第70話 二流騎士ヴィクトル

「本当に動いても大丈夫なのですか?」

「平気、平気、探索もまだ続けられるから」

 イリーナの体調を気遣って引き返すことも考えたが、実のところ調査が進んでいなかったこともあり、本人が問題ないと主張したことで一行は洞窟の奥へ進むことに決めていた。


 複雑に入り組んだ坑道は、道標を要所要所に設置していなければ迷い果ててしまうことだろう。

 今は四級術士のレジーヌが番号座標の設置を行っていた。

 それぞれの役割分担として、ミレイアは一行の明かりを確保している。錫杖の先端に光を宿して、仲間の進む前方の道を明るく照らしていた。


「注意して進むぞ。こういう入り組んだ道では、獣と出会い頭の遭遇をする危険がある」

 洞窟に入ってから先導役を買って出ていたイリーナに代わり、二流騎士のヴィクトルが盾を構えて先頭を進んでいた。


 小隊は騎士一人を筆頭にして、一人から数人の術士が組んで任務に当たるのが一般的な形となる。

 今回の調査に限っては、ミレイアが中心となりイリーナが先導していたが、本来であればヴィクトルがこの隊の柱となり先導すべき役回りだった。

(やはり騎士である自分が指揮を執るべきだったな……)

 今回は調査任務ということもあり勝手が違っていた。

 その僅かな不具合が先ほどの戦闘における被害として出たのだ。ヴィクトルにとっては苦い結果と言えた。


 騎士は術士に比べて希少な存在である。

 殆どの騎士が男性で、素養を持つのはごく一部の人間に限られていた。

 逆に術士は女性が圧倒的に多く、こちらは才能よりも努力が実力の大半を決める要素になっていた。

 そして才能もなく努力もしない落ちこぼれは、傭兵や冒険者、時に盗賊へ身を落して日銭を稼ぐことになるのだ。

 彼らも術士として勉学に励めばまともな職種につけるのだが、なまじ腕力があることで下手な自信を持ってしまうのだろうか。多数の男性は剣の腕一本で生きていこうとする傾向があった。

 霊剣でも手にすれば彼らの人生も変わってくるだろうが、それは騎士になるのと同じくらい確率の低い巡り合わせだ。


 騎士であるヴィクトルからすれば、闘気を出せない者が剣を振るっても大した戦力にならないと感じている。特に、イリーナのように無謀な戦い方をしている者を見ると残念でならない。

(……こんな無茶を続けていれば早死にするぞ……)

 ヴィクトルは今さっき大怪我を負ったばかりのイリーナを省みて、こっそりと溜め息を吐いた。実は先ほどの戦いも、イリーナが横から出てこなければ合成獣を背中から切り捨てて終わりだったのだ。

 腕は決して悪くないが、それは冒険者としての話。こと近接戦闘において、騎士に追随できる者など同じ騎士以外に存在しない。


 ――そう、ヴィクトルは二流騎士だ。

 近づいてくる獣の気配を感じ取ることも、常人とは比較にならない直感の鋭さでやってのける。

 イリーナが先頭を歩くよりも、ヴィクトルが先導した方が小隊としての危険への対応力は格段に増すだろう。

 また、彼ならば仮に獣に奇襲をかけられたとしても即座に対応できるという自信があった。


 だからこそ、その不意の遭遇は全く予想だにしない出来事だった。


 細心の注意を払って進んだ曲がり角、目前の闇に何者かが潜んでいた。

「――――ぅっ!?」

 即座に抜刀して切り伏せる――そのつもりで動かそうとした腕は、金縛りにあったように動かなかった。

 闇の中から、金色に輝く一対の瞳がヴィクトルを凝視している。

 その瞳と正面から視線を合わせてしまったヴィクトルは、臓腑の奥底から湧き上がる畏怖に縛られ、指の一本さえ動かせなくなっていたのだ。

(――やられた――)

 正体不明の脅威を前にしてヴィクトルは死を覚悟した。不意の遭遇に対して身体が硬直し、決定的な隙を作ってしまったのだ。


(…………?)

 死さえ覚悟したヴィクトルだったが、決定的な隙に襲いかかってくるはずの敵は、いつまで経っても攻撃を仕掛けては来なかった。目の前の金色の瞳は、じっとヴィクトルのことを眺めているだけなのだ。

 ヴィクトルはその間、必死に闘気を発現させようと試みる。そうすると、体を蝕む恐怖を徐々に押し返す感覚が得られた。

「まぁ!? あなた、いったいこんな所で何をしているのですか?」

 ヴィクトルの横から明かりを持ったミレイアが進み出て、目前の闇を照らす。

 金色の瞳は眩しさに目を閉じたのか、ヴィクトルの感じていた威圧感も唐突に消え去った。


 明かりに照らされて姿を現したのは一人の少女だった。

 あちこち跳ねて伸び放題の黒髪、その隙間から覗く金色の瞳。左目の下には特徴的な泣き黒子がある。見た目は本当にごく普通の少女だった。

 だが、危険な洞窟に少女が一人でいるというのは普通の状況とは言えない。それに何より――。

(……先ほどの背筋が凍りつくような威圧感。この娘が放ったものだったのか?)

