第74話 惨劇の跡
永眠火山の麓にあった一つの村が、一夜にして跡形もなく燃え尽きてしまった。
感染病は完全消毒され、今朝になって警戒区域の指定を解かれていた。
家屋は柱の芯まで炭化して、白い灰となり崩れ落ちている。
村に生存者はおらず、人の営みの跡は皆無だった。
そんな廃墟とすら言えない村の跡地を歩く、一人の術士の姿があった。
薄手の生地で織られた真っ白な法衣を身に纏い、複数の円環を先端に束ねた錫杖を手にする女。
三級医療術士ミレイア。この度の第一級衛生病害の収束に貢献し、また、一つの村が消滅するきっかけを与えた者。
ミレイアは自分が連盟に報告したことで全村焼却されてしまった焼け野原を、呆然とした表情を浮かべながら、行く方向も定まらぬまま歩き回っていた。
無垢な白地の法衣は灰を被り、ミレイアの顔にも黒い煤が付着していた。
「こんな……こんなことになるなんて……」
いくら第一級の衛生病害が発生したからと言って、いきなり全村焼却に動くことは本来ならありえないことだった。
だがあの村は既に一度、感染症の流行を許しており、領主からは警戒されていたのだ。ミレイアはそれを知らずに感染症の発生を連盟に報告してしまった。
医療術士として正しい行動ではあったが、彼女の報告が焼却処分の引き金になったことは疑いようがなかった。正しいことが、必ずしも綺麗事で済むわけではないのだ。
村を一巡りして惨状を目の当たりにしたミレイアは、もはやここには何も残っていないという現実を受け入れる他なかった。
「洞窟の方は……ビーチェは無事だったのでしょうか……?」
罪悪感から逃れたいが為の行動か、せめて底なしの洞窟にいるビーチェだけでも無事を確かめたいと思い、ミレイアは無謀にも単身で底なしの洞窟へと向かうのだった。
彼女がダンジョンマスターであるかどうかなど、今のミレイアにとっては些細な問題だった。せめて誰かが救われていなければ、罪悪感で押し潰されそうだったのだ。
洞窟へ向かう途中の首吊り樹海は、いつになく静かで獣の気配が感じられなかった。
獣が樹海からいなくなったわけではあるまい。麓で起きた騒ぎに恐れをなして、身を隠しているのだろう。
猛々しい獣達さえ恐れを抱く存在が、あの小さな村を蹂躙したのだ。
(……まさか、竜を放つなんて。まさか、まさか……村人を皆殺しにするなんて……本当にそんなことをするなんて……!!)
先ほど惨状を目にしたばかりのミレイアだったが、いまだに村人が皆殺しにされた事実が信じられなかった。
王国法に則る正規の手続きの上で実行されたことだ。
魔導技術連盟の本部で聞いた話によれば、連盟で魔女とも称される一級術士が四人も出動して消毒に当たったらしい。
感染地域に近づいての任務だ。彼女らだって命がけだったはず。
(……村人を癒すこともできず、ましてや感染の拡大に対処もできなかった私に非難する権利はありませんね……)
感染病の発生を連盟に報告したミレイアはそのまま隔離施設に連れて行かれ、衣服と持ち物そして身体の徹底的な洗浄をされた後、感染の有無を調べる検査を受けた。
感染していないことが確認された後も、念の為に一週間も隔離施設で経過を観察することになった。
(……私には何もできなかった……どうすることもできなかったんです……どうか、どうか許してください……)
煙となって、言葉も届かぬ天へと昇った村人達に心中で謝りながら、ミレイアは自らに苦行を課すかのように休むことなく樹海を進んだ。
山の中腹へと辿り着いたミレイアは、奈落の底へ続くとさえ言われる底なしの洞窟を前に息を整えていた。
「ビーチェ……お願い、あなただけでも無事でいて……」
願いを胸の内に抱えて、深き洞穴へと足を踏み入れる。
だが、ミレイアの想いを阻むかのように、彼女は洞窟の入り口付近ですぐに灰色狼の群れに囲まれてしまった。
ビーチェと会ったのは複雑化した坑道のもっと奥、魔導人形の待ち受ける大空洞が存在する領域だ。あるいはもっと奥で暮らしているかもしれないのに、こんな場所で足止めをされているようでは、とてもビーチェの安否を確認することはできない。
