第88話 地獄の釜
グローツラングの掘り進んだ坑道は、地の底深くまで続いていた。
地下道を掘り、ここまでの深度に潜った人間は果たしているのだろうか。
「いったいどこまで続くんだ、この坑道は……」
「……とっても暑い……」
古代遺跡周辺はやや涼しい環境にあったのだが、ここへ来て再び地下熱の温度が高まっているように感じた。
「こっちへ来い、ビーチェ。熱を払ってやる」
結晶に包まれた俺の体が仄かな紫紺色に輝き、表面に薄い霜が降りる。
のぼせ上がったビーチェの背中に手を当てて、彼女の体から熱を吸収してやった。
「冷たくて……気持ちいい」
恍惚とした表情で、大きく息を吐くビーチェ。
「ボス、ちょっと温度の上昇が急激な気がするんだけど」
精霊ジュエルは平時と変わらぬ様子だったが、一応こいつも熱を感じることはできるようだ。
「急激な温度上昇、か」
ジュエルの感じている異変、それはこの辺りの地形がこれまでと大きく異なることを暗に示しているのだろう。
岩壁を観察すれば、岩の色はやけに黒っぽく、滑らかな波状模様が見て取れた。
「もしかするとここはもう……」
岩の質が明らかにこれまでと違う。そして、この岩石の特徴には心当たりがあった。
「ボス! 見て! 明かりが!」
ジュエルの声に前方を見やると、長く続く洞窟の先にほんのりと赤い光が見えた。
近づくにつれて、空気を歪めるほどの熱気が漂っているのがわかった。
俺はビーチェを背に隠しながら、赤い光が見える方向へと足を進める。
曲がり角を折れると、そこにはちょっとした空洞ができあがっていた。
赤く光り輝く川が流れ、陽炎の立ち昇る灼熱の池があった。
そこは灼熱の溶岩洞窟。
空洞の至る所に大きな穴が開き、そこから溶岩流が流れ落ちてはまた別の穴へと消えていく。
地下水の浸食や地殻変動で作られたであろう天然洞穴に溶岩流が流れ込んで、このように複雑な地形の洞窟ができあがったのだろう。
奥の方にはグローツラングが掘ったのか、他よりも一回り大きな穴が開いていた。
「何があるの?」
溶岩洞窟を眺めている俺の背後から、ビーチェがひょっこりと顔を出す。
そして、まともに熱気を吸い込んでしまい「うっ……」と息を詰まらせる。
(この熱気を吸い込むのは危険だな……)
とうとう生身の人間が活動できる限界深度に達したのだ。結晶に体を包まれた俺ならば進めないこともないが、生身に戻ってしまえば帰還は不可能になる。
これ以上、深く潜るのは危険だろう。いや、むしろここまで掘る必要もなかったと言える。
ここが最下層、洞窟の最深部だ。
後は、適当に横へ掘り進めて貴重な鉱脈がないか探すくらいが関の山である。
適当なところで上へと戻り、洞窟を脱出するべきだ。そうでなければ切りがない。
「ジュエル、奥の穴を少し見てきてくれるか? グローツラングが溶岩流を無事に通過して、その先へと進んでいそうか、それだけ確認してきてくれ」
「うん、通過した痕跡だけ確認してくればいいの?」
「ああ、これ以上やつを追う意味もない。もうこの先は好きにさせるさ」
「了解~! じゃ、ちょっと見てくるね」
二対四枚の水晶翅を広げて、天井に頭をぶつけないように低空飛行しながら、ジュエルは溶岩地帯を抜けて奥の穴へと入っていく。
「ねえ、クレス」
「うん? なんだ?」
ジュエルが穴の奥へと消えた後で、ビーチェが外套の袖を引っ張ってくる。
「ジュエル、翅の枚数増えた……あれは、何か良い事ある?」
「ん……それは、どうだろうな……」
ビーチェの素朴な疑問。実は俺も同じことが気になっていた。
ただ、これと言ってジュエルに変化が見られなかったので、今まで真剣には考えていなかったのだ。
特に何もすることがない現状で、一度そのことが頭を過ぎると気になって仕方がない。
「知り合いの精霊術士にでも聞いてみるか……」
「クレスの友達?」
「いや、『知人』だ。……あんな女好きのろくでなしと友達など、俺の品性が疑われる」
強いて言うならば悪友と呼ぶべき精霊術士のことを思い出し、俺は思わず顔をしかめていた。
性格に難のある男だが、術士としての実力は二級に達しており確かだ。
ジュエルを待つ間はどうせ暇なので、精霊の生態について質問する内容の手紙をしたためることにした。
