れたのですよ」

 イバラノヒメは背筋を伸ばすと、自信に溢れた豊満な胸を揺らしながら、迷宮の出口を見据えた。揺れる二つの山の頂は行く先を指し示すが如く、彼女の視線と同じ方向を向いていた。


 巫女達はイバラノヒメの勇ましい姿と胸元に視線を惹かれ、感嘆の溜め息を吐き出した。

「ご立派です、イバラノヒメ」

「私達、どこまでもついて参ります」


 古代遺跡、そして迷宮を抜けて、赤い袴の集団は太古の跡地へと踏み込んで行った。



 ◇◆◇◆◇



「教授ー! テルミト教授ー! 一体いつまで、ここに留まるつもりですか? 宝石の丘への出発期日も、近づいていますよ!」

 古代遺跡を後にして、底なしの洞窟をさらに深く潜っていたアカデメイア秘境調査隊であったが、太古文明の跡地を前にして、またしても足踏みをしていた。


「期日まではまだ時間があるよ。それよりもアルバ君、見なさいこの遺物を。非常に精巧な太古の人形だよ。いいかい? 頭に猫の耳が付いているだろう? これはもしかすると太古の時代に生きた、亜人種の祖先を原型としたものかもしれない。一緒にこんな円盤も入っていたね。これは太古の跡地ではよく発見されるが、おそらく情報媒体の一種であると見られている。残念ながら、ここから情報を読み取る術はないが、いずれにしろ貴重な発見だよ!」

「…………」

 猫の耳が生えた人形と虹色の光沢を見せる不思議な円盤を手にして、息荒く説明するテルミト教授。

 出発を促すため声をかけたのに、逆に熱く太古のロマンを語られてしまう。止まることを知らない教授の弁舌に学士アルバは頭痛を感じた。


「さあ、アルバ君。そんなところで休んでいないで、これらの遺物をアカデメイアに送還して」

「え、良いんですか? 勝手に掘り出して、送還してしまっても?」

「勝手ではないよ。クレストフ君から既に許可は取ってある。発掘品はあとで目録にして彼に報告する。アカデメイアでそれらの分析・研究が終わったら発掘品は返却する。そういう取り決めになっているんだよ。だから、遠慮なく発掘品は送還するように」

「……まあ、それならいいんですけど。研究室の倉庫だって、内容積に限りはあるんですからね?」

「そういう心配は、倉庫がいっぱいになるほどの発掘品を見つけてから言いなさい。さあ、もう一探索だ」

「…………」



 終わらない発掘作業を続けていたアルバは、ふと洞窟の闇から人の足音が聞こえてくるのに気が付いた。

 ごく静かな足運びで、かなり近づくまで気が付けなかったが、確かに複数の人の足音が聞こえてくる。


 まもなく彼らの前に姿を現したのは、赤い袴と白い胴着姿をした異国の面立ち美しい女性達であった。


 アルバとそのほか数名の学士達は彼女らに気が付くと、作業の手を止めて見入ってしまった。

 特に、女性達の中でも飛びぬけて豊満な胸を携えた一人に目が釘付けになる。

 谷間がはっきりと見える。

 女性経験の少ない学士達には刺激の強い光景だ。


「失礼、お邪魔をしてしまいましたか?」

「え……? あ、ああいえ! ……別に」

 柔らかな声で尋ねられ、我を取り戻した学士達が慌てて胸の谷間から視線をそらす。

 しかし、そんな純朴な学士達の動揺をよそに、赤い袴の女性達は学士達の作業風景を興味深げに覗き込んでくる。


「ひょっとして、太古の跡地を発掘していらっしゃったのですか?」

「はぁ……まあ。あ、僕らアカデメイアという学術機関に所属する学士で――」

「アカデメイア!?」

 驚いた様子で急に距離を詰めてくる女性。

 間近で見ると、余計に谷間の深さが際立って見える。


「あの有名な、古今東西において比肩する学び舎なし、と謳われるアカデメイアですか!?」

「ええと、そんな大層なものだと僕ら自身は思っていませんが……たぶん、そのアカデメイアです」

 その返答を聞いて、女性達から歓声が上がる。

 何が起こっているのか、理解の追いつかない学士達は困惑で顔を見合わせる。


 学士達の困惑を見て取ったのか、彼女らの中で特に胸の大きさの目立つ女性が一つ咳払いをして場を静めた。

「大変失礼しました。私は『呪術結社赤札』の巫女、アメノイバラノヒメと申します。私達は魔導開闢期の中頃に存在したとされる古代八百万の神々を研究しております。世界各地の秘境を巡り、その伝説の片鱗を集めているのです」

