第92話 帰還の道
十分な資金が集まり、宝石の丘へ続く道も見つけた以上、この洞窟に留まる理由はなくなった。
「一旦、地上へ戻るぞ」
言葉少なに宣言した俺は、ビーチェとジュエルの返事を待たずに早足で歩き出した。
要所に設置された鉄杭状の番号座標で、洞窟の分岐路と現在地は把握できる。地上への最短経路もわかっていたが、それでもゆっくり歩いていては地上へ戻るのに何日かかるかわかったものではない。
時間は惜しい。宝石の丘へ向かうのにも数年の期間を費やすのだ。準備は十全にしておきたいが、出立はなるべく早い方がいい。地上へ戻るだけのことであまり時間はかけていられない。
焦りが歩む速度にも表れて、俺はいつの間にか小走りになり、段々と走る速度も上がってきていた。
ジュエルは翅を動かし、低空飛行で難なく追ってきていたが、次第にビーチェが遅れ始めた。必死で走っているが、体力が尽きるのは時間の問題だろう。
「ジュエル。ビーチェを抱えて飛べ。遅れるのを待っている暇はない」
「……! 私、まだ大丈夫!」
完全に息が上がって苦しそうな様子なのに、ビーチェは強がって走ることをやめない。
長く伸びた髪が頬に貼り付いて、珠の汗が額から跳ね落ちていた。
そんな姿を見て、ジュエルは手を出していいものかどうか迷っている。
「阿呆、つまらん意地を張るな。ここでお前が自力で走る意味などない。ジュエル、構わずビーチェを運べ」
「了解、ボス!」
「あ……!」
俺の命令を最優先としたジュエルがビーチェを軽々と抱え上げ、これまでと変わらない速度で飛行を続ける。
ジュエルはまだまだ余裕がありそうだ。
「少し速度を上げるぞ。遅れずについて来い」
後ろに声をかけながら、俺は
(――組み成せ、地を跳ねる獣の如く――)
刻まれた魔導回路が淡く光を放ち始めたところで、俺は赤鉄鉱を足元へと叩きつける。
『
楔の名と共に術式が発現して、俺の両足を銀色の厚底靴が包み込む。靴の上からまた一回り大きな靴が包み込むため不格好だが、創り出された厚底靴はぴったりと足裏に吸い付いて、気持ちが良いほどの一体感を伝えてくる。
途端に、地面から脚へと加わる負荷が軽減されて、一歩一歩の跳躍力が格段に増した。
靴底に強靭なバネを仕込むことで、走力を強化する術式である。速度も持続力もこれまでとは比較にならない。
飛躍的に速度を上げて洞窟をひた走り、曲がり角を勢い殺さぬまま三角飛びで駆け抜けた。
「ボ、ボボボ、ボス~!! 速い、速い! 置いてかないで~!」
ビーチェを抱えながら、ジュエルが必死に翅を震わせ追い縋ってくる。
どうにかついては来られるようだ。ならばこの速度を維持しても問題あるまい。
流れていく洞窟の背景。
土人の街を横切り、溶岩地帯を避けて、金剛石の採掘場を駆け抜ける。
破壊された古代の魔導回路を尻目に、薄ら寒い回廊を走り抜けていく。
遺跡の神殿では身動きしない
むせ返る熱気が漂う熱水鉱床を通過して、湯気の立ち込める温泉を素通りしていく。
途中、温泉の湯気の向こうに何か小さな人影のようなものが目に映ったが、俺は無視して洞窟の上層を目指した。
――ひたすら走り続け、ようやく地底湖にまで行き当たった。
ここも状況は変わらず、絞殺菩提樹が地下茎を伸ばしていた。
とりあえず拠点で一休みしようと地底湖を後にすると、ちょうど巡回の時間だったのか、全身水晶の餓骨兵がすれ違って地底湖へと向かって行った。
しっかりと仕事をこなしているようで何よりである。
岩壁に偽装した入り口を通り抜け、俺は久しぶりに拠点へと帰ってきた。
