第91話 地獄の門
※関連ストーリー 『送還の理』参照
――――――――――
自分が宙に浮いていると冷静に考えられるだけの時間、俺の体は落ち続けていた。
真っ暗な縦穴の中では周囲の風景が見えず、落下の加速は空気抵抗の強さでしか感じることができない。
俺のすぐ傍らには、同じ落下速度で落ち続けているジュエルの姿があった。気持ち良さそうに空気を切って落下している。
こいつには翅があるので、減速して落下を止めることが可能なはずだ。いつでも減速できる、それゆえの余裕だろうか。
(俺を巻き込んでおいて、のんきなものだ……!)
一方の俺は魔人化の呪詛により、全身が結晶に覆われた重厚な体になっている。残念ながら羽はないので、宙で減速することはできない。
ここ最近の、内臓だけ解呪され始めた中途半端な状態では、落下の衝撃にも耐えきれない恐れがある。
(……さすがにこのままでは拙いな。どうにか減速させないと……)
少しでも落下の衝撃を和らげる為、俺は縦穴の壁に手と足を引っ掛け、摩擦を起こすことで落下速度を抑えることにした。
結晶の鉤爪がついた手足を突き刺すと、岩壁が裂けたチーズのように抉り取られ、その摩擦によって落下速度は少しずつ減じていった。
俺の様子を見てジュエルも翅を動かして減速を始める。
それでも完全には勢いを殺しきれず、俺はそのまま縦穴の底へと墜落する。
ジュエルも思ったほど減速できなかったのか、結局は俺と一緒に縦穴の底に激突した。
縦穴を下から上へ、衝撃と轟音が突き抜ける。
落下の衝撃は凄まじく、縦穴の底が大きく窪む。そして、俺の体に生えていた黒い結晶は大半が辺り一面に弾け飛び、穴の底を淡い紫紺の光で照らし出した。
「ちっ……今のはかなり危なかったな……」
底へ激突する瞬間、黒い結晶に残されたありったけの魔力を放出し、落下の衝撃を相殺したのだ。
かなり荒っぽい着地であったが怪我はない。
おまけに魔人化の呪詛もほぼ解呪されていた。一部、皮膚に癒着している部分も残っているが、この分なら数日もすれば完全に剥がれ落ちることだろう。
かたや翅を持っていながら不様に落ちた精霊は、自重も相まって見事なまでに地面へめり込んでいる。
「……ジュエル……無事か……?」
「ぶっはー……、平気、平気」
全身が地面に埋まっていたジュエルであったが、まるで何事もなかったかのように地中から這い上がり笑顔を見せる。
「ボス! 見て見て、ひとがた~」
自分がめり込んだ跡を自慢げに見せびらかして愉悦に浸るジュエル。まさかと思うが中途半端な減速だったのは、この体を張った渾身の冗談をやる為だったりするのだろうか。
縦穴への落下に巻き込んでくれたジュエルに対し、俺はもう何を言えばいいのかわからなくなっていた。怒っても疲れるだけだ、と最近は諦めの気持ちが強くなっている気がする。
「しかしまた随分と落ちたな」
不自然なほど縦に長い穴。ビーチェが残されている穴の縁は、底から見上げても全く見えない。
穴の底はそこそこの広さを持った空洞になっている。これはやはり人工的に造られた穴なのだろうか、と空洞を見渡して――。
ふと首筋に感じた悪寒に、思わず鳥肌が立った。
「なん……だ……? これは?」
振り返った俺の背後には、奇妙な物体が存在していた。
ちょうど目線の高さに浮いている、虹色に輝く半透明の大きな球体。
それを物体と言っていいのかは怪しく、強いて言うなら事象と言うべきか。
人工物とは思えなかった。だが、自然の産物とも思えない。
ならばこれは、なんであるのか?
