第71話 観客なき闘技場

 襲い来る狼の集団を退け、三級術士ミレイアの一行は連れ去られたビーチェを追って、入り組んだ坑道を走り抜けていた。

 先頭にミレイア、すぐ脇に二流騎士ヴィクトル、その後ろに冒険者イリーナ、そして――。

「ミレイア! 少し走る速さを抑えて。番号座標の設置が間に合わない。戻れなくなる」

 隊列の後方にいる四級術士レジーヌが、焦るミレイアに向かって忠告する。

 ミレイアは後ろを向いて反論しかけたが、レジーヌとの間に開いた距離を見て歯噛みした。

(……今は、一刻を争う時……仕方ありません)


「レジーヌ、イリーナ! お二人は番号座標を設置しながら後を追ってきてください! 私とヴィクトルで先行します! お互い最終番号の座標だけは手持ちにしておきましょう!」

「ちょっとぉ! ミレイア!?」

 言うが早いかミレイアは前を向いて再び全力で走り始めた。

 並走するヴィクトルが心配そうに問いかけてくる。

「いいのか? このまま進んで?」

「行きましょう。あのお二人ならきっと大丈夫です」

「心配なのはこっちなんだが……」

 腕の立つ二流騎士のヴィクトルが弱気な態度を見せたことにミレイアは違和感を覚えたが、すぐに前方へと意識を戻した。今はとにかく、さらわれたビーチェを完全に見失ってしまう前に追いつかねばならない。



「待て、この先に大きな気配が感じられるな……」

 かなり長い距離を走り続けミレイアの息もあがり始めた頃、ヴィクトルが一本道の先にある空間に何者かの気配を感じ取った。

「大きな部屋になっているようだ。まずは俺が先に入ろう」

「……はい、よろしくお願いします」

 走る速度を緩めて、ヴィクトルが盾を前に構えたまま一本道の先の空洞へと飛び込んでいく。


 空洞へ足を踏み入れた瞬間、鋭い金属音が鳴り響き、目の前にいたヴィクトルの姿が掻き消えた。

 代わりに横合いから大きな人影が現れ、ミレイアの前に立ち塞がる。

「あ……」

 鈍い銀色の金属光沢を放つ体は、身の丈にしてミレイアの三倍ほど。

 飢餓で痩せ細り朽ち果てた骸のごとく、不気味な亡者の姿形をした怪物がそこにいた。

骸骨兵スケルトンソルジャー? ……いいえ、違うようですね。これは……」

 銀色の亡者が身動きをする度、金属質の関節がぎちぎちと軋む音を鳴らす。

 洞窟内で大量に余っている鉄鉱石から創りだされたと思われる魔導人形。

鉄人形アイオンゴーレム……。亡者を模すとは、何て趣味の悪い造形……」

 鉄人形は己を構成する素材と同じ、長い鉄の棒を手に持っていた。長大な鉄棒には赤黒い錆がこびり付いている。その棒でいったい何人の人間を殴り殺してきたのだろうか。


 鉄人形は落ち窪んだ眼窩をミレイアへと向け、無造作に鉄の棒を振るった。

「――くはぅっ」

 ミレイアは構えた錫杖ごと弾き飛ばされ、開けた大空洞の地面へ不様に転がされる。身構えていたにも関わらず反応できなかった。

 この速度で鉄の重みが加わるのだから、直撃すれば即死は免れないだろう。

 地面に転がされたミレイアは必死に上半身を起こそうとした。だが、肩口に走った鋭い痛みに堪らず倒れ伏してしまう。痛みの位置からして、どうやら鎖骨が折れたようだった。

「うぐぐっ……!」

 地面でもがくミレイアに鉄人形が追い討ちをかけてくる。


(くっ……。――た、断たれるを戻せっ――)

『筋骨復元……』

 折れた骨を復元する術式を自身に試みるミレイアに鉄人形の暗い影が落ちた。

 無造作に、一切の躊躇なく振り下ろされる鉄の棒。

(――回復が、間に合わない――!?)


 甲高い金属音が大空洞に響き渡り、鉄人形の持つ鉄棒が半ばから斬り飛ばされる。

 ミレイアと鉄人形の間に割り込んだ人影が、振るわれた鉄棒を剣で断ち切ったのだ。

「ミレイア! 生きているのか!」

「私は、だ、大丈夫です! ヴィクトルあなたこそ……」

「問題ない。頭部に不意の一撃をくらって、少し意識が飛んだだけだ」

 鉄人形の一撃を頭部に受ければまず致命傷は免れないはずだが、騎士であるヴィクトルは闘気を纏って防御力を高めていたのだろう。額から少し出血があるようだが、さほどの痛手ではないらしい。

 山吹色の闘気を立ち昇らせるヴィクトルは、自然治癒力の活性化によって額の傷も見る間に塞いでいく。


「ふふっ……医療術士いらずですね」

「どうやら君も回復したようだな、安心したよ」

 立ち上がって冗談を漏らすミレイアを見て、ヴィクトルも落ち着きを取り戻していた。

 そこへ、大空洞に至る一本道から別の足音も近づいてきた。

「ミレイア! ヴィクトル! 二人とも無事だったかい!?」

「ああ! 良かったー。まだ、生きているみたい……」

 イリーナとレジーヌが追いついてきたのだ。


「お二人が来てくれました……。これで、形勢逆転です」

 鉄人形を前後から挟み、圧倒的に有利な展開となったことにミレイアが微笑む。

 しかし、ヴィクトルは渋い表情をしたまま低く呻いた。

「そうでもないようだぞ……」

 ヴィクトルがミレイアの腕を取り、鉄人形を牽制しながらイリーナ、レジーヌの元へと後退する。大空洞から一旦出て、坑道へと引っ込んだ。

「ヴィクトル、どうして――」

 誰かが呟いた疑問の声を遮って、重量感あふれる音と地面を揺らす振動が伝わってくる。


 鉄人形のすぐ後ろにもう一体、巨大な人影が姿を現した。

「他に一体、隠れていたなんて……」

 ミレイアは絶句した。ヴィクトルが逸早く坑道に引っ込む判断をしていなければ、鉄人形と睨み合っている最中に後ろから攻撃されていたに違いない。いくら大空洞の明かりが最小限で暗闇が深いと言っても、これほどの巨体を見逃してしまうとは信じられなかった。