「く……入り口に、こんなに狼がうろついているなんて……」
錫杖を振り回して牽制するも灰色狼達は侵入者のミレイアを吼えたて、先へ進もうとする彼女に対して威嚇をやめようとしない。
「あっ……!? こら、離しなさいっ」
狼達を懸命に追い払おうとしていたミレイアであったが、持っていた錫杖に噛み付かれ、とうとう牽制の為の武器を奪われてしまった。ミレイアが錫杖を手放した瞬間に周りを囲んでいた狼達が一斉に飛び掛かかる。
「ああっ……! や、やめなさいっ……」
狼は法衣の裾に四方から噛み付き、前後左右に揺さぶりミレイアを地面に引き倒そうとする。その場で踏ん張るミレイアに業を煮やした一匹の狼が、法衣の裾から覗いた彼女の足に牙を立てる。
「はう……っ!!」
そのまま勢いで引き倒されたミレイアは、髪や腕にも噛み付かれ地面の上で引きずり回される。
「やめてっ! やめてーっ!! ……くぁぅっ!?」
黙れ、と言わんばかりに狼が太股に噛み付いてくる。
(……あっ……ああっ……。……だめ、なの? もう、私……ここで何もできずに……死ぬの?)
ミレイアは無力を嘆きながら、狼達にされるがままになっていた。
髪を引っ張られて、激しく頭を揺さぶられる。段々と意識が遠のき、ミレイアの体から抵抗する力が奪われていった。
やがて気力も体力も尽き果てて、ミレイアの意識は闇へと沈んだ。
(…………体が痛い……。…………? ……でも、生きている?)
狼の群れに襲われて意識を失うに至ったミレイアであったが、周囲は既に狼の声も聞こえず静かになっていた。
薄っすらと目を開けると、自身の目を覗き込む見知った顔が視界に入ってきた。真っ赤な髪留めの帯を額に巻いた女性だった。
「イ……イリーナ……?」
「気が付いたんだね、ミレイア。具合はどうだい? 自分で回復できるかい?」
全身が酷く痛み、頭痛もあったが、意識はどうにかはっきりとしてきた。
自力で癒しの術式を発動し、体の傷を塞いでいく。
痛みが引くに連れて自分の状態を把握する余裕ができてきた。ミレイアは乱れた衣服を整えて、改めてイリーナの方に向き直った。
「あなたが助けてくれたのですか……。でも、どうして、あなたがここに? 連盟の施設で分かれたきりだったのに……」
「あたしもあの後のことが気になってね。警戒が解かれてから村の様子を見に来たんだ」
ミレイアとは別に永眠火山の麓までやってきたイリーナは、燃え落ちた村の跡地を一人でふらついているミレイアを見つけ、後を追って来たらしい。後先を考えない勢いで樹海を進み、山を登っていったミレイアに一度は距離を離され見失ったが、洞窟の手前で狼に襲われているところに追いついたらしい。
「灰色狼が相手でまだ良かったよ。もう少し洞窟に入り込んで
「そう、だったんですか……。すみません、手間をかけさせてしまいました」
「まあ、でも運がいいよ。あたしが気まぐれで村の様子を見に来ていなければ、どうなっていたか……」
「……村を……イリーナも見てきたのですね。あの惨状を……」
「ああ……。必要なこととは言え、ひどい有り様だったね。村人の死体も骨まで溶かされなくなっていたから、あそこに村があったことさえ疑わしいくらいだよ」
イリーナは苦々しい表情で、村の惨状を思い返しているようだった。
「それにしても、ミレイア。村の様子を見に来るのはまだいいとして、一人で洞窟に乗り込むとか何を考えているんだ?」
「そ、それは……どうしてもあの子……ビーチェの無事が心配になって……」
ミレイアのお人好しな言葉に、イリーナは呆れ果てた様子で天を仰いだ。
「それにしたって、仲間を連れてくるとかするだろ? ヴィクトルやレジーヌはどうしたんだい?」
「ヴィクトルは騎士協会の方で優先すべき他の任務ができてしまって……。レジーヌは連盟から圧力をかけられたので協力を得られませんでした……」
今回の感染病に関して洞窟内の後始末は、生存が確認された準一級術士クレストフによって処理されると、ミレイアはある一級術士から聞かされていた。他の術士達にも改めて通達が出され、底なしの洞窟に許可なく近づかないように言われてしまったのだ。