「これは『門』だよ、ボス」
はたはたと翅をはためかせ、虹色の球体に寄り添ってジュエルが静かに語り出す。
「此処ではない何処かへ、時間と空間を越えて繋がる、門……」
ジュエルが再び『門』と口にしたとき、俺はようやく目の前の事象が何であるか理解した。
「門……これはまさか、『送還の門』なのか?」
――送還の門。
それは予め決められた世界座標へ、一瞬にして物体を送る古代魔導技術の産物。
よく似たもので、送還の陣というものがある。
陣の中にある物資を手元に呼び寄せるのが召喚の陣で、陣の中にある物資を別の場所へ送り届けるのが送還の陣だ。これらを一般には、『召喚術』と『送還術』などと呼び習わす。
召喚および送還とは、現世の物体を一度エネルギーと情報に分解して異界へ送り、元の場所とは異なる現世の座標で、再び物体として再構成すること。言い方が違うだけで、召喚も送還も同じ原理であると説明できる。
多くの術士はこれらを区別せずに、便宜上『物力召喚』と一括りにして表現している。
ただし、物力召喚には、一定以上の複雑性を持った魔導回路とは干渉を起こして術式の発動を阻害される、という特性がある。
物力召喚によって物の輸送が至極容易に行われているのに対して、未だに魔導回路を刻んだ人や物は輸送できないのが、現代の魔導技術における最大の欠点ともされている。
一方で、送還の門は魔導回路による干渉を受け付けず、常時送還先との繋がりを保つことができる。現代魔導技術における最大の欠点を克服する唯一の例外が、まさにこの送還の門なのである。
だが、並の術士では再現不能な古代呪法であり、こうして遥か過去の遺産として目にすることも非常に珍しいことだ。
その上、この門が有用かどうかは送還先の場所次第であり、残念ながら座標の変更などは容易にできるものではない。
「これはどこへ繋がっているんだろうな」
「むふふ。どこに繋がっていると思う?」
送還の門を見たなら、誰もが思う疑問。
俺の呟きに、ジュエルは意味深な笑いを浮かべた。
「お前、何か知っているな?」
「ふひひ、知りたい? ボス、知りたい?」
もったいぶるジュエルに俺は少し苛ついた。
こちらの内心を知ってか知らずか、ジュエルは底意地の悪そうな笑みを浮かべて、翅を上下に揺らしている。
心底、おかしくて堪らないといった様子だ。
「ねえ、ボス。どうしてボクがこの鉱山を選んだと思う? ボク達は元々、何を目指していたんだっけ?」
「何を、だと? そんなもの資金集めに坑道を掘り続けていただけだ。ついでにノームの言う『均衡と循環』を取り戻したというのもあるが」
わかりきった答えを返してやれば、ジュエルは何度も頷いた。
「うんうん。だけどね、実はこの鉱山を掘り進めた理由はもう一つあったんだよ~」
人差し指を一本立てて、上目遣いで微笑むジュエル。
(こいつは今更になって何を言い出すんだ? 坑道を掘ってきた、俺も知らないもう一つの理由だと……?)
資金集めの宝石採掘にと、この鉱山を選んだのはジュエルだ。
どうしてもここ永眠火山でなければ駄目だと、鉱山開発の計画を提案した際に強く主張していた。
宝石に対して嗅覚の鋭い精霊の言うことだからと納得していたが、もしそれが目の前にある送還の門を掘り起こすことが目的だったとしたら。
初めから、これを探していたとしたら――。
「この門はね、秘密の抜け道なんだ」
ジュエルは自慢たらたら、門の通ずる先を明かした。
「宝石の丘へと続く、ね」
……………………。
長い、沈黙が訪れた。
(この門が秘境に続く道?)
