【ダンジョンレベル 12 : 底なしの洞窟】
第87話 金剛石の輝き
「痒いな……」
俺は皮膚から生えた黒い結晶をガリガリと掻きながら、強固に貼りついて剥がれないそれを忌々しげに眺めていた。
禁呪によって作り変えられた身体は、一度使うと二、三ヶ月は元に戻らない。
皮膚組織に癒着しているので、剥がれ落ちるにも時間がかかるのだ。
「背中、掻く?」
「ああ、金属ブラシで頼む」
ビーチェは恐る恐る俺に近づくと、柄の長い金属ブラシで背中の泥を擦り落とす。
実際に痒みを感じているのは結晶の内側にある体なので、いくら結晶から泥を取り除いても痒みは取れない。
それでも、なんとなく清潔にしておく方が治りも早い気がした。
「あ、ボス、苔落とししているの? ボクも、ボクもー!」
「ジュエル……邪魔しちゃだめ」
俺が汚れを落としている最中に、ジュエルが割り込んで来て金属ブラシを背中に受ける。
ジュエルはついでに俺の背中へ覆い被さってきて、背中に生えた黒い結晶に噛り付く。
「はむはむ……ボスの結晶、まだ剥がれないねー」
「おい、やめろ。無理に引き剥がそうとするな。食うな!」
結晶なら何でも食えるのか、ここ数週間ジュエルは俺の体から剥がれ落ちた結晶を拾っては呑み込んでいた。
硬すぎるので塊のまま齧ることはジュエルにもできないらしく、手頃な大きさに崩れ落ちた結晶を狙っているようだ。
「いい加減に、ごほっ! けはっ……」
大声を上げようとしたら咳き込んでしまい、じゃり、と口の中から結晶の破片が飛び出してきた。
内臓の粘膜を覆っていた結晶だろう。外皮に比べて、胃の中などに生えた結晶は剥がれ落ちるのが早い。
破片が鋭く尖っていたら内臓を傷つけてしまうところだが、剥がれ落ちてきたのは脆くなって角が取れた結晶だった。
「わーい、小さい欠片がいっぱい出たー」
「ジュエル、だめ!」
俺が吐き出した結晶に食いつこうとするジュエルを、ビーチェが必死に止めた。
結晶の欠片を丁寧に拾い集め、水をかける。
「はい、洗ってから食べるの」
「いただきまーす!」
「食うな!!」
最近はいつもこんな調子であった。
「あー、俺も腹が減ってきたような、そうでもないような……」
「何か食べる?」
干し肉を齧りながら、ビーチェが俺にも食事を勧めてくる。
だが、食べ物を前にすると食欲はわかず、結局は何も口にすることはなかった。
「空腹感は錯覚のようだな。まだ、しばらくは飲み食いする必要もないということか」
魔人化の呪詛が効いている間は、栄養の摂取が必要ない。活動に必要なエネルギーは全て、魔力供給によって賄われるからだ。異界から呼び込んだ魔導因子を食うなど、我ながら人間離れしてしまったものだ。
それでも禁呪の使用直後に比べれば随分と落ち着いてきていた。
一、二週間前では、ビーチェと目を合わすことも、言葉を交わすのも危険なほどだったのだから。
無自覚に呪詛を撒き散らし、腐敗と破壊をもたらすので、生身の人間であるビーチェなど近くにいるだけで死んでしまう。
それがようやく、言葉を交わしても平気な状態にまでなったのだから、順調に呪詛の効力が薄れてきていると見ていいだろう。
空腹感を感じるようになってきたのも、人間らしい感覚が戻ってきた兆候だ。
「ところで、グローツラングのやつはまだ穴掘りを続けているのか?」
「うん、あれからずーっと、地下を掘り続けているよ」
「迷路みたいな坑道、できていた」
白亜の迷宮から解放された
ジュエル曰く、グローツラングは宝石の守護者であり、地中に眠る宝石が奪われないように巡回しているそうだ。
迷宮に封じられていた時は、行動範囲がごく狭い範囲に限定されるよう呪詛がかけられていたらしい。本来の行動範囲はずっと広かったのだろう。
「少しばかり不安だな。様子を見に行ってみるか」
グローツラングの通った後は、押しのけられた土砂が固い壁となって綺麗な一本道の坑道になっていた。
この辺りの地質は、火成岩である雲母カンラン岩を主とした地層で、よくよく観察すると大粒の
「おお! おおお……! 金剛石がこんなにも!」
早速、目に付いた金剛石を岩壁から抉りだす。まだ結晶化したままの俺の腕は、硬い岩盤でも容易に削り取ることができた。
「ジュエル、お前も採掘作業を始めろ!」
「ボス……グローツラングに噛みつかれても知らないよ……」
あの大蛇は既に俺の眷属だ。俺が宝石を掘り出したところで文句は言えまい。
金剛石の輝きにすっかり魅入られた俺は当初の目的は既に頭からない。
グローツラングの様子を見に後を追っていたはずが、いつの間にか金剛石採掘に目的がすり替わってしまった。
グローツラングとの戦闘で、とっておきだった金剛石の魔導回路を消費してしまったが、その損失を埋め合わせてなお余りある利益を手に入れることができた。
「大収穫だな。もっと採掘の手を広げたいところだが……」
残念ながら、今やノームの協力はほとんど得られない状態にある。金剛石採掘をしようにも労働力が足りず、大量の土の中にある金剛石を掘り出すのは困難だった。
