第102話 密やかな情事
薄暗がりの洞窟に獣の咆哮が響き、直後に赤々とした光が揺らめいた。
(――世界座標、『トルクメニスの地獄門』より召喚――)
『業火の窪地!!』
紫檀の杖で地面を突くと同時、少し離れた前方の岩床に放射状の罅が走り陥没する。そこへ突撃してきた数匹の合成獣達は見事に陥没した地面に嵌まり込み、もがいているところへ勢いよく火柱が立ち上った。逃げることを許さぬまま火炎が取り囲み獣達を炙り殺す。
「ん、ん~、ああ堪らないわぁ、獣の毛と皮と肉の焼ける臭い……」
炭化して全身から煙を吐き出す合成獣の死骸を前に、たなびく煙の一端を胸に吸い込んで恍惚とする女。
息を吸い込み膨らんだ胸が、ドレスの薄い絹地を押し上げて豊かな双丘とその先端の形を露わにする。男を誘う蠱惑的な姿態は、醜悪な獣達の死骸を前に無駄な色香を振り撒いていた。
永眠火山の首吊り樹海に入ったのがほんの五日前、樹海を越えるのに三日ほどを要し、さらに二日の間に氷炎術士メルヴィオーサは順調に底なしの洞窟を攻略しつつあった。
「まーったく、だる~いダンジョンねぇ。クレストフの奴、やる気あるのかしらぁ? あぁ、ないわよね、あいつのことだもの」
二級術士のメルヴィオーサと準一級術士のクレストフは、年齢も階級も近いとあって共に仕事をしたことが少なからずある。その上で彼女がクレストフに抱いた印象は一言で言うと、面倒くさがり、というところだ。
そのくせ欲深いので目的を達成するには努力を惜しまないが、同時に決して無駄な労力を割こうとしない。効率的と言えば聞こえはいいが、裏を返せば手間暇をかけず楽して稼ごうとしているのである。
もっとも、そんな手抜き加減がメルヴィオーサにとってはむしろ好ましく、一緒に仕事をする上でも楽な相棒になりえるものだった。最小の努力で最大の成果を上げる。まさに理想的な仕事のこなし方なのだ。
その彼が仲間を募ってまで一仕事しようと言うのだから、その果てにある利益がどれほどのものか想像も着かない。
「宝石の丘、ねぇ……。こんな美味しい話、隠れて独り占めするのが普通でしょうに、情報公開して人を集めるってどれだけやっばい仕事なのかしら。ふふふ……疼いてしかたないわぁ」
メルヴィオーサは下腹部のあたりを押さえてその場にうずくまる。想像を膨らませながら、色々と興奮しすぎて高まってしまったのだ、性的に。
「はぁ、はぁ、はぁあ……。いけない、抑えないと。まったくもう、これはクレストフに責任を取らせるしかないわね、くふふふ……あらぁ?」
いつの間にやら複数の小部屋が並ぶ通路に入りこんでいたのだが、そこでメルヴィオーサは違和感を感じ取った。急に、獣との遭遇率が減ったのだ。
「はぁ~ん……。どうしてかしら、とっても嫌な感じがするわ」
明確な形にならない違和感を抱えて、獣達の気配が途絶えたことを訝りながら進んでいく。
扉のない小部屋を覗くとそこには無造作に転がる白骨死体の山。
「死体置き場……というよりもゴミ捨て場かしらねぇ? よくもまあこれだけ溜め込んだものだわぁ」
血肉の腐臭とはまた違った、乾いた死臭の充満した部屋で、メルヴィオーサは鼻を摘みながら不愉快そうに呟いた。
紫檀の杖の先で白骨死体を突き、ひっくり返してみるが、見たところ何の変哲もない骨だった。
「気のせいかしらねぇ……。何かあるかと思ったのに」
興味を失ったメルヴィオーサは
彼女が小部屋の入り口をくぐると同時、背後で白骨死体の山が崩れ出した。
そして、散乱した骨の中でも全身骨格を保ったものが十数体、それらが一斉に立ち上がり動き出す。
「骸骨兵? 骨を素材にした魔導人形なんて、クレストフにしては悪趣味ね……」
メルヴィオーサの記憶にある錬金術士クレストフは、魔導人形を扱うときはいつも鉱物由来の素材を選んでいたように思う。
疑問には感じたが、事実として骸骨兵が目前に迫っている以上、速やかに対処する必要はある。
紫檀の杖を油断なく構えて骸骨兵に向き直り、魔導因子の練り上げに意識を集中する。その間にも背後など周囲への警戒は怠らない。
(――世界座標『
メルヴィオーサの太股に刻まれた魔導回路が徐々に輝きを増し、術式の発動準備を終えて活性化する。後はただ一言、術式発動の鍵となる
のたのたと近づいてくる骸骨兵を前に奇妙な感覚は拭えなかったが、それも全て焼き尽くしてしまえば罠であっても関係ない、と彼女は判断した。
紫檀の杖を大きく横に振るい、地面に擦りつけながら楔の名を発する。
『ガイアの鮮血!!』
無数の光の粒が地面を波のように伝わっていき、後に続いて赤く鈍い光がふつふつと湧き出してくる。
それは溶岩海溝から召喚された、融けた岩石の怒涛。
呼び込まれた溶岩の大波が骸骨兵を襲い、あっけなく呑み込んで骨ごと焼き尽くしてしまう。
骸骨兵の硬い骨も、灼熱の溶岩を前にしては黒い煙を上げて燃え上がり、真っ白な灰と化すほかなかった。
「とろいわね~。何だったのかしら?」
燃え尽きた骨の残骸をメルヴィオーサが杖で突くと、辛うじて形を保っていた白い灰は崩れ落ち、骨の内から真っ黒な煙を吐き出す。
顔を近づけていたメルヴィオーサは黒い煙を吸い込んでしまい、軽く咳き込んだ。ひどく、臭い。
「けほっ、こほっ! なんなのよぉ、これ。骨の髄でも焼けたっていうの? うっ――」
煙を吸い込んだ瞬間に、脳が揺さぶられるような感覚に襲われて意識が遠のく。
徹夜明けのとき不意に訪れる強烈な睡魔の如く、メルヴィオーサは堪らず膝を折って地にへたりこんだ。
「あ――ああぁ――あ……」
焦点が定まらなくなり、段々と全身が痺れてきて手足も自由に動かなくなる。
(――いったい、なにが起こって――?)
ぼやける視界の中に骸骨兵の砕けた頭蓋から立ち昇る黒い煙――否、黒い靄を見た。
骨の灰から幾本も立ち昇る靄。
それは、白骨死体に憑依していた幻想種だ。
魔獣化するほど定着はしていなかったのだろう。
宿にしていた頭蓋骨の棲み処を追い出され、心なしか不機嫌そうに空中で渦巻いている。
「こ、こいつら……邪妖精……」
油断していた。少しでも警戒していれば、こうも容易く体を乗っ取られることはなかったはずだ。
自由の利かない両手が紫檀の杖を強く握り締め、己の意思に反する動きを取り始める。
「あ――ふぅ」
紫檀の杖が股の間に差し込まれ、強く上下に擦り上げられる。
快感が脳を突き抜け、その刺激に思わず魔導因子が漏れ出した。制御も何もされないまま流れ出た魔導因子は、太股に刻まれた魔導回路へ流れる前に、体中の神経網へ散逸したのち虚空へと霧散する。
メルヴィオーサの周囲を黒い靄が取り巻き、踊り狂う炎のように歓喜で沸き立った。邪妖精が彼女の脳から魔導因子を搾り出し、霧散したそれを吸収しているのだ。
手足を操り、幾度も幾度も杖を上下に動かして、メルヴィオーサから魔導因子を貪る邪妖精達。
「や、やめ、なさい……この、下等精霊どもが……! ふぁああっ!!」
いっそう激しい快感が腰を貫き、メルヴィオーサは身を仰け反らせる。しかし、彼女はそこで溢れ出す快感に抗わず、自ら魔導因子の発生を促してやった。
突然の魔導因子の噴出に邪妖精が驚いて、憑いていたメルヴィオーサの体から黒い靄となって飛び出した。
適量ならば幻想種の活動を活発化させる魔導因子だが、ある