衝撃の事実を俺は半信半疑の気持ちで受け止めていた。
ジュエルの言動はいつだって気まぐれだ。一々、振り回されてはいけない。努めて冷静に、俺は目の前の精霊に問い質す。
「……初耳だぞ。そもそもそんな抜け道があるなんてこと」
「ボクしか知らない、宝石の丘への道があるってことは言ったはずだよ~。このお山の地下にあるとは言ったことないけど」
意識せず、俺の片眉が跳ね上がった。嘘ではないが真実全てを語らず、誤解を招く言い回し。こいつは、とことんまで人をおちょくっているとしか思えない。
「そうか、なるほどな。実は初めからそれを目指して、穴を掘っていたというわけか……」
「そ、そ! そういうことだったので~す」
無邪気に跳ね回るジュエルの肩に、俺はぽん、と両手を添えて、力任せに大きく揺り動かした。
「――だったら、何で今の今まで黙っていたぁあ!? 主旨を明かすのが遅過ぎるんだよ、お前はっ!!」
「きゃあぁあ~!」
冷静ではいられなかった。
「だってだって! ここら辺に門があったと思うのは二〇〇〇年も前の記憶だったから! 正確な場所は覚えてないから、見つけられなかったかもしれないし! そう思ったらボスには怖くて報告できなかったんだものー!」
思い返せば土人が、宝石喰らいという精霊の話をしていた。それは紛うことなく、こいつのことだったのだ。
――だが、待て。ここが宝石の丘への道だったとすれば……。
「ああん!? じゃあ何か? この門がもし見つからなかったら、宝石の丘へはどう行くつもりだったんだ!?」
至極当然の疑問に行き当たり問い詰める俺に、ジュエルは身を庇うようにしながら弁解を続けた。
「ご、ごめんなさい~! その時はまた別に心当たりのある場所を掘って……。そ、それでも見つからなかった時は、鉱山開発で得た利益で許してもらおうかなぁって。ほら、実際もう十分に稼いだでしょ?」
「許すか、阿呆! その時は契約通り、お前は奴隷のごとく未来永劫ただ働きだ!」
「ひぃやぁ~! 許してボスー! 門は無事に見つかったんだしー!」
「黙れ、この屑石精霊! まさか、契約した精霊に担がれて一か八かの賭けをしていたかと思うと怒りが収まらんわ!!」
結果だけ良ければ済む話ではない。経過に問題がありすぎるのだ。
俺はその後、地の底深くで半刻ほどジュエルに怒りの折檻を与えた。
ありとあらゆる方法でジュエルを苛め抜き、ようやく怒りの収まった俺は改めて送還の門に向き直っていた。
「それで、この先に宝石の丘があるのか?」
「入ってすぐじゃないよー。俗に『地獄の参道』って呼ばれる無限洞窟を通り抜けるから、十分に準備していかないと」
ジュエルは羽衣の皺を伸ばして身繕いしながら、宝石の丘への道程を軽い口調で言ってのける。
「おい……その物騒に過ぎる洞窟は人間が通り抜けられる道なんだろうな?」
「ボスなら大丈夫! だと思うけど、う~ん……油断したら死んじゃうかもね」
あまりに気軽な表現で死ぬ可能性を示唆され、逆に宝石の丘への過酷な道のりが想像できた。
(ジュエルの見立てでは、この俺でさえあっさりと死ぬ危険のある道だということか……)
「わかった……。とりあえず、対策を練る為に一旦、地上へ戻ろう。地獄の参道での道案内はできるんだよな?」
「ボクに任せて、安心してー! 二〇〇〇年前に一回だけ通った道だけど、たぶん覚えているから!」
自信あり気に指を一本立てているジュエルに、俺はそこはかとない不安しか感じられなかった。
「ちなみに片道三十年がかりの旅路をどう短縮するかについてだが……」
「あ、それは大丈夫じゃないかな。ボクが通ったときは寄り道していたから三十年かかっただけで、真っ直ぐに宝石の丘を目指せばたぶん三年くらいで着くよ」
「お前はまた不確実な情報を……!」
「ぐええぇ……許じで……」
折檻の足りないジュエルに対し、俺は頭を掴んで前後左右に激しく揺さぶった。打撃、斬撃、刺突をものともせず、熱にも腐食にも強いジュエルには今のところこれが、粘菌に代わる最も有効な罰になるのであった。
(しかし、それでも三年か……長い旅になりそうだな)
ジュエルの頭を揺さぶりながら、まだ見ぬ宝石の丘への道を想像する。
具体的な道程と、要する期間が明らかになったことで、当初よりもいくらか希望は見えてきた。
だが、予定していたよりも準備は念入りにすべきかもしれない。
そして今一つの気がかりは――。
俺はゆっくりと縦穴を見上げて、はっ、と失念していた事を思い出す。
縦穴に落ちてから一刻ほどが経過していた。
ジュエルに掴まって穴を飛び出してみると、すっかり存在を忘れられていたビーチェが縦穴の入り口付近で一人いじけていた。
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