【ダンジョンレベル 11 : 邪神の迷宮】
第79話 神秘の鉱泉
いったいどれだけの距離を掘り進んできたのだろうか。
縦横無尽に坑道を延ばしながらも、着実に地下へと向けて掘り下げてきたのは間違いない。
気が付けば俺は外套を脱いで肩に掛け、額の汗を拭っていた。
汗の雫は手首を伝い、腕の筋道を辿って肘から滴り落ちる。
暑いのだ。
元より空気の流れがない洞窟で、あちこちに地下水脈や地底湖があって湿気も多い。
そして何より、ここが火山であるという事実。
もう何千年と噴火など起きていないとされる永眠火山だが、地の底深くにはマグマが眠っているのだろう。
深く掘り下げるにつれ、確実に洞窟内の温度は上がってきていた。
「クレスー……。暑い……」
「涼を取るのに地底湖から水でも引いてくるか……いや、それをやると絞殺菩提樹が根を伸ばしてくるな、くそ」
俺は召喚術で呼び出した氷水を木製の杯に貯めて、一息に呷りながらビーチェ相手に愚痴をこぼしていた。
木の杯をビーチェに押し付けると、一度気合いを入れ直して掘削現場の様子を見に行く
ビーチェは余った氷水を大事そうに飲み干しながら、俺の後に黙って付いて来た。
採掘現場では、とうとうこんな地の底深くまで潜ってしまった子鬼達が全身から臭い汗を噴出しながらツルハシを振るっていた。風の流れがない洞窟では臭いがこもり、揮発した汗が不快な臭気となって漂っている。
体の丈夫な子鬼でも、そろそろこの深度での重労働は命に関わってくるかもしれない。
(元気なのは精霊どもくらいか……)
先ほどから足元を元気よく走り回っているのは、毛むくじゃらの小人、
そして現場の最前線で今も驚異的な速度で穴を掘り進めているのは、
ジュエルは時折、岩石から転がり出てくる貴石の欠片を高速回転する錐で弾き、さも偶然に跳ね飛んできたかのようにして口の中へ放り込んでいた。
(こいつの摘み食いの癖は、ここまで来てもとうとう治らなかったな)
もはや俺も半分諦めてしまっていた。摘み食いしているのは貴石と言っても、罅や曇りが入った屑石扱いのものだ。目くじら立てるほどのことでもない。
細かいことを言ってその都度ジュエルを折檻するよりも、このままジュエルが調子よく掘削を続けてくれた方が時間単位の稼ぎは大きい。
借金を抱えていた頃の俺では考えられない心の余裕である。きっと財を成す者というのは、稼ぎ所と気を配るべき部分をよく理解しているのだろう。俺もその境地へと至りつつあるのかもしれない、と下らぬ妄想に耽りながら俺は顎に垂れる汗を拭った。
「それにしても暑い……」
「お水、もっと欲しい……」
ノームやジュエルと違って人間の俺とビーチェには、温度の高くなった今の洞窟環境は過酷だ。自分でも水が飲みたくなった俺は、再び召喚術で木製の杯に氷水を満たすと一気に飲み干した。
「あ、ああ……おみ、ず……」
隣でビーチェが泣きそうな顔をしながら木の杯を眺めている。心配しなくても水くらいたっぷりと飲ませてやるというのに、なんという情けない顔をしているのか。それとも俺が自分の分だけしか水を召喚しないと思ったのだろうか。
暑さで苛立ちが増し、少し意地の悪い考えが浮かんだ俺は、ビーチェに空の杯を渡してこう言った。
「ちょうどいい機会だ。召喚術を使って、この杯に水を満たしてみせろ」
「……え?」
「召喚術の基本は教えた。飲料水の在り処も座標は数値でわかっているな? なら後は意識下で座標指定できれば、お前にも召喚できるはずだ」
「でも……私まだ……」
「喉の渇きをどうにかしたければ、自分で水を召喚するんだな」
突き放すように言うと、ビーチェは空の杯を両手で抱え、「ん……」と自信なく頷いて召喚術の練習を始めた。
空の杯を握りしめてじっと見つめ続けるビーチェを見ていると、つい口を出したくなってしまうがここは見守ってやらねばならない。
召喚術の意識制御ばかりは、本人が感覚を掴まなければ意味がない。下手な助言はむしろ素直な感性を歪めてしまうのだ。
ビーチェが召喚術の練習で頭を悩ませている間に、俺は地中の熱源を探っていた。
ここしばらくで急に温度が上がったのは、マグマ溜まりにでも近づいている為だろうと考えていた。
(あるいはその影響で地下水が熱せられているか……)
洞窟の壁を隈なく調べていくとある場所で、岩の隙間から沁みだす熱を帯びた湿気が手の平を濡らした。
それが何か思い当った俺は坑道を少し戻ると、ノームと子鬼に指示を出して大きな部屋を作らせる。
そして、固い岩盤で出来た部屋の真ん中に、すり鉢状の穴を掘った。
「さて、後は罅割れを埋めて……」
右手の中指に嵌められた
(――結び直せ――)
地面に手を付いて、術式発動の
『粒界再結晶!』
紅玉の指輪から発した赤い波紋が地面を舐めるようにして走ると、すり鉢状の穴から細かな罅割れが消失して、滑らかな岩肌を形成した。
「これで準備は整った。よーし! ジュエル、一思いにやってしまえ!」
「……ねえ、ボス? 本当にこの壁を突き崩すの? ボク嫌な予感しかしないんだけど」
ジュエルが指差しているのは、先ほど俺が暖かな湿気を感じた洞窟の壁だ。
「命令だ。やれ」
「どうなっても知らないよぉ……」
ぶつくさ言いながら鋼鉄の錐で水気の沁みだす岩を突き崩すと、亀裂から勢いよく水が噴き出して、ジュエルは正面からまともに水を被った。
「ほら、言わんこっちゃないー!!」
ずぶ濡れになったジュエルの身体からは、もうもうと白い湯気が立ち上っている。
噴出したのは火傷しそうなほどの熱湯だ。
岩の亀裂からは勢いよく、どぷどぷと熱湯が噴出し続けている。
火傷を負わないように注意しながら熱湯をすくい取り、幾つかの試薬を使って成分を細かく分析していく。
「やはり、鉱泉だったか」
分析の結果、この湧き出す熱湯は世間一般で治癒の効能があるとされる有用成分を含んでいることが分かった。
水で薄めてすり鉢状の穴にお湯を引けば、即席の洞窟風呂が完成だ。
「ボス、これがやりたかったの?」
「ここ最近、疲れが溜まっていてな。ちょうど、温泉にでも浸かりたいと思っていたんだ」
「じじむさー……」
「ならお前は入るな」
「や、ボクも二〇〇〇歳の高齢者なので、ゆっくり浸からせてもらいまーす!」
なんだかんだ言いながら、洞窟風呂へ真っ先に飛び込んだのはジュエルだ。羽衣を一枚脱いで裸になると、盛大に水柱を上げながら湯船へ飛び込む。
「あははははー! 爽快爽快!」
洞窟風呂へ飛び込むなり、広い湯船で泳ぎ回っている。
「さて、俺も……と、そう言えばビーチェの奴はどこに行った?」
洞窟風呂を作るのに夢中ですっかりビーチェの存在を忘れていた。
召喚術で杯に水を満たす宿題を出したままだった。
辺りを探してみると、ビーチェは洞窟の隅で木の杯を手に持ったまま座り込んでいた。
「おお、ビーチェ。召喚はうまくいったか?」
「…………」
無言でビーチェが突き出した杯の中身を見ると、中には緑色のどろどろとした液体が満たされていた。
「これは……何だ?」
その緑色の液体からは、尋常でない青臭さが漂っている。
「お水……」
「確かにこの液体の主な成分は水かもしれないが、他にも色々混じっているだろ、藻類とか。どこの座標から召喚してきたんだ?」
「お水は……お水!!」
「やめろ! ビーチェ!!」
喉の渇きにそこまで追い詰められていたのか、得体の知れない青汁を飲もうとするビーチェから俺は必死で杯を取り上げた。
とりあえず召喚術の練習はここまでにして、ビーチェには冷たい氷水を飲ませてやった。
ビーチェは勢いよく飲みすぎて、
水を一杯飲んで落ち着いたビーチェを連れ、俺は洞窟風呂の前まで戻ってきた。
「ボース~! ビーチェ~! ナニやってたのー? 早く温泉に入ろうよー! 皆もう入っているよー」
いつの間にか洞窟風呂が十数個に数を増やし、子鬼やノームまでもが温泉を満喫していた。
おそらく自分達で掘って作ったのだろう。
場所によって湯の温度も違うようだ。源泉に近いほど熱くなるはずだが、ノーム達は一番源泉に近い洞窟風呂に浸かっていた。湯船に無数の毛玉が浮いている光景は実に奇妙なものであった。
「まったく、好き放題に風呂を作りやがって。どれ、俺も入るとするか」
外套を脱いで手近な大岩に掛け、肌着を脱いでいく。俺が着替えている間、ジュエルは洞窟風呂の端に寄ってきて、こちらの様子を楽しそうに眺めている。
「ひゅーひゅー! いい体してるねー! 脱げ脱げぇー!」
そして下衆な台詞で煽る。
「アホか、くだらん。見世物じゃないぞ」