 いや、間違いなく隠れていたのであろう。こちらの意識が鉄人形に集中したところで、突然奇襲をかけるように命令を受けているのだ。


「種類は違うようだな」

 ヴィクトルの言うように新たに現れた人影は、鉄人形とは姿形や色が異なっていた。くすんだ黄金色の光沢に、ずんぐりむっくりとした体形の亡者を模した魔導人形。

 背後でレジーヌが息を呑み、引き攣った声で呟く。

銅人形ブロンズゴーレムだ……」

 そいつは鉱山から採掘された大量の銅鉱石を原料に仕立てられた守護者だった。


 レジーヌは続けてヴィクトルに注意を促す。

「鉄人形よりも重量密度があるから、一撃の重さを侮らない方がいいかも」

「あの姿を見て誰が侮るって?」

 思わずといった様子でイリーナが口を挟む。

 注意をされた当のヴィクトルは素直にレジーヌの意見に頷き、その意味するところの危険性を正しく理解しているようだった。

 騎士の戦いは闘気にものを言わせた肉弾戦になるが、長期戦になりそうな時には少しでも消耗を抑えようと闘気の発現量を意図的に減らして戦うことがある。

 だがそれは、もし相手の攻撃力に対しての見切りを誤ってしまえば、本来の実力を出し切ることもできずに敗北する危険がありうるのだ。

 今、求められているのはまさにそういった綱渡りのような挑戦だった。


 この先に進もうとするなら、戦いは避けられそうにない。

 まずもって気合いで負けないようにと、ミレイアは二体の魔導人形を睨みつけた。

(――あ?)

 視線の先に、大きな狼と小さな少女の姿が映った。

 魔導人形のすぐ後ろにビーチェの無事な姿があったのだ。

「ビーチェ! 無事なのね……よかった。待っていて、すぐに助けてあげますから!」

「帰って……」

「え?」

 助け出そうとしている少女から返ってきた答えは冷たい拒絶だった。

 屍食狼ダイアウルフに跨り、凛とした表情でミレイアを見返してくるビーチェ。

「私の家から、出て行け!!」


『ギ、ゴォオオオオォオオ――』

 二体の魔導人形が、唸り声とも聞こえる金属の摩擦音を大空洞に轟かせ襲いかかって来る。

「どうするミレイア!? 戦うのか、退くのか!?」

 ヴィクトルが焦った様子でミレイアの意思を確認する。

 硬度では銅に勝る鉄人形、重量では鉄に勝る銅人形、この二体が同時に動き出したのだ。戦闘能力は先刻見た通り、如何に二流騎士のヴィクトルでもこの敵を倒すには骨が折れるだろう。

 だがそんなことよりも、ミレイアは目の前で起きたことに衝撃を受けていた。


 魔導人形と屍食狼の背後に庇われているビーチェの姿。

 この魔導人形達は確かに、「出て行け」と言う少女の言葉を合図に動き出していた。

「そんな……まさかあの子が……」

 ミレイアはここに至り、あの少女こそが底なしの洞窟におけるダンジョンマスターに違いないと結論を得る。

 無論、普通の少女にそんな能力があるわけもない。この娘はいったいどうやって力を得たのか。

(何故……? どうしてこんな少女が……? いえ、それよりも今は――)

 迫り来る二体の魔導人形を前にして、躊躇する時間は許されていない。


「ヴィクトル……撤退します! レジーヌ、帰還の道案内をお願いします!」

「了解した! 撤退の殿しんがりは任せてもらおう」

「帰り道、先導するよ! こっちへ!」

「ま……妥当な判断だね」

 決断してからの行動は早かった。

 レジーヌを先頭にして、四人は一列になり元来た道を引き返し始める。


 ミレイアは走りながらも、名残惜しげな視線を背後へと向けた。

(ビーチェ……きっと、何か理由があるのよね? こんな洞窟を『家』としなければならなかった理由が……)

 遠くに、狼と寄り添って並ぶ小さな少女の姿が見える。

 ビーチェと名乗った少女の特徴を、ミレイアはしっかりと記憶した。


「もう一度だけ……話をしたかったのですが……」

 ビーチェが洞窟に住み、獣や人形を操っているのは自衛の為ではないのか。

 生贄や供物の要求も、子供が生きていくのに必要な人員や物資を求めたからではないのか。

 少女は最初、ミレイアに対して素直に名前を名乗ってくれた。そこに他人を害そうとする気配は微塵もなかった。

 真実はどうなのかわからない。

 けれど、ミレイアにはどうしてもあの少女が、巷で噂されるような悪魔の所業に手を染めているとは思えなかった。


(私は……もう一度、戻ってくる……。ビーチェ、あなたの真意に触れるために……)


 ミレイア一行は底なしの洞窟を脱出し、首吊り樹海を無事に抜けて、永眠火山の麓にある小さな村へと帰還した。


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