「連盟の通達に逆らえば除名処分になりかねません。レジーヌを巻き込むわけにはいかなかったんです」
「それで一人で洞窟に来たって? どうしてそこまであの女の子のことを……」
「どうしてでしょうね? 私の性格でしょうか……?」
自身の感情に突き動かされての行動を、ミレイアは自嘲気味に笑って見せた。その本心は自分自身でもよくわかっている。
(……私はただ、罪悪感から逃れたいだけですね。誰かが生き残ってくれているなら、村が犠牲になったことも正当化される、そんなふうに考えている……)
「一目、無事を確認できればそれでいいんです」
「まだあの子を探すつもりなんだね」
ミレイアは静かに頷いた。冷静になった今でも、やはりビーチェの無事は確認しておきたい。
「ビーチェに関して、連盟からは何の情報も得られませんでした。とにかく洞窟内のことに関しては、術士クレストフが全て処理する、としか……」
底なしの洞窟に関しては、術士クレストフが鉱山開発をしているという事実が公表されているだけで、その他のことに関しては情報規制がかけられているのだ。
関係のない他人がそれ以上のことを知る必要はない、と言われてしまえばその通りなのだが、ミレイアはどうしても納得できなかった。若くして準一級となった術士クレストフには、常に黒い噂が付き纏っていたからだ。
「それに、改めて通達を出していた一級術士『風来の才媛』。彼女は術士クレストフと懇意にしていると聞きます。その言い分では信用するのが難しいというもの……」
「確かに何かを隠しているような臭いはぷんぷんするね」
「ここの鉱山開発については、元から意図不明な点が多いようです。術士クレストフが急に大量の資金を集め始めて、何か企んでいるともっぱらの噂です。もし、ビーチェがその企みに巻き込まれているとしたら、放っては置けません」
ミレイアは力強く錫杖を握り、決意を新たにした。
「とは言ってもねー。この洞窟を進むには、やっぱ騎士がいないと無理だから」
「ですが……魔導技術連盟を通した正式な依頼任務でもないのに、協力してくれる騎士などいるでしょうか……?」
「騎士が見つからないのなら、あたしはミレイアを先へは進ませないよ。もう、それなりに知り合った仲だからね。むざむざ見殺しにするようなまねはできない」
本気でミレイアの身を心配してくれているのだろう。ミレイアの決意も固いが、それ以上にイリーナの態度には揺るぎないものがあった。
「わかりました……。ひとまずは騎士を探すことから始めましょう。奥へ進むのはそれからですね」
遠回りにはなるが、安全で確実な道を進む。ミレイアとイリーナはそう約束を交わして、ひとまず永眠火山を下りることにした。
麓の村は焼けてしまったので、少し遠くなるが近くの町へと向かうことになった。本格的に騎士を探すとなれば、さらに首都まで戻る必要があるだろう。
一刻も早く無事を確認したいのに、ビーチェの行方から遠ざかってしまうことがミレイアには歯痒かった。
◇◆◇◆◇
洞窟からミレイアとイリーナが去った時分、洞窟の中ではまた別の二人組が大空洞を前にして押し問答をしていた。
「なあ、セイリス~。もう、無理だって、諦めようぜー」
「く……まだ私は戦える……。今日こそは、あの魔導人形を撃破してみせる!」
勢い込んで剣を抜くのは女騎士セイリス。それを宥めているのは猟師エシュリーであった。
「倒してもまた復活するんだしさー。無理してやっつけて先へ進んだら、今度は引き返せなくなるだろ? どうするんだよー?」
「うぅ、そ、それは……」
「食糧だって限りがあるし、今回は一旦、戻るのが賢明だって」
「くそぅ……今回はここまでか。せめて物資の召喚ができる術士でもいてくれれば……」
騎士の回復力は尋常なものではない。しっかり栄養と休養を取りさえすれば、多少の怪我はすぐに回復して戦えるようになる。
だが、洞窟に連日篭って戦い続けていたセイリスは、もう手元の食糧が尽きかけていた。ここで術士がいれば、召喚術で食糧や水を呼び寄せることもできたのだが。
「そうは言っても術士は雇えなかったんだろ?」
「う、うむ……。私はまだ騎士になったばかりだからな。私事では、術士を雇う
「ま、今回は完全に個人的な理由での洞窟探索だしな……」
術士クレストフの捜索依頼で動いていたセイリス達であったが、つい先週に当人の無事が確認されたので、依頼は完了となってしまったのだ。
「むむむ……師匠が確かにこの洞窟にいるとわかったのに……。兵糧のせいで先へ進めないとは!」
「あたしらの戦力が足りてない、ってのもあると思うけどね」
実質、戦闘はセイリスが一人で担当しているようなものだ。エシュリーは洞窟の地形を把握して、罠や獣の気配を探る補助に徹している。戦闘時は精々が陰から弓矢で援護する程度だ。
「最初の調査で、試しに術士を雇ってみれば良かったのに。そうすりゃ顔見知りの術士ができて、後から個人契約とかで協力してもらえたかもしれないじゃないか。なんで騎士協会で術士の紹介を受けなかったんだ?」
「だ、だって……人間関係がうまくいくか不安だったから……」
「……かーっ! んなこと言ってるから、いつまで経っても術士の相棒がみつからないんだよ!」
堂々たる騎士の風格を見せるかと思えば、時折こうして箱入り娘のような臆病さを見せる。エシュリーは行動力があるんだかないんだかわからないセイリスの態度に苛立っていた。
「言い訳ばっかするなら、あたしもセイリスに協力するのやめるからな!」
「そ、そんなっ! 私を一人にするのか!?」
この世の終わりであるかのように悲愴な声をあげてエシュリーにすがりつくセイリス。
「み、見捨てないで! 私達は友達だろう?」
「……あー、もー……うざいなー……」
ぼそりと呟いたエシュリーの言葉に、セイリスはへたりと尻餅をつく。
「う……うざい? そんなに、うざったいのか、私は……」
「お、おい! こんなことで一々、傷ついているんじゃねぇよ! 友達だから! 友達だけど四六時中べったりでもないだろ!」
「そ、そうだな……。友達の関係は、こ、こんなことで崩れたりしない!」
エシュリーの友情論にどうにか気を持ち直したセイリスは、頭の方も冷えたのか剣を収めて洞窟から帰還する準備を始めた。
「そうそう、友達の忠告は素直に聞くもんだぜ……」
とても友達を見ているとは思えない冷めた視線で、エシュリーはセイリスが身支度するのを眺めて待っていた。
「だが、術士の相棒か……。一旦、首都まで戻るしかないのか……」
「首都?」
ぴくり、とエシュリーの眉が跳ね上がる。
(……セイリスの陰に隠れて首都まで出られれば、盗賊連中の網を逃れて自由になれるかもしれない……)
元々エシュリーは盗賊連中に命を狙われていたうえに、遠くへ逃げる路銀もなくて仕方なく洞窟攻略に挑むセイリスに協力していたのだ。
だが、首都まで出られればさすがに盗賊も追っては来ないだろう。もうこんな危険な洞窟や樹海に居なくてもいいのだ。
「よ、よし! それじゃあ、首都へ行こうぜ! なーに、術士の一人や二人、あたしがうまく言いくるめて仲間に引き入れてやるよ」
「ほ、本当か!? さすがエシュリーだ、助かる! 騎士に猟師、それに術士が加われば洞窟攻略も一気に進むに違いない!」
(……適当な術士を見つけたら、後はそいつに任せてあたしはとんずらするっての……)
エシュリーとセイリスは仲間にできる術士を探すため、首都を目指すことにした。
「とりあえず、近くの町で一泊してから首都へ行こう。どうせ馬車が出るのは朝方だろうしな」
「あー……、やっと柔らかい寝床で眠れるのかー」
エシュリーは心底疲れきった口調で独り言をぼやきながら、セイリスの前を歩いて帰り道の先導をした。
洞窟を出て、最寄りの町の宿で一晩を過ごすことにした二人は、そこで求めていた術士と出会うことになる。
それは騎士を求めていた術士にとっても幸運なことであり、互いに意気投合した彼らは次の日から底なしの洞窟へと挑むことになった。
ただ一人、首都へ行きそびれたエシュリーの不運だけは続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます