第97話 勇猛果敢な冒険者
※関連ストーリー 『第二の拠点』『伸び来たる殺意』参照
――――――――――
「くそっ、くそっ……! おかしい、おかしいぞ……前に来たときはこんなことなかったのに!」
樹海を疾走する冒険者の男が一人、必死の形相で山を下りようとしていた。
ここ、永眠火山にある底なしの洞窟は鉱物資源が豊富で、浅い階層でも半貴石が採掘できるなど安定した稼ぎを得やすい。山林の樹海や洞窟に生息する動物も珍しいものが多く、平均的な実力の冒険者が狩りをするにも旨みのある場所だった。
ところがほんのひと月ほど前から状況は一変していた。
『ゴォウゥ――ッ!!』
「うわあぁああー!!」
『グゥオオオゥウー!!』
「ま、また出たー!!」
『ギィグオオォ!!』
「こっちもかよぉ!?」
第一の異変は、樹海でも滅多に現れないはずの
本来、子鬼の変異体としてしか生まれないはずの大鬼が、どういうわけか普通に繁殖して増えていたのだ。はっきりとした理由はわからないが、どうも系統の近い
そもそも、樹海に合成獣が現れたことからして大きな変化であった。
かなり前から目撃情報はあったようだが、数を殖やして冒険者に被害を及ぼすまでになったのは最近だ。特に、合成獣の気性がそれまでと違って突然、荒く凶暴になったというのが冒険者達の抱いた実感である。
これが第二の異変であり、それまで洞窟に篭って出てこなかった猛獣が、くびきを外されでもしたかのように樹海へと生息域を広げてきたのだ。時期としてはむしろ大鬼の大量発生より前に起きていたのではないかと考えられていて、樹海と洞窟の生態系を乱す原因となっていた。
「はぁ、はぁっ……くっ」
走り続けて唾も出ないほど喉は渇き、足も重くなり筋肉が疲労を訴えている。
流れていく森の風景の中に、一瞬だけ泉が見えた。
あるいは水の中まで大鬼は追ってこないかもしれない。そう考えた冒険者の男は方向転換をして、泉へと足を向けた。
その一歩を踏み出したとき、男の足元で金属音が鳴り響き、同時に鋭い痛みがふくらはぎを襲った。
「ぐぎゃっ!? ああぁっ!?」
男が自分の足を見下ろすと、そこにはがっちりと鋼鉄製のトラバサミが噛み付いていた。
おそらくは樹海を狩場とした猟師の仕掛けた罠だろう。
不注意だった。その罠は人間なら容易に目視で発見できるほど、あからさまに設置してあったのだ。
そんな罠を踏み抜いてしまったのも、視界の端に捉えた泉へ意識が向いていた為だ。
「ぢ、ぢっぐじょおぉおぅ……! どこの馬鹿だよ、こんな場所にぃいい!!」
男の不運はさらに続く。
もともと彼が何から逃げていたかを考えれば、罠にかかって悠長に道端へ倒れ込んでいる所へ追っ手が到着するのは必然であった。
木々の枝葉を掻き分けて、姿を現したのは身の丈が男より頭一つは大きい凶暴なる獣、大鬼だ。
「グゥフフフ……」
獲物を追い込み楽しんでいるのか、口の端を大きく歪めて笑う鬼がいた。
赤く燃え盛る両目が、罠を外そうと必死にもがく冒険者の男を観察している。
「く、くそっ、外れない! な、なんだよ!? 大鬼が、余裕ぶって見てやがるのか! ちくしょう、ち……」
その時になってようやく、男は大鬼の異様な姿に気が付いた。
笑う大鬼、その表情には違和感があった。
「ち、違う……何だこいつ……? 大鬼じゃ、ない――」
燃え盛る目に波立つ闇色の髪、鈍い灰色の肌をして、全身に黒い靄が纏わり付いている。
大鬼の一般的特徴からは逸脱した異形の姿。
「ま、まさか……魔じゅ――」
男の顔に異形の鬼は手を伸ばした。
鬼の手の平から黒い靄が湧き出し、踊るように揺れ動くと靄の中から灰色の炎が噴き出す。
自然界ではまず見られないその炎は、魔導の一種によって生み出されたようであった。
「あぎゃぁあっ!! あ、あぐっ! あぐ!」
異形の大鬼は、燃え盛る赤い目をゆっくりと細めて笑っている。
男の悶え苦しむさまを見て、楽しんでいる。そんな表情であった。
やがて男の抵抗が小さくなり動きが見られなくなると、異形の鬼は笑みを消した。男の頭を掴んだ腕に筋肉のすじが浮き上がる。
――ぶちゅん、と男の頭が軽く握りつぶされた。
異形の鬼はそれきり男の死骸には興味を失い、すぐ別の場所へと移動した。
鬼は、冒険者狩りを楽しんでいるのだった。
それは憑き物によって知恵を付け、魔導さえ操るようになった『魔獣』の姿に違いなかった。
森は広大だ。底なしの洞窟へ辿り着くまでに、一匹の獣とも出会わない事だってある。
だから、そんな森で魔獣と出会ってしまった冒険者は、ただただ運がなかったとしか言いようがない。
あるいはもう少し実力があれば、逃げ切るぐらいのことはできたかもしれない。
しかし、そこまでの実力を有する人間が果たしてこの山にどれだけいるというのだろうか。
◇◆◇◆◇
樹海と洞窟は以前にも増して格段に危険度が上がっていた。
運が良くても悪くても、徘徊する獣と遭遇すれば確実に消耗を強いられる。
今まさに冒険者の一団が洞窟上層部にて、凶悪な獣と対峙していた。
暴風を伴った大金槌の一撃が、前衛にいた戦士を構えた盾ごと叩き潰して地響きを鳴らす。
盾と地面の間に挟まれて、戦士は手足をひくつかせながら赤い血の花を咲かせている。
『ホオオォォオオオオオ――!』
勝ち誇る獣の雄叫びが洞窟内にこだました。
轟く咆哮に本能的な恐怖を感じ、冒険者の一団は浮き足立っていた。
目の前に立つのは重武装の鎧に身を包む、頭が洞窟の天井につかえそうなほど巨大な毛むくじゃらの獣。
――
森林と洞窟を徘徊するこの獣は、住処である洞窟で休憩中のところ冒険者と鉢合わせ、いきなり攻撃を仕掛けられたことで気が立っていた。
「ホオォッ!! ホォッ! ホォッ!」
吹き荒れる嵐のように大金槌が乱暴に振り回される。狙いは大雑把でも、一撃を受ければ即死しかねない攻撃力。
逆に、冒険者側は森の巨人王相手に、重武装の防御を破って攻撃を加えなければならない。相当に力の入った攻撃でなければ、この獣に痛手を与えることは不可能であろう。
「くらえっ、化け物!」
長大な斧槍を持った戦士が遠心力を利用して、力一杯の一撃を森の巨人王へと放った。
斧槍の先端は森の巨人王の脇腹に当たり、激しい衝突音と橙色の火花を散らした。
「ホオ?」
だが、派手な衝突の割に森の巨人王からはさしたる痛痒も感じられない。鎧には表面にわずかばかり傷が付いたのみである。
鎧の硬度も高いが、その鎧の内にある獣の筋肉もまた硬いのだ。内に硬い筋肉の詰まった鎧はただ金属の引っ掻き傷のみ残して、構造的な変形に至ることもなく、しっかりと原形を保っていた。
渾身の一撃を弾かれ体勢を崩した戦士に対して、森の巨人王は一切の揺ぎ無い体勢から大金槌を横薙ぎに振るう。
お返しとばかりに振るわれた大金槌は、戦士が脇に構えた斧槍を打ち折りながら、彼の脇腹へと食い込んだ。
金属のひしゃげる音がして、一瞬後に戦士の体は遠く洞窟の壁へと叩きつけられていた。
残された冒険者達の表情に絶望感がありありと浮かぶ。
「こ、こんなの反則だろ……。どうして獣が重武装しているんだよ……」
彼らには知る由もなかったが、それはつい先頃に洞窟へと戻ってきた錬金術士クレストフが、成長した森の巨人に作り与えた超硬合金製の全身鎧だった。
宝石の丘への同行者を募集すれば実力の伴わない有象無象の輩もやってくるだろうと踏んだ彼の術士は、篩い分けの関門とするために洞窟の獣達を強化していたのだ。
更には獣達の攻撃性さえ高め、積極的かつ選択的に人間を襲うように仕向けている。
そんな死闘を繰り広げる冒険者の一団を尻目に、すぐ傍を駆け抜けていくまた別の集団があった。
「ホ? ホォ?」
森の巨人王は新手の出現に戸惑い、どちらの集団と戦うべきか迷っていた。
「あ、あいつら! 俺達を囮にして出し抜きやがった!」
森の巨人王の注意が散漫になっている今なら、どさくさに紛れてこの場を脱することができるかもしれない。
そう考えたのは皆同じだった。抜け駆けした集団に遅れて、戦闘中だった冒険者の一団も動き出した。
「ホオォッ!」
「ぎゃっ!」
森の巨人王の横を通り抜けようとした軽装の狩人が大金槌で殴り飛ばされる。
突然の攻撃再開に、冒険者の一団は足を止めた。
抜け駆けの一団と、戦闘中の一団、獣の気まぐれがどちらに向かうかは獣次第。
森の巨人王は戦闘中だった一団を逃がさないことに決めたらしかった。
「くそったれー! 俺達は露払いじゃないんだぞ!!」
いくら喚いても、抜け駆けした連中は戻ってこない。仲間ではない、いわば競争相手なのだからそれは当然のことであった。
そして、先に森の巨人王に出くわした一団は全滅するまで戦いを続けることになった。
◇◆◇◆◇
「運よくかわして行けたな」
「ええ、あの人達には悪いけど、これも戦略のうちよね」
宝石の丘への冒険に参加するべく、下層を目指す冒険者の一団。
鍛え抜かれた体と、磨き上げられた武器。
一方で、一団の中には線の細く見える者達もいた。幾人か女性の術士も混じっているようだった。
森の巨人王のような近接戦闘が危険な相手には、遠隔攻撃や呪詛による絡め手が得意な術士の力が大いに役立つ。
だからと言ってまともに敵の相手をする必要もないわけで、彼らは力を温存するため別の冒険者一団が戦っている隙を見て、上手く敵から逃れて先へと進んでいた。
ここまで、上層の子鬼や狼、粘菌も無視して相手にしなかった。
さらに運良く、
優秀な冒険者ほど逃げ足が速い。それは無駄な戦闘を行わない、利口な選択なのだ。
「ここから先は極端に情報が少ない中層部のはずだ。気を引き締めて行くぞ」
そんな彼らでも、事前情報のない危険地帯に飛び込まねばならない時はやってくる。
未知の敵に遭遇したとき、どう対処できるのか。真に実力を試されるときがやってきた。
もの静かな地下道には大きな川が流れ、魚影が時折、濁ったうねりの中に見え隠れする。
川の浅瀬を進む冒険者の男は、不意に立ち止まり後に続く仲間に声をかけた。
「ケイシー、静寂の術式を頼む。特に足元を重点的に」
「ええ、わかったわ。足元の音を抑えればいいのね」
足音の反響音が気になったリーダー格の男は、術士に足元の水音を抑える術式を展開させた。
どこに敵が潜んでいるかわからない以上、警戒を厳しくしておくに越したことはない。
同時に、周囲への索敵も忘れない。
川の流れに沿って地下道をずっと下り続ける冒険者の一団。
索敵用の術式を展開していた術士が、足を止めて皆を制止した。
「敵がいるようです、ランドルフ。
術士はリーダー格のランドルフに敵の接近を告げる。
「骸骨兵が一匹……? だとすると、巡回任務の兵か。気づかれる前に、囲んで仕留めるぞ」
ランドルフは徘徊する一体の骸骨兵を、その行動パターンからごく自然に巡回兵と判断した。
それは長年の経験と勘によるものであり、事実その判断はほぼ正解と言ってよい。
ただ一点、彼が失念しているのはその巡回任務を誰が与えているのかということであった。
