第113話 集う強者ども?
一組の騎士と術士が、寄り添うように暗い坑道を歩いていた。
「こっちの道でいいのかしら? ねえ、マルクスどう思う?」
「心配ないよ、ユリア。君の探索術に間違いはない。例え道を誤ったとしても、君と一緒なら僕はどこまでだって道を踏み外すさ……」
「やだもう、マルクスったら……。真面目な話をしているのに」
底なしの洞窟という危険極まりないダンジョンを攻略中だというのに、彼ら二人、マルクスとユリアの間に緊張感はなかった。
そんな隙だらけの二人を、背後から息を潜めて狙う者がいた。
体高は大人の胸ほど、全長は大股三歩分といったところか。
獅子と大蠍と鷲の混じった、いかにも合成獣といった怪物である。
「獣の気配……一匹だけど、背後からついて来ているわ、マルクス」
「気づいているよ、ユリア。僕らのことをずっと熱い視線で追いかけている輩だね。興奮して今にも飛びかかってきそうだ。僕らの逢瀬を邪魔するつもりなら、排除しないといけないね」
まるで周囲のことなど気にしていないかに見えた二人は、その実、辺りへの警戒は怠っていなかった。
やがて、獲物に気付かれたと理解したのか、隠れるのをやめて二人の前に姿を現す合成獣。
二人の仲に割って入ろうとする無粋な輩を排除すべく、騎士マルクスが腰の鞘から優雅に剣を引き抜いた。
細く、剣と言うよりは串のような
しかし、その刀身からは決して侮れない妖しげな気配が漂っていた。
「いくよ、僕の妖剣・
眼前に細剣を構えた直後、素早い足運びで合成獣との間合いを詰め、目にも止まらぬ高速の突きで獣の眼球二つを次々に刺し貫く。
合成獣が苦悶の声を上げ、大蠍の尻尾を頭上から突き出した。
マルクスは尻尾の先端を細剣で串刺しにし、その動きを制する。
尻尾の勢いを止めた後、一瞬のうちに細剣を引き抜き、合成獣の獅子の額めがけて刺突を繰り出す。
反撃の暇も与えず、獅子の額には細剣が深く突き込まれ、合成獣は力を失って倒れ伏した。
マルクスの剣は、見た目は華奢な細剣だが刀身は極めて強靭で硬く、合成獣の硬い頭蓋骨さえ刺突によって容易く貫く。
細身で威力に乏しいと見せかけて、その実は鋼鉄の盾さえ貫通しうる恐るべき剣であった。
「やったわ! さすがマルクス!」
「ふぅっ……、僕の愛は誰にも止められないよ」
ユリアから上がる歓声に、マルクスは自己陶酔するように剣に口づけする。
「あっ……また……。マルクス、その癖はよして、って言っているのに!」
「妬かないでおくれユリア、僕が真実、愛を捧げているのは君だけさ。この唇もまた、君だけのもの――」
「んんっ……!? んもぅ……マルクス……。やっぱり、血の味がする……」
マルクスとユリアは互いを強く抱擁しあい、戦いの勝利を熱い口づけで祝福した。
「ご覧、ユリア。何とも趣き深い遺跡じゃないか。まるで僕らの恋路を密やかに応援しているみたいだ」
「素敵な雰囲気ね……」
マルクスとユリアの二人は地下の古代遺跡へと辿り着いた。
ここまでの道で、植物の蔓に襲われるなど危険は度々あったが、二人は愛の力で危機を脱してきた。理屈はいらない、ただ愛があれば二人は最強だ。
二人にとって危機とは恋を燃え上がらせる試練であり、さりとて真っ向からぶつかる必要もなく、愛の逃避行という
「さ、この辺りで少し休憩しようか。ここは、僕ら二人の愛を深めるのに都合がいい。この洞窟はろくに休める場所もなかったからね、君にも随分と寂しい想いをさせてしまっただろう?」
「こ、こんな所で……? 駄目よ、マルクス……あ、マルクス……。――待って。誰か、人が来るわ」
「構わないさ。もう気づかれている。でも、敵意は感じられない。なら気にすることはないよ。僕らの愛は誰にも邪魔できないんだから……」
「ああっ、だめよマルクス……見られちゃう……」
