第95話 集う強者ども

※関連ストーリー 『あこぎな商人』『惨劇の跡』『霊剣泗水』参照

――――――――――


「さあさあ、いらっしゃいませ! 黒猫商会の出張店舗、本日は二割引の大安売りでございます!」


 洞窟攻略都市の中心区、領主館のすぐ傍で黒猫の看板を掲げた店が客引きをしていた。出張店舗とは思えない立派な店構え。おおかたこれも召喚術で呼び寄せた建物なのだろう。

 店頭に立つのは黒いスーツを着た若い雌の猫人。大きな緑色の瞳と、黒い毛並みに映える白い髭が特徴的だ。

 宝飾品の販売店のようで、様々な宝石や貴金属の細工物が売りに出されている。


「精が出るな、チキータ」

「やっほー! 猫人のお姉さん! こんにちは! もふもふさせてー」

「やや! いらっしゃいませ、クレストフ様……と、精霊さんもご一緒ですか……にゃあぁぁ……」

 早速、ジュエルに抱きつかれて全身をまさぐられ、悩ましい声を上げるチキータ。

 一体何が始まったのかと、通りを歩いていた通行人が足を止めている。


「い、いらっしゃい、いらっしゃい! 永眠火山で産出される貴石で作った宝飾品! 今ならこの高品質な指輪や腕輪が、なんと二割引で手に入ります! ぜひ一目、ご覧くださーい! ああ、そこのお綺麗なお嬢さん、どうです一つ髪飾りなど?」

 衆人の注目を集めた所で動じずに、すぐさま客引きに戻るチキータは商売人の鑑と言ったところか。

 声をかけられた白い法衣の女術士も、チキータの口車に乗せられて思わず宝飾品に引き寄せられている。

 商売熱心な猫人を横目で見ながら、俺も店頭に並べられた宝飾品を間近で見て観察する。

「ん? おい、チキータ。この宝石、永眠火山の産出と言っていたが、本当に正規品なのだろうな?」

 正規品とは、つまりこの俺を仕入先として購入した宝石のことだ。自称冒険者が売り捌く、盗掘した原石を正規品とは言わない。


「ぎくり……にゃ、にゃはは、にゃにをおっしゃいますかクレストフ様。もちろんこれは正規品、ベルヌウェレ工房からお譲り頂いた宝石を使っております!」

「その割には、卸した覚えのない種類の石まであるようだが……」

「そそそ、そんにゃことはありませんよ? ほ、ほら、いつぞやクレストフ様が、坑道から出た土砂の始末を依頼されたではありませんか! その時の土砂から洗い出した石もあるのですよ!」

「そんな依頼をした覚えは……ないような、あるような……」

「ありますあります!」

 必死に弁解する姿が怪しく見えたが、単純に俺から誤解を受けたくないだけかもしれない。俺の考えすぎだろうか。


「まあいい。もし盗掘品を売り捌いているのなら、黒猫商会との取引は今後ないものと思っておいてくれ」

「はいぃ……肝に銘じておきます、にゃあぁぁ……」

 猫耳がくたりと垂れて、チキータは萎縮した。

 盗掘品を売り捌いているかどうかは判断のつかないところだったが、とりあえず本商談の前の牽制はうまくいったようだ。

 これから宝石の丘へ向かう為の物資を購入するのに、売買契約の主導権は握っておきたかったのだ。

 どちらの立場が強いか、そこははっきりさせておきたかった。


「時にチキータ、実はかなり大きな商売の話があるんだが、商談の時間は取れるか?」

「かなり大きな商売の話ですか? それは大変、興味深いお話です。時間を空けますので、しばしお待ちを」

 チキータは店の奥へ一度引っ込むと、別の店員に後を任せる。チキータの代わりに店頭に立ったのは、漆黒の羽が艶やかに光る烏人からすびとだった。

 落ち着いた雰囲気と高級感溢れる服装で客に対応する姿は、チキータに負けず劣らず一角の商人らしい所作であった。


「クレストフ様、お待たせいたしました。では、商談はこちらで……」

 俺はチキータに促されて店内の応接室で商談へと入った。

 宝石の丘へ向かうのに必要な、大量の物資を調達する為の商談である。

 洞窟とは異なるが、ここもまた俺にとって戦場の一つとなる。

(出だしが肝心。精々、有利な条件で商談を成立させたいものだな)