「残っていたノームもグローツラングと一緒に行っちゃったからね~」
「ノームいなくなって、ちょっと寂しい」
彼らと仲の良かったビーチェはひどく落ち込んでいた。大勢の子鬼やノームに囲まれていた頃からすれば、確かに現状は寂しい気もする。
「それで、どうするのー? ここでまた採掘作業するの?」
「……別にここで無理して俺達が採掘する必要はない。適当な『炭鉱夫』を用意する」
「炭鉱夫?」
「手っ取り早く、使い勝手のいい奴をな」
俺は一度、拠点まで戻ると精霊機関を幾つか持ち出してきた。
さらに、何種類もの動物が混じり合った合成獣を一匹召喚する。
『溶け合え』
合成獣に魔導回路の刻まれた結晶を幾つも埋め込んでいく。結晶が一つ埋め込まれる度に合成獣は咆哮を上げて苦しむ。だが、俺はそれを無理矢理押さえつけて、最後に精霊機関を体内へと挿し入れた。
『産声を上げろ――
魔獣を創り出す禁呪に限りなく近い、魔導生物を創造する呪法。これによって生み出されるのは、
奇怪な叫び声を上げながら、合成獣は身体の構造を強制的に組み替えられていく。
暗闇の中で活動できるように聴覚器官と熱探知器官を発達させた合成獣を素体とした。魔導人形と違って生物を素体とすることにより、複雑な魔導回路を刻み込まずとも高度な知能と能力を持った存在を創り出す事ができる。
本来、魔導生物の創造には大掛かりな儀式呪法を必要とするが、半魔人化した今の俺ならば魔導因子の供給も、複雑な術式も、単独で行使可能である。多少、荒っぽい方法ではあるが、宝石採掘の単純作業をさせる魔導生物を一匹創る程度は容易いことだった。
一刻ほどかけて、
視覚を必要としない為か、長く伸びた頭部には眼球がなく、代わりに大きな尖った耳が四つ花弁のように顔面を囲んでいた。その顔の大半は丸い口が占めていて、ぞろりと太く鋭い牙が円を描いて生え出していた。
胴体は丸い肉団子のようで、そこからやたらと太い四肢が伸びている。ありがちな四足獣の脚部とは異なり、蜘蛛のように折れ曲がった脚だ。
体表面は硬質な鱗状の外骨格で覆われ、微かな光を反射して黒光りしている。
その姿形は総じて言うなら――。
「これまた醜悪だねー……ボスの趣味?」
「いや、生命の設計図における合理的な取捨選択の結果だ」
「かわいくないかわいくないかわいくない……」
まさに醜悪の一言に尽きる姿のジュエルビーストは、口内の牙を擦り合わせてぎしぎしと不快音を発している。
怒っているのか喜んでいるのか、それとも腹を空かせているのか、この魔導生物からは感情の一切を読み取ることができない。
それでも、俺の創り出した存在である以上、命令には忠実に従うはずだ。
「土石を喰らえ! そして金剛石を選り分け、送還しろ!」
――ギィイイィイッ……!
俺の命令に応え、ジュエルビーストは甲高い奇声を上げて、顔面から固い岩盤へと突っ込んでいく。
太い牙を剥き出しにして岩壁へ喰らい付き、丸い口を左右交互に捻りながら岩を削る。
削り取った土石はそのまま口から腹の中へと納め、肛門と思われる器官から細かい砂として排出した。
――キイィイッ! ギヒイィイイッ!!
ジュエルビーストの咆哮なのか、それとも牙と岩が擦れ合う音なのか、身の毛もよだつ不快音が洞窟に鳴り響く。
「うひゃあぁあああ……ボ~ス~……ちょっとこれ何やっているの~?」
「これがこいつなりの掘削方法らしいな」
「ううう、うるさいうるさいうるさい……」
ジュエルは四枚翅を痙攣させて縮み上がり、ビーチェは鳥肌を立てながら耳を押さえてうずくまっている。
俺は金剛黒化の呪詛がまだ効いているので、不快音は完全に遮断できていた。
ジュエルビーストは土や岩をとにかく喰らい、金剛石のようなある一定以上の結晶質を持つ物体だけ選り分けて、余計な土砂は排出していた。
選り分けられた結晶はベルヌウェレ錬金工房へと自動的に送られるように、ジュエルビーストの体内には送還用の魔導回路が刻み込まれているのだ。
「後は放っておいても勝手に採掘を続けてくれるだろう」
「わかったから、早くここから離れよー」
「クレス……わ、私、もう、耐えられ……ない……」
高周波の振動を受けた影響なのか、ビーチェは半分白目を剥いて涎を垂らし、ひきつけを起こしていた。
「仕方ない。ここから離れるぞ。グローツラングの掘った穴を先へ進む」
自力では動けないビーチェを抱え上げ、俺はジュエルを伴ってグローツラングの深き穴を再び進み始めた。
後ろを振り返ると、遥か遠方でジュエルビーストが狂ったように岩を噛み砕いている姿が見られた。
「しっかり稼げよ……」
届くはずもない声に応じるかのごとく、ジュエルビーストは絹を引き裂くような叫び声を上げる。
俺の腕の中で、ビーチェがびくん、と体を引き攣らせていた。
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