「うぇへへへ、ボスもビーチェも綺麗な肌して、ボクちょっと興奮しちゃうな……」
ジュエルの怪しい視線に晒されて、下着を脱ごうとしていたビーチェの手が止まる。さすがの俺も『興奮』という言葉に悪寒が走った。
「ジュエル……一応、聞いておくが、お前は若い男と幼い少女、どっちが好きだ?」
「え? ボク、どっちでもいけるよ。でもどっちかって言うなら――」
――駄目だ。こいつは危険すぎる。
ジュエルの答えを最後まで聞くこともない。
俺の判断は早かった。
(――縛り上げろ――)
『銀の呪縛!』
即断即決、即行動で、魔導因子を胸元にある銀の首飾りに流し込み、術式を発動させる。
「わきゃー! 何故にー!?」
銀の蔓でジュエルを縛り上げ、強制的に首まで湯船に浸からせる。
「大人しく浸かっていろ。泳ぎ回られても迷惑だしな」
「ぶーぶー!」
ジュエルは不満を漏らすが、俺は少なくとも無事にこの洞窟風呂から出るまで、こいつの戒めを解くつもりはなかった。
ジュエルの動きを封じた後、俺とビーチェは手早く衣服を脱いで湯船へ入った。
「あー……骨の髄まで沁み渡るとはこのことだなー……」
洞窟の中は蒸し風呂のように暑かったが、温泉に浸かった時の暖かさはやはり違う。体力を削られて疲れが溜まるだけの熱気と違い、血行が良くなって筋肉の緊張がほぐれる心地よさがある。
「極楽……」
ビーチェは肩まで湯船に浸かりながら、目をつむり、口を半開きにした至福の表情で蕩けている。
「こういうときはやっぱり、アレが欲しくなるな……」
俺は湯船の外に置いてある外套へ手を伸ばして、召喚用の宝石を一つ取り出す。
気分よく俺が召喚したのは、一本の瓶と陶器の杯。瓶の中身は、米から作り出された清酒である。その製法は太古の昔から変わらず、コクのある辛味と胸をすくような口当たりは今の時代も多くの酒飲みを虜にしている。
杯になみなみと透き通った清酒を注ぎ、零れそうになるところを下唇で受けるようにすする。
「あー! ボス、お酒飲んでる! お酒を飲んでいいのは二十歳からだよ!」
「ああ? 馬鹿か、どこの国の法律だそれは」
第一、俺はちょっと前、二十歳になっている。まったく問題ないではないか。
訳がわからないジュエルの文句を聞き流し、俺はぐいと杯の酒を飲み下した。
「ここ、永夜の王国じゃ、十二歳から酒を嗜むのが普通だぞ。俺もその歳から日常的に飲んでいた」
旨そうに酒を飲む俺を見て、ビーチェがごくりと喉を鳴らした。
「じゃあ、私も飲む」
「ビーチェ、お前はまだ早いだろ」
「そうそう、若い内から酒に溺れるとか、ろくな大人にならないよー。ボスみたいになっちゃうんだから」
どさくさに紛れてジュエルが茶々を入れてくる。
「どういう意味合いだそれは? んん?」
「うわ、ほら! 絡み酒! ろくでもない!」
縛りあげられ身動きのできないジュエルに、口に含んだ酒を噴きかけてやる。
どうせこいつも酒を飲みたくて言っているだけなのだ。現にジュエルは「なにするのー!」とか言いながら、必死に顔へかかった酒を舐めている。
俺がジュエルに絡んでいる間に、ビーチェは隙を見て俺の手から酒瓶をくすねる。
「あ、こら。だから、お前には早いと……」
「私も、クレスみたいになる。もう十二歳だから、大丈夫」
酒も回ってきて少しのぼせた所為であろうか、俺はビーチェの言っていることが理解できず、本人に聞き返してしまった。
「……お前、十二歳だったのか?」
「十二歳。もう大人」
ビーチェは慎ましやかな――しかし成長の兆しを感じさせる胸を、精一杯に張って大人であることを主張してみせる。
「…………」「…………」
体の発育と精神年齢、どちらを見ても十歳がいいところだが、本人がそう言うならそうなのかもしれない。
そもそも俺にはビーチェの本当の年齢など知る手段がないので、自己申告を信じる他ないのだ。
永夜の王国では十二歳になれば、確かな自我を持った一人の大人として扱われる。
ビーチェが酒を飲むと決心したなら、それはビーチェ自身の大人の選択として尊重してやらねばならないだろう。
「よし、いいだろう。今日はビーチェが大人になった日として、酒を解禁する。飲め!」
「飲む」
差し出した清酒のなみなみと注がれた杯を、ビーチェは水でも飲むかのように一息に飲み干してしまった。