 宝石の丘への挑戦は、もう既に始まっているのだから。



 ◇◆◇◆◇



 その悩ましい声は、たった今通り過ぎようとした店先から聞こえてきた。

「……にゃあぁぁ……」

 三級医療術士のミレイアは盛りのついたような猫の声を聞いて、思わず足を止め振り返った。

 振り返り目が合ったのは黒いスーツ姿の猫人だった。大きな緑色の瞳がミレイアに焦点を絞ると、猫人は一つ咳払いをして乱れた襟を正し、目を細めてにこやかな笑顔を辺りに振り撒く。「いらっしゃい、いらっしゃい」と客の呼び込みを始める姿に、ミレイアは何だか騙されたような気分になって一瞬立ち尽くしてしまった。

「そこのお綺麗なお嬢さん、どうです一つ髪飾りなど?」

「…………え? わ、私のことですか!?」


 猫人の大きな瞳と視線が合って、自分が声をかけられた事にミレイアは気が付いた。

 周囲を見てもお嬢さんと呼ばれるような人は見当たらず、猫人はしかとこちらに視線を送っている。

「あ、あの、私はそういうのに興味はないので……」

「まぁまぁま、手にとってご覧ください。そう派手な物ではありませんので、お似合いだと思いますよ?」

 猫人は強引にミレイアの手を取って、髪飾りを押し付けようとしてくる。これはいわゆる押し売りというものではないかしら、とミレイアが身を引いたとき、店先で宝飾品を眺めていた客の一人が声を上げた。


「おい、チキータ。この宝石、永眠火山の産出と言っていたが、本当に正規品なのだろうな?」

「ぎくり……にゃ、にゃはは、にゃにをおっしゃいますか……」

 猫人は慌ててその客の対応に動き、ミレイアは押し売りの脅威から逃れることができた。

(危ない、危ない……。不要なものを買わされてしまうところでした。どうにも押しの強い相手は苦手ですね、気をつけないと)

 猫人の注意が逸れているうちにミレイアは宝飾品店から離れ、白い法衣を翻して足早に大通りの雑踏へと紛れ込んだ。


 中心部から離れていくに従い、人や建物の密度は薄まっていく。

 それでも行き交う人の流れが途切れることはなく、建物の密度は薄まれども逆にその数は増えていく。放射状に広がり発展していく街、それがここ洞窟攻略都市の特色だった。

(食糧の買出しも済んだのだし、寄り道せずに早く宿へ戻りましょう。明日もまた、底なしの洞窟へ挑むのですから……)

 もはや底なしの洞窟への挑戦が日常となりつつあった。

 ミレイアは宿に残る三人の仲間の顔を思い浮かべ、やや小走りに帰路を急ぐのであった。




 底なしの洞窟へと挑戦する日々が続き、かれこれ数ヶ月になろうとしていた。

 洞窟の近場にできた街、洞窟攻略都市。底なしの洞窟にほど近い場所に拠点ができたおかげで、洞窟攻略は楽になったはずだった。

 しかし、洞窟はその名の通り底が見えず、更にここ最近になって急に樹海や洞窟の獣達が凶暴性を増したことで、ミレイア達の探索は進みづらくなっていた。

 そこで探索を一日休みにして、宿と併設された酒場にて、仲間と揃って食事をしながら今後の対策を練ることになった。


 その休日の朝、ミレイアが宿の一室で目を覚ましたとき他の三人の姿は既に部屋の中にはなかった。どうやら、ミレイアが一番遅くに起きたらしい。

 さほど体力のある方ではないので、連日の洞窟探索での疲労が溜まっていたのかもしれない。

 ミレイアは簡単に身繕いを済ませると、宿の隣にある酒場へと向かった。

 朝食には遅く昼食には早い時間帯のはずだが、酒場はいつになく賑わいを見せており、空いている席を探すのが難しいくらいであった。


「おーい、ミレイアー! こっちこっち!」

 酒場の喧騒に負けない張りのある声で、土色のバンダナを身に着けた小柄な少女がミレイアを席に誘う。

 ちゃっかりと隣の席から空いている椅子を拝借しているのが彼女らしい。性根は優しいのだが、やや手癖の悪いところが気になる娘だ。

「ありがとう、エシュリー。皆さんもお揃いのようですね」

 ミレイアが席に着いた食卓には、小柄な少女エシュリーとその他に二人の女性が座っていた。


「おはよう、ミレイア。熟睡していたようだが、もう体の疲れは取れたのか?」

 向かいの席から、長い髪を後ろで一括りにした凛々しい女がミレイアに微笑みかける。熟睡していた様子を見られてしまったのだろうか、と思うとミレイアの顔は自然と赤くなった。

