第108話 集う強者ども(4)

※関連ストーリー 『集う強者ども(2)』参照

――――――――――


 地下河川を下り、静かなる地底湖を通り過ぎて、中層部の貴石採掘場を進む一団の姿があった。

「くぁあ……ぬる過ぎてあくびが出るぜ。中層部には守護者がいるって、聞いていたんだがなぁ」

「戦闘の跡もありましたし、既に先を行く者が撃破したのかもしれませんな」

 あくびをしながらぼやく狼人のグレミーに、馬人のボーズが大きな目玉をぐるぐると回しながら、鼻息荒く自身の見立てを述べる。

 そんなボーズの考察を、グレミーは言われなくてもわかっている、と言わんばかりに顔をしかめて聞き流した。


 グレミーはこの時、他の同業者に先を越されたことに苛立っていたが、あと数日ほど到着が遅ければ恐るべき魔導生物との戦闘になって、そもそも下層へ到達できない危険もあったのだ。

 それはまさに、ファルナ剣闘士団が絞殺菩提樹と餓骨兵を退け、新たなる守護者が誕生するまでの僅かな間隙であったのだが、そんな幸運などグレミー獣爪兵団には知る由もないことだった。


「けっ、それにしてもこの洞窟はむかつくほど複雑だな、くそが!」

 戦士としての気質が強いグレミーとしては、強敵と相対して苦戦するならばともかく、ただの地形に苦慮させられる今の状況は余計に腹立たしいことでもあった。

「おかしら、そう急くことはないと思うがなぁ。急いだところで、集合期日はまだ先だぁ。待ちぼうけを食うだけよぉ」

 舌打ちするグレミーを宥めるように、熊人のグズリがのんびりとした口調で近くの坑道から顔を出した。

 グズリは「こっちゃあ、何もなかったぁ」とボーズに伝え、ボーズはその情報を手元の地図に書き込んでいく。


 グレミー獣爪兵団は隊を分けて、洞窟の構造を探るべく虱潰しに坑道の先を確認していた。

 手間はかかるが確実な、人数の多い兵団でこそ運用可能な探索方法である。


「ふむ……妙ですな。おかしら、これを見てください」

「あ? あんだよ、小難しい顔しやがって」

 ボーズが差し出してきた地図を覗き見て、グレミーは眉根を寄せた。

「なんだぁ? この、細っこい道は?」

「ええ、それなんですがね。どうも人が通れるぎりぎりの大きさの横穴が無数に開いていまして。ほら、ここのような」


 ボーズが指差した坑道の壁には、グレミーが這いつくばってようやく通れるかどうかの横穴が掘られていた。この大きさでは体の大きいグズリはまず通ることができない。

「何だか知らねぇが、通れもしねえ道なんぞ地図に書き込むな! 無駄だ、無駄! 本筋の坑道だけ書いとけ!」

「そうしますかな。しかし、気になる……」

「けぇっ! くそ真面目だよなぁ、ボーズてめぇはよ。……それより、ブチの野郎はどうした? 適当な距離行ったら戻って来い、って言っておいたろうが」


 グレミー獣爪兵団の構成は、熊人くまびとのグズリ、馬人うまびとのボーズ、そして鬣狗人はいえなびとのブチを分隊長とした三個分隊である。

 今は分隊ごとに別れて探索を行っているのだが、ブチの分隊だけがいつまで経っても戻ってこない。

「ちっ……しゃあねぇなあ。おい、てめえら! いくぞ! どの道、他の坑道はどんづまりだ。ブチの進んだ道が、たぶん当たりだからな!」

 グレミーの号令の下、兵団は揃ってブチの分隊が向かった坑道へと進んでいった。



 途中、幾つも細い坑道が枝分かれしていたが、グズリが通り抜けられないそれらは全て無視して、本筋と見られる坑道をグレミーが兵団を率いて先導した。鼻の利くグレミーは、ブチの残した浮遊臭を辿って着実に前の分隊との距離を詰めていた。

 ほどなくして、前方に人影が多数見えてくる。

 だが、その集団の人数が明らかにブチの分隊全員よりも多いと見て、グレミーは面倒事の予感を嗅ぎ取った。

「ああ~、兄貴ぃ」

 緊張感のないブチの声が前方から聞こえてくる。

 近づいてみれば、ブチの分隊と睨みあうようにして別の一団が向かい合っていた。


 数はブチの分隊より多いが、グレミー獣爪兵団全部隊と比べれば半分以下だ。

(……状況はよくわかんねぇが、とりあえず戦力はこっちが上と見てよさそうかぁ……?)