 ヴィクトルは間違いなく、目の前の少女の金色に輝く瞳にてられたのだ。知らずヴィクトルの顎を一滴の汗が伝っていた。


「ミレイア……用心するんだ、その娘は……」

「あなた、お名前は?」

「……ビーチェ」

 ヴィクトルが注意を促す前に、ミレイアは少女の前に屈みこんで会話を始めてしまった。

 意外にも少女は素直に自分の名前を名乗った。ビーチェと名乗る少女からは先程までの威圧感も、危険な印象は何も感じ取れなくなっていた。


(……杞憂か? だが、おかしい。何か妙だ)


 目の前の少女が害を成す存在には見えない。むしろ、保護してやらねばいけないと考えるのが自然だ。

 しかしヴィクトルはどうしても、その娘に気を許すことはできそうになかった。

 ミレイアはともかく他の二人はどう感じているだろうか。

 イリーナとレジーヌ二人の表情を窺うと、やはり彼女らも不審な点を感じているのか眉根を寄せて少女のことを観察している。


「震えているの? そうね、怖かったでしょう……こんな洞窟に一人で」

 ミレイアが少女、ビーチェの頭を優しく撫でると、びくりと体を震わせて一歩後ろへ下がってしまった。

 ビーチェから警戒されたことに、ミレイアは少し傷ついた様子だった。それでも粘り強くビーチェとの距離を縮めようと積極的に話しかける。

「でも大丈夫。私達と一緒に洞窟を出ましょう。そうしたら、あなたのお家まで連れて行ってあげる」

 ミレイアの言葉に両目を見開き、ビーチェは大きく後ずさる。

「い、いや……」

 ふるふると頭を左右に振り、か細い声で拒絶の意思を示す。


「あら、どうしてですか? 家に戻りたいでしょう? あなたの住んでいた村はどこですか? それとも町かしら?」

 ビーチェの反応に困惑するミレイア。この少女が何故、いったい何を嫌がっているのかわからない。手を差し伸べれば、その分の距離だけ離れてしまう。

「怖い目にでもあったの? 大丈夫よビーチェ、私達はあなたに危害を加えたりしない。だから、一緒に――」

「いやーっ!!」

 癇癪を起こしたように少女が叫ぶと、一斉に辺りの闇が蠢きだした。


「ミレイア! 下がれ!」

 即座にミレイアを後ろへ引き戻すと、謎の少女ビーチェの前に数匹の獣が現れた。

 闇と同化するような黒い毛並みの獣、洞窟狼である。

(すぐ近く、闇の中に潜んでいたのか!? 気配すら感じさせずに……!)

 さらに、坑道の奥から一体だけ明らかに大きさの異なる巨大な狼、屍食狼ダイアウルフが悠然と姿を現した。

「で、でかい!?」

「これやばいかも……」

 思わずイリーナが驚嘆の声を上げ、レジーヌは顔面を蒼白にしている。

 知性を感じさせる屍食狼の額には、燦然さんぜんと大きな水晶が輝いていた。


「危険よ! ビーチェ、早くこっちへ来て!」

 ミレイアが叫んで呼び戻そうとするが、むしろビーチェはじりじりと後ろへ下がっている。

 一方で、狼達はこちらを牽制するように、ごくゆっくりとした足取りで間合いを詰めてきていた。

(……これはまるで、狼達があの娘を守っているかのようだ)

 根拠などなく、およそ考えにくいことであったが、ヴィクトルは直感的に娘と狼の間に強い繋がりがあると察した。そしてその直感は、あながち的外れでもなかった。

「帰って!!」

 ビーチェが大声で怒鳴ると、それを合図に屍食狼が少女の腰を咥えて、坑道の奥へと連れ去ってしまう。


「ああ、なんてこと! 待ちなさい! その子を放しなさい!!」

「ミレイアよせ! 下がるんだ!」

 少女を追おうとミレイアが一歩を踏み出すと、その場に残っていた洞窟狼達が牙を剥いて唸り出す。

 イリーナが前へ出て剣を構え、レジーヌも後方からいつでも援護できるよう準備する。

 ヴィクトルもミレイアが前へ出ないよう、体を壁にして洞窟狼と相対した。

 ビーチェと屍食狼の姿が完全に闇の奥に消えた後、ついに洞窟狼がヴィクトル達へと襲いかかってきた。


「あの子を……追わなくては……」

 震える手で錫杖を構え、ミレイアもまた戦闘態勢を取っていた。

 だが一方でヴィクトルは、少女の消えた闇の奥に底知れない不安と恐怖を感じていた。


(……嫌な予感がする。あの娘には関わってはいけない、そんな気が……)


 ヴィクトルは言い知れぬ不安を抱きながら、洞窟狼との戦闘を開始した。

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