第84話 いびつな均衡
※関連ストーリー 『均衡と循環』、『住み心地の問題』、参照
――――――――――
「ノーム達、かなり穴を掘り進めたみたいだね」
「そうみたいだな。奥へ進んでみるか」
古代の遺跡、何がしかの神を祀っていた神殿は、今ではあちこちが崩落で土砂に埋もれており全容は知れない。
それでもノーム達によって一部が掘り起こされたことで、神殿内には立派な祭壇とその奥に眠る大きな扉が姿を現していた。
開かれた扉の先には、突き当たりが見えないほど長い回廊が続いている。ノームはその先もまだ掘り起こし続けているようだ。
扉をくぐってみると、回廊はどこまでも単調な石造りの一本道だった。
「肌寒くて、ちょっと不気味……」
鳥肌のたった両腕を掻き抱き、ビーチェは理由の知れぬ悪寒に身を縮めていた。
古代遺跡に入ったときから感じていたことだが、これまで咽かえるような暑さだった洞窟が、ここでは夢であったかのように冷え切っている。
単に温度が低いというのではなく、どこか心まで冷え込ませる寒々しい空気が漂っていた。
「この空気は……たぶんアレだな」
「アレだねー」
「前にも、同じ感覚あった……」
ビーチェにもわかったようだ。
この底冷えするような薄ら寒い感覚。
回廊の端々から滲み出してくる黒い靄。進めば進むほど数を増していき、足元から頭上まで黒い靄が漂っている。
「やはり邪妖精か。それも、尋常じゃない数だな」
目を凝らせば黒い靄だけでなく、この世のどんな生き物とも似つかない形状をした半透明の存在が辺りを浮遊している。
「邪妖精と違う。あれは何?」
「あれも幻想種の一種だ。邪妖精よりは存在がより現世に定着しているが、あまり性質が良いとは言えないな」
「あれも精霊なの?」
「ボスの言う通り一応ボクのお仲間だけど、邪妖精と似たり寄ったり。精霊とも呼べない下級の幻想種だよ」
邪妖精が溢れかえり、見たことも聞いたこともない幻想種が跋扈する古代神殿の地下回廊。
「気をつけろ……心に隙を見せれば憑依される危険もある。精霊と契約していれば、奴らもあまり近寄っては来ないはずだが……」
回廊を漂う幻想種は、歩みを進める俺達を避けるようにして浮遊している。
襲い掛かってくる気配はないが、気を緩めてはいけない。やつらはその僅かな気の緩みを敏感に察知すると、知らず知らずのうちに人を惑わし、いずこかへ連れ去ってしまうという。
長い回廊を歩き通すと、回廊が途切れた先に大きな空間の広がりが見えた。
人工的に造られた大広間の壁は、全て大理石で造られている。
「この部屋は……」
好奇心から迂闊に部屋へ立ち入ろうとするビーチェとジュエルを捕まえて、俺は慎重に中の様子を窺った。
あちらこちらに巨大な結晶質の方解石が生えており、それらは意図的に切り揃えたかのように整った平行四辺形をしていた。
透明な方解石の結晶は複屈折現象を引き起こし、向こう側にある風景を二重に被さったように見せている。
遺跡地下で目の当たりにしたこの光景に俺は声を詰まらせた。
「いったい……何だというんだ、これは――!?」
俺は驚きと恐れを隠すこともなく叫んだ。目の前に広がる光景はそれほどまでに異常なものだった。
方解石の柱の隙間を埋め尽くす幻想種の群れ。
彼らは方解石の広間で、大きく渦を描きながら踊り狂っていた。
確かに目の前にありながら、しかしそれは到底この世の光景とは思えない。
(幻想種で満たされた空間。これはまるで……異界のようだ)
俺は注意深く広間へと足を踏み入れ、室内にある方解石の結晶を念入りに調べた。その間も、幻想種達は彼ら自身が何かに憑かれたように、ただひたすら渦を描く運動を繰り返していた。
得体の知れない恐怖と焦燥を背中に感じながらも、俺は広間の調査を続けた。時間にして半刻も経ってはいなかったが、あらかた広間を調べ終わった俺は、一旦ビーチェとジュエルのいる回廊へと戻った。
「クレス、大丈夫……?」
「だいぶ顔色悪いよ、ボスー」
回廊へと戻った俺は酷い疲労感に襲われてその場に座り込んだ。
回廊も広間も空気は冷たいというのに、俺の全身は汗で濡れていた。広間に留まっていた間の気分は表現し難いが、強いて言うなら尖った氷柱をずっと背筋に突き立てられていたような感覚とでも言えるだろうか。