「ふぅーっ……。ようやく中層部まで戻ってきたって感じだな」
下層部に達してからは掘削現場のすぐ近くで野営することが多くなり、せっかく造った拠点もほとんど使われなくなっていた。
俺は薄らと土埃を被った敷布を叩き、汚れた体のまま寝台に寝転がる。洞窟生活が長くなったせいで、多少の汚れは気にしなくなってしまった。
(神経が図太くなったと言うべきか、単にずぼらに慣れただけか……。洞窟を出たら改めなければいけないな……)
隣の寝台ではジュエルとビーチェが、二人揃ってぐったりと伸びている。
ここまでほぼ休みなしで十時間ほど、途中の軽い飲食と小便の時間を除いて一気に走り抜けてきたのだ。
さすがに俺も体力の限界である。
ビーチェに至っては、ジュエルに運ばれていただけとは言え、飛行時の激しい揺れのせいですっかり足腰が立たなくなっていた。
腰砕けの状態で、寝台の上を亀のように這っている有り様である。
半ばジュエルに潰されるような形で寝台に倒れ込んだので、今は必死に寝心地のよい体勢を確保しようと足掻いていた。
寝台の真ん中で大の字になっているジュエルを枕にして、ビーチェはようやく人心地ついたようである。
たっぷり四刻半、十分すぎる睡眠をとった俺は覚醒と同時に体を起こした。
軽く伸びをして、体力の回復と筋肉の疲労を確認する。
「疲れはないな。地上まで残り半分の道、一気に行けそうだ」
隣の寝台で寝こけるビーチェとジュエルを無理やり起こして、出立の準備を整えさせた。
「さあ、地上へ向かうぞ」
「ふぁ~い……」
「眠い……」
拠点を飛び出した所で、水晶の餓骨兵が入り口脇に立っていた。
「クリスタン、行ってきます……」
ビーチェは律儀に餓骨兵へ挨拶をして、拠点の入り口を通り過ぎた。
「よーしっ! じゃあ、行くよー、ビーチェ~!」
ジュエルに抱えられて、ビーチェは再び狭い坑道を飛ぶ。俺もまた術式・鹿発条の靴で地下空洞へと躍り出た。
地下河川の澄んだ水の流れを上流へと遡っていると、川面で
甲骨鎧鮫の群れが跳ね回る川底には、白骨化した死体が沈んでいた。
うっかり川に入って骨になるまで喰われたか、あるいは上流で命を落とし流されてきたか。
いずれにしろ、ここ中層部まで侵入してくる人間は珍しい。死体であっても。
――と、考えていた矢先に、幾人かの自称冒険者と思しき集団が川の上流付近に居座っているのを視界に捉えた。
向こうもどうやら、接近するこちらの存在に気が付いた様子だった。
「何かこっちに来るぞ!」
「子鬼か!?」
「いや、もっと大き……は、速い――!!」
「武器を構えろ! 急げ!」
冒険者達が武器を構えるよりも早く、俺は彼らとの距離を詰めた。
(平時なら侵入者は排除するところだが――)
俺は跳躍の速度をよりいっそう増して、彼らの横を素早く通り過ぎた。俺の後に続いて、ジュエルも高速飛行で飛び去っていく。
後方で驚いたような声が聞こえてきたが、俺は彼ら侵入者を完全に無視して捨て置いた。今は地上へ戻ることが優先すべきことだからだ。
(わざわざ手を下すまでもない)
どの道、このまま進めば餓骨兵に打ちのめされるか、絞殺菩提樹の餌食になるだけである。
速度を落さず、風のように坑道を駆け抜ける。
「そこのあんた! ちょうどいい所に来た! 助けてく――ぶっ!?」
俺は無言で飛び跳ねると冒険者の頭を踏み台として、ただひたすらに先を急いだ。
頭部を踏みつけられて転倒した冒険者は罵声を上げながら地面に倒れ込み、まもなく魔導人形の巨大な足に踏み潰されていた。
