第75話 幻想種の祀り

 風来の才媛が洞窟へ感染病の調査に来てから、俺とビーチェは一週間ずっと洞窟に篭っていた。

 洞窟の奥深くに居れば侵入者の人間と鉢合わせることもないので、万が一にも病気に感染する心配はない。


 この一週間、風来の才媛は約束通りに洞窟の人の出入りを監視し続けていた。

 玄関口で待ち構えて、洞窟から出て行こうとする人間には強制的に検査を受けさせたようだ。


 ついでに侵入者の捕縛をしたいと俺は言ったのだが、

「面倒は嫌だな。感染者の処分だけ君に任せるよ」

 などと言って、あの女は全く協力する素振りを見せなかった。

 それどころか面倒ごとだけ俺に押し付けようとする始末。実に腹立たしいことである。


 どうせ感染者なんて出ないだろうと高を括った俺は、洞窟の採掘現場に戻り作業を続行しようとして、ようやく何か忘れていることに気が付いた。

 それが何だったか、作業はどこまで進んでいたか思い返そうとしたところ、ビーチェが重大な事実を告げたのだ。

「ジュエルがいないの」

 ビーチェの発言を受けて、俺は初めてその事実に気が付いた。言われて見れば確かに、いつも喧しいあの精霊の姿がどこにも見当たらない。

 契約で結ばれた精霊ならば、よほど距離を離れない限り互いの存在を感知することが出来るのだが、今現在ジュエルの存在を近くに感じることは出来なかった。


「縦穴に潜ったきり、出て来ていないみたい」

「縦穴……しまった! すっかり忘れていた!」

 もはや完全に手遅れとも思えたが、俺はすぐさまジュエルが掘っていた縦穴へと向かった。

 穴の淵に手を掛けて底の様子を窺うが、真っ暗な闇があるばかりで何も見えはしない。ジュエルの声も、掘削の音も聞こえなかった。こちらから呼びかけても当然のことながら反応はなし。

「あいつ、どこまで掘り進めたんだ?」

 底が見えないのでは迂闊に飛び降りるわけにもいかない。


(――照らし出せ――)

 まずは明かりの確保が必要と判断した俺は、意識を集中して光を生み出す術式を発動した。

きらめく陽光!』

 術式発動の楔の名キーネームを合図に、握り締めた結晶が辺りの闇を強く照らし出す。


 普段から洞窟の照明としても使っている、褐色に輝く日長石ヘリオライトを縦穴へと放り込む。

 闇深い穴に落ちていく光はどこまでも遠ざかり、あっという間に小さく星粒のようになって地の底に飲み込まれた。

 遠く、微かに地面と結晶の衝突する音が聞こえてきたような気もするが、それは錯覚だったかもしれない。


「底が見えない。かなり深いな……」

「光、すごく小さい」

 一緒になってビーチェも穴を覗き込んでいる。

「ビーチェ、お前には光が見えるのか?」

「すごく、すごく小さいけど、見える」

 視力ならば俺も人並み以上に良いはずだが、地の底に落ちた光は見えない。底がないのではとさえ思ったが、ビーチェにはどうやら底に落ちた光が見えているようだ。

 魔眼の為せる業だろうか。

 とにかく底があるならばと、試しに下りてみることにした。



 ビーチェを穴の淵に立たせて、俺は向かい側に立つと術式を発動させるため静かに意識を集中した。

 胸元にある鬼蔦おにづたの葉を模した銀の首飾りに手をかけて、搾り出した魔導因子を首飾りに刻まれた魔導回路へと流し込んでいく。

(――縛り上げろ――)

『銀の呪縛!』

 銀の蔓は地面から伸びだすと、目の前にいたビーチェの全身へと絡みつく。

「…………っ!」

 ビーチェは声にならないほどに小さく呻くと、顔を赤く染めながら縛り上げられた体を捩った。

 金色の瞳が潤み、普段は変化に乏しいビーチェの顔が奇妙に歪む。


「きつかったか?」

「ううん、これくらい平気」

「きついなら、そう言え」

 俺は術式の縛りを少し緩めてやる。ビーチェの表情からは固さが消えて、体に絡みついた銀の蔓を指でなぞり感触を確かめている。

「安定はしているようだな」

 蔓に絡め取られたビーチェの体を、銀の蔓を操って持ち上げてみせる。銀の蔓が脇やら股やら自重であちこち食い込んでいるが、締め付け具合はこの程度が安定感を出すのに適当だろうと俺は判断した。


「よし、下ろすぞ。異変を感じたら大声で何か叫べ」

「うん」

「危険がなければ黙って下まで降りろ」

「わかった」

「地面に足が付いたら、銀の蔓をこの石で規則正しく七回叩け。振動を感知したら銀の呪縛を解くからな」

 銀の蔓の一端を、俺は自身の耳へと繋げていた。これで声の届かない地の底からでも、伝わってくる振動でビーチェの合図を感知することができる。

「石、持った。大丈夫」

 準備万端となったのを確認した俺は、銀の蔓をゆっくりと操作してビーチェを縦穴へと降下させていく。縦穴は俺が両腕を広げたくらいの直径はあるので、途中でつっかえる心配はないはずだ。ただ焦らず一定の速度で下ろしていけばいい。


 やがて銀の蔓に七回の規則正しい振動が伝わってくる。時間こそかかったが、ビーチェの降下作戦は問題なく成功したようだ。

 続いて、同じ要領で俺自身も穴を降下していく。

 穴の内部に入ると真っ暗で、自分の体の降下速度が把握しづらい。

(……ゆっくり降下しているつもりでも、意外と勢いがついているかもしれないな。ここは慎重に……)

 そう思って下を見ると、光り輝く日長石を手にして俺の降下を見守っているビーチェの姿が見えた。

 やはり、思っていた以上に速度をつけて降下していたようだ。


 俺は術式を制御して降下速度を緩めながら、不安そうにこちらを見上げているビーチェの前へと降り立った。

「おかえり、クレス」

「ただいま……って、何だそのやり取りは?」

 意味不明な挨拶を交わして、着地した俺にビーチェが抱きついてくる。

 大して時間は経過していないと思うが、暗い穴の底で一人待たされたのは心細かったようだ。



「ここからは斜め下に坂が続いているな……。ジュエルの奴、こんな高低差ばかりの細長い坑道を作りやがって」

「ジュエル、悪い子。お仕置きが必要?」

「お前もよくわかってきたな。あいつを見つけたら折檻だ」

 教育の賜物だろうか、ビーチェも粘菌や獣どもを操る術を覚えたことで、指導者としての鞭の振るい方というものがわかってきたようである。


「それにしても、さすがに地下へと深く掘っただけあって、地層も様変わりしたな」

 地下空洞を見つけた辺りからしばらく、空隙の多い石灰質の地層が続いていたのだが、いまや地層の質は大きく変わっていた。明かりを掲げて岩壁をよく観察すると、溶岩が時間をかけて冷え固まったときに形成される深成岩が多く含まれていることがわかった。

「ここら辺でまた、大きく一稼ぎできそうだ」

 こういった地質であれば、水晶などの結晶も大粒に成長している可能性が高い。質の高い貴石も採掘できるかもしれなかった。




 急な斜面となった坑道をビーチェと共に歩き続けて数時間、いい加減に疲れてきたところで、ふと洞窟内の空気が変化したように感じた。

「クレス……変な寒気がする」

「…………ああ、この奇妙な感じはおそらく……」

 おそらくビーチェにとって、この感覚は初めて感じるものだろう。ただ、俺はこの感覚に覚えがあった。


 不自然なほどに、空間を漂う魔導因子の密度が濃い。

 高次の知的生物が生み出すとされる魔導因子は、通常の自然界では波動としてごく希薄に空間中を漂うばかりである。

 だが、稀に吹き溜まりのように魔導因子の波動が収束する『場』が形成されることがある。無秩序に拡散するはずの魔導因子が、何らかの要因により指向性を持つのだ。


(……そして、こんな場所には必ずと言っていいほど、やつらが存在する……)