俺は体に残った
「この広間には大規模な魔導回路が形成されている」
宝石などの結晶体には魔導因子を封じ込める特性がある。その結晶体の中に魔導因子の流れやすい道を刻み込んだものが魔導回路だ。
広間に生えた巨大な方解石には、緻密な魔導回路が刻み込まれていた。
「はっきり言って、この回路を作った奴の正気を疑う。信じ難いことにこの魔導回路は、幻想種の無差別召喚を行う陣になっているようだ」
召喚の結果として何が呼び出されても構わない。そんな乱暴で投げやりな考えが、ここにある魔導回路からは読み取れた。しかも、この回路に込められた狂気はそれだけに止まらない。
「本来なら召還を一回終えた後は、魔導因子が散逸して術式は収束する。召還された幻想種も好き勝手にどこかへ行ってしまうはずだが……この地下空洞は幻想種を封じ込める働きを持っているらしい。出口を失った幻想種はこの空間内で漂い続けることになったはずだ」
この辺りの地質まで利用した、明らかに幻想種の封じ込めを狙った作りである。その結果が、広間で渦巻く幻想種の群れ。
「そして、魔導因子の渦そのものでもある幻想種が回路に触れれば、魔導因子を供給する役割を果たし、新たな幻想種が召喚される。限りのない増幅と逃げ場のない空間で延々と召喚は繰り返され、長い年月をかけて膨大な数の幻想種がこの空間に溢れかえることになったんだろう」
「あー、そんなことしたらさー、ちょっとまずいことにならない?」
「ちょっとどころなものか。既に術式は暴走しているようだし、このまま放置すれば異界そのものが
――異界現出――。
その最悪の事態を口にしてみて、今更ながら怖気が背筋を這い登ってきた。
現代の魔導技術連盟による規定では『禁呪』とされる類の術式にあたるのは間違いない。
(……そこまでの危険を冒して、いったい何を召喚しようとしていたんだ……?)
どれほどの昔から、この術式は継続されてきたのか。
後先を考えず構築された魔導回路は、これまでに何をどれだけ呼び出したかも不明なままに今なお暴走を続けている。
「そんなもの……誰が作ったの?」
「古代の魔導士だろうな」
「何で、作ったの?」
「俺が知ったことか」
ビーチェの素朴な疑問に、俺は吐き捨てるように答えた。古代の魔導士も、まったくもって面倒なものを遺してくれたものである。
「古代の魔導士が考えたことなど知らないが、これを前にしてやるべきことは決まっている」
俺は再び方解石の広間へと足を踏み入れる。
この魔導回路を前にして、俺がすべきことは唯一つ。
ただちに、この術式を停止すること。
(――削り取れ――)
意識を集中し、
『
無数の二十四面体結晶が、巨大な方解石の魔導回路へ向けて放たれる。
だが、結晶弾は方解石と激突する寸前で、突如として発生した旋風に阻まれた。
「あ~らら~、防衛術式が働いているみたいだねー」
天井に巻き上げられ、ばらばらと落下してくる結晶弾を頭の上に受けながら、ジュエルがのん気な声で解説してくれる。
粉々に砕けると思われた方解石は全くの無傷だ。依然として幻想種の群れも広間で渦を巻いている。
ある一定以上の距離に動く物体が近づくと、防御結界を構築するようであった。これだけ大掛かりな設備を守っている術式となれば、おそらく他にも防衛策を講じていることだろう。
「生半可な攻撃では通用しないな」
中途半端な攻撃を繰り返しても無駄撃ちに終わるだけ、そう判断した俺は一つ強力な術式を発動することに決めた。
「ビーチェ、ジュエル。二人とも回廊に引っ込んでいろ」
術式発動の前に、勝手に広間へ入り込んできていた二人を回廊へと押し込み、俺は儀式呪法の準備に取り掛かった。
「あー……っと? どこへやったか……滅多に使わない術式だからな……」
俺は懐をあちこち探って、銀色をした十個の金属片を取り出した。
それは縦横に幾何学的な筋の走った
隕鉄の欠片十個を点として、五芒星の陣を作り中心に立つ。
本来、儀式呪法はもっと大掛かりな魔導回路と複数人の術者によって執り行われる。
だが決して、一人では実行できない、というものでもない。あらかじめ十分な仕込みを済ませておけば、この広間のように無人で術式を持続できる例もある。無論、簡単な魔導回路で単独行使すれば、儀式呪法としてはやや効力が低いものになる。
