第76話 精霊と魔導
※関連ストーリー 『便利な魔導書』参照
――――――――――
昼か夜かもわからない時間帯、俺が拠点で魔導の研究をしていると、自由時間を与えて遊ばせていたビーチェが傍に寄ってきて訊ねた。
「げんそうしゅ、って何?」
それはビーチェの素朴な疑問だった。
闇の精霊シェイドと契約を交わしてから、ビーチェも精霊という特殊な存在について思うところがあったのだろう。
間単に答えを返すなら、幻想種とは精霊や妖精、亡霊や悪魔と呼ばれる存在の総称だ。それだけで説明を終えてしまうこともできたが、俺はこれをいい機会だと考えてビーチェに幻想種とそれに深く関わる魔導の講義をしてやることにした。
「……そうだな。精霊と契約もしているのだし、最低限、彼ら幻想種の本質と魔導についての基礎くらいは知っておいた方が良いだろう」
俺は懐から召喚用の結晶を一粒取り出すと、結晶を軽く握り締めて意思を込める。
(――世界座標、『ベルヌウェレ錬金工房』、『魔導書庫』に指定完了――)
『――
術式が発動した瞬間、小さな結晶が閃き、俺の手元へ光の粒と共に一冊の本が出現する。
「ま、魔導書……?」
本に
「そう身構えるな。これはただの本だ。今日は俺が特別講義してやる」
俺は拠点の寝台に腰掛けて、隣に来るように手招きした。
ビーチェは本が魔導書でないとわかると、体を丸めて俺の膝の上に乗ってくる。隣に座るよう促したつもりなのだが、この辺の行動はまだ甘えたい子供のようだ。
膝の上に座るビーチェは相変わらず体重が軽く、尻の肉も薄い骨張った感触だ。一時期は肉付きが良くなってきたと思ったのだが、また少し痩せてしまったみたいである。
(……いまいち発育が悪いな。栄養が偏っているのか、それとも洞窟に篭っているのが悪いのか……)
少しだけビーチェの成長が気になったが、俺はすぐに思考を切り替えて魔導の講義を開始する。
「まず魔導とは、魔導因子を魔導回路へ流すことで生じる『渦』から、世の理より外れた『魔力』を導くことだ。魔導回路の構造によって流れが変われば、魔力の発現の仕方も変わる」
魔導回路については、自身の腕に刻み込んだことで実感があるのか、ビーチェは自分の腕をまじまじと観察しながら頷いていた。魔導因子についても何だかわからないが意識を集中すると出てくるもの、という認識はあるようだった。
「魔導因子の本質は、『想像から生み出される波動であり、この世ではないどこかに繋がるもの』とされている。具体的には、魔導因子の渦が異界へ通じる門となり、この世界よりエネルギー的に高次元にある異界の法則、即ち魔力をこの世に引き込む呼び水となる」
ビーチェが少し首を傾げた。エネルギーとか高次元とか異界の法則とやらが、理解しにくかったのだろう。
「呼び水は一度流れ始めたら、上流の水位が下がるか、流れを堰き止めるまで延々と流れ続ける。それ故に、僅か少量の魔導因子でも時間さえかければ多量の魔力を引き出せるということだ。実際には、魔導回路の抵抗による損失があるから、魔力の発現を持続するには魔導因子も少しずつ補給を続ける必要があるけどな」
水が高い所から低い所へ移るように、魔力もまた異界から現世へと流れ込むのだ。
「それでも、魔導因子を供給する労力に対して、発現する魔力の恩恵は極めて大きい。まだ魔導の概念が無かった太古の時代には、初めて魔導回路による魔力の発現が確認された時、投入エネルギーよりも極端に大きい出力エネルギーが得られたことから、『永久機関』などと持て囃されていたらしい」
顔を振り向かせて、目をぱちくりとさせるビーチェ。太古の話など魔導から少し脱線してしまったか。ビーチェにはもう少し、この世界の歴史についてもいずれ教えてやった方がいいのかもしれない。
「まあ実の所は、異界という大量のエネルギーを保有する場所を探り当てたに過ぎない。それも決して無尽蔵ではない。多くの術士は異界の魔力総量は人間活動程度では目減りしないと考えているが、本当のところは誰にもわからない」
これは本当にわからないのだ。学士達が日々、仮説と理論の構築に明け暮れているが、答えが出るのはまだずっと未来のことになりそうだ。
「もっとも異界の魔力枯渇を心配するより、差し迫った問題が別にある」
ビーチェが膝の上で身じろぎする。
もう話に飽きてきたのだろうか。
開いた本には目もくれず、後頭部を俺の胸にぐりぐりと擦り付けてくる。
「異界から魔力を取り出すことは、この世に異界の法則を招き入れる非常に危険な行為だ。実際に過去、あまりに大量の魔力を異界から引き込もうとした結果、『異界そのもの』がこの世に現出したことがある。その期を境に、たくさんの幻想種が世に跳梁跋扈するようになった、歴史的な事件だ」