 ブチの分隊と目の前の一団の間に何があったかは知らないが、咄嗟にグレミーは状況を自分達に有利なものと判断した。

 少なくとも、つい先程まではブチの分隊の方が不利であったはずだ。

 相手の出方次第では闘争も覚悟の上で、グレミーは問いかける。


「おい、ブチ。こいつらは何だ? 何で睨みあいになってやがる?」

 威嚇半分に凄みを利かせた声でグレミーはブチと、そして目前の一団にも向けて、現状の説明を求めた。

 改めて見るとその一団の姿格好が、ありきたりな傭兵や冒険者とは大きく趣の異なる装いであることに気が付いた。


 屈強な体格をした男女が五組。

 女も男も全員が武骨で獣臭い鎧を身に付け、得物は長大な棍棒や極太の突撃槍といった大仰な物ばかり。挙句に顔には入れ墨と思しき紋様が鮮やかに描かれている。まるで未開地の原人のようだ。

 見たところ純人すみびとだが、一人一人が熊人のグズリのように大きく筋肉質の体をしている。

 そして、その内の半数から感じられる強烈な圧迫感。

(……こいつら、騎士と術士のつがいか……? それも、五組……)

 だとすれば、先程の自分達が有利という状況は考え直しだ。

 仮に相手の中に騎士が半数いたとすれば、真っ向勝負で負けるのはグレミー獣爪兵団の方になる。


 騎士との一騎打ちなら、相手の力量次第でグレミーや分隊長の三人は良い勝負ができるかもしれない。

 だが、他の兵団員には無理だ。相手方に術士がいればなおのこと、騎士と術士の複数組に連係を取られたら、集団戦で彼らに勝つのは難しい。

 グレミーは自然と舌を口から出して、荒い息遣いをしていた。

 それは興奮であり、畏怖であり、また強い闘争心の表れでもあった。相手が格上であっても、一歩も引かない気構えをグレミーは持っていた。


「兄貴ぃ、こいつらさぁ。さっき、坑道の交差路でばったり会ってよ。俺達の顔を見るなり、洞窟から出て行けとか言ってんだぁ。俺も他の連中も、あったまキテよぉ」

「はあ? 俺達に、洞窟から出て行けだと? おぉい! いったいどういうつもりだ、あぁこら!!」

 相手の威圧感を跳ね除けるように、グレミーは吠えた。


 ブチの言う通りなら、まさしく喧嘩を売られたに等しい。相手が格上だとしても引き下がるつもりはなかった。

 兵団の前へと飛び出したグレミーに対して、向こうの一団からも一人、齢三十代と見られる貫禄ある騎士が歩み出てきた。

 その騎士は身の丈ほどの巨大棍棒を担いでいる。


「あ? 何だ、てめ? てめえがそっちの代表ってか? なら、聞くがよ。いったいどういう了見だ、うちの連中に喧嘩売って、よお?」

「ワレ、頭か? ワイ、ガザンじゃ。コンゴの魔獣討伐隊、まとめとる」

 グレミーの挑発的な問いかけに、四角い顔に細い目の騎士が妙な訛りのある言葉で返した。

「獣人、コンゴの戦士に狩られたなくば、帰れ。おまいら、ワイらしたら、獣と変わらん」


 聞き取りづらく、たどたどしい言葉遣い。

 その言葉遣いを聞いて、グレミーは目を丸くして瞬いた。けれどもすぐにその目を細めると、大きく裂けた口元を歪めて笑みを浮かべた。いやらしい、獲物を追い詰めた狼が浮かべる粘着質の笑みである。

