第107話 三つ鱗の陣

 青白い灯火を水晶髑髏の眼窩に宿し、餓骨兵がファルナ剣闘士団に向かって疾駆した。

 容易く彼女らとの間合いを詰めると、駆け抜けざまに六角錐柱の水晶棍を振りぬき、前列に位置した三人をまとめて横殴りにしようとする。

 しかし、ファルナ剣闘士団の反応は早く、即座に餓骨兵の攻撃の間合いから跳び退すさっていた。

 敵を捉えられず、虚しく空を切る水晶棍。


 ――カァァアアァ……。


 餓骨兵は何を思うのか、半端に開いた顎から熱の篭った空気を排出する。


 ファルナは餓骨兵の動きに注意を払いながら、剣闘士団の仲間に指示を飛ばす。

「三人二組だ。囲め!」

 餓骨兵を中心に、小さな三角形と大きな三角形の位置取りで囲むファルナ剣闘士団の六人。団長のファルナは小さな三角形の一角を担い、二人の妖剣使いが残り二角を担当する。

 霊剣を携える三人は大きな三角形の位置取りで、隙なく餓骨兵を取り囲む。


「来い、骸骨野郎」

 ファルナが妖刀・断ち首の鋸を軽やかに素振りしてみせ、餓骨兵の注意を誘う。

 挑発に乗ったのか、あるいは剣闘士団のなかで最も強力な敵とみなしたのか、餓骨兵はファルナへと向き直る。

 餓骨兵が向きを変えた瞬間、斜め背後から二人の妖剣使いが音もなく斬りかかった。


 その一振りは、表面が凸凹と荒れ、剣と称することを躊躇するような板状の刀身を有する。

 『妖剣・骨削りのやすり

 敵の皮膚を掻き毟り、骨を削り取ることに特化した剣。


 もう一振りは、肉厚で幅広の刀身と、鋭く研ぎ澄まされた刃紋を有する。

 『妖剣・皮剥ぎのかんな

 敵の皮膚を剥ぎ取り、肉を薄く切り刻むことに特化した剣。


 斜め背後から同時に振るわれた二本の妖剣は、餓骨兵が後ろ手に回した水晶棍に弾かれたが、『鉋』の刃が水晶の骨格その肩口辺りを薄く剥ぎ取った。

 対する餓骨兵には一切の動揺なく、ただ機械的に水晶棍を振るって背後の敵を牽制する。

 だが、妖剣使いの二人は既に餓骨兵の間合いから遠ざかっており、水晶棍は荒々しく空を切った。

 空振りの隙に正面からファルナが斬りかかっていくが、これは人間離れした腕力で引き戻された水晶棍に阻まれる。

 妖刀の鋸刃が水晶棍の表面でかりかりと滑り、青白い火花を散らした。


「ちっ……」

 押し切れないと悟ったファルナは後ろに大きく跳び下がり、二人の妖剣使いと示し合わせて、再び小さな三角形の陣の中に餓骨兵を囲い込む。

 一人が敵を引きつけ、残る二人が死角から切りかかる。

 決して懐深くは飛び込まず、即離脱可能な安全距離を保ち続けながら、入れ替わり立ち代わり餓骨兵を傷つけていく。

 だが、いずれの傷も――浅い。


 餓骨兵は適確に水晶棍で刀剣を受け流して直撃を避けながら、不意に強烈な打撃を放ってくる。

「くっ!?」

 水晶棍の一撃と打ち合った『鑢』の担い手は、腕に覚えた軽い痺れに思わず苦鳴を漏らす。

 打ち合いで生じた青白い火花が、妖剣の刃を伝って腕に走ったのだ。圧力によって生じる水晶棍の雷撃特性である。

 導電性の悪い刀身に、革の柄巻きが幸いして痛手は小さいが、集中を乱すには十分な衝撃を与えていた。


「前陣退け! 後陣前へ!」

 瞬時に下したファルナの判断で、小三角と大三角の陣が入れ替わる。

 妖刀・妖剣の三人に代わり、霊剣の担い手達が包囲を縮めて餓骨兵へと斬りかかった。

 荒々しい妖剣の剣技とは一転して、三本の霊剣は流れるような太刀筋を魅せる。


 一振りは、肺腑の奥まで沁み渡るように静謐な霊気を漂わせる。

 『霊剣霧雨れいけんきりさめ


 またある一振りは、凪いだ湖面の如く平滑で澄んだ霊気を纏う。

 『霊剣水鏡れいけんみかがみ


 もう一振りは、皮膚を裂くかと思わせる凍てついた霊気を放つ。

 『霊剣寒風れいけんさむかぜ


 三者三様、霊剣の担い手達は囮役を適時入れ替わり、霊剣を振るって優雅に舞い踊る。

 餓骨兵相手に決定打を与えることはできずとも、繰り返し斬りつけて小さな傷を増やしていく。


 第三者から見れば、一見して戦いは膠着状態に陥ったように見えるだろう。

 ファルナ剣闘士団の戦法は戦闘開始から一貫して、三人二組・大小三角形の『三つ鱗の陣』による闘いであった。

 内側三人の包囲が突破されそうになれば、外側を囲んでいた三人が包囲を敷く。

 その間に内側の三人が外側に回り、体勢を立て直す。

 自分達は安全確実に、敵を決して逃さず、時間をかけていたぶり続ける戦法である。


 ファルナの見立てでは、餓骨兵の戦闘力は一流の剣術士並みと捉えていた。

 それでも、霊剣・妖剣の担い手が六人も集まれば、完封も可能と考えている。

 事実、ファルナ剣闘士団はここまで大きな痛手も受けずに闘いを進めてきていた。