この洞窟を支配しているのは準一級術士クレストフであり、彼が真の強者を求めているということを。
「おい……あれ本当に骸骨兵か? 何だか透けているぞ」
遠目の利く弓術士が近づいてくる骸骨兵を見て怪訝な表情を浮かべる。
「稀少種ってやつか? なら、なるべく傷を付けずに仕留めたいな」
ランドルフが少しばかり欲の出た発言をした直後、視界に捉えていた骸骨兵が、跳んだ。
「――なにっ!?」
ランドルフが驚きの声を上げたときには、驚異的な跳躍力で距離を詰めてきた骸骨兵が水晶の棍棒を振りかぶり目前へと迫っていた。
慌てて飛びのいたランドルフの隣で、逃げ遅れた弓術士が水晶棍に打ち据えられて頭を飛ばした。
水晶棍を隙なく構え、骸骨兵は暗い眼窩に青い光を宿らせる。
「こいつ! ただの骸骨兵じゃない!?」
腰の
その構えが骸骨兵の、いや錬金術士クレストフの創作、『餓骨兵』の注意を引いた。
ゆらりと背中を見せた餓骨兵は、突きかかったランドルフの剣を水晶棍に捻りを加えて弾き返す。
剣と水晶棍が衝突した瞬間、青い火花が散って、水晶棍から放たれた稲妻が剣を伝いランドルフを撃った。
「――――!!」
ランドルフは声もなく仰け反り、体を硬直させる。
あまりにも大きなその隙を餓骨兵が見逃すはずもなく、六角錐に尖った水晶棍の先端が、がら空きになったランドルフの腹部を貫いた。
またしても水晶棍の先から雷が迸り、内臓に直接電撃を流し込まれたランドルフは白目を剥いて大きく痙攣し、絶命した。
「このぉ、よくもランドルフを!」
「吹き飛びなさい!」
術士二人が魔導回路の輝く両腕を同時に突き出し、風と炎の術式を合わせて放つ。
両腕を組んで突き出す動作、
僅か数秒でも動作の遅れが命取りとなる戦闘において、なるべく簡略化された術式の発動方法を取るのは武闘派の術士ならば常識だ。日常生活に支障が出ない範囲で、いかに簡略化された動作で発動できるか、また暴発を起こさず制御できるかが術士の腕の見せ所である。
リーダー格を失いながらも、見事な反撃を見せた術士二人。瞬時に膨れ上がった火炎が餓骨兵を呑み込んだ。
並みの骸骨兵ならば熱と風圧を受けてばらばらになったことだろう。しかし、水晶髑髏の餓骨兵は特別な魔導人形である。
爆炎を裂き水晶の腕が伸びて術士の片割れの服を掴むと、いまだ発動を続けている術式の中心点、火炎の中へと力任せに引きずり込む。
「ひあ……きゃああぁぁあっ!!」
自らが生み出した炎に巻き込まれ、あっという間に全身火だるまとなって燃え上がった。
「ケイシー!?」
もう片方の術士が慌てて術式を解き、炎の発生を止める。
だが、火炎に引きずり込まれたケイシーは既に黒焦げになって息絶えていた。
そして術式が解けて火炎のおさまった場には、表面がやや煤けた餓骨兵が平然と立っていた。餓骨兵は元いた場所から動いてすらいない。
無造作に突き出した水晶棍が、ケイシーの死体に意識を向けていた術士の胸を刺し、先端から電撃を放って吹き飛ばした。
餓骨兵はゆらりと髑髏顔をめぐらせて、眼窩に宿る青い光を残る冒険者達に向けた。
主力を失った冒険者一団は、もはや蹂躙されるばかりの烏合の衆であった。
たった一体の敵。
その魔導人形に全滅させられた冒険者集団は、一組や二組では済まず、数多くの屍が底なしの洞窟中層部に打ち捨てられた。
死骸を栄養分にしようと腐蝕粘菌や絞殺菩提樹の根が寄り集まり、川に落ちたものは
錬金術で生み出されし、水晶髑髏の餓骨兵。
彼を打ち倒すことができなければ、この先へ進む資格なしということである。
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