第96話 集う強者ども(2)

※関連ストーリー 『倍数体 オーガ』『適応個体 洞窟狼』『黒き聖帽の四姉妹』参照

――――――――――

「今回の仕事、あたしがリーダーだから! いーわよね?」

 酒場の端の方にある席で、一人の女拳闘術士が息巻いていた。

 彼女のことを半ば呆れた様子で見ているのは対面の二人、黒い外套を着た老人と白い貫頭衣の青年だ。どちらも術士のようであった。


「ま、それは構わんがな。本当に危なくなった時には、エリザ、おぬしの首根っこを問答無用で捕まえて撤退するだけだからの」

「ちょっと、オジロ! それじゃ、あたしがリーダーの意味ないじゃない!」

 黒い外套のオジロは、白い胴着を着た女拳闘術士エリザへにべもなく言い放った。

「エリザさん、落ち着いて! オジロさんは経験豊富だから、危機管理に関しては一番信頼できるんです。退きどころだけオジロさんに任せれば、後はエリザさんが思うようにやっていいんですよ」

「なによ、アニック! あたしが撤退の判断するのは信用ならないっての!?」

 憤慨するエリザを宥めようとした白い貫頭衣のアニックであったが、エリザの感情を逆なでする結果になってしまった。


「好きにせい、好きにせい。おぬしが間違えそうになったら、口出し手出し、こちらも好きにさせてもらうわい」

「ほ、ほら、オジロさんも好きにしていいって、言っていますよ」

「あら、そう? そういうことなら仕方ないわねー! 宝石の丘までは、あたしがリーダーを務めるわ!」

 先程からオジロが言っていることは何も変わっていないのだが、アニックのいい加減な誘導でエリザはあっさりと機嫌を良くする。

 そもそも、この騒ぎの発端は魔導技術連盟の依頼掲示板に出されていた『宝石の丘への同行者募集』の貼り紙であった。その募集が、騎士協会やここ洞窟攻略都市の案内所でも行われていることを知り、大規模な金儲けの予感がする、とエリザが騒ぎ出したのだった。

 自分が見つけた仕事なのだから、当然自分がリーダーで事に当たるのだとエリザは言って譲らなかった。


「えへへっ! エリザ武闘術士団、結成ね!」

「いや、あの僕は医療術士なんですけど……」

 エリザは拳闘術士で、オジロもああ見えて武闘術士だ。拳闘術士も武闘術士の括りに含まれるものだから、団の名前としておかしくはないのだが、医療術士のアニックだけは武闘派と言うのが難しい立場にあった。


「よーし、そうと決まったら早速、準備よ!」

 杯に残された麦酒を一気に飲み干し、エリザは街へ買出しに出るべく席を立った。

「まったく、慌しいことだの……」

「まあまあ、せっかくやる気になっているんですから。気分よく行きましょう」

「二人とも! 急がないと置いていくわよ!」

 重い腰を上げるオジロとは対照的に、エリザは飛び跳ねるようにして酒場を出た。

 そして、エリザが勢い良く酒場の入り口を飛び出すと、目の前には大きな熊が立ち塞がり――。


「おわーっ!? く、熊ぁ!?」

 エリザは目を剥いて驚き、尻餅をつく。

 倒れ込んだエリザを熊は両手で軽く抱え上げ、地面へと下ろした。

「おぅ、元気な嬢ちゃん。気ぃつけろぉ」

 亜人種、熊人くまびと

 剛毛で覆われた全身に軽銀製の金属鎧を着込んだ姿は、それが人ならば軽装の戦士だったろうが、熊人の体格ではどう見ても重戦士の威容が溢れていた。



 ◇◆◇◆◇



 活気に溢れ、人の流れが途切れることのない大通り。

 だが、その雑踏の喧騒は今ひととき静まり、それでも静寂には程遠いざわめきとなって一区画を支配している。

 何事か囁きあう人々が向ける無遠慮な視線も意に介さず、獣毛纏う一団が威圧感を振り撒きながら大通りを闊歩していた。


「けっ、人が多くて嫌になるぜ。うるさくてしかたねぇ」

 銀色の毛を風になびかせ、一団の先頭を行くのは狼人のグレミー。その顔は鼻と顎が異様に突き出し、口は大きく横に裂けていた。単純に狼を大きくして二足歩行させたなら狼人になるのではないかと思わせる、獣の血が色濃く表れた容姿だ。

 装備は鉄製の胸当てと鋼板を鎖で繋いだ軽鎧で、体の要所を守りながらも柔軟性を阻害しない作りとなっている。右腕からは自前の爪とは異なる、禍々しい曲線を描く三本の鉤爪が伸びていた。曇り一つない鏡の如く磨き上げられた鉤爪はその意匠も独特で、絡み合うつむじ模様が刃の腹に刻み込まれている。


 グレミーの隣では、頭頂部から背中にかけて橙色のたてがみを生やした鬣狗人はいえなびとのブチがのんびりと歩いていた。落ち窪んだ両目は白目の見えない真っ黒な瞳をしていて、どこに焦点を定めているのかわからない不気味さを湛えている。