それでも、ここにある防衛術式を打ち破るには十分な威力となるはず。
(遠く……
これより行使する儀式呪法は、地球上を指し示す世界座標とは異なる座標系、遥か空の彼方、星界を旅する星々の欠片を呼び寄せる召喚術。
何も存在しない
しかし、儀式の規模に対して得られる効果は極めて大きく、単純な破壊力だけ見ればこれ以上に高威力の術式は他にない。
(――星界座標、『天の架け橋』に指定完了――)
意識の集中を終え、隕鉄に刻まれた回路全てに魔導因子が行き渡ると、俺の周囲に膨大な数の光り輝く粒子が生成され始めた。
儀式呪法の完成を迎え、俺は星界への道を開く
『廻れ。
光の粒が一斉に舞い上がり、瞬く間に視界一杯の隕石群が星界より呼び込まれる。
出現と同時に、隕石群は保有する運動エネルギーを爆発させ、音速を数倍超えた速度でもって巨大方解石に孔を穿つ。
防衛術式を貫通してなお勢いは衰えることなく、俺を中心に円運動しながら隕石群は何度も何度も方解石を撃ち抜いた。
この攻撃で、方解石で構築された幻想種召喚の回路は崩壊し、制御を失った幻想種の渦が秩序をなくして暴れ始める。
数十匹単位の幻想種が数百組以上、四方八方に飛び回り、あちらこちらで広間の壁に激突しては跳ね返されている。
群れから外れた幻想種が何匹か、俺の方にまで向かってきた。
「危ない、クレス!!」
「ボス! こっち、こっち!」
幻想種に憑依されては堪らない。俺は姿勢を低くして、ジュエル達のいる回廊へと転がり込んだ。
すると何故か幻想種は回廊の方には飛んでこなかった。
(ジュエルが防波堤の役割を果たしたのか……?)
高位精霊の存在に気圧されて、低級の幻想種が回廊に入って来られないのか、と思ったがどうも様子がおかしい。幻想種は入口付近で見えない壁にでも弾かれたようにして、広間から外へ脱出することができないでいた。
(結界の陣が張られているのか)
確かではないが、状況から察するにそんなところだろう。
「しかし参った。広間の魔導回路を破壊すれば、幻想種も解放されると思ったんだが……」
「呪詛からは解き放たれたけど、広間の結界が邪魔して出られないみたいだね」
「面倒だが、外部から結界を破壊するしかないか」
「そだねー。中で幻想種が暴れて、結界が不安定になっているし、今なら壊せるんじゃない?」
内外から衝撃を加えて結界を破壊する。
俺は落盤も辞さない覚悟で術式を発動しようとした。
その瞬間、図ったようなタイミングで広間を大きな振動が襲った。強い揺れに体勢を崩し、術式を中断してしまう。
「地震ではないな。この振動は……?」
広間が激震に揺さぶられると、大理石の壁に無数の亀裂が走り、天井が一部崩れて穴が開く。
その穴から、ひょっこりと
「ノーム!?」
穴の数は次々と増え、いつの間にか無数のノーム達が広間へと集まり、この場に向けて幾つもの穴を穿っていた。
どん、と今までにない大きな振動で天井が崩落し、ぽっかりと大穴が開く。
天井の崩落を合図に、開いた大穴へ向けて幻想種が殺到した。
「――幻想種が、抜け出していく?」
魔導回路の破壊により一定運動の
◇◆◇◆◇
解放された無数の幻想種が洞窟内を駆け巡った。
ガーゴイルのいる神殿を素通りして、地下遺跡より抜け出す。
地底湖に地下茎を張った絞殺菩提樹をすり抜け、餓骨兵の頭上を通過する。
元から邪妖精のはびこっていた坑道を通り、彼らも巻き込んで幻想種の群れは地上を目指した。
地下河川の流れを上流に遡り、
途中の坑道には、
幻想種の不気味な行進を、
複雑な地形の坑道では行ったり来たりを繰り返しながらも、着実に地上への出口へ向かっていた。
あるものは脇道に逸れて迷い、あるものは生息する獣に憑りつき、またあるものは適当な場所で浮遊する。
それでも幻想種の大行進は止まらない。
一本の大筋として地下深くまで通された、魔導的障害のない坑道を選んで進む。
ほどなくして、数えきれないほどの幻想種が底なしの洞窟の入口より溢れ出した。
洞窟から飛び出して自由を得た彼らは、天に昇り空を駆けるもの、地に下りて森に隠れるもの、各々の思うが侭に散っていった。
