第99話 領主館の昼

※関連ストーリー 『旅路の決意』参照

――――――――――


 洞窟攻略都市、その中心地にある領主館の前に大きな馬車が停車していた。

 準備万端に鼻息荒く足を掻く馬と、手綱を握ったまま暇そうに欠伸をしている御者が対照的だ。

 馬車に乗り込むはずの貴人は予定の時間になってもその場に現れず、こうして待ちぼうけをくらっているのだった。


「ビーチェ! ビーチェったら、どこに行きましたの!?」

 よそ行きの衣装に身を包んだ伯爵令嬢が、似合わない大声を上げて領主館の裏庭を歩き回っていた。

 こぢんまりとした建物には不釣合いなほど広い敷地が領主館の裏にはある。

 裏庭は緑と水に溢れ、朝露の砂漠リフタスフェルトの乾燥した空気を感じさせないほど、自然の色濃い土地に改良されている。

 王国首都から造園業者を呼んで、荒涼とした砂漠の土地に緑の大地を作り出したのだ。

 領主館お抱えの召喚術士が土壌や木々を丸ごと召喚して持ってきて、庭園に張り巡らせた水路へと永眠火山から下ってくる川の水を引き入れた。

 まさに砂漠のオアシスである。


「お嬢様! ビーチェお嬢様ー!」

 少し離れた場所でも若い女中が一人、伯爵令嬢とは反対の方角に向けて声を張り上げているが、当の本人である『ビーチェお嬢様』の姿は影も形もない。

「アデーレ、そちらも見つからないのですか?」

「……申し訳ございません、エリアーヌお嬢様。どうも近くにはいらっしゃらないようです」

 女中のアデーレはビーチェの世話係である。伯爵令嬢エリアーヌの指示で、一時も目を離さないようにと言いつけられていただけに、ビーチェの所在を見失ってしまった彼女は恐縮しきりだった。


「ビーチェお嬢様、まさか林を抜けて街へ出られてしまったのでしょうか……。わ、私、探してきます!」

 領主館の周りには砂漠の風から建物を守る為の防風林がある。その外側には街の大通りがすぐあるので、抜け出そうと思えば簡単に街へと出られてしまうのだ。

 放射状に大きく広がるこの洞窟攻略都市で、雑踏の中から小柄な少女一人を探し出すのは容易でない。

「お待ちなさい、アデーレ。あの子が街へ出た理由は、いつもの散歩ではなくて? でしたら、もう少し待てば館に戻ってきますわ」

 伯爵令嬢エリアーヌは取り乱す女中のアデーレを引きとめ、冷静になるよう宥めた。


「ですが、お約束の時間が迫っておりますし……」

「いいのです。少しくらい待たせても気にする相手ではないのですから」

 エリアーヌは伯爵令嬢らしく優雅に身を翻し、館の裏庭に据え付けられた長椅子に深く腰をかけた。そこで待っていれば、ビーチェは戻ってくるとわかっているのだ。

「それにビーチェの『散歩』は、この街にとっても意味のあることでしょう? どちらを優先すべきかは明白です」

「そうでしょうか……。あまりお客様を蔑ろにするのは良くない気がしますけれど……」


 不安を隠せないアデーレの表情に、エリアーヌは少し腹立たしく感じた。その客とやらに会うのはエリアーヌなのであって、女中のアデーレが立ち会うわけではない。

 伯爵令嬢が問題ないと断言したことに、女中が一々口出しすることではないのだ。ましてや、ビーチェの世話係という与えられた仕事さえ十分にこなしきれていない半人前が。

(……アデーレには後で軽いお仕置きが必要ね。立場をわきまえさせないと)

 お仕置きと言ってもほんの軽い嫌がらせで許すつもりではいる。ビーチェが趣味で飼育している粘菌を一匹、彼女のベッドに潜ませておくのだ。粘菌を大の苦手としている彼女のことだ、きっと良い声で悲鳴を上げてくれるだろう。


 エリアーヌが心中でアデーレへの嫌がらせを思い浮かべて悦に入っているところ、裏庭の林から茂みを掻き分ける音が聞こえてきて、木陰からひょっこりとビーチェが姿を現した。

 エリアーヌは長椅子から立ち上がると、ビーチェの傍へと歩み寄っていった。

「ビーチェ、今日のお散歩は終わりかしら?」

「――――っ! お、終わった。巡回完了……」

 裏庭で待ち伏せされているとは思わなかったのだろう。ビーチェは驚きに身を竦ませ、エリアーヌの様子を窺うように上目遣いで盗み見た。そうしてようやく違和感に気が付いたのか、ビーチェはエリアーヌの服装をまじまじと見ながら呟いた。

「エリーは、おでかけ?」

「ええ、そうよ。貴女にも一緒に来てもらいたくて待っていたのよ」

「私、も?」


 首を傾げるビーチェに、エリアーヌは腰を屈めて視線を合わせると、微笑を浮かべて彼女の疑問に答えてやる。

「そうなの。今日の会談相手は冒険者組合なんていう、ならず者集団ですから。ビーチェには私の横で睨みを利かせて欲しいの」

「ん、わかった。冒険者は敵」

「いえ、あのね、違うのよビーチェ。別に敵というわけではなくて……」

 困った方向に物分りの良い娘である。育てた親の顔が見てみたい、などと思えば脳裏には冷徹非情の錬金術士クレストフの顔が思い浮かんだ。育ての親としてはビーチェの人格形成に多大な影響を与えたことだろう。


 ビーチェは領主館へ来た当初こそ、クレストフを追おうとして激しく暴れたものだが、最近は随分と大人しくなった。伯爵令嬢付きの四級探索術士サリタと三流騎士ゲッツェンが率いる『捕獲部隊』に何度も連れ戻され、ビーチェも考えなしに街から逃げ出そうとはしなくなったのだ。

 そして何よりもビーチェの行動に抑制を与えたのは、「クレストフの邪魔をしてはいけない」というエリアーヌによる繰り返しの説得であろう。力不足ゆえに置いていかれたのだ、という事実はビーチェも重く受け止めているようだった。


 だが、それでもクレストフを追うことを諦めきれないのか、ビーチェは毎日積極的に鍛錬と学習に励んでいた。サリタには魔導因子を効率よく操る術を教わり、ゲッツェンからは体術や騎乗術を学ぶなどしている。

 かくいうエリアーヌも一般常識や算術など学習面でビーチェの面倒を見ていた。今では彼女も、可愛い妹分としてビーチェを扱っている。

 ただ時折、鍛錬の成果を確認するかの如くビーチェは脱走を試みることがあった。今のところ街から出る前で捕獲部隊に連れ戻されているが、それも段々と手が込んできて脱走距離も伸びてきているのだった。


 日々成長し、逞しくなっていく少女。

「あら? ビーチェ、あなた汗だくではなくて? 服も汚れて、いったい街で何をしていたの?」

「路地裏探索。野良犬の群れを躾けた。暴れん坊の聞き分けない犬畜生どもを矯正したの」

 それが果たして言葉通りの野良犬なのか、それとも犬畜生のような別の何者かを示すのか、エリアーヌは後者であるような気がしてならなかった。

「はぁ……仕方ないわね。待っていますから着替えを済ませて来なさい。汗も軽く水で流して」

 エリアーヌは女中のアデーレに、急いでビーチェの身支度を整えるように指示を出した。


 アデーレに連れられていくビーチェの姿はまだまだ子供といった印象を受ける。

 しかし、あどけない少女のようでいながら、彼女は天然の魔眼保持者にして、闇の精霊と契約を交わした術士である。

 そんなビーチェは普段から散歩がてら、街の巡回をして治安維持の仕事を手伝っていた。

 実際は脱走の下見に街を見て回っているだけなのだが、魔眼の視線で威圧感を振り撒きながらビーチェが裏通りを歩けば、街にたむろする素行の悪いごろつきどもは皆一様に身体を縮めて大人しくなるのだった。


 いつの間にか裏社会では、伯爵令嬢の懐刀『魔眼のビーチェ』として、術士サリタや騎士ゲッツェンとも並び称されるようになっていた。



 ビーチェが外出用の黒いミニドレスに着替えを済ませ、女中アデーレと共に領主館の入り口にやってくると、既に門前には大きな馬車が回されてきており、伯爵令嬢エリアーヌと強面の三流騎士ゲッツェンが待っていた。

「今日はゲッツが一緒? サリタは?」

「サリタは館で留守番だ、エリアーヌ嬢の代役としてな。今日は俺とビーチェ嬢ちゃんが、エリアーヌ嬢の護衛ってことさ」

 顔中が古傷だらけの騎士ゲッツェンは、口の端を不自然に歪め、武骨な笑顔をビーチェに向けた。古傷のせいで表情筋がうまく動かないという理由を知らなければ、その醜悪な笑みに誰もが不快感を覚えることだろう。

 だが、ビーチェにとって彼の凶悪な笑顔は、底なしの洞窟にいた合成獣キメラの不気味さに比べればむしろ親しみやすいものであった。


「今日は仕事で出るんだ。途中で脱走は勘弁してくれよ」

「約束できない。人生はいつだって唐突、何が起こるかなんてわからない」

「ははあ、さいですか。人生経験の苦汁が染み出るような言葉だなぁ、おい」

 ゲッツェンは頭を掻きながら、隣に佇む小柄な少女の横顔を眺めた。どこに視線を向けているのか、ずっと遠くを見据えるような金色の瞳は、騎士である彼でさえ気を抜けば威圧感に呑まれてしまいそうな迫力があった。


「二人とも、そろそろ行きますわよ」

 馬車に乗り込んだエリアーヌから、出立の声がかけられる。

 ゲッツェンはビーチェの脇に手を入れ、持ち上げて馬車に乗せてやると、外の御者に一声かけて自分も乗り込んだ。

 女中のアデーレが見送りに立ち、ほどなくして馬車は静かに動き出す。

 馬車は領主館を出て、街外れにある冒険者組合を目指して大通りを進んでいった。

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