第85話 循環するもの


 ……ごるごるごるごるごる……。


 地の底から響く不気味な振動を体に感じながら、俺達は白亜の隧道を歩いていた。


 隧道を進むと、左右二つに枝分かれした道があった。

 とりあえず俺とビーチェが左に、ジュエルが右の道を探ることにした。分岐点が現れた時点で元の場所に一度戻ることを約束し、二手に分かれる。

 すると、わずかも道を進まない内に三つの分岐点が現れ、俺達は元の場所に戻るはめになった。ジュエルもすぐに引き返してきており、そちらでは二つの分岐点に当たったらしい。


「参ったな。ここは迷宮か?」

「迷路、ちょっと楽しい」

「迷ったら大変だねー、これ」

 重厚な大理石の壁が立ち並び、幾重にも複雑な迷路を作っていた。

 物体を透視する『天の慧眼』の術式で探ってみたが、壁には特殊な呪詛が掛かっているのか透過率が悪く、迷宮全体の構造を解き明かすのは不可能だった。

「どうにか確認できた範囲から推測すると、全体では円形構造の迷路のようだな。俺達は円の端から入ってきて、中心へ向かっているみたいだ」

 その中心へ寄せ付けまいとする意思か、それともそこにある何かを外に出さない為の結界なのか、迷宮は複雑かつ頑丈に造られていた。


「穴を開けて直進するのは無理か?」

「できないこともないけど、相当な時間がかかりそうだねー。硬化処理が施されているみたいだから、岩盤を掘り進むよりきついかも」

 ジュエルの意見に、俺達にくっついて来たノーム達も全身を揺り動かして賛同の意を示していた。

 この様子では、迷宮を普通に攻略するのと大差ない時間がかかってしまいそうだ。

「まあ、何の結界かもわからないで壊してしまうのも危険だからな。ここは慎重に、迷宮の構造を調査するとしよう」


 ごるごるごる……。


 微振動の伝わってくる地面に座り込み、俺は一枚の大きな紙を広げて迷宮の分岐点を数字で表して書き込んだ。

「迷宮の地図、クレスが描くの?」

「ああ、そうだ。分岐点を全て書き出していくんだ」

「あれれ、でもこれ形が全然違うよねー? ここの迷宮は円形になっているはずなのに、こんなでたらめな形の地図でいいの?」

 俺が紙に書き込んでいるのは数字を線で結んだだけの簡略図である。確かに円形の迷宮を示す地図には見えないだろう。

「これでいいんだ。重要なのは分岐点だけ。どの方向にどれだけの距離歩いたかなんてのは、おまけの情報に過ぎない。分岐点に番号を付けて、実際の壁にも番号を彫る。これで、何番の分岐点を通って、何番の分岐点に向かったか。自分がどこの分岐点にいるのかといった位置情報がわかる」

 こうして虱潰しに分岐点へ番号を振っていけば、いつか出口へ辿り着いた時には、入口から出口までに辿った分岐の順序が一つの数列として表現できるようになる。


 ごるごるごるごるごる……。


「言っておくが地図に記した順路から外れたら迷子になるからな。番号を振っていない分岐点へ勝手に進まないように――」


 ごるごるごるごるごるごるごる……!


「おい……先程から気にはなっていたんだが、何の音だ?」

「段々、大きくなってる……」

 俺とビーチェは顔を見合わせて、どこからか音が近づいてきていることを確信する。

 ジュエルに周囲を警戒させながら、床に耳を付けて振動音を聞く。ビーチェも一緒になって床に耳を付けて、振動音を探ろうとしていた。

 二人揃って床に耳を付けて向き合っているのは、いささか間抜けな格好ではあった。


 重くて硬いものを引きずるような音。

 それもかなり強引に引っ張り回しているような。

 ふと、自分が耳を当てている地面を見れば、大理石の床には削り取られた跡が見受けられる。

 何度も何度も擦られて、隧道の両端から中央へかけて緩やかな曲面を創り出していた。丸みを帯びた何かが通過してできた跡だろう。


 ごごごるごるごるごるごるごるごる!!


「ボ、ボス! なんか来るよー!!」

 ジュエルの緊迫した声を受けて、俺はビーチェの腕を引っ張りながら立ち上がった。

 すぐにこの場から逃げなくてはいけない、と直感が告げていた。


 ごるごる……。


 隧道の曲がり角、そこに音の正体が『顔』を出していた。

 隧道を塞ぐほどの幅がある『顔』。

 硬質な白亜の鱗に、蒼玉サファイアの如き一対の眼、裂けた口からは金剛石ダイヤモンドのようにぎらついた牙が覗き、辰砂しんしゃの赤色をした舌がちろちろと出入りしている。


「綺麗な……蛇さん?」

 緊張感のない声でビーチェが呟いた。

 蛇、確かに見た目はそうかもしれない。だが、両腕を広げたほどの太い胴を有する蛇など自然界には存在しない。


「でかい……この化け物はまさか――超越種?」

 思い至った可能性に背筋が凍りつく。

 知能が高く強靭な生物に高位の幻想種が憑依した場合には、一般的な魔獣を超えた規格外の能力を有する超越種となる。その脅威はまさに天災級とされ、発見されれば即時に討伐対象として認定される危険な存在である。

 古代にあっては神々と崇め称されていたほどだ。

 もしこいつが超越種であるなら、さしずめ蛇神とでも呼ばれていたのではないだろうか。

 その『蛇神』は曲がり角に顔を出したまま、こちらの様子を窺うように動きを止めていた。


「ボスボス~。あの蛇さんだけどね、ボクもしかしたら知っているかもしれない」

「知り合いなのか?」

「ああ見えて、たぶんボクと系統の近い精霊だねー」

「精霊!? あれがか!?」

 あれが精霊……幻想種の一種だというのか。

 それにしては随分と物質的な存在感が強い気もするが、ジュエルと似たような系統の精霊だというなら納得もできる。ジュエルは精霊現象として鉱物を集めて貯め込む特性がある。それと似た性質を持つのなら、あの蛇神も精霊現象の結果として生じた鉱石の集合体なのかもしれない。

(超越種ではないにしろ、この威容であれば神殿を建てて祀り上げたくもなるだろうな)

 蛇神の姿は宝石細工のように煌びやかで、巨体の圧倒的な重量感と合わせて神々しい雰囲気を醸し出している。幻想種と言えば朧げな印象を抱くものだが、これには全く正反対の鮮烈な印象を受ける。


 ごるごるごる!

「うおっ!」

 突然、蛇神は体を動かして、別の分岐点へと進んで行ってしまった。

 分岐点で曲がりくねる胴体は、いったいどこまで続くのかと呆れるほど長かった。


「あれはもはや、精霊という枠を超えているな……。相手にしない方が良さそうだ、引き返すぞ」

「懸命な判断だねー」

「でも、ノーム達が……」

 先程までこそこそと後をついて来ていたノーム達が、俺の足にしがみついてきてその場に止めようとする。ビーチェとジュエルもノームにしがみつかれて、足を動かせなくなっていた。

「お、おい! こんな時に冗談はやめろ! とっととこの場から離れないと――」


 ごるごるごるごるごる!


「あ、ボス……囲まれちゃったみたい」

「クレス……帰る方向の分岐点に、蛇の胴体が見える」

 揃って蛇の胴体を指差すジュエルとビーチェ。俺は絶望的な気分になった。

「前も後ろも塞がってしまったじゃないか……」

 非難の目をノームに向けるが、彼らは飛び上がって喜んでいる。意味が分からない。ひょっとして轢き潰されるところを助けてくれたのだろうか? しかし、現状は限りなくどん詰まりであった。




 蛇神の胴体に囲まれてしまった俺達は、現状を脱する方法について議論していた。初めは蛇神の胴体が途切れたら抜け出そうと考えたのだが、恐るべきことに蛇神の尻尾は半刻を待たねば現れなかった。

 ところが問題はその後にもあった。

 次の分岐点で再び蛇神の胴体に阻まれた俺達は尻尾が見えるのを待っていた。ようやく尻尾が見え始めたと思った矢先、分岐点を通過したのは尻尾を咥えた蛇神の頭だった。


「…………今の見たか?」

「うん、ボクも見ちゃった」

「抜け出す隙間、なかった」


 絶望する三人をよそに、当の蛇神はこちらを大して気に留めず、依然として迷宮の中を彷徨っている。気に留めていないからこそ、無理に押し通ろうとすれば問答無用で轢き潰されてしまう危険性もあった。

「お前と同系統の精霊だろう、ならどうにか鎮めることができないか?」

「えーっと、どうだろう? 知性があるならボクらの言うことも理解できると思うけど、言うことを聞いて鎮まるかはわかんないかな」

 もし意思の疎通が可能なら、穏便に事を済ませて先へ進むことができるかもしれない。わざわざこんな化け物と真正面から争う理由などないのだから。


「とりあえず精霊言語で話しかけてみるね」

「精霊言語、そんな便利なものがあるのか?」

「やだなボス、そんなの本当にあるわけないでしょ。感覚フィーリングでね」

 こいつの冗談には時々、本気で殺意が湧く。今現在の切迫した状況を理解していないのか。

 ともあれ、今はジュエルの説得に賭けるしかない。

 俺達は分岐点の前で、蛇神の頭がやってくるのを待った。


 あわよくば、尻尾と頭が途切れていれば脱出を――と考えていたが、淡い希望を打ち砕き、再び尻尾を加えた蛇神の頭が見えた。

「今だ! 行け、ジュエル!」

 俺の合図でジュエルが蛇神の頭に接近する。そして大仰な台詞回しで蛇神に声をかけた。

「聞け! 我が同胞よ!」

 澄んだ鈴の音のようなジュエルの声に、蛇神の動きが止まった。尻尾は咥えたままだが、蒼玉の瞳をこちらへと動かして俺達のことを確かに見据えた。

(……簡単に呼びかけに応じたな。最初から俺達のことは認知していたか……)

 どういう思惑かは不明だが、この蛇神は積極的に攻撃を仕掛けるのではなく、俺達を閉じ込めるという形で対処を保留していたのだ。

 それがこちらからの呼びかけに応えたということは、何がしかの変化を期待できるというものだ。


「我は、貴き石の精霊。宝石の丘より生まれし玉の一つなり!」

 力強く名乗りを上げたジュエルは、二枚の水晶翅を大きく広げて見せた。

 すると背中の水晶翅が輝きだして、一対二枚が二対四枚の翅へと分化していく。

「翅、光ってる……」

 俺とビーチェの二人は、呆然とその光景を眺めていた。

 精霊も虫のように変態するというのか。いや、そもそも今、現状において如何なる意味を持つ行動なのか。


 神々しい耀きを放つジュエルは、蛇神の視線を一身に惹き付けながら語りかける。

「意思を通ずるならば連環を解き、道を開けよ!」

 蛇神は考え込むように首……はないが、頭を傾げている。

 やがて大きな口をゆっくりと開き、ちろちろと赤い舌を動かしながらジュエルに近づいてくる。


 そしてジュエルを頭からばくりと丸呑みにしてしまった。

「わきゃー!!」

 ジュエルはあっさりと説得に失敗した。

「食べた! ジュエル、食べられた!」

「相っ変わらず、使えない奴め!!」

 蛇神はジュエルを呑み込んだ勢いそのままに、俺達の方に襲い掛かってくる。

 地図に書き込んだ分岐点から外れるのも構わず、俺はビーチェの手を引いて全速力で逃げ出した。例え迷うことになったとしても、蛇の腹の中で迷うよりはよほどましだろう。


「くそがっ! たまに真面目な態度を取ったかと思えば、あの自信はなんだったんだ!」

 翅が光り輝いて四枚になったのも意味がわからない。大見得を切ったくせに、ただのこけおどしだったのか。

 事態は蛇神の暴走という最悪の展開を迎えた。先程よりも明らかに状況が悪化している。


 とうとう行く先々の分岐点に蛇神の胴が横たわり、逃げ道も塞がれてしまった。

「こうなったら、覚悟を決めるしかないか……」

「戦うの?」

 繋いだ手をぐっと握り締め、ビーチェが不安そうに俺の顔を見上げてきた。

 目の前の敵は到底、人が太刀打ちできるような存在とは思えない。

 それでも――。


「他に道はない」

 全力を持って敵を滅ぼすと決意した。

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