◇◆◇◆◇
一斉に広間の結界から解き放たれた幻想種を見て、ふと俺の脳裏に閃くものがあった。
「もしやこれがノームの言っていた……均衡と循環をもたらす、ということか?」
世界を歪ませ、異界という不均衡を生み出そうとしていた閉塞空間。それを打ち破りたかったのだろうか。
これまでノームが術式の設置を拒んで、魔導回路のない地上までの道を確保してきたのも幻想種を逃がす為の経路だったのかもしれない。
ノームにとってはここが目的の終着点だったのか、彼らもまた他の幻想種と共に、散り散りに去っていく。精一杯の感謝を示すように、元気よく飛び跳ねながら。
「ノーム達、いなくなった」
「ああ。随分と減って、寂しくなったな」
「あれだけわんさかいたのにねー」
誤って踏んでしまいそうになるほどいたノームは、今ではそこらでちらほらと見かける程度にまで数を減らしていた。
「彼らの協力もここまでか……この先、どうするかな」
「ねえ、ボス。それでもまだ、残っている子達がいるみたいだよ」
ジュエルの指摘の通り、ノーム達は完全にいなくなったわけでもなかった。
どういう訳か一部のノームはその場に留まったのだ。
ビーチェがなごりを惜しむように、というより残り少ないノームを逃がさないように、彼らを捕まえ抱きかかえている。
毛玉だらけのビーチェ。ノーム達は別段、嫌がるそぶりも見せず、ビーチェの腕の中で長い毛をわさわさと動かしている。
「ビーチェと心でも通じているのか、あれは?」
「そういうわけじゃないみたいだけど……ただ、ね。あのノーム達は、もう少しだけ鉱山開発に付き合ってくれるみたい」
なんとも義理堅いノームがいたものである。
だが、疑り深い俺はそんな行動にも裏があるのではないかと勘ぐってしまう。
「都合の良いことを言って、まだ何かあるんじゃないだろうな?」
俺の問いかけに、ノーム達は体を傾げてみせるだけだった。いまいち真意が掴みにくい。
(調子のいい連中だ。どいつもこいつも……。そういえば、こいつも――)
ジュエルを見て、俺は以前から気になっていたことを問い質してみようと思った。ジュエルの返答を誘うように、気軽な話を装って不意に声をかける。
「そういえばジュエル。前に、なんとなく掘り進めたい方向があるようなことを言っていたが、もしかしてお前はこれがあることを知っていたのか?」
どんな理由か知らないが、知っていて黙っていたなら懲罰ものだ。
「え? 違うよ。ボクが探していたのは――」
そこまで言いかけてジュエルは自分の失言を悟ったように、「はっ……」と呟いてそっぽを向いた。
俺と話をしている最中に顔を背けるとはいい度胸だ。
「で? 何を探していたって?」
「なんでもないもん。なにも探してないもん。ただの気まぐれなんだから」
怪しい。確実にこいつは、俺に隠し事をしている。
じっと睨み据えると、ジュエルは居心地が悪そうに水晶の翅をふるふると震わせる。
「ちっ……まあいい。なんにせよ、これで面倒ごとが一つ片付いたわけだ」
もっと問い詰めたいところだったが、あまり追い詰め過ぎて『変なもの』を呼び覚ましてもつまらない。追及は後回しにする。
「とりあえず、他に古代の魔導回路がないか探してみるか」
『天の慧眼』の術式で周囲を探索すると、方解石の塊が半壊した広間の隅、その奥に不自然な空洞があるのを見つけた。
巨大な方解石に塞がれているが、奥に続く一本の隧道が透過して見えた。屈折率の関係で、肉眼では奥に何もないように見えていたのだ。
「まだ、隠し通路があったのか」
大きな方解石の結晶を破壊すると、長く延びる隧道が顕わになった。
「この隧道も人工的に整備されているな……単なる洞窟ではないということか」
白い大理石で造られた隧道の壁。ここもまた幻想種を閉じ込める結界が張り巡らされているようだった。
「面白い。ここまで来たんだ。この先に何があるのか、最奥まで見届けてやろう」
隧道の闇に向かって不敵に笑い、俺はゆっくりと歩みを進めた。
ジュエルとビーチェ、それに数の減ったノームも、俺の後に続いて隧道へと足を踏み入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます