第78話 伸び来たる殺意

※関連ストーリー 『樹海に潜む暗殺者』『第二の拠点』参照

――――――――――


「おはよう、クレス」

「ああ、おはようビーチェ」

「おはよう、ジュエル」

「おっはー! ビーチェ、寝癖ついているよー」

「おはよう、クリスタン」

「…………」


 日の光の差さない洞窟で朝を迎えた俺達は、拠点から洞窟最奥の掘削現場へ向かうため身支度を整えていた。

 ビーチェの朝の挨拶に適当に受け答えしながら、ふと違和感を覚えた俺は身支度する手を止めた。

「クリスタンって誰だ?」

餓骨兵がこつへいのクリスタン……」

 ビーチェが指差すのは俺が拠点の守護者として生み出した魔導人形、水晶髑髏の餓骨兵であった。

 クリスタンは朝の挨拶に反応するでもなく、直立不動で六角錐柱の水晶棍を構えていた。いつでも臨戦態勢、それが働き者クリスタンの勤務姿勢である。

「まあ、別に名前つけてもいいけどな。俺にまで強制するなよ」

「クリスタン……とってもいい名前なのに……」

 とても残念そうな表情で、ビーチェは餓骨兵の透き通った頭を撫でていた。



「あれれ? ボス、なんか変なのが生えているよ、あそこ」

 坑道の奥へ向かう道中、通りがかった地底湖を見てジュエルが呟いた。

 どうせくだらないことだろうと横目で見て通り過ぎようとした俺は、視界に入ったその異様な光景に視線を引き戻された。

(――くそ、今度はまた何が起きたんだ……?)


 地底湖の周囲の壁や天井から、細長い縄のようなものが無数に垂れ下がっていた。

 それらはほんの数日前に地底湖へ来た時にはなかったものだ。

「なんだろねー。あ、これ植物の根みたいだけど……?」

 地下から水を吸い上げるためか、なんらかの植物の根と思われるものが地底湖まで伸びてきていた。

 しかし、こんな地下深くまで根を伸ばしてくる非常識な植物など、俺の知る限り永眠火山には一種類しかない。

 ――絞殺菩提樹こうさつぼだいじゅ、深緑の魔女から貰い受けた危険植物である。


「きゃー!!」

 無警戒に近づいたジュエルが無数の蔓に絡みつかれ、縛り上げられる。

 編み込まれた太くしなやかな縄と化して、幾重にも絡み合いながらジュエルの首を括って洞窟の天井まで吊り上げてしまった。

 地下まで伸びた絞殺菩提樹の根元から、新たに生えだした蔓が獲物を求め洞窟内を這い回る。


 俺はすぐさま自衛の為に術式の準備にかかった。意識を集中して、魔導因子を藍晶石カイヤナイトの魔導回路に流し込む。

三斜藍晶刃さんしゃらんしょうじん!!』

 術式発動の楔の名キーネームを声にすれば、藍色の結晶が縦へ幾重にも折り重なるように成長し、柄を中心として上下双方向に刃を持った段平だんびらが形成される。


 円の軌跡を描いて段平を振るい、怒涛の如く迫り来る蔓を斬り飛ばす。

 予想以上に硬い手応えが伝わってきて、手首に強い負荷がかかった。

 一本、丸太のように太い蔓があった。太く編み込まれた蔓の半ばまで食い込んだところで、段平の刃が止まってしまう。

「この程度、押し切る!!」

 刃が止まった所から、力任せに押し込みながら段平を引き切る。

 瞬間的に藍色の光を発した段平は、熱と衝撃を伴った斬撃で蔓を完全に断ち切る。

 まっ平らな切断面を見れば、中心部に一際太い芯のようなものが存在し、その周りに蔓が巻きついていた。

(中心部に地下茎が混ざっているのか!? この強度、厄介な……!)


「あぐっ……!」

 くぐもった叫び声に隣を見ればビーチェが絞殺菩提樹の蔓に巻きつかれ、首を締め上げられている。

 抵抗するビーチェを無数の蔓が絡めとり、地底湖の方へと引きずり込もうとしていた。

 その光景を目の当たりにして、樹海の泉で水底に引き込まれた女の姿が脳裏にまざまざと蘇る。

「ふざけたことを!」

 吐き気にも似た怒りの感情を乗せて、俺は段平の下刃を地面へ突き立てるように振り下ろした。


 藍色の閃光が迸り、ビーチェを縛り上げていた蔓が元の方からぶつりと切断される。

「かはっ……けほ……」

 切断された蔓はなおもビーチェの首を絞り続けていたが、ビーチェは自力で蔓を引き剥がすと這い蹲りながらも俺のすぐ傍に寄ってきた。

「ビーチェ、地底湖に引きずりこまれるか、天井まで括り上げられたら終わりだと思え」

「……気をつける」

 涙目のビーチェはそれでも気丈に立ち上がり、自身の腕の魔導回路を起動させて粘菌達を召喚する。まだ召喚術は覚えたてで魔導因子の発生にも時間はかかるが、この様子ならばただ守られるだけでなく戦力として期待して良さそうだ。


『私の元へ来て、腐蝕粘菌ロットスライム!』

 誓約まで済ませた限られた数の粘菌しか召喚できないが、ビーチェは直感的に絞殺菩提樹と相性の良い粘菌を呼び寄せていた。

 賢い少女だ。植物相手に腐食能力を有する粘菌は効果的だろう。

 予想通り、蔓で縛り上げようにも粘液状の粘菌は捕らえられず、絞殺菩提樹は逆に腐蝕粘菌から纏わりつかれ徐々に外皮を食い破られている。

 蔓は粘菌を振り落とそうと暴れ狂うが、腐蝕粘菌はぴったりと貼り付いて離れない。時間はかかるが確実に痛手を与えている。


 ビーチェは自分の身を守る為にも数匹の腐蝕粘菌を周囲に配置している。

 絞殺菩提樹の蔓は粘菌を嫌がり、ビーチェに手が出せないでいるようだ。

(これならば少しの間は目を離しても大丈夫か……さて)

 俺は絞殺菩提樹への反撃方法を考えていた。

 実のところ、俺一人ならば無視してしまっても問題なかった。

 先ほどから蔓は、俺に対してだけ直接的な攻撃を躊躇する気配があったのだ。

(種子の段階で掛けた呪詛が効いているようだな。これら全てが、元は種から派生したのだから、呪詛の連鎖から逃れようはずもない)


 俺一人なら放っておいて先へ進むこともできそうだが、ビーチェやジュエルには容赦なく攻撃を仕掛けてくる。

 地上での動きと比べて攻撃性が高いのは、ここが地下で栄養が乏しく、積極的に獲物を捕らえる必要があるからだろう。

 子鬼達も呼び寄せてここで採掘作業をしようと思うのなら、絞殺菩提樹はどうにかして排除しなければいけない。


 面倒な仕事が増えてしまったことに俺は苛立ちを隠さず、足元を這っていた蔓の一本を乱暴に斬り飛ばした。

(御しきれなければ牙を剥く。こういう危険物を平然と渡してくるからあの魔女は信用ならん。深緑の魔女め……!)

 やけに力添えをしてくるかと思えば、裏ではこのように自分の支配圏を伸ばしてくる。油断も隙も見せられたものではない。やはり、他人の手など借りるべきではなかった。


「ジュエル! お前も遊んでいないで、そろそろ手伝え!」

 俺は懐から鉄礬柘榴石アルマンディンの魔導回路を取り出し、天井で吊るされていたジュエルに向けて術式を放つ。


(――削り取れ――)

二四弾塊にしだんかい!』


 地面から湧き出た無数の二十四面体結晶が勢いをつけて弾け飛び、ジュエルもろともに絞殺菩提樹の蔓を吹き飛ばす。少なくない岩石と共に、天井から生えた根も抉り出された。

「あれ~!!」

 蔓の束縛から解放され、地底湖へと落下していくジュエル。

 ほどなくして、鋼鉄の錐を両手に携えたジュエルは蔓を巻き取り粉砕しながら、ゆっくりと湖底より上がってきた。

「ふっふっふっ……どうやらボクを怒らせてしまったようだね!」

 高速回転する鋼鉄の錐が、地を走る竜巻の如く絞殺菩提樹を根こそぎ蹂躙していく。

「刈り尽くしてやる~!」


 俺とビーチェ、そしてジュエルの反撃も加わり、絞殺菩提樹の包囲網は徐々に押し戻されていった。

 しかし、地底湖周辺の根や蔓だけはいくら切ってもしつこく生え変わってきた。

「刈り取っても、すぐ生えてくるねー」

「仕方ない、奴を使うか……」

 ここでいつまでも絞殺菩提樹を刈り取っていても時間の浪費にしかならない。

「こちらへ来い……餓骨兵!!」

 こういう単純作業には魔導人形を使うのが一番だ。


 俺の呼び出しに応じて、いつもは拠点で仁王立ちしている餓骨兵が、瞬時に地底湖の前までやってくる。召喚で呼び出したわけではない。普段の微動だにしない姿からは想像も着かないほど機敏な動作で、駆けると言うよりは飛ぶようにして俺達の目の前へと参上したのだ。

 現れた餓骨兵を前に、ビーチェは何故か落胆した様子を見せる。

「クリスタン、って呼んで欲しかった……」

 実にどうでもいいことで落ち込んでいた。


「餓骨兵。お前の主、クレストフが命じる。あの植物が地底湖の半ばを越えて洞窟に侵入してきたら、潰せ」

 既に地底湖の全面を覆いつくしている絞殺菩提樹を視認して、餓骨兵は暗い眼窩に青い光を宿らせると、水晶棍を肩に担ぎ上げ飛び出した。

 ぎしり、と骨を軋ませ餓骨兵は空中で体を捻る。

 湖面に着水する寸前で餓骨兵は水晶棍を振るい、この場で最も太い絞殺菩提樹の茎に叩き付けた。水晶棍から電気火花が迸り、衝撃と電撃で大きな水柱を上げながら絞殺菩提樹の茎が爆散する。


「わぁお、やるー!」

「クリスタン、お見事……」

 思わず拍手するジュエルとビーチェの二人。俺は一人、餓骨兵の戦う様子を静かに眺めていた。

 餓骨兵には俺の身に着けた武術を再現する魔導回路が組み込まれている。その動きは確かに俺の攻撃手順として思い当たるものがあり、こうして客観的に見ると奇妙な印象を受けるものだ。


 餓骨兵は水柱の勢いに乗って洞窟の天井に貼り付くとそこから更に、地底湖の半ばまで後退した絞殺菩提樹へと追い討ちをかける。

 眼窩に灯る青い光が輝きを増して、餓骨兵の水晶で作られた全身が淡く光を帯びる。精霊機関が活性化して、先程よりも強烈な一撃が放たれた。

 青い稲光が洞窟の空気を切り裂き、一瞬遅れて轟音と衝撃波が伝わってくる。

 水煙が地底湖の姿を覆い隠し、その中でまた何度か光が瞬いた。


 戦闘は僅かな時間で終わった。

 絞殺菩提樹を地底湖の隅にまで追いやったことで、餓骨兵は任務を果たした。

 電気火花で焼かれた傷痕は、絞殺菩提樹といえどもすぐには回復できないだろう。

「餓骨兵、これからも定期的に地底湖周辺を刈るようにしろ。これからは拠点と地底湖の中間地点で防衛にあたれ」

 俺の命令を受けて、餓骨兵の眼窩で青い光が小さく揺らめく。

 木の焦げた臭いを残して、餓骨兵は拠点の方向へと引き返していった。


 遠く洞窟の闇の中に、薄ぼんやりと光る骸骨の姿だけが浮かんでいた。


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