「さて、ここからが本題だ。幻想種の話に移ろう」
俺はビーチェの顎を押さえるようにして本の方に向けると、精霊や邪妖精の絵が描かれた頁を見せる。
「精霊が幻想種の一種だということはわかるな? わからなくても、そういうものだと思え」
ビーチェは素直に頷いた。
「幻想種には他にも、邪妖精とか
人差し指をくるくると回しながら説明してやる。指の先を目で追うビーチェは、頭までぐらぐらと揺らし始めた。
「この渦からは、魔力と呼ばれるこの世には本来ない法則を持った力が引き出される。これは先ほど話をした魔導回路の原理と全く同じで、渦の形によってその幻想種に固有の性質が発揮される」
「人間の魔導と決定的に異なる点が、幻想種の場合は魔導回路なしで渦を形成できることだ。これは魔導因子の渦から発生した魔力が、その渦を維持することにも力を振り分けており、結果として回路なしでも自律して渦を保っていられるわけだ。まあ、自律稼働する魔導回路のようなものだが、人工的に精霊を造るというのは難易度が高い。不可能ではないだろうが、少なくとも俺の知り合いの術士にできる奴はいないな。研究コストも馬鹿にならん」
こっくり、こっくりとビーチェは頭を前後に揺らしている。膝の上からずり落ちそうになったビーチェを、お腹に片腕を回し支えてやった。圧迫感を覚えたのか、ビーチェの体が一瞬だけ
「まあ、詰まるところだな。精霊と契約すれば、その精霊の性質に応じた魔導を扱うことができるようになる。精霊現象ってやつでな、精霊の能力の範囲内でなら、ある程度は自由に行使できる」
俺はビーチェを膝から下ろし、寝台に横たえた。
まだ眠ってはいなかったが、瞼が半分閉じかけていて今にも眠りに落ちそうだった。
「明日にでも、精霊シェイドの力を借りた術を試してみよう。どの程度のことができるか、早い内に確認しておいた方がいいからな」
瞼を閉じながら小さく頷いて、そのままビーチェは眠りに落ちた。
「……さて、ジュエルの方はどうしているか。さぼっていないか見てくるとしよう」
俺とビーチェが拠点で勉強している時も、ジュエルは子鬼達と一緒に坑道の拡張工事に従事していた。
◇◆◇◆◇
翌日、拡張工事とは別に少し時間を取って、俺とビーチェとジュエルの三人は坑道の脇道を一本作って、そこで闇の精霊シェイドの力を確かめることにした。
「闇の精霊だからな。とりあえず、闇を生み出す精霊現象を起こしてみろ」
「どうやればいいの?」
「簡単だよー。心の中でシェイドに語りかけて、真っ暗になれー! ってお願いすればいいんだから」
魔導回路を使用した術式の発動と比べて随分と大雑把であるが、それでも術式が成立するのが精霊現象の特徴でもある。あくまで術式を行使するのは精霊なのだ。契約者はただお願いするだけである。
「やってみる……」
目を閉じて、闇の精霊シェイドへと願いを伝えるビーチェ。
不意に周囲の明かりが消失して、洞窟内を闇が満たした。
俺が持っていた日長石の明かりも真っ黒く塗り潰されて見えなくなっていた。
シェイドの起こした精霊現象だろう。かなりの広範囲に渡って闇が広がっているようで、三人ともが完全に視界を闇に遮られてしまった。
「真っ暗だー!!」
「何も見えん! ビーチェ! 今起こっている精霊現象を解除しろ!」
「……解除、どうすればいいのか、わからない」
表情は見えないが、不安げな声がすぐ隣から聞こえてくる。
「解除したいと意思を強く持てば、その通りになるはずだ!」
「考えているけど、ダメみたい」
絶望的なビーチェの声が聞こえてくる。
「ボス……これもしかして、経時解除型の精霊現象じゃない?」
ジュエルは闇の中にあって現象の本質を見破ったのか、悪くない的確な指摘をしていた。
「ビーチェ、ひょっとして時間的な制約を加えて発動したのか?」
「ちょっとの時間、辺りを暗く……って」
その命令だと、解除条件は『ちょっとの時間』で、精霊現象として発動後はビーチェの管理下から離してしまったことになる。
「そうか、なるほどな……それだと待つほかないか」
俺は仕方なく諦めて、精霊現象が自然に収まるのを待つことにした。
「ちなみに……ちょっとって、どれくらいだ?」
「ちょっとは……ちょっと」
その後、俺たちはちょっとの時間、真っ暗な洞窟の中で立ち尽くしていた。
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