強引なマルクスに、ユリアは口で否定の言葉を出しながらも抵抗はせず、二人は遺跡の建物の影に隠れて愛し合った。
◇◆◇◆◇
一組の騎士と術士が、付かず離れず絶妙な距離感で暗い坑道を歩いていた。
彼らの歩いてきた道には、点々と動物の死骸が転がっていた。
暗黒の毛並みが血に塗れて逆立った、洞窟狼の死骸だった。
「ルゥ、今日も絶妙な援護だった」
「ああ……兄さまこそ、最高でした……」
二流騎士ナブラ・グゥ、三級術士ナブラ・ルゥの兄妹である。
浅黒い肌に漆黒の髪、彫りが深く目鼻立ちがしっかりした顔は、兄妹で共通する特徴であった。
グゥは襲いかかってきた洞窟狼の死骸には見向きもせず、ただ鋼鉄製の刀が血で錆びを受けないか心配そうに手入れをしていた。
ルゥはそんな兄を傍らで、慈愛に満ちた眼差しでもって見つめている。その視線には、妹が兄に向ける感情にしてはやけに濃密な熱がこもっていた。
「あとどれくらいで集合場所に辿り着くだろうか」
「兄さまと一緒なら時間も忘れてしまいますわ」
「この先も強敵が立ち塞がるのかな」
「兄さまと一緒ならどんな敵も恐れません」
「宝石の丘はどんな場所なのだろう」
「兄さまと一緒ならどこでも楽園です」
兄妹で微妙に噛み合わない会話をしながら、けれども互いにまるで気にすることもなく、二人は自然体で底なしの洞窟を攻略していた。
兄妹にはこの旅におけるそれぞれの目的があった。
兄は富と名声を求め、妹は自由な愛を求め、底なしの洞窟へとやってきたのだ。
宝石の丘へ到達することが、グゥの騎士としての名を轟かせ、ルゥの密かな野望を果たすのに絶好の状況を作りだす。
伝説の地への到達は、兄グゥに確かな富と名声を約束するだろう。
そして非日常の世界の果てで、妹ルゥは誰にも邪魔されない愛の告白を果たすのだ。
……ルゥは例え想いが成就しなくてもいいと考えていた。
伝説の地で愛を告白した事実こそが、兄の心に深く刻み込まれれば。それだけで、兄は自分を忘れることなどできないだろう。
そうなれば、いつか他の誰かと兄が結ばれることになったとしても、ルゥは常にグゥの中で存在を示し続けることができる。
(……でも、でもでも! あわよくば兄さまが状況に流されて、一線を越えてくれる可能性も!)
ナブラの一族は、辺境の小数民族だ。
近親での結婚も珍しくなく、そのまま集落にいれば、あるいはルゥがグゥと結ばれることもあったかもしれない。
だが、グゥは
慌てて後を追ったルゥは術士としてどうにかグゥのパートナーに納まることができた。
けれども首都へ出てきて、近親婚が世間一般では忌み嫌われている事実を知り、さらにはグゥに近づく女達のことごとくが彼と結ばれたいという欲望を持っていることに戦慄した。
今のところグゥに特定の好きな女や結婚願望はない様子だったが、このまま首都で暮らしていれば、いずれ確実に自分以外の女にグゥの心が奪われる。
危機感を覚えたルゥは、グゥが騎士としての名を上げたがっていることに目を付け、今回の宝石の丘遠征に参加することを提案したのだ。
「この機会にきっと……兄さまの心を……」
「ルゥ。ルゥ? ルゥ!」
ぶつぶつと呟きながら自分の世界に入っていたルゥに、グゥが何度も呼びかける。
「はっ!? なんでしょう、兄さま!」
「ご覧よ、古い遺跡群がある」
弾かれたように顔を上げたルゥが見た光景は、地中に広がる旧時代の街並みだった。
「地下にこんなものがあったのですね……」
「なかなか面白い風景だなぁ。集落で暮らしていたら一生拝むことはなかっただろうね」
騎士としての鍛錬以外にはあまり関心を持たないグゥが、滅びた過去の文明を前に感慨に耽っている。
彼にもまた情緒というものがあり、それは周囲の環境にも影響を受けるようである。
(……兄さまが珍しく感動している! これなら、宝石の丘へ到達した時には、きっと感情が溢れてくるに違いないわ! ルゥにも運が巡ってきた!)
「ルゥ。ルゥ? ルゥ!」
「はっ!? なんでしょう、兄さま!」
再び、妄想に入り浸っていたルゥにグゥの声がかかる。
「どうやら、人がいるみたいだよ」
グゥが指差す先には、なにやら遺跡の調査をしているらしい学士達の姿と、一組の騎士と術士の姿があった。
学士達は遠くの方で黙々と作業を行っている。
彼らより、近場にいた一組の騎士と術士は、金髪が無駄に輝いている男とルゥから見ればパッとしない女だった。
「ご覧、ユリア。何とも趣き深い遺跡じゃないか。まるで僕らの恋路を密やかに応援しているみたいだ」
「素敵な雰囲気ね……」
二人はどうやら恋人のようだ。騎士と術士は男女のペアとなることが多く、仕事の付き合いだったものがそのまま人生の伴侶となることも珍しくないのだとか。ルゥからすれば、羨ましい限りである。
そして、ルゥとグゥが見ているのにも構わずいちゃつき始める。
「こ、こんな所で……? 駄目よ、マルクス……」
「構わないさ……気にすることはないよ。僕らの愛は誰にも邪魔できないんだから……」
「ああっ、だめよマルクス……見られちゃう……」
ルゥは無言で兄グゥの腕を引っ張ると、その場を離れた。
しっかりと手を握って、作業に没頭する学士達を横目に、遺跡群を足早に通り抜けていく。
「ルゥ。……ルゥ?」
「何でしょう、兄さま」
「さっきの人達……」
「あれ以上、見ていてはいけません」
ルゥの言葉には有無を言わせぬ凄味があった。
グゥは二の句が継げずに一瞬黙ってしまったが、握った手の平の優しい感触からルゥが怒っているわけではないと考えて言葉を続けた。
「仲の良い人達だったな」
グゥの言葉に、ルゥが足を止める。くるりと振り返って、ルゥはどこか力の入った表情を見せる。
「……兄さま。私達も、負けていません!」
握った手の平にぐっと強い感触。
「そうだね」
グゥが微笑を浮かべ、ルゥの手を強く握る。
ルゥとグゥ、二人はとても仲の良い兄妹だった。
◇◆◇◆◇
手を繋いで男女一組の騎士と術士が遺跡群を足早に歩き去っていく。
彼らは歩調もぴったりで、仲睦まじく見えた。
アカデメイアの学士ビルドは、隣で糞真面目に遺跡調査をしている同期の学士に声をかけた。
「なあ、アルバ。あの人達も宝石の丘、目指してんのかね?」
「うん? うーん、さあどうだろう。腕は立ちそうだけど、あの様子だからね……」
「仲良さそうだな。恋人同士かな」
「かもね。僕らには関係ないよ」
「そうだな、俺らには縁がないよな」
「…………」
ビルドの何気ない一言に、アルバの作業の手が止まる。
言ってしまってから後悔したビルドと、反応してしまったことを後悔するアルバ。
思わず互いに見合って、
「う、うらやましくなんかないぞ! 調査、調査!」
「そうだな、別にうらやましくなんてないよな」
二人は作業を再開した。
「なあ、アルバ」
ほどなくして、ビルドがまたアルバに声をかけた。屈みこんで作業に没頭していたアルバは、不意に声をかけられて集中力を切らしたのか、のろのろと怠そうに腰を上げた。
「なにさ、真面目に調査活動やってくれよ。教授があと半日でここを発つって言っているんだから、急がないと」
「いやな、さっきから変な声が聞こえてくるんだけど……」
「変な声?」
「ああ、女の喘ぎ声みたいな……」
「はぁー……。あのさあ、欲求不満なのはわかるけど、それを僕にまで押し付けないでくれよ。こんな場所で女の喘ぎ声なんて――」
……あっ……だめよ、そこは……ううん……いい……あっ、あっ……!
……かわいいよ、ユリア……もっと愛してあげるからね……
どこからともなく悩ましい女の声と、甘ったるい男の声が耳に入ってきた。
「…………な?」
「……うん……」
アルバは遺跡の影からはっきりと聞こえてきたその声で、どこぞの男女が愛し合う行為の真っ最中だということを理解した。
こんな遺跡で――と、アルバは半ば想像しかけて顔を赤面させた。
「ここ、離れようか……」
「覗いてみないか?」
「やめよう、後で虚しくなるだけだ」
「そうだな……そうだよな……」
アルバとビルドは場所を変え、再び作業に戻るのだった。
学士達に春は来るのか。
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