第69話 医療術士ミレイア

※関連ストーリー 『冒険者イリーナ』参照

――――――――――


 永眠火山の中腹へ向かい、草木の茂る樹海を四人の男女が歩いていた。


 先頭を行くのは中背で肉付きの良い女。

 体型に合わせて加工された金属製の胸当てを身に付け、厚い獣の革で縫われたレギンスをはいている。

 背中には飾り気のない鋼の長剣を背負い、真っ赤な髪留めの帯を額に巻いていた。


 他の三人を先導する冒険者風の女へ、すぐ後ろにいた別の女が声をかけた。

 薄手の生地で織られた真っ白な法衣を身に纏い、複数の円環を先端に束ねた錫杖を手にしている。

「イリーナさん、本日は調査にご協力くださり、ありがとうございます」

「ああ、そんなに畏まらなくていいって、ミレイア。依頼料も貰っているし、仕事としてきっちり料金分は働くから」

「いいえ、それでも本当に助かりました。最近、有名な傭兵団が全滅したこともあって、洞窟の道案内を引き受けてくれる方がいなくなり困っていたのですから」

 白い法衣姿のミレイアは丁寧な物腰で礼を述べ、冒険者イリーナに向けて軽く笑顔を見せた。対してイリーナは、どこかぎこちない様子で笑い返していた。


「全滅した傭兵団、実はあたしも知った顔の連中でね。そう簡単にくたばる奴らじゃないはずなんだけど……」

「そうだったのですか、お知り合いが……」

 イリーナの言葉にミレイアは表情を曇らせた。

 会話の途切れた二人の間に、後ろから来たもう二人が気を利かせて話に加わってくる。

「底なしの洞窟……それだけ危険な場所ということか……」

「騎士が一人と三級医療術士のミレイアもいるし、よほどのことがない限りは大丈夫だと思うけど?」

 メンバーの中でただ一人、重厚な鎧に身を固めた男がいた。実力のほどは隙のない動きから窺い知れるというもの。

 残る一人は明らかに術士の格好をした黒い外套姿の女だ。等級はミレイアより一つ下、四級術士である。


「油断はできません。なにしろ、準一級術士がこの洞窟で消息不明になったという話です。きっと何かあるのでしょう、この洞窟には」

「確かにね……。ここの洞窟では、あたしも一度かなりやばい経験したよ」

「そんなに危険なのか? 具体的にどんな危機に陥った? 詳しく話を聞かせてくれ」

「わたしも知りたい。イリーナってそれなりに腕のいい冒険者でしょ? それがやばいって、どんだけ?」

 問われて返答に窮するイリーナ。思い返せばあまり人に言えるような内容ではない。巨群粘菌に襲われたあの時、身に着けていた黒革のレギンスを駄目にしてしまったのだ。

 その後、下半身を丸出しのまま山を下りたなど恥ずかしくて言えたものではない。

 ……ちなみに今は、似たような獣の革で作られたレギンスを新調している。以前よりも丈夫な素材なので、安心感は増していた。


 返答に困り、黙り込んでしまったイリーナを見て、他の三人は何となく聞いてはいけない事だったのかと察した。

「言葉にできないほど恐ろしい体験をしたのですね……いえ、言わなくてもわかります」

「ううむ、これはますます油断できないな」

「うへー、マジかー。わたし生きて帰れるかなー」


 それぞれに不安を抱きながらも、彼らは自分達が危機に陥るとは欠片も思っていなかった。

 腕利きの冒険者に加え、安定の強さを誇る二流騎士、怪我をしたときも心強い三級医療術士、探索業務の経験が豊富な四級術士、と頼れる仲間達が揃っている。

 底なしの洞窟がどれほど恐ろしいダンジョンでも、力を合わせれば攻略できると信じていた。


 ◇◆◇◆◇


 医療術士ミレイアは慈悲と義憤の強い心を持った真面目な術士であった。

 底なしの洞窟の調査を引き受けたのも、ひとえに真相の究明が理由だった。

(……噂が本当なら、見逃すことはできないもの……)