 ブチは潰れた低い鼻をすんすんと鳴らしながら、気のない様子でグレミーのぼやきに応えた。

「そうっすねぇ、うまそうな匂いがあちこちからしてきて……なぁ兄貴ぃ、俺もう辛抱たまらねぇよ。すぐそこの飯屋でいいから入りやしょう」

「あぁん!? ブチ、てめえ! なんなんだそのいい加減な返事は? 俺の話、聞いてねぇだろ!?」


 牙を剥き、鼻の根に皺をよせてグレミーが凶悪に唸った。

 だがブチは相変わらず鼻の穴を大きく膨らませて、漂う匂いに釣られふらついていた。

 ついに通りがかった飯屋の入り口へ引き込まれそうになったところ、同行していた別の獣人に首根っこを掴まれ引き戻される。


「ブチ、無理を言うものではない。察するに、先程の店は満員だ。大所帯の俺達ではいつまで待っても店には入れてもらえないだろう」

「でもよぉ、ボーズ。そう言いながらお前だって鼻の穴ふくらませていただろぉ?」

「これは本能である。匂いを察知して周囲の状況を探るのは至極自然な行為」

 詰まるところブチと同じく鼻を膨らませていたのは、栗毛色をした馬人うまびとのボーズである。面長で目鼻が大きい、馬そのものの顔立ちをしたボーズは、ぶふりと鼻を鳴らしてから歯茎を見せて笑った。


「ということで、グレミーのおかしら。適当に散って飯にするというのはどうだろうか」

「ちっ……いいから黙って歩け! ただでさえ獣人だからって田舎者に見られんだ! 俺に恥かかせるんじゃねぇ! そもそも、まとまりのないてめえらを一度散らしたら、集めるのが面倒くせぇだろうが!」

「それはしかり。けれど、おかしらは食事処に当てがあるので?」

「でかい宿を取ってある。全員、飯はそこで済ませるように伝えろ。ブチみてえにふらふらいなくなる奴が出ないうちにな!」

 言っているそばから群れを離れて行動する一人の獣人を見かけ、グレミーは大きく口を裂いて怒鳴った。


「おい、グズリ! 遅れんな!」

「おおぅ、すまん、すまん。今行く」

 熊人のグズリが一人群れを離れ、通りがかった酒場の入り口で純人すみびとの娘と戯れていたのだ。

「なんだ、グズリてめぇ。純人のメスガキなんかに興味あんのか? 趣味悪ぃなぁ、おい。やめとけ、やめとけ」

「別にガキに興味はないがぁ……。熊人の女は数少なくて、気の強いのばっかりだ。遊びで済ますんなら、妥協は必要だと思うがなぁ」

「おえーっ……。てめえはメスの形してりゃあ何でもいいのかよ?」

「兄貴は女の趣味が狭すぎるんで。抱いて気持ちよければ、それでいいじゃねえですかい?」

「ブチ……てめえもか……。どいつもこいつも節操のねえ……」

「あ、兄貴ぃ、あそこの店、うまそうな匂いするなぁ」

「本当に節操ねえな、てめえは!」


 遅々として進まない群れの行進に苛立ちながら、グレミーは先頭を切って大通りを歩く。

 その道の先に、雑踏では浮いた黒い四つの人影が見えたとき、グレミーは微かに鼻をひくつかせ顔をしかめた。

「……あん?」

「どうしやした、兄貴ぃ?」

 グレミーの異変に気づいたブチが、鼻の穴を膨らませたまま声をかけてくる。

 気もそぞろなくせに、こうした変化には妙に鋭いブチを頼もしく思いながら、グレミーは道の先に向け顎をしゃくってみせた。


「ああいや、街中だってのに、妙に血生臭いのが鼻についてな……」

「へえ? そうっすかねぇ? 脂くせぇのは同感だけどぉ……」

 結局は香ばしい肉の焼ける匂いに鼻先を釣られてしまうブチ。情けねえ、とグレミーは気落ちするが、こんな奴でもグレミー獣爪兵団の分隊長だ。いざという時には獰猛なまでの戦いぶりを見せてくれることだろう。

 そんな能天気なブチのすぐ横を、四人の修道女が通り過ぎた。

 薄手の修道服を纏い、黒い看護帽を被った若い娘達である。聖霊教会の修道女など、信仰心のないグレミーにはおよそ関わりの薄い人種である。ただ、その身体から漂う匂いは、グレミーにとってもよく嗅ぎなれた匂いだった。