「ああん? てめえ、舐めてんのか? へたくそな共通言語しかしゃべれねえくせに、脳の足りねえ獣はそっちじゃねえかぁ? なあ、田舎者よぉ?」

 グレミーの安い挑発に、四角顔の騎士ガザンは無言のままに顔を赤黒く染めて、濃厚な怒りの気配を放ってくる。

 挑発が一定の効果を示したことがわかり、グレミーはくつくつと喉の奥で笑った。


 ――グレミー獣爪兵団にも一部、共通言語が満足に喋れない兵団員がいる。

 彼らは街中などで言葉を発すると、必ずと言っていいほど周囲の人間から嘲笑されていた。その度にグレミーは、笑った奴らを噛み殺さんとばかりに牙を剥いて脅す。

 だが一方で、グレミーに恥をかかせた兵団員もまた厳しく躾られて、自主勉強を強要されていた。

 性質の悪いことにグレミーは腕っ節も強いが、頭も良い。兵団員は誰も頭が上がらず、言われた通りに苦手な勉強にも手をつけるのだった。


 日々そんな実情を体験しているグレミーだ。

 訛りのひどい者が、それを馬鹿にされたときどれだけ腹を立てるか知っていて煽っている。

 そしてその目論見は効果覿面であったわけだが、結果として両者の間に決定的な溝を作ることになった。

 コンゴ魔獣討伐隊の他の面々も顔面に憤怒の表情を貼り付け、今にも飛び掛ろうかという雰囲気でいきり立っている。

 もはや一触即発、衝突は免れないかと思われた。


「誇り高きコンゴの戦士、侮辱許さない。獣人ども、狩られる覚悟いいか!」

「けぇえっ! 雑魚が!! この程度の挑発で傷つく誇りとは、安っぽいもんだなぁ? ああん!?」


 魔獣討伐隊と獣爪兵団が睨みあい、殺伐とした空気の流れるなかで、しかしその間を空気も読まずに通り過ぎる者がいた。

 横合いの壁に開いた穴からひょこりと顔を出して、争う両者の前にのこのこと現れたのは全身鋭い棘だらけの鉄針土竜てっしんもぐらであった。


「コンゴの戦士、皆、精強。おまいら獣ごとき敵でなし……」

「脳足りんの獣と俺らが一緒だと思ったら……」


鉄針土竜がグレミーとガザンの足元に割って入り、金属質の太くて長い棘をゆらゆらと揺らしながらその場で丸くなった。


「……獣。なんのつもりか?」

「……おい。……なんなんだ、こいつは?」


 ガザンは鉄針土竜に語りかけるように、グレミーは仲間に問いかけるように、闖入者の行動に疑問を呈した。

 しかし、その問いかけに答えるものは誰もいなかった。

 ただ鉄針土竜は返答の代わりのつもりか、丸めた体をぷぅうっと膨らませて、ぎちぎちと複数の棘の先端を打ち合わせている。


 ――攻撃動作。

 間近にいたガザンとグレミーは、瞬時にそう判断した。

「皆、防御!」

「伏せろ、てめえらっ!!」

 二人は揃って獣から距離を取り、ガザンは巨大棍棒の陰に身を隠し、グレミーは四肢を伸ばして地に伏した。


 ボッ!! と破裂音が鳴り、無数の太い棘が周囲一帯に飛散する。

 コンゴ魔獣討伐隊は闘気を纏った騎士が盾となり、背後に術士を庇った。

 グレミー獣爪兵団は咄嗟に体を地面に伏せたものの、幾人かの反応が遅れた。


「くぅっ!!」「むぐっ……」

「ぎゃひっ!?」「あだっ!!」


 魔獣討伐隊の騎士は飛来した棘を武器で弾いたが、捌き切れなかった幾本かが闘気を纏った体を軽く引っ掻いた。鋼鉄の体にも例えられる闘気に包まれた騎士の体に、浅くとも傷をつけられるということは、生身に対しては十分な殺傷能力があることの証明である。

 実際、獣爪兵団の獣人の体には、深々と棘が突き刺さっていた。それでも純人に比べて硬い皮膚と筋肉そして剛毛に覆われた身のおかげで、傷は内臓まで達することはなかったようだ。