 曰く、洞窟に棲みついた悪魔が生贄と供物を要求して、近隣の村人達を苦しめている。

 曰く、永眠火山を巨大な天然要塞と化して、奥地では人道的に許されざる研究が行われている。

 例を挙げれば幾らでも悪い噂が耳に入ってくる。その内の一つでも真実ならば、ミレイアにとっては許し難い事だった。そこに準一級術士という責任ある立場の術士が関わってくれば尚更である。

(……行方不明になったというのも怪しいものです。よからぬことを企んで雲隠れした可能性も……)

 昨今の魔導技術連盟は腐敗の一途を辿っている。賄賂の受け渡しが平然と行われ、皆が権力を握ろうと権謀術数の醜い争いを繰り広げているのだ。


(……聞けば彼の術士は、準一級権限を乱用して私腹を肥やしているとか……)

 ちなみに術士に与えられた権限は、公共の益に反しない範囲内であれば個人的な理由で活用することに問題はない。それらは一種の資格であり、権利なのだから、使わない方がおかしいのだ。

 だが、あからさまに金儲けなどに権利を行使している術士に対して、良い顔をしない潔癖な術士もたまにいる。ミレイアはその典型であり、力のある術士は個人の私腹を肥やすより、もっと社会に貢献すべきであると考えていた。


(とにかくこの目で確かめないことには何も言えないわ)

 ミレイアも単純に噂話を鵜呑みにするほど愚かではない。

 むしろ、醜聞を広めているのは彼の術士を陥れようとする者達の工作ということも予想できた。それならばそれで、自分が噂の真相を確かめて誹謗中傷をやめさせるまでだ。

 正当に評価されるべき人間が不当に貶められるのは、それこそ社会にとっての損失である。

「では、皆さん行きましょうか。イリーナさん、案内をお願いします」

「ほいきた。じゃ、あたしが先頭を行くけど周囲への警戒を頼むよ」

 二流騎士の男ヴィクトルと、四級術士の女レジーヌが揃って頷いた。

 こうしてついに、魔導技術連盟の術士による底なしの洞窟の本格的な調査が始まるのだった。



 洞窟に踏み込んで間もなく、イリーナは坑道の分岐点で立ち止まり、苦い表情をして呟いた。

「やっぱりだ……。まずいなこれ」

「どうかしましたか? 何か不都合でも?」

「ああ、前に来たときと比べて、洞窟内が複雑になっているんだ。悪いけどあたしの記憶を頼りに進むのは危険だ。ここから先は、位置を逐一確認しながらでないと進めない」

 おそらく洞窟に盗掘目的で侵入した者達が、主要な坑道とは別に穴を掘ってしまったのだろう。好き勝手に掘り返したのか、坑道はあちこち複雑に枝分かれしていた。


「そういうことなら、わたしの出番かな」

 四級術士レジーヌは、外套の下から生白く細い腕を突き出すと、意識を集中し始めた。レジーヌの腕が淡く輝き、刻まれた魔導回路が浮かび上がる。

『迷宮の道標みちしるべ、ここへ!』

 光の粒が舞い、何もない空中からばらばらと先の尖った鉄の棒切れが出現した。ミレイアが棒切れを拾って見ると、表面にはごく簡単な魔導回路が刻まれていた。

 ある一定以上の複雑性を持った魔導回路は、術式を撹乱してしまうため召喚術で呼び寄せることはできない。この棒切れは、召喚術で呼び寄せることが可能なぎりぎりの大きさなのだろう。


「それ、簡易的な番号座標が刻まれているから、適当な間隔で設置しておけば帰り道で迷うこともないよ」

 番号座標の刻まれた数十本の鉄の棒切れを、番号の順序を確認しながら全員に分配した。

「ミレイアには、これの位置座標を確認するための楔の名キーネームを教えておくね。他の二人は、わたしかミレイア、必ずどちらかと一緒にいること。もしもはぐれたら探しにいけないかも」

 設置された番号座標の位置を確認できるのは、術式を組むときに指定した楔の名を知る術士だけだ。楔の名を心の中で思い浮かべながら、魔導因子の波動を拡散させれば番号座標が信号を返してくれる。