 水晶の硬度を有する餓骨兵の身体に、無数の小さな傷が刻まれて、僅かずつだが餓骨兵の動きに陰りが見え始める。

「頃合だな……畳み掛けろ!!」

 ファルナの号令で、三本の霊剣がこれまでにない速度で振るわれ、餓骨兵の頚椎けいつい、右上腕骨、そして左大腿骨に深い切れ目を入れる。

 餓骨兵が水晶棍を大きく振って、霊剣の担い手達に反撃するが彼女らは既に間合いの外だ。

 『霧雨』『水鏡』『寒風』の担い手は斬りつけた勢いのまま、綺麗な三角形を描いて三方向に駆け抜け、妖剣『鑢』と『鉋』の担い手に入れ替わっている。


 『鑢』と『鉋』は切れ目の入った右上腕骨と左大腿骨にそれぞれ攻撃を仕掛けた。

 水晶の骨格に入った亀裂を妖剣で抉るように斬り込み、押し切るように剪断せんだんして餓骨兵の腕ごと水晶棍を弾き飛ばす。さらに片足もへし折り体勢を大きく揺るがした。

 餓骨兵に生じた致命的な隙にファルナが突っ込む。

 妖刀・断ち首の鋸を腕ごと反らして、大きく背後へと振りかぶった。


 胸、肩、背筋と収縮し、上腕、前腕の筋肉へと力を伝え、手首は剛と固めて妖刀が横薙ぎに振るわれる。

 断ち首の鋸は餓骨兵の頚椎に食い込み、力任せに引き切ることでファルナは水晶髑髏の首を乱暴にね飛ばした。

 眼窩に青い炎を灯した頭蓋骨はカタカタと顎を鳴らしながら宙を舞う。


 ――カァァァ……ッ――。


 餓骨兵の首は熱の篭った息を吐き出して、くるくると回転しながら飛んでいき……。とぷん、と水音を立てて地底湖の水底へと消えていく。

 後に残った体は、水晶の破片となってばらばらに砕け散った。



 戦闘が終了し、その場から離れて見ていたタバル傭兵隊とエリザ武闘術士団が顔を出す。

「凄まじい、剣の腕前だった……。あんたらはいったい何者だ?」

 傭兵達がファルナ達に近寄るのを躊躇うなかで、傭兵隊長タバルは率直に彼女らの剣技を称えた。


「ふん! あんなの、六人がかりで戦えばそりゃ倒せるでしょうよ! あたしだって、あたしが六人いれば勝てるもの!」

「そりゃまあ、そうかも知れんがな。素直に評価せんか。わしら三人だけでは手に負えたかどうか怪しいものだったぞ」

 エリザはファルナ達の実力を認めたくない様子だが、仲間のオジロは正確にファルナ達や餓骨兵の戦力を見極めていた。


「……この程度の相手に勝てる気がしないのなら、先へ行くのはやめておけ。私達は、先へ進むぞ」

 ファルナは言葉少なに警告を残して、剣闘士団と共に洞窟の闇へと消えていった。



 ◇◆◇◆◇


 ファルナ剣闘士団とその他大勢の冒険者達がいなくなったあと、静かに、ごく静かに地底湖で蠢くものがいた。

 刈り取る者がいなくなったことで、縦横無尽に根と地下茎を伸ばし始めた絞殺菩提樹である。


 根は地底湖の水を吸い上げ、傷ついた蔓を修復して再び地底洞窟に樹海を作らんと繁茂する。

 ――その根に噛み付く、水晶の髑髏。


 絞殺菩提樹は髑髏を蔓で縛り湖上に引っ張り上げると、洞窟の岩壁に叩きつけて破壊しようとする。

 それはまるで、これまで刈られ続けた恨みを晴らそうとするかのようだ。

 だが、髑髏は岩壁に叩きつけられながらも眼窩に青白い炎を燃え盛らせて、絞殺菩提樹の根に自身を構成する魔導回路を転写していく。


 じわりじわりと絞殺菩提樹を侵食していく水晶髑髏の魔導回路。

 餓骨兵の本体は、その頭蓋の奥に秘められた精霊機関である。そして、錬金術士クレストフの仕込んだ機能として、周辺物質を取り込み体組織の自己修復を行う命令術式が組み込まれていた。


 本来は岩石などの成分を取り込むのが通常であったが、体の大半を失った餓骨兵は先の戦闘経験を考慮して、より柔軟な体を欲したのである。

 さらに、放置されていた餓骨兵の体、砕け散った水晶片までも再利用するべく取り込んでいた。

 餓骨兵は絞殺菩提樹の運動機能を完全に掌握したところで、本体である頭蓋骨は安全圏である湖底へと沈め、代わりに地下茎を自身の意思によって洞窟内に伸ばし始める。

 これまでの無秩序な植物的成長ではなく、十全に蔓を振るうことのできる空間を残して、侵入者を迎え撃つに適した配置にその触手を張り巡らせた。



 この日を境に、底なしの洞窟・中層部から水晶髑髏の餓骨兵は消えた。

 強力な守護者が不在の隙に、これ幸いと冒険者達が次々に中層部を抜けようとする。


 だが、そのうちの半数以上は幾らも進まぬ間に首を括ることになった。

 地底湖のほとりは群生する殺人植物で埋め尽くされていたのだ。


 蔓の先端には鋭いやじりのような水晶の破片が輝いている。

 縛り上げた獲物の首を掻っ切る、恐るべき凶器である。


 こうして、人知れず誕生した魔導生物が、底なしの洞窟・中層部の新たなる守護者として君臨したのであった。

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