 丁寧な自己紹介を受けて、学士達も彼女らが自分達と同類の研究者だとわかると、途端に肩の力が抜けてすっかりと緊張がほぐれた。


「呪術結社赤札というと、使い捨ての札式魔導回路『呪符』を専門に扱っている組織ですよね? 僕も時々、呪符にはお世話になっています」

 学士の一人が彼女らの素性に言及すると、巫女達はどこか誇らしげに背筋を正した。

「はい、その通りです。赤札は一般の方々にも広く呪符の販売を行っています。ですがそれは資金集めの為で、結社の本分はあくまでも八百万の神々の研究、古代史の裏付け調査なのです。もっとも、それだけではなく……」

 そう言って、ちらりと物欲しげな視線を発掘中の太古の跡地へ向けるイバラノヒメ。

「太古の遺産にも興味はあります。正直に申しまして、古代より昔の時代は専門でないので何が何なのかよくわかりませんけれど」

「へぇ、そうなんですか……」


 口下手な学士が適当に相槌を打つと、会話はそれきり止まってしまった。

 学士達にとって気まずい雰囲気が流れ、お互いがお互いの肘を突き合い、会話の糸口を探そうと必死になっていた。

 その様子を笑顔で見守っていたイバラノヒメが、ごく自然な様子で話の種を提供する。

「ちなみに今は、どのようなものを発掘されているのですか? 差支えなければ教えて頂けないでしょうか。興味があります」

 イバラノヒメの質問に同調するように、他の巫女も興味津々な瞳をアカデメイアの学士達に向ける。


 学士達は発奮した。


「これは太古の時代に作られた人形で、この猫の耳を持つ人間というのが、もしかすると亜人の祖先ではないかという仮説があります! 学会の定説では、太古のある時期を境に亜人種が観測され始めたことから、人為的に生命の設計図を書き換えられた人間が亜人の発祥とされていますが、この猫の耳を持つ人は亜人種が長い時をかけて独自の進化を遂げてきた途中の姿とも考えられるんです!」

「こっちは太古文明で使われていたらしい記録媒体ですよ! この薄い円盤一枚に、一般書籍で十万冊分の情報量が入っているとされています。中身、読み出せないんですけどね!」

「今、一部を発掘している最中ですが、特殊な金属で作られた巨大な像も見つかっています! 人の姿を鋭角的に抽象化していて、長い髭を生やした意匠が特徴の金属人形です。劣化が進んでいますが、過去には全身が白い塗装で覆われていたようなので、僕らはこれをホワイトドールと命名しました! 分析はこれからですが、太古文明は機械技術が発達していたと聞きますから、これも魔導技術を必要としないゴーレムの一種ではないかと……」


 いつの間にか学士達はそれぞれの発掘場所で、呪術結社赤札の巫女達に熱心な説明をしていた。

 巫女達もまた興味が尽きることなく、積極的に質問を投げかけている。


 趣味の合う若い異性との会話。

 学士達に春が訪れていた。


 ◇◆◇◆◇


「ふぅ~」

 付着した土を取り除き、発掘された太古の遺物を送還術でアカデメイアの研究室へと送る。

 相当な数の発掘品を送還したから、研究室へ戻ってからの整理が大変だ、と喜び半分、憂い半分の溜息をテルミト教授は吐き出していた。


(まだまだ調べ足りないが、もうそろそろ発たないとクレストフ君を待たせてしまうな。名残惜しいが、発掘調査はここまでとしよう。……どれ、アルバ君達の方はもう送還作業を終えた頃かね)


 学士達とは少し離れた場所で長らく発掘作業に没頭していたテルミト教授は、ついに重い腰を上げて先へ進むことを決めた。

「おーい、アルバ君! 作業の方は終わったかね!」

 跡地の発掘作業でうずたかく積まれた土砂の向こう側、学士達が作業をしているはずの方向へテルミト教授が声をかけるが、その学士達からの返答がない。

「…………はて? おかしい。皆、集中していて聞こえていないのか……」


 土砂の山を登って眼下を見れば、見覚えのない女性達と楽しげに会話をしている学士達。

 遊んでいるとはけしからん、と思ったテルミト教授であったが、近づくにつれ彼らが真面目に太古文明に関する議論を交わしているのを見て、叱るのを思いとどまった。

(……あの娘達がどこの学士かはわからないが、研究者同士が議論を交わし交流を深めるのは互いにとって良い刺激になる。ここはもう少し見守るとしようか)


 土砂の山に腰を下ろして、テルミト教授はかつての教え子に思いを馳せた。

 浮ついたところが全くない、自らの目的のみに真っ直ぐだった優秀な学士。

(……すまないね、クレストフ君。少しばかり遅れるかもしれないよ)


 遅刻するかもしれないことを心の中で謝りながら、テルミト教授は穏やかな気持ちで学士達の討論を見守っていた。

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