邪妖精にも搾取しきれない余剰の魔導因子がメルヴィオーサの全身を駆け巡り、そのうちの何割かが太股まで到達すると、魔導回路が金色に輝き活性を示す。
(――凍れる息吹に包みこみ、一時の休息を与えよ――)
術式を脳裏に思い描き、凍てつく悪意の呪詛を周囲空間に向けて吐きかける。
『氷結封呪!!』
――きぃん、と高音を鳴らして空気中の水分が凝結する。
それは水蒸気を凍らせるにとどまらず、メルヴィオーサの周囲を取り巻いていた黒い靄さえも凍てつかせた。
邪妖精は宙を漂う靄の状態を保つことができなくなり、黒い砂塵となって地に降り注ぐ。
一時的ではあるが、幻想種の活動を抑制して仮の封印状態とする呪詛。氷の結晶一粒一粒に幻想種を封じ込める魔導回路が形成され、不定形の邪妖精でさえ固定化し封印してしまう術式である。
骨の小部屋に充満していた黒い靄は全て凝結し、邪妖精は黒い砂となって白骨死体の上に積もった。
「はぁ、はぁ……。二級術士を、舐めないことねぇ……。しばらく、その不様な塵の状態でいなさい」
強がって見せたものの、メルヴィオーサの全身は汗や涎などの体液でぐっしょりと濡れ、薄手のドレスローブは彼女の豊満な姿態を浮き上がらせていた。
乱れた服装を正しながら杖を拾い上げたメルヴィオーサは、視線を上げたところで小部屋の入り口、通路の方からこちらの様子を眺めている人間がいるのに気が付いた。
あちこち跳ねて伸び放題の黒髪、その隙間から覗く金色の瞳。左目の下にある泣き黒子が特徴的な年端もいかない少女である。目が合うと少女は慌てたように視線を逸らし、おどおどと挙動不審な態度を取る。まるで、「私は何も見ていません」と言外に主張するかのようだ。
しかし、その態度は逆に何もかも見ていたことを示している。
「見たのね?」
メルヴィオーサは感情の篭らない声で、少女に問いかける。少女はびくり、と小さな体を竦ませた後、ふるふると首を横に振って否定した。
「私の醜態を、見たわね?」
幼い少女が一人で底なしの洞窟にいるのは不自然なことだが、メルヴィオーサにとってそれは些細なことだった。今、重要なのは少女の素性ではなく、この骨の小部屋で起きた出来事を見られていたという事実。
再度の問いかけに、黒髪の少女は強く首を振った。だが、そんな嘘をついても意味はない。メルヴィオーサは少女に質問しているのではなく、ただ事実を口にして再確認しているだけなのだから。
乱れた姿、痴態を見られたことは恥ではない。そんなことを気にするくらいなら、そもそも扇情的な服装だってしていないだろう。
メルヴィオーサが許せないのは、一時的とはいえ幻想種に憑かれていたという事実、その姿を他人の目に晒したことである。意識制御を第一とする術士が、自我を狂わされ精神を支配されかかったなど、二級術士としての力量を疑われかねない醜態なのだ。
ふるふる、ふるふると、首を振って後ずさりしながら、見てないことを必死に主張し続ける少女。
けれども、メルヴィオーサがその主張を受け入れることはない。一歩、また一歩と少女との距離を詰めていく。
「見られたからには、口を封じるしかないわねぇ……。安心なさい、命まで取りはしないのよ。ただ、ここで見たことを外へ漏らせないように、呪詛をかけるだけだから――!!」
「見てない、私、見てなーい!!」
脱兎の如く、少女は坑道を駆け抜けて、通路の曲がり角へ姿を消した。
「待ぁ~ちぃ~なぁさ~い!!」
ドレスローブの裾を翻しながら、メルヴィオーサは少女を追う。
骨の小部屋に黒い砂塵を残したままに。
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