「ま……ここは肥溜めみてぇな街だからな。糞みてぇな連中が集まってきても、しかたねえか!」

 グレミーは敢えて周囲に聞こえるような大声で叫んでみせた。

「ああ、臭ぇ、くせえ! 生臭ぇぜ!」

「あー、兄貴、魚きらいだもんなぁ……」

 ブチはどこまでも食べ物のことしか眼中になかった。



 ◇◆◇◆◇



 目的地に向かい、真っ直ぐに大通りを進んでいた四人の姉妹は、前方から来る亜人の集団とすれ違った。

 その際に先頭を歩いていた狼人が、すれ違いざまに大声で「臭ぇ、くせえ!」と叫んでいた。

 四人のうち末の妹が立ち止まり、すれ違った亜人の集団を一度振り返った後、前を歩く一番上の姉に走り寄って耳打ちする。

「ねーねー、マーガレットお姉さま。今、すれ違った犬っころが不躾なこと口走っていたんですけどぉ、ぶっ殺してきていい?」

「よしなさい、エイミー。取るに足らない輩です。一々、相手にするだけ無駄です」

「自制心が弱いぞ、エイミー。愚者の言葉に耳を貸すな」

「そ、そうですよ、エイミーちゃん。い、犬畜生と吠え合うなんて、はしたない……」

 上から順番に、姉三人が続けざまにエイミーへ向けて苦言を呈する。


「うぅー、何も姉さま達、皆で責めなくても……。あぁもう、マジあの犬っころむかつく……。……いつか叩き殺すわ……ボロ屑にしてやる……」

 エイミーはじっとりと殺意を込めた視線を背後に送っていたが、姉達は何も言わず黙々と歩みを進めた。

 街の中心部にほど近い場所まで来ると、ステンドグラスが燦然と輝く豪華な建物が見えてきた。そこは、最近になって移転してきた聖霊教会の一支部である。

 教会の門前に立った四姉妹は黒い看護帽を手に取って懐にしまい、代わりに服の中にしまってあった十字架の首飾りを良く見えるよう胸元に取り出した。

 四人が門前でしばし祈りを捧げていると、それだけで彼女らの来訪を知ったかのように建物の中から初老の男性が姿を現した。


「お待ちしていましたよ、シスター・マーガレット」

「妹達共々、しばらくご厄介になります、司祭様」

 礼を交わすマーガレットと、黒い祭服に身を包んだ初老の司祭。

 挨拶が済むと司祭は四人を教会の中へと招き入れた。


 教会には祈りを捧げる信徒達がちらほらと見えた。司祭と四姉妹は彼らに軽く会釈をしながら建物の奥へと向かい、長い廊下を歩き、急階段を下り、石の扉を開けてカビ臭い地下室へと足を踏み入れた。

 後ろ手に次女のジョゼフィーヌが石の扉を閉める。ごりごりと床を擦る音が響き、閂の落ちる音がした。

 石の扉は隙間も見えないほどにぴったりと閉じられ、内から外へ音が漏れることはなく、外から誰かが入ってくることもできなくなった。

 閉ざされた暗い石の地下室に、魔導の仄かな明かりが灯される。

 黒服に身を包んだ五人の顔だけが、生白く浮かび上がっていた。


「もう、確認されましたかな? 連盟の募集広告は」

 初めに口を開いたのは司祭だった。

 余計なことを省いた言葉で四人に問いかけると、三女のエリザベスだけが仔細承知といった様子で頷いた。

「あなた方の探している人物は、今、確実にあの洞窟にいます」

 今度は全員が頷いた。

「情報収集、いつもながら助かります」

 マーガレットの傾げた頭から、波打つ黒髪が一束さらりと垂れ落ちた。


「姉さま、姉さま! 殺すの? 今から殺しに行くの?」

 辛抱ならない様子で四女のエイミーが両目を大きく見開き、口の端を歪めて笑った。

 逸るエイミーを抑えるように、マーガレットはエイミーの頭に手を乗せる。

「事前調査は済ませてあるのです。なるべく戦闘は避け、他の人間が洞窟の底深くまで道を拓いてくれるのを待ちましょう」

「我々は後を悠々と行けばよいということか」

「……むむ、無益な殺生をしなくて、済みますね……」

「えー、めんどうくさーい! とっとと殴り込んでしまえばいいのにー!」


 不満そうに頬を膨らませるエイミーを、老司祭は孫を慈しむように眺めながら優しくさとした。

「彼の人物は準一級術士、魔導技術連盟でも上位の術士ですからな。教会と連盟の関係を不必要に悪化させないよう、なるべく地の底深くで、人知れず闇へ葬るのが最善手でしょう」

 朗らかな笑顔で暗殺の手段を語る司祭。彼もまた尋常な人物ではありえなかった。


「大いなる真理と、祝福の子と、あまねく聖霊の御名みなによって、貴女方に主のご加護がありますように……。そして――」

 司祭の加護を祈る言葉に、黒き四姉妹は静かに頭を垂れた。


 そして、ひそやかな玄室にて生贄の名が呼ばれる。

宝石喰らいジュエルイーターと、クレストフ・フォン・ベルヌウェレには主の裁きを」

『主の裁きを』

 マーガレット、ジョゼフィーヌ、エリザベス、エイミーの四人が十字を切って復唱した。


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