 脅威の殺傷能力を発揮した鉄針土竜は、棘をなくして頼りない姿を晒していたが、棘の抜けた毛穴から黒い靄を吹き出すと瞬く間に新たな棘を全身から生やした。

 体の末端部とは言え、通常の生物では考えられない再生速度である。

全身を薄らと覆う黒い靄に、真っ赤に燃え盛る円らな瞳……そして黒光りする長くて鋭い棘の体毛。

 その異様はもはや普通の鉄針土竜のものではない。


「魔獣――!!」

 騎士ガザンが吼えた。同時に彼の背後から、身の丈を超える長さの錫杖を持った筋骨隆々の女術士が飛び出す。


『鋭きもの、鈍れ! 肉綿にくわたの実!』

 女術士が呪詛を吐くと、黄色い光の粒と共に白い肉の塊のようなものが召喚され、次々と飛んでいって鉄針土竜の針先に付着する。

 再び、鉄針土竜が体を膨張させて棘を射出するが、先端に取り付いた物体が弾力を発揮して、棘は人や壁に突き刺さることなく地面に落ちた。


「ふぅぉおおおおおー――っ!!」

 雄たけびを上げ、赤褐色の闘気を迸らせながら巨大棍棒を鉄針土竜めがけて振り下ろすガザン。

 ガザンの一撃は棘を失った鉄針土竜の体にめり込み、ぼきぼきと骨を折る音を響かせた。

 それでも潰れてしまわないのは魔獣の強靭な肉体がなせるものか。

 仕留め切れていないと手応えで感じたガザンは、鉄針土竜の小さな顎を巨大棍棒でかち上げる。

 ゴム毬のように弾き飛ばされて、洞窟の天井に激突する鉄針土竜。


 瞬時に棘を一本生やして天井に突き刺すと、そこから更に無数の棘を生やして三度体を膨らませ始める。

 天井から、あの鋭い棘をばら撒く考えなのだろう。

「ボーズ! あの糞モグラを落とせ! 天井に刺さっている棘の一本を狙え!」

「了解ですな、おかしら!」

 ボーズは地面に転がっていた石を足の蹄で強烈に蹴り飛ばし、天井に刺さった鉄針土竜の棘を一本へし折った。


 なおも体を膨らませながら落ちてくる鉄針土竜。

 そこに怯まずグレミーが突っ込んでいく。

「けぇええ――っ!! 死にさらせ!!」

 空中で鉄針土竜と交錯したグレミーは、右腕に装着した禍々しい曲線を描く三本の鉤爪を振るった。

曇り一つない鏡の如く磨き上げられた鉤爪の刃が、鉄針土竜の硬い体毛と筋肉を容易く切り裂き、真っ黒な血と臓物の雨を洞窟の地面へと降らせた。


鉤爪の刃に彫られた、絡み合うつむじ模様の意匠を伝って、黒い血が滴り落ちる。

鉄針土竜の肉塊には黒い靄がまとわりついていたが、しばらくして靄は動きを鈍らせ、やがて血溜まりへ溶けるように消滅した。




「獣人、それ、妖しの武器か?」

 魔獣化した鉄針土竜との戦闘が終了し、騎士ガザンがグレミーへと歩み寄る。

 グレミーは右腕に装着した鉤爪を横に振るって、こびりついた黒い血を飛ばす。

 硬い魔獣を切り裂いたはずの鉤爪には、刃こぼれはおろか曇り一つとしてなかった。

「こいつぁ『妖爪鎌鼬ようそうかまいたち』。魔獣だろうが、騎士の闘気だろうが、構わず切り裂くぜ」

 自慢げに自らの武器をひけらかすグレミーに対して、騎士ガザンは元から細い目をさらに細めた。


「妖しの武器に認められたもの、コンゴでは騎士に並ぶ戦士。ワイ、ワレのこと、認める」

「あぁ? なんだってぇ?」

「ワイら、もう行く」

 騎士ガザン率いるコンゴ魔獣討伐隊は、それ以上の言葉を語ることなくグレミー獣爪兵団の前から去った。


「けっ。なんだってんだ、奴ら」

「おかしらの力を認めたのでしょう。照れずとも良いではありませんか」

「ああ!? おいボーズ! 誰が照れてるってぇ!?」

 思いもよらぬ指摘を受けてグレミーは声が裏返ってしまった。


「なぁんだぁ? 兄貴ってば、照れているのかぁ」

「おかしらは意外と照れ屋だからなぁ……」

「ブチ! グズリ! てめえらまで、つまんねえこと言ってると殴るぞ! こらっ」

 言うが早いか、グレミーはブチの頭を素早く叩いた。

「あ、いってぇ~……。兄貴ぃ、八つ当たりはやめてくれよぉ」

「いいから行くぞ、てめえら!! あのいけ好かねえ連中に先越されてたまるか!」

 照れ隠しに怒鳴り散らしてしまうグレミーであったが、そこへまた冷静なボーズの声が挟まれる。


「怪我人もいることですし、少々休んでからでもよいのでは? それにあまり早く連中に追いつくと、それはそれで気まずいと思いますな」

「うるっっせぇ!! とっとと手当てして、出発の準備整えろ!!」

「了解です」

 ボーズは馬耳をひくつかせ、苦笑しながら引き下がる。

 笑いを堪えているのだ。


 なんとも弛緩した空気の中で、グレミー獣爪兵団は一時の休息を取るのであった。

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