「おはようございます、セイリス。もう、食事は済ませたのですか?」

「いいや、私もエシュリーも食事の途中だ。一人、既にできあがっている者もいるが……」

 そう言って目を眇めるセイリスの視線を追うと、すぐ隣の席では酒杯を握り締めながら食卓に突っ伏している女の姿が目に入る。


「イリーナ……こんな時間から酔っ払っているんですか?」

「うえへへ、酔ってない、酔ってない。まだまだこれからよ~」

 肉付きのよい上半身をぐらぐらと揺らしながら顔を上げたのは冒険者のイリーナ。

 額に巻いた真っ赤な髪留めの帯と、頬の赤さが近づいていることから相当な量の酒を飲んでいることが知れる。


「イリーナ、休みだからと言って羽目を外しすぎだぞ。そもそも今日は対策会議をする予定だったのに……」

「わーかってる。わかっているわよー。でもねえ、何か具体的な案なんてあるのー? ないでしょー? だったら、肩肘張らず素直に英気を養うのが利口ってもんよ」

「むう……そう言われてしまうと……」

「まあ、イリーナの言う通りかもなー。無理せず地道に行けばいいって。そりゃあ探索の進み具合は遅れてきているけど、少しずつ深い階層へ潜っているのも事実だし」

「そうですね。無理して大怪我をしては元も子もありません。奇策を練って進むより、やはり実力相応に地道な探索を続けるのが一番なのでしょう」

「うう……それは私だって理解している。理解しているが……今度こそ、最深部にまで到達してみせるのだ! そうでなければ、いつまで経っても師匠に顔も合わせられない!」


 セイリスの気持ちはミレイアにもよく伝わっていた。ミレイアもまた、会いたい人物がいて底なしの洞窟へ挑戦を続けている。

(ビーチェ……あの子は無事なのかしら。まだ、あの暗い洞窟で一人、暮らしているの……?)

 洞窟で出会った黒髪金眼の少女を思い出すと、ミレイアは胸が苦しくなった。

 村を追い出されて洞窟暮らしを強いられていたビーチェ。だが、その彼女を追い出した村は疫病で壊滅し、今やそこに新しい街ができてしまった。

 完全に社会から弾き出された少女は、今頃は洞窟のどこをさまよっているのだろう。


「ちょっと失礼しますね」

 ミレイアは席を立ち、手洗い場へと向かった。

 気持ちが沈み同情の念が強まるほどに、食事は喉を通らなくなり、胃腸は締め付けられるように調子が悪くなる。


 軽い吐き気を覚えたが、喧騒から離れて気持ちを落ち着けている間に胸のつかえも胃腸の締め付けも軽くなっていった。

 寝起きすぐに食事を摂ったから気分が悪くなっただけのようだ。

 あまり席を離れていると皆を心配させてしまうかもしれない。いや、それよりも酔ったイリーナに下品な勘繰りをされてしまう方が厄介か。

 大勢の人が集まるこの場所で、昼間から恥ずかしい冗談を口に出されては堪らない。


 ミレイアが手洗い場から戻ってくると、三人は近くの席に座った傭兵らしき男達と盛り上がっていた。軟派でもされているのかと思ったが、どうやら絡んでいるのはイリーナの方らしい。

 イリーナより十は年上と思われる、口髭をはやした精悍な顔立ちの男と親しげな様子で肩を組んでいる。

 男の方は困った様子で渋い顔をしているが、酔っ払いの行動だと諦めている風にも見えた。


「やー、ほんとに、お互いよく生きていたもんだよ。あんたの方も結構、やばい状況だったって聞いたよ。カレンタス傭兵団は全滅したって話だしさ。で、タバル、あんたは洞窟の中でどんな怪物に遭遇した? 魔導人形とかさー、他にも変わった奴はいなかったかい?」