 日長石の放つ明かりが、闇の中に蠢く影を照らし出す。

 それは真っ黒な靄のような、不定形の存在だった。

 自在に形を変える様は粘菌の姿を彷彿とさせるが、この黒い靄には重量感というものがなく、どこへ向かうか迷うように不気味な動きをしながら漂っている。

「……邪妖精じゃようせいか。性質の悪い……」

 俺は軽く舌打ちをしながら、ビーチェを引き寄せ外套の内側に包み込んだ。

「意識をしっかり保てよ、ビーチェ。こいつらは自我の弱い生き物には憑依することもある。稀に人間にもな……」


 ――邪妖精。

 幻想種の中では最下級の部類だが、魔導を操り不可思議な現象を引き起こす点は一般的によく知られている精霊と大差ない。

 ただし、他の多くの精霊が初めから何かしらの指向性を持って存在するのに対して、邪妖精はその指向性が曖昧で無自覚に人へ害をなすことがある。

 不安定な存在の彼らは、形あるもの、指向性を持つものに惹かれるのだ。

 そんな有象無象の下級精霊を一括りに邪妖精と分類している、と言い換えることもできようか。

 強い自我を持つ人間に憑依することは滅多にないが、心に付け入る隙を見せたり、精神が衰弱していたりすると体を乗っ取られることもある。


 邪妖精は俺達の存在を認識したようで、複雑に靄の形状を変化させながら近づいてきた。こちらを惑わす意図でもあるのか、伸びたり縮んだり、丸くなったり突起を生やしたりと変幻自在に動く。

「気持ち悪い……」

 ビーチェは顔が青ざめ、酩酊状態にも似た様子で足をふらつかせていた。邪妖精の奇妙な動きは何らかの魔導なのか、俺も多少の不快感を覚えた。


 魔導での意識制御に長けた者や他の精霊と既に契約している者などは邪妖精からの干渉を受けにくいのだが、ビーチェはまだ術士としては初心者であるし、精霊と契約しているわけでもない。実際に自我の未発達な子供ほど邪妖精にさらわれることが多いのだ。今も明らかにビーチェが狙われている。

「ちっ……。このままでは拙いな。一旦、出直すか……」

 あるいはここいらの幻想種をまとめて一掃してしまうか――と、物騒な思考が頭を過ぎったところで、急に邪妖精達が黒い靄の体を慌しく動かし俺とビーチェの周りから離れていく。


 同時に聞こえてきたのは能天気な少女風の甘い声。

「あ~! ボス、ボス~! なんだかとっても久しぶりー。ボク、会いたかったよ、ボス~!」

 重くて固い漬物石のような精霊ジュエルが俺の懐へと飛び込んできた。

 みぞおちに頭突きを受け、腹の底から空気を押し出されて、思わず喉から変な声が出た。

「こふっ……こ、このっ! いなくなったと思えば、いきなり現われやがって……」

「んんー? ビーチェってば、どうかしたの? 顔色悪いし、風邪?」

 俺が満足に呼吸できず、叱りつけられないのをいいことに、ジュエルは当然のように合流を果たした。


「大丈夫。ジュエルが来たら、楽になった」

 本人が言うようにビーチェの顔色は急速に血色を取り戻していった。

 一応、力のある精霊ジュエルの存在が、邪妖精を退けたということなのだろう。意図したものではないだろうが、役に立ったジュエルに問答無用で折檻するわけにもいかず、俺はビーチェが完全に回復するまで待ちながら、奥に続く坑道の様子をジュエルに訊ねていた。


「ついさっきまで邪妖精がうろついていたんだが、あれはどこから湧き出したんだ? この先にもいるのか?」

「えー? あー……あの子達ねー。今まで、地中の宝石の中で眠っていたみたいだよ。ボクが掘り返したから、起きちゃったみたい。よくあることだよー、うんうん」

「お前のせいかよ」

 結局、俺はジュエルを銀の蔓で縛り上げ、粘菌責めという名の折檻を与えてやった。

「りふじんだーっ!!」

「ジュエル、悪い子……」




「ううぅ……実を言いますと、この先にもいっぱい邪妖精さんが湧き出していましてー……」

 粘菌で体中をべとべとにしたジュエルはしおらしく翅を垂らし、余罪を白状した。見た目は愛らしい少女の姿をした精霊だ。素直に反省すればビーチェと同程度には扱ってもいいのだが……。

「どうして途中で掘るのをやめなかったんだ?」

「穴があったら掘りたい! じゃなくて、掘りたいから穴を作った!」

「どうやらもう一回折檻が必要なようだな……」

「ややや! 違うよー、今の冗談だよー。なんていうか説明難しいんだけど、ノームがね? ここ掘れわんわんって……」

 俺が無言でビーチェに視線を送ると、全てわかったという表情で頷き、ビーチェの腕の魔導回路に仄かな光が灯る。


「わきゃー! 本当だよー! ほら、ノームそこにいるし! ボスが物騒な殺気を出していたから、隠れているだけだよー!」

 どうせ口から出まかせだろうと後ろを振り向くと、坑道の隅で地の精ノームが何匹か身を寄せ合い、こちらの様子を窺っていた。

 ノームを見たビーチェは判断に迷ったのか、困った顔をして魔導回路の起動を止めた。

 俺はまだノームへの冤罪説が有力と考えていたが、彼らはどういうわけか嬉々とした雰囲気で飛び跳ね、もさもさした毛の隙間から小さな腕を伸ばして、坑道の奥へと手招きしている。

(……普段とは違う動きをしているな。ジュエルの言い分はあながち嘘でもないのか?)

 俺は真実の追及を優先することにした。ジュエルの折檻は後回しに、ひとまずノームの招きに応じて坑道の奥へと歩みを進める。



 坑道を進んでいくと、浮遊する黒い靄が散発的に脇を通り抜けていく。

「さっきからどうにもおかしい。最初に遭遇した邪妖精に比べて、大人しいというのか……」

 ジュエルが傍にいるからか、あるいはノームが何か手回しでもしているのか、不思議と邪妖精達からは悪意を向けられなかった。

「クレス……変なのがいる」

 周囲の邪妖精に気を取られていた俺の袖口を引っ張って、ビーチェは遠く坑道の奥に潜む闇を指差した。

 言われた方向に日長石の明かりを向けるが、その場には何も見当たらない。

 だが、見えるはずもないというのに、確かにそこに何者かが存在しているとわかった。


 その闇の向こうに何もありはしないのに、人という生き物は恐怖心を煽られると、何かあるに違いないと錯覚してしまう。

 もし闇への恐怖が具現化したなら、それはあのような形をとるのかもしれなかった。


 闇よりもなお暗い存在は俺達を前にして、宙に浮かびながら、静かに妖しげな魔導因子の波動を放っている。

 人の頭ほどの大きさ。

 蝙蝠のような翼と丸い体を有し、縦に裂けた大きな口にはねじくれた牙がぞろりと並んでいる。


 そいつの見た目は禍々しく、心底から恐怖を引きずり出されるような感覚に陥る。

「こいつは、精霊なのか?」

「精霊様?」

「わーお、珍しいねぇ。闇の精霊シェイドだよ」

 なんてこともなさそうにジュエルは口にしたが、闇の精霊など滅多にお目にかかれるものではない。なにしろ普段は完全に闇の中に溶け込んでいて、人前にそれとわかるように存在を示すことなどないのだ。

「随分と自己主張の強い闇の精霊がいたもんだな……」

 シェイドからは敵意や悪意は感じられず、ただそこはかとない恐怖心だけ抱かせる。この感覚はまるで、ビーチェの魔眼に見つめられたときのようだった。


 魔眼の持ち主であるビーチェは、興味津々にシェイドを見つめていた。すると、俺が止める間もなくビーチェはシェイドに向かって一歩踏み出し、その存在に一瞬だけ触れた。

 シェイドはぷるる、と体を高く浮かせて震えるとビーチェの手の届かない位置で滞空した。

「……で、詰まるところ。これが何だというんだ?」

 ここまで案内してきたノームはと言えば、一仕事終えたような雰囲気でそこらへんの地面に寝転がっている。特にこれ以上の案内はないようだった。


「んー……。闇の精霊にしては、それなりに友好的な態度に見えるよな。ひょっとして、俺と契約がしたいのか?」

「ななな……!?」

 俺の適当な考察にジュエルが驚きの声を上げた。

 精霊が自分から人間の前に姿を現すのは、悪さをするつもりか、単なる好奇心か、あるいは契約を望む場合ぐらいだ。

 悪さをするつもりなら既に被害を受けているだろうし、単なる好奇心ならすぐに飽きて何処かへ消えるはずだ。だが、目の前のシェイドは逃げ去るわけでもなく、ずっとそこにいた。ならば消去法で、契約を望んでいるとしか思えないだろう。

 闇の精霊と契約できれば、様々な恩恵を得られるはずだ。俺としても悪くない話だが……。

「そんな! ボクというものがありながら! 他の精霊と契約なんて!」

 ジュエルが嫉妬した。


「別に多重契約で問題になることなどないだろう」

「なぁに言っているのボス! 浮気! 浮気だよそれ!」

「……浮気は良くないと思うの」

 どういうわけかビーチェにまでたしなめられてしまった。

 本当に、どういうわけだこれは。


「ボクというものがありながら! ボクというものがありながらー!」

「ああ! もう、わかったわかった! 仕方ない、契約は諦めるか……」

 シェイドの能力は未知数で、興味がないと言えば嘘になるだろう。だが、精霊の操る魔導、すなわち精霊現象とは人の操る術式と違ってひどく曖昧なものだ。

 常に確実性を求める俺にとっては不安要素が大きい。

(……実際に、精霊の一匹も制御しきれていないのが現状だしな……)