「精霊術士ダミアン殿……と」
たった今、書き上げた手紙を送還術によって相手の元へと送る。手紙は光の粒となって消え去り、確かに相手方へと送還された。
大抵、工房に篭っていることが多い奴なので、居るなら返事もすぐに返ってくるだろう。
(もっとも、女でも連れ込んでいれば話は別だが……)
しばらく時間を置いてから、返信の手紙が俺の工房に届いていないか、ベルヌウェレ錬金工房の郵便受けがある座標に召喚術を行使して確認する。
すると、一枚の手紙が俺の手元へ召喚された。
「早いな……。あいつ、暇していたのか」
何はともあれ、返答が早いのはいいことだ。俺は早速、手紙の封を切って中身を取り出した。
「返事、何て返ってきた?」
「むぅ……要約すると、『そういうこともありうる』だとさ。ある種の精霊は大量の魔導因子を取り込んだり、特殊な環境下でその姿形や性質を変えるやつもいるそうだ。元々、幻想種は不定形の存在で、個体特有の概念に従ってその在り方を変える。行動も、思考も、姿形さえ、在り方が変われば変化する、ということらしい」
「在り方?」
抽象的な話でビーチェには難しかったのか、眉を寄せて首を傾げている。まあ、仕方がない。俺でも正直よく理解できていないのだ。
「まあ、簡単に言えば……趣味嗜好が変われば外見や言動も変わる。それは精霊も同じ、と言いたいんだろうな」
「ジュエル、趣味が変わったの?」
「さあな。もっと別の理由で翅が生えたのかもしれん。はっきり言えることは、精霊も成長……というか虫みたいに変態してもおかしくないってことだ」
「ジュエル……変態……おかしくない……うん」
ビーチェはしきりに変態という言葉を繰り返し、やけに納得した様子を見せていた。
溶岩洞窟の奥まで偵察に行ったジュエルは、そう時間をかけずに戻ってきた。
「ボス、ボス~! やっぱりグローツラングはあの穴の先へ行っちゃったみたいだねー。奥にも溶岩が流れ込んでいたし、後を追うのはちょっと無理かも」
半ば予想はできていたが、やはりグローツラングは溶岩をものともせずに先へ進んでいったようだ。
「そうか……ご苦労だったな。追跡はもうここまでにしておこう」
人の身であの怪物についていくのは無謀だ。そこまでして行く末を気にする理由もあるまい。
「とりあえず、溶岩地帯の手前まで一旦戻るぞ」
ビーチェも暑さで参っていることだし、長居は無用であろう。
溶岩地帯の手前まで引き返し、俺達は一息ついていた。
「これから、どうする?」
先へ進めないということがわかり、ビーチェも今後の動きが気になるらしい。
今までとは大きく異なる動きになるだろうと、彼女も感じ始めているのかもしれない。
「どうするかな……採掘はジュエルビーストに任せているから、もうこんな地下に居る必要もないわけだが――」
「ボ、ボス! ちょっと、こっちへ来て!」
そろそろ地上に戻ってもいい頃合かと俺が考え始めたとき、ジュエルが大声を上げて俺を呼んだ。
「何事だ、ジュエル。もういい加減、地上へ戻ろうかと思っているんだが?」
「えっ!? 地上へ!? ええと、それはその、困るというか……」
「困る? 何故だ」
「いや、その……。ああ! そうじゃなくて、今はもっと重大なことが! ここ、ここを見てよ!」
ジュエルが指差す場所を見るが、そこには何の変哲もない岩壁があるだけだ。
「ここが、なんだって?」
「ここから、変な音が聞こえてくるの!」
ジュエルに言われて耳を澄ますと、確かに岩壁から音が聞こえてきた。
がつん、がつん、と一定の間隔で岩を叩く音。
音は次第に大きくなり、岩壁に亀裂が走った。
「――――!? 離れろ、ビーチェ、ジュエル!」
何者かが、岩壁を突き崩そうとしている。
(グローツラング? それともジュエルビーストか? いや、奴らなら近づいてくれば存在を知覚できるはず。ならこの音は――)
岩壁が崩れて、大きな穴が穿たれる。
出現した穴の奥で、闇に蠢く影が視認できた。
俺達が固唾を呑んで見守る中、それは壁を大きく突き崩しながら姿を現そうとしていた。
「何者だ! 正体を現せ!」
姿を現したのは――。
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