ジュエルが四枚の水晶翅で高速飛行し、俺と並走しながら声をかけてくる。
「ねえ、ボス。今の人、わざわざ踏みつける必要ってあったの?」
「もののついでだ」
「ご愁傷様……」
ジュエルに抱え上げられた格好のまま、ビーチェは顔も名も知らぬ冒険者の冥福を祈っていた。
地上へ向かう最短距離を迷うことなく選択し、幾重にも分岐する坑道を右に左に、はたまた上へ下へと走り抜ける。
洞窟の闇に紛れて、獣の臭いと息遣いがそこかしこに感じられた。洞窟内で繁殖した狼どもか、それとも
「なんだか、洞窟の雰囲気が以前と少し変わった気がするね~」
「……嫌な、感じ。誰かに見られている……かも」
洞窟の環境にどこか違和感を覚えたのは俺だけでもないようだ。
(この気配……地下で解放した幻想種が、まだそこいらに潜んでいるのかもしれないな……)
坑道の壁を蹴りつけ方向転換をしながら、俺は移動速度を更に加速させた。
「気にすることはない。何者であっても、こちらが速度を落さなければ、捕捉も手出しもできはしないからな」
仮に服従の呪詛の効果が及ばない獣が潜んでいたとしても、今の俺達の動きに追いつくことはできないはずだ。
纏わり付いてくる不快な気配を振り払うように、俺達は迷路と化した坑道を通り抜けた。
上層部まで来ると、洞窟は区画整理された広い道と部屋が碁盤目状に位置する構造となる。
洞窟上層部は随分前に採掘を放棄したはずだが、何故か真新しい見知らぬ坑道が幾つも存在していた。
「この辺りも随分、坑道と部屋が増えたねぇ? 何でだろ?」
ジュエルが不思議そうに首を傾げる。こいつが把握していないということは、子鬼やノーム達の仕事でもないようだ。
走る速度を緩め、横目に洞窟内を観察しながら進むと、どうも獣より人の気配が多く感じられた。
「侵入者の仕業だな……」
大勢の人の手が入っている所から見て、盗掘に来た連中がご丁寧に整然と掘削作業を行った結果らしい。
洞窟の入り口に近づけば近づくほど、すれ違う人の数も増えていた。
(……やけに侵入者の数が多い。どうしてここまで増えた?)
もはや一々、相手にしていられない数である。
全速力で走り抜けていく俺達を、すれ違う自称冒険者達は驚きの視線で見送っていた。
ついに放棄されていた第一の拠点へ辿り着き、俺達は洞窟の玄関口から差し込む光を見た。
「光だ! 出口が見えるよ、ボス!」
「やっと、お外……」
眩しくて目が痛くなるほどの明るさだ。
眼前に手をかざして、目を細めながら光へ向かって飛び込んだ。
久方ぶりに洞窟の外へ出た俺達が目にしたのは、予想だにしない光景であった。
地上に懐かしさを感じながら周囲の風景を見回してみると、何だか遠くの景色が随分と様変わりしている。
「これはいったい……何が起こったんだ?」
「う~ん? ボク、幻でも見ているのかなー……」
「…………あれ、なに……?」
俺は目に映る光景が、果たして現実のものなのか確信できず、遠くに浮かぶその景色に意識を注いだ。
左手の中指に嵌めた
(――見透かせ――)
『鷹の千里眼!』
遥か遠方を探る術式で眼下を眺望すると、そこには信じ難い光景が広がっていた。
山の麓に、街ができていた。
ついこの前までは存在していなかったもの。
麓に小さな村はあったが、病毒分子の蔓延が原因ですっかり焼き払われたはずである。
その村があったのと同じ場所に、全く別の新しい街ができあがっていたのだ。
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