 言うまでもなくジュエルの話である。これ以上、精霊に振り回されるのは御免だ。精霊同士の反発が必至なら、無理して契約を増やすべきではないのかもしれない。


「もったいない気もするが……」

「うぅ~……。ボスってば、未練たらたらだ……」

 ジュエルに背中を押され、俺達は来た道を戻る。

 そういえばこの坑道も、採掘作業がしやすいように拡張しなければいけない。

 一旦、縦穴の入り口まで戻る必要がありそうだ。


 坑道を引き返し始めてすぐ、ビーチェが歩みを止めて後ろを振り返る。

「どうした? シェイドのことが気になるのか?」

「うん。だって、ついて来ているから」

「ああ!? なぜ!? しっ、しっ! ボスは渡さないぞー!」

 牽制するジュエルをよそに、シェイドはゆったりと浮遊しながら俺達の後を追ってくる。

 そしてそのまま、ふわりとビーチェの頭の上に乗っかった。


「……!?」

「ほぉ、これは……」

「あれれ、もしかして……」


 闇の精霊に頭の上へ乗られたビーチェは目を白黒させて驚いている。

「ク、クレス~……! どうすれば……」

「ビーチェのこと、気に入ったみたいだねー」

「そこまで懐いているんだ。契約を持ちかけてみるといい。きっと応えてくれるだろうよ」

 精霊との契約には、場合によって様々な方法がある。

 一番単純な方法としては口頭契約になるだろう。精霊に自身の名前を告げ、契約を交わしたい意思を表明するのだ。


「名乗りを上げて、自分がこの精霊にしてほしいと思うことを告げるんだ。精霊がそれを了承したなら契約は成立する。後は心を開いて、精霊の加護を受け入れるだけでいい」

 精霊と契約者の立場が対等であるなら、契約者側の提案を精霊が受け入れるか否かで、契約成立の可否が決まる。

 この際、条件にどういったことを定めるかが重要だ。精霊に無理を強いるなら、契約者側も相応の代償を払う必要がある。

「私がこの精霊に、してほしいこと……?」

 ビーチェはかなりの時間悩み続けていたが、シェイドはその間もビーチェの頭の上で大人しく待っていた。

 理由はわからないがよくよく気に入られたようだ。これならば、代償なしでも有利な契約を交わすことができるだろう。


「……決めた」

 ようやく条件を決めたらしいビーチェから契約内容を聞いて、問題がないか判断してやる。

 結論から言うと全く問題はなかったのだが、果たしてそれでどこまで精霊の協力が得られるかは謎だった。

「本当にそんな条件でいいのか?」

 改めて確認を取るとビーチェは力強く頷いた。本人がそれでいいのなら俺も構わなかった。


「私の名前は、『ビーチェ』」

 それが自身を示す名であると、意思を込めた言葉を発する。

「あなたには、『私が闇の中で心細い時、私の助けとなってほしい』」

 ビーチェの決めた条件は、具体性には欠けるがどのようにも意味を捉えることのできるものだった。

 精霊の気分次第ではあるが、良好な関係を築くことができれば色々な場面で協力を得られるだろう。


 契約条件は抽象的だったが、ビーチェの意思は問題なくシェイドに受け入れられた。

「あっ……」

 ビーチェが脇腹を押さえ、軽く喘ぎ声を漏らす。おもむろに服を捲り上げると、ビーチェの脇腹にはシェイドの姿をかたどった精霊の刻印が浮き上がっていた。

 この刻印は精霊と契約者を結びつける一種の魔導回路である。

 闇の精霊の加護がもたらされた瞬間だ。


 ちなみに俺は『契約の石』を別に用意して、そこにジュエルの刻印を記録している。

 高位精霊と不利な契約を結んでしまった場合にも、これならば自分の意思で破棄できるからだ。これは精霊にとって一方的に不利な契約方法であったが、俺に負い目のあったジュエルは契約を承諾した。

 ただし、この方法だと契約の石を紛失してしまう危険性は常にあるし、精霊との交信が限定的になるという欠点もある。それでも、信用ならない精霊を相手にするにはこの方法が最も安全なのだった。


 シェイドは契約が済むと、ビーチェの頭の上から彼女の影へと移動して姿を消した。その存在が消えたわけではなく、闇に紛れて姿を隠したのだろう。

「……闇の精霊か。色々と使い勝手がありそうだな」

「ぶぅーっ!! ボクの方が色々できるもん! ボスの役に立つんだから!」

 ビーチェがシェイドと契約を済ませた後も、ジュエルが抱く嫉妬の炎は消えていなかった。鬱陶しくもあるが、精霊に慕われるというのは良好な関係が築けている証拠だ。

 俺は努めて優しくジュエルの頭を撫でてやる。

「いい心がけだな、ジュエル。さて、そんなお前に新たな仕事があるわけだが……」

「え? 何々? どんなお仕事でもこのボクに任せてよ!」


 俺は努めて優しく、命令した。


「この坑道を広くてなだらかな形に作り直せ。入り口の縦穴から全てやり直しだ」

「鬼ぃーっ!! ボスなんて嫌いだーっ!!」

 これが俺とジュエルの正しい契約関係にほかならなかった。

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