 五級以上の術士ともなれば、座標特定の術式は基本的な技能として備えているものだ。当然、三級術士であるミレイアも番号座標の設置と位置確認の術式は扱うことができる。


「はー……、術士ってのはやっぱ便利なもんだね」

「連盟に登録してきちんとした魔導の教育機関に通えば、術式は誰にでも修得できますよ」

「ははは、その誰にでもできるって言う『お勉強』が、あたしは苦手でね。まー、そういう落ちこぼれた連中が冒険者や傭兵なんてやってるわけ。あたしらには逆立ちしたってできないよ」

「そうでしょうか……。術士になった方が収入も安定しますし、連盟に入ることをイリーナさんにもお勧めしたいのですけど……」

 イリーナに距離を置かれた感じがして、ミレイアは寂しげに溜め息を吐いた。

 きちんと努力すれば、安定した職に就くこともできるのだ。どうして多くの人が、冒険者や傭兵といったその日暮らしの生き方を選んでしまうのか、ミレイアにはよくわからなかった。


「世間話はそこまでにしてくれ。何かが、近づいてきている」

 二流騎士ヴィクトルが腰に帯びた剣を迷いなく抜き放ち、左腕に固定された盾を上半身の前に持ってきて身構えた。

 警戒の度合いからして、すぐそこまで何者かが近づいて来ているようだった。

 イリーナも剣を抜いて構え、ミレイアとレジーヌは後方に下がる。

「来るぞっ!」

 闇に沈んだ坑道の奥から、地を蹴る音が聞こえてくる。ぬぅっ、と闇から突き出た首は生理的な嫌悪感を抱かせる爬虫類の頭、放浪大蜥蜴メガラニアであった。しかし、その体は青い毛並みをした獅子のもの。前脚は太い大猿系の腕に置き換えられている。


「むうっ、奇怪な化け物め!」

「うわっ! 何だ、こいつ!」

「蜥蜴……じゃなくて、獅子!? でもあの腕はいったい――」

 突如として目の前に現れた異形にヴィクトルとイリーナは驚愕の声を上げる。レジーヌもどう対処すべきか迷い、困惑している。

合成獣キメラです!! 皆さん、相手の動きに注意してください! 下半身は獅子、飛び掛ってきますよ!」

 いち早く敵の正体を看破したミレイアは、冷静に注意を促す。

 だが、ミレイアの内心は荒れ狂っていた。

(……何て醜悪。常軌を逸しているわ。命をもてあそんでいるとしか思えない……!)


 生命の設計図をめちゃくちゃに組み合わせた合成獣。明らかに人間に害を成す為だけに創られた生命――。

 こんなものを作り出した人物は、きっと命を玩具のように軽んじているに違いない。

 あるいは狂気的な探究心の果てに生まれた産物なのか。どちらにせよ、常識に則って考えれば看過できるものではなかった。

(もし、この合成獣を創り出したのが鉱山の管理者、準一級術士クレストフだとするなら……、これは糾弾すべき事実だわ)


 そもそもミレイアは準一級術士の失踪に不可解な思いを抱いているのだ。

 彼はここで、本当は世に公表できないような非合法な研究をしているのではないか、そうミレイアは疑っていた。

(悪魔だか魔人だかが住み着いたなんて、無責任な噂よ。ここにはもっと、人為的な悪意を感じる……。それも、恐ろしいほど冷酷な悪意を……)

 底なしの洞窟に渦巻く悪意が、得体の知れない狂気に染まっていることにミレイアは恐れを抱いた。あまりに惨いこの所業が、人間の仕業とは認めたくなかった。

(人間というのは……ここまで心が汚れるものなのですか……?)

 目の前の醜悪な生き物には、憐れみと同情を禁じえなかった。


「キシャアァアアア――!!」

 合成獣が咆哮を上げ、太くて長い腕を振り回しながら、獅子の後ろ足で地を蹴り飛びかかってくる。

 ヴィクトルは合成獣が振り回す腕を、後ろに下がりながら回避した。

『吹けよ旋風!』

 レジーヌが術式で旋風を起こすと、合成獣はたたらを踏んで体を傾けた。

 敵が体勢を崩して地面に転がったところへヴィクトルが踏み込み、すかさず山吹色の闘気が乗った剣の一撃を見舞う。

 手首を返し、右斜め下から繰り出した剣は合成獣の片腕を斬り飛ばした。


 合成獣は怨嗟の咆哮を轟かせ、地面を滑るように這い進みながらヴィクトルの横をすり抜けて、後方にいたレジーヌ目掛け牙を剥く。

「ひっ……!?」

 レジーヌの喉に噛みつかんと体を起こした合成獣に、横手から走り寄ったイリーナが全体重を乗せた突きをくらわせる。鋼の剣は合成獣の脇腹に深く食い込み、突進の勢いのまま壁へと縫い付けた。

「キシャァッ!!」

「くぅあっ!?」

 壁に縫い付けられた状態から、合成獣は放浪大蜥蜴メガラニアの首を伸ばし、イリーナの肩へと牙を立てた。肩と言っても大蜥蜴の巨大な顎だ。その牙は半ば砕けながらも、金属製の胸当てを貫いて胸と背中の肩甲骨にまで渡って広く突き刺さっていた。


「おのれぇ!!」

 ヴィクトルが両手で剣を握り締め、放浪大蜥蜴の首に渾身の力を込めて振り下ろす。

 山吹色の斬光が走り、合成獣の首と体が断ち切られた。

 合成獣の体が力を失って崩れ落ちると、イリーナもまた肩に放浪大蜥蜴の首を噛み付かせたまま膝を着いた。

「イリーナ!? イリーナ!!」

 レジーヌがイリーナに駆け寄り声をかけるが、イリーナは痛みに顔を歪めるばかりで返事をする余力もない様子だった。傷口からは大量の血液が流れ出している。


「いけない! このままだと急性失血で死んでしまう! レジーヌ、イリーナの体を支えてあげてください! ヴィクトルは辺りの警戒をお願いします!」

 戦闘ではろくに動けなかったミレイアであるが、こと救命活動においては彼女の専門である。迅速に指示を出しながら、合成獣の牙をゆっくりと外し、続いて胸当てと肌着を脱がせてイリーナの傷の具合を確かめる。

「大丈夫……傷も肺にまでは達していない。これなら……」

 徐々に顔色が青ざめていくイリーナを前に、ミレイアは治療のための術式に意識を集中した。ミレイアの全身から淡い光が放たれ、全身に刻み込まれた魔導回路が活性状態を示す。


(――流れ出るをとどめよ――)

『血漿凝固!!』

 イリーナの傷口の血が急速に固まり、流血が停止した。

 ミレイアは続けて別の術式を発動させる。


(――破れるを塞げ――)

『皮肉再生!!』

 イリーナの傷口が盛り上がり、かさぶたを押し出しながら傷ついた肉と皮膚が再生する。


 イリーナの身体には新しい皮膚が白い痕として残ったが、肌の表面は滑らかで傷の凹凸は残らなかった。医療術士ミレイアの技能であれば瞬時にここまでの回復が可能なのだ。失った血液までは戻らないが、処置が早かったので全く問題はないだろう。

「あつつぅ……うん? おや、もう痛くないね」

 いつの間にか表情の和らいだイリーナが、自分の傷の具合を確かめて首を傾げている。

「具合はどうですか、イリーナ?」

「へぇ、本当に術士には驚かされるなぁ……。多少、突っ張る感じもあるけど、痛みは全くないよ」

 イリーナは不思議そうに、白い歯型の痕跡を残した自身の乳房を揉みながら、腕をぐるぐると回して肩周りの動きまで確認していた。


「良かった……。あ、その傷痕も、しばらくすれば目立たなくなると思いますから」

「あはは、傷さえ塞がってくれればそれで十分だよ。あたしの身体なんか、見せる相手がいるわけでもなし」

「そ、それはその……そういう意味で言ったのではなくてですね……えっと……」

 豪放に笑うイリーナに対して、ミレイアは余計な想像をしてしまい顔を赤らめた。

 そんな時、周囲の警戒をしていたヴィクトルが背を向けたまま声を掛けてきた。


「無事なようで何よりだが……そろそろ振り返ってもいいだろうか? もう、服は――」

『まだ、駄目!』

 レジーヌとミレイアの二人から即座に注意され、肩を竦めるヴィクトル。

 イリーナは笑いながら代えの肌着を着直していた。

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