「いい飲みっぷりだ! お前は大人だ、ビーチェ!」
「私、大人になった?」
「うーん、どうなんだろうねー。一気飲みは良くないと思うよー。そして、ちょっとだけでもボクに分けてくれないのかな?」
すっかり気分を良くした俺は酒瓶をもう一本召喚して、ビーチェと一緒に酒を飲み交わした。
気分がいいのは何もビーチェが大人になったからだけではない。
この温泉の存在、これが意味するものは更なる利益を俺にもたらす可能性だった。
(……鉱泉が存在するということは、近くに大きな鉱床があるかもしれないな。たくさん稼ぐことが出来そうだ……)
まだ見ぬ利益の大きさに、思わずほくそ笑んでしまう。
常日頃の俺ならばこの程度で期待感を顕わになどしないのだが、今日だけは抑えが利かなかった。
「うわぁ、ボスが悪い顔してるよ~」
「クレス、もう一杯飲む?」
「おう、注いでくれるかビーチェ」
ビーチェの注ぐ清酒を呷り、俺は意味もなく笑い声を上げた。
時間の感覚も不確かになってきた頃、俺とビーチェは靄のかかった意識の下で言い争いをしていた。
「クレスー! クレスは、いつも厳しい!! 勉強しろってそればっかり! もっと、遊んで、もっと、かまって!」
顔を真っ赤にしたビーチェが、空になった酒瓶を抱えながら俺の肩に頭を乗せて叫んでいた。
どうも首が据わらないらしい。ぐらぐらと頭が揺れて、時々湯船に顔を突っ込んでいる。
「何をー? 俺はなぁ、お前が将来、独り立ちできるように考えてだなぁ……」
湯船に沈んでいるビーチェの頭を掴み上げ、俺は言い含めるように説教を垂れる。
「それで将来……あー、えーと? ビーチェは、将来は何になりたいんだっけか……?」
どうにも頭の回転が鈍くなってきた。自分が何を話していたのか、つい先ほどの会話と内容が繋がらなくなっている。
ビーチェの方はひたすら幼い子供の如く我がままを言い募っていた。
「なににもなりたくなーい! クレスといっしょなら、それでいーいー!」
「ぬぁにぃ? ばっかやろうが!! 無職のすねかじりになるつもりかぁ!? 許さん、許さんぞ!」
自分で働きもしないで他人に依存するなど許されざる人生選択である。この世は弱肉強食、生き抜く力がなければ淘汰されるだけだ。
誰かの庇護など期待してはいけない。そんなものは、きまぐれでどうにでもなってしまうのだから。
とりあえずビーチェには多才な能力がある。これからもっと術士としても伸びることだろう。
そんなビーチェが将来は無職になるなどありえない。何も目指すものがないと言うなら、無理やりにでも何か目標を与えるまでである。
「でもでも! 独り立ちなんてしたくない!」
「そういうことを言うなら、お前は俺の跡を継いで立派な粘菌術士になられば、ならねば……なれ!」
「ボス、呂律が回っていないよ……。ビーチェもそろそろお風呂から上がらない? のぼせちゃうよー」
相変わらず縛られたままのジュエルが、ビーチェを心配して声をかけた。しかし、ビーチェにはそれが俺との会話を遮るものと感じられたらしい。
「ジュエル、邪魔しないで……! 今、私の将来が懸かってる……」
「え? え? ちょっとビーチェ、ナニ召喚して……アッ、アーッ!? もががっ!?」
ジュエルは召喚された鉄血粘菌にたかられて、口を塞がれてしまった。
ぐでんぐでんのへべれけ。
視界が妙に狭くなり、辺りの光景がぐしゃぐしゃに歪んでいる。
俺もビーチェも何かを叫んでいたが、それが何なのか意味を成していたとは思えない。
そうしていつの間にか、意味があるかないかすら考えもしなくなっていた。
気が付けば俺は洞窟風呂のすぐ脇で、素っ裸のまま寝転がっていた。
ビーチェは裸のまま俺の外套に包まって、赤らんだ顔と血色の良い肩だけを出して、ふぅふぅと深い呼吸を繰り返しながら寝入っている。
ジュエルは何故か銀の蔓で縛られ、粘菌まみれになって悶絶していた。
――なんであろうか、この「やっちまった」という感じは。
(否、何もしていない。疚しいことなど一つもない、はずだ。記憶はないが……)
酷い頭痛がした。
しばらく、悪い酔いが続きそうだった。
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