「直接の戦闘はしなかったが、洞窟の中層部で水晶の魔導人形が徘徊していたという噂も聞いたな。並の冒険者では数合と打ち合うこともできず、叩き伏せられるらしい」

 酔って絡んでいるだけかと思ったが、どうやらイリーナは傭兵達と情報交換をしていたようだ。

 対策がないなどと言っていたが、こうして自分達の知りえない洞窟の情報を集めるのは効果的だろう。この辺りはさすが、冒険者としての経験と顔の広さがイリーナにはある。

(……単に朝からお酒が飲みたかっただけじゃなかったんですね。こうして、酒場に集まってくる人達から自然に情報を集めてしまう。私やセイリスでは真似できませんね……)


 ミレイアが感心しながら情報交換の場を眺めていると、いつの間にか話はイリーナの情報提供に移っていた。他人から情報を得たのなら、自分からも他人に提供する。そうして冒険者達はお互いに助け合っているのだ。

「ほーんとだって! あたし、見たんだよ! ものすっごい勢いで洞窟を駆け抜けていく黒い影! あれはきっと洞窟で稀に遭遇するっていう『疾走婆しっそうばばあ』に違いないね」

 貴重な情報交換が行われているはずなのだが、どこかイリーナの口調は軽い。一方の傭兵タバルは、面倒くさそうな顔で酔っ払いイリーナの戯言を聞いている。

「あ、その顔! タバル、あんた信じてないだろ?」

「今の話のどこに信憑性が……」


 イリーナの話は、ミレイアも初耳だった。洞窟の中ではよく、エシュリーと一緒に偵察行動をしているイリーナだ。自分が見ていないものも、彼女は見ているのかもしれない。頃合かと思って、ミレイアも話に加わることにした。

「何の話をしているんですか?」

「あー、ミレイア、おかえり。それがさ、イリーナが見たってうるさいんだ。くだらない怪談話なんだけど」

 空いた席に腰を下ろして話の流れに合流すると、エシュリーが心底面倒くさそうな顔で応えた。説明するのも馬鹿馬鹿しいといった感じだ。

 どうにも以前から、底なしの洞窟にまつわる眉唾な噂というのは溢れかえっていて、話の種が尽きることはない。

「なんでも、一人で暗い洞窟を歩いていると、突然背後から物凄い速さで走り抜けていく人影が現れる……という話だ」

 やけに深刻そうな顔で、セイリスが話の要点を説明してくれる。肩が小刻みに震えているが、ひょっとしてセイリスは怪談話が苦手なのだろうか。


「それを見たんですか、イリーナが。えっと……その走るお婆さんというのを」

「人によっては『高速爺こうそくじじい』とも言うけどね、底なしの洞窟で何人も目撃した人がいるんだ。中には弾き飛ばされて死んじまった奴もいるってくらいさ」

 ミレイアが関心を示したと見るや、イリーナは大仰な身振りで話を広げた。話が大きくなればなるほど、隣の席のタバルが吐く溜め息も大きくなる。

「くだらん。大方、子鬼か何かを見間違えたんだろう」

「本当だって、エシュリーも見ただろ?」

「だから、あたしは見てないってば。ミレイアやセイリスも、そんなの見てないよな?」

「ちょっと、心あたりはないですね……」

「み、見なくて良かった……」


 馬鹿話が続く流れに嫌気が差したのか、タバルが食卓を両手で軽く叩いて一同の注目を集める。

「そんなことより、今日は話があって声をかけたんだ。こんなくだらない話でなくてな」

「くだらないとか言うんじゃないよ、本当は怖いんだろタバル?」

「……ふー……。お前達の為になるだろうと情報を教えてやるつもりだったんだが、どうやら余計な世話だったみたいだな」

「わっ、待った待った! 冗談だって! 聞くさ、聞く!」

 イリーナの話はやはり冗談だったようだ。セイリスがわかりやすく胸を撫で下ろしている。


 タバルは一度咳払いをしてから仕切りなおし、神妙な顔をしながらおもむろに口を開いた。

「実は、この情報が出回り始めたのはもう一ヶ月も前なんだが……何しろ信憑性が不確かで、皆まだ探りを入れている最中でな。お前達の意見も聞きたい」

 信憑性が不確か、という点でイリーナが横槍を入れようとしたが、ミレイアは身を乗り出す彼女の口を手で塞ぎタバルに話の続きを促した。

「噂では、底なしの洞窟の最奥に『宝石の丘ジュエルズヒルズ』に通じる道があるという」

「宝石の丘って……御伽噺だろ? それが実在するってこと?」

 エシュリーの疑わしい視線に、タバルもまた否定せず頷いた。

「俺もただの御伽噺だと思っていた。だが、魔導技術連盟でも準一級と地位の高い、錬金術士クレストフが宝石の丘への同行者を正式に募集し始めたんだ」


 準一級術士クレストフ、その名にミレイア達の間で緊張が走った。

 底なしの洞窟で鉱山開発を行っている管理者で、セイリスが師と仰ぐ人物だ。他ならぬミレイアも底なしの洞窟に関わり始めてからというもの、暗躍する彼の存在を何度も感じている。イリーナも冒険者内の情報で聞き及んでいるのか、硬い表情を浮かべていた。エシュリーに至ってはお尻を押さえて震えているが、個人的な因縁でもあるのだろうか。

 いずれにしろ、ミレイア達四人にとっても彼の名は重い意味を持つものだった。

 彼が宝石の丘への同行者を求めている、それはすなわち高名なる錬金術士が宝石の丘の存在を認めているという事だ。詐欺や売名が目的でないのは、その人物の資産の保有量、そして確固たる地位と名声の高さが保証している。クレストフが鉱山開発で一財産を築いたという話も、術士達の間では噂になっていた。


「最近になって、急に腕の立つ武芸者が街に集まり始めている。彼らはその宝石の丘を目当てに来ているんじゃないか、と冒険者内では専らの噂だ」

「そう言われれば、確かにそうかもしれません……」

 周囲を見回せば、屈強な体躯に魔導回路を刻み込んだ武闘派の術士や、丈の長い外套に頭巾を深く被った怪しげな連中、それに少数ではあるが立派な装備に身を包んだ騎士もちらほらと見受けられた。底なしの洞窟へ小金稼ぎに来ている自称冒険者どもとは、雰囲気からして一線を画している。

 彼らには確信があるのだろうか。宝石の丘が存在するという確信が。

(……いえ、この短期間では宝石の丘の存在について確証を得ることなど不可能。それでもここへ来たのは、術士クレストフの言葉にこそ真実があると考えたから……)


 ミレイア自身も、錬金術士クレストフについては一つの期待を抱いていた。

「術士クレストフ……鉱山開発の責任者であるその人ならば、あるいはビーチェの行方についても何か知っているかもしれません」

 彼が宝石の丘へ向かうのだとすれば、話を聞ける機会は旅立つ前しかない。これまでは行方が特定できず、面会は空振りに終わっていたが、今度こそ確実に彼と会うことができる。

「こだわるねぇ、ミレイアは。よく知った子でもないのに、そんなに入れ込むことないのにさ……」

 事情を知っているからこそ、イリーナとしてはやるせない想いを抱くのだろう。その気遣いは嬉しかったが、ミレイアも一目ビーチェに会ってこの気持ちに区切りがつくまでは諦められなかった。


 一方、深刻な顔で話すミレイアとイリーナに対し、二人の話を横で聞いていたセイリスは小首を傾げていた。

「その、ビーチェというのはいったい誰なんだ?」

 ミレイアとイリーナにとっては知った人物だが、セイリスや他の者には知る由もないことだ。

 ミレイアは周囲を置き去りに一人で考え込んでいたことを恥じた。どうにも最近の自分は周りが見えていないことが多いようだ。

「ええと、底なしの洞窟に住み着いていた少女です。獣と心を通わせることのできる、不思議な瞳を持った黒髪の……」

「ああ! あの娘か! 私も見たぞ、洞窟で。大勢の獣達と戯れていたな!」

「見たんですか!?」

 まるで子鬼でも見かけたかのようにあっさり言ってのけるセイリスへ、ミレイアは食いつくように詰め寄った。


「ま、まあ随分と前の話だ。師匠も一緒に居たし、無事だと思うが……」

「師匠……というのは術士クレストフのことでしたね……。そうですか、やっぱり二人には関係があったのですね……」

 セイリスが師匠と慕う人物を疑いたくはないが、能力と人徳には必ずしも関連がないのだ。

 クレストフがどんなに立派な術士であっても、人として善良であるかはわからない。ましてや黒い噂の付きまとう彼のことだ。

(……ビーチェがどういう扱いを受けているのか、本人に聞いてみないとわからない。もし、ビーチェがひどい目にあっていたら私が――)


 密かに決意を固めていたミレイアの肩に、セイリスがそっと手を置いた。

「私の目的も師匠に会うことだし、協力は惜しまない。目指そう、洞窟の最深部を」

「セイリス……。はい、改めてよろしくお願いします」

 彼女には悪いが、無条件に術士クレストフを信用することはできない。

 セイリスに対しては後ろめたさを感じながらも、ミレイアは場合によって彼の術士との対決も辞さない覚悟を決めていた。


「そうか……お前達は洞窟の最深部を目指すのか……」

 ミレイア達の様子を見ていたタバルは何か納得したような顔で席を立つと、仲間の傭兵達に声をかけて店を出る。

「底なしの洞窟に潜り続けていれば、また会うこともあるかもな」

 腰元に厳かな霊気を放つ剣を引っさげ、傭兵タバルは去った。

 最後の台詞は彼もまた、底なしの洞窟の最深部を目指すという意味に違いない。彼らとは近い内にまた出会う予感がした。


「ま、皆が本気なら、あたしも頑張らなきゃね」

 イリーナは酒杯を置いて、ミレイア、セイリス、そしてエシュリーと順に視線を交わした。

「あたしは洞窟の最深部なんて――」

「ううぶっ!?」

 エシュリーが何か言いかけたところで、突然イリーナが口を押さえてしゃがみこむ。


「イリーナ!? どうしました!?」

「き、気持ち、悪い……」

 酒を飲みすぎて吐き気が出たらしい。

 顔面が真っ青で、今にも喉から汚物がせり上がって来るような切羽詰った表情だった。

「もう……お酒に強いあなたが気持ち悪くなるまで飲んでいたなんて……。一体、今朝は何時から飲んでいたんですか?」

「ううぅ、昨日の晩から……」

 まさかの徹夜酒だった。


「もう限界のようですから、イリーナを宿へ連れて行きます」

「まったく、仕方がないなイリーナは。ミレイア、頼む」

「あー、あー……あたしは……洞窟なんて……」

 エシュリーが何か言いたそうにしていたが、ミレイアは二人に軽く謝って席を離れイリーナを宿へと送る。

 事は一刻を争う状況だ。宿へ行くと言っても、これは部屋よりも便所へ連れて行くべきかしらとミレイアは考えていた。



 酒場を出てすぐ隣の宿へと入り、狭い廊下を通って便所へと向かう二人。

 肩を貸しながら歩く二人は足取りがおぼつかなく、ちょうど擦れ違った若い女性と体がぶつかってしまう。

「あ、ごめんなさい」

「ん? ああ、ははは! 大丈夫、大丈夫! お連れさん、酔っちゃったの? 早く連れて行って、楽にしてあげなよ」

 ぶつかった当の女性は全く気にした様子もなく、朗らかな笑顔を見せながら廊下の脇に寄り、道を譲ってくれた。

 実際、向こうにとっては大した衝撃でもなかったのだろう。女性はとても鍛え抜かれた体つきをしていた。

 ぶつかったミレイアの方がよろめいてしまったくらいだ。


(……袖丈の短い厚手の胴着、腕には魔導回路が刻まれていたようだし、この人は拳闘術士かしら?)

 まだ若いながらも、その立ち振る舞いには一本芯の通ったところがあるように見えた。

(この人も、宝石の丘を目指して来たのかも……)

 すれ違いながら会釈を交わし、ミレイアはイリーナを便所まで連れて行く。

 女拳闘術士は特にこちらを気にすることもなく、そのまま宿の外へと出て行った。

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