第66話 猟師エシュリー

※関連ストーリー 『盗賊エシュリー』参照

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 永眠火山の首吊り樹海を、みすぼらしい格好をした一人の少女が裸足でさまよっていた。

 大き目の布を頭から被り、植物の蔓で要所を結び、木製の弓矢を背負っている。

 彼女は盗賊エシュリー。


 エシュリーは困窮していた。

 お金は銅貨一枚すらなく、着る物は粗末で、武器も手作りの木の弓矢と貧弱。

 川の小魚と森の果物で飢えをしのいでいたが、さして川漁が得意でもないエシュリーは腹を満たすほどの量を獲ることができなかった。

 狩猟もここ最近は失敗続きで、しばらく獣の肉は口にしていない。

 盗賊としてはそこそこ器用だった彼女も、狩人としてはあまりに未熟であったのだ。


 狙った獲物の剛槍鹿には逆に追い回され、子鬼の群れや大鬼に見つからないよう隠れ潜み、夜は狼の遠吠えに怯えながら過ごしていた。

 エシュリーが山で生活を始めて間もない頃に比べれば森の恵みは豊かになりつつあったが、油断すれば首を吊り上げようとする危険な蔓植物があちこちに生育していたり、綺麗な泉で喉を潤そうとしたら水棲粘菌に襲われそうになったりしたこともある。


 ここまで窮乏状態にありながら、彼女が山を下りないのには理由があった。


 今では底なしの洞窟と名高いダンジョン、山の中腹にある貴石の採掘現場に侵入したのが運の尽きだった。

 洞窟で山ほどの貴石を発見して浮かれていたら、貴石を盗んで逃げる途中、この山の管理者らしき術士にあっさり捕まってしまったのだ。

 そして、エシュリーは裸に剥かれて、悲惨極まりない恥辱の責めを受けた。

 更に怪しげな術で裸のまま水晶に閉じ込められ、洞窟の入り口に長期間、放置されてしまったのだ。


 後から知ったのだが、相当な数の見物人が来ていたらしく、エシュリーの顔も身体も近隣にいる人間の記憶にしっかりと刻まれてしまっていた。

 その中にはたぶん、少なからず知り合いもいたことだろう。

 一度、こっそりと麓の町に戻ってみれば、どこの馬鹿の仕業であろうか、『水晶の乙女』などと銘打ったエシュリーそっくりのガラス細工が土産品として売られていたのだ。

 恥ずかしくてとても顔を晒して歩けなかった。


 問題はそれだけではない。洞窟で山賊や盗賊団が幾つか壊滅したことについて、エシュリーがわざと無謀な手引きをしていたことが、その筋の情報屋に流されていたようなのだ。

 恥を忍んで最も信頼のある情報屋に確認したので間違いない。

 その情報屋もエシュリーが金を持っていないと知るや、幾つかの盗賊団に彼女の情報を売ってしまった。

 裏の世界で同業者から恨みを買ったばかりか、底なしの洞窟について詳しい情報を知っていると目をつけられたエシュリーは、完全に追われる身となっていた。


 すぐに遠くへ旅立とうと考えたが、服も靴もお金も護身用の武器も何もかも剥ぎ取られていたエシュリーには、一つ隣の町や村へ行くにも路銀や装備の点で無理があった。

 どこか盗みに入ろうともしたのだが、前回の失敗が恐怖として心身に刻み込まれているのか、どうしても盗みを実行できないまま渋々と山中へ戻ることになってしまった。

 町中では、ボロ布に身を包み、顔を隠したエシュリーの格好は目立ちすぎた。

 そのまま留まれば、すぐさまどこぞの盗賊団に捕まってしまうだろう。


 捕まった場合の末路は容易に想像ができた。

 底なしの洞窟について情報を吐かされた後は、男どもの欲望の捌け口にされた上で殺される。

 盗賊団に同業者での協力関係というものはなかったが、明らかな裏切り行為をした者はどこの盗賊団からも睨まれて、必ず死の制裁を受けることになっているのだ。


 八方塞がりの状況に陥ったエシュリーは山中で隠れ続けるしかない。

 洞窟侵入の罰として命こそ取られなかったものの、これでは社会的に抹殺されたも同然であった。


(ちくしょう……なんで、あたしがこんな目にあわなくちゃならないんだ……)

 自業自得、ということはわかっていた。

 それでも自分が理不尽な境遇にあると嘆かずにはいられなかった。

 背の高い木に登って、木の実を齧りながら惨めさに身を震わせていたエシュリーは、やがて心身ともに疲れきって太い枝の上でうたた寝を始めていた。



 空腹に耐えかねてエシュリーが目を覚ましたとき、彼女の周囲の環境は一変していた。

 エシュリーの跨る枝の下に、大勢の子鬼がうろついていた。

 ついでに、最近になって急に数を増やし始めた大鬼も一匹いた。

「ひぃっ!?」

 エシュリーは思わず驚いて声を上げてしまった。

 すぐに、子鬼と大鬼はエシュリーの存在に気が付き、ギャアギャアと騒ぎ始める。

 大鬼は木の幹を掴んで大きく揺らし、エシュリーを揺すり落とそうとする。

「ぎゃあっ!! や、やめろ! あたしを落とす気か!?」

 言うまでもなくその通りであった。


 子鬼と大鬼は、獰猛な笑い声を上げながら木を揺すり続ける。

 エシュリーは必死に枝へしがみつくが、均衡を崩して枝から滑り落ち、大鬼の目の前で尻餅をついてしまった。

「あわわっ……! あ、あたしなんか食ってもうまくないぞ!」

「グゥウ……」

「グゲ!」「グゲッ!」「グゲェ!」

 大鬼は喚き散らすエシュリーの足を掴んで宙吊りにする。

 子鬼は早くおこぼれに預かりたいのか、周囲で煽り立てていた。

「うわーっ!! 誰か、助けてくれよー!!」

 エシュリーの心からの叫びが森に響き渡った。


 目前まで迫った大鬼の顔が、ぐるん、と回転して空高く跳ね上がる。


「は?」『ガギ?』

 間の抜けた声を出すエシュリーと子鬼達。

 大鬼の腕からは力が抜けて、エシュリーは地面に落とされる。

 慌てて体を起こして大鬼を見ると、赤い飛沫が大鬼の体から噴き出していた。

 体から切り離された大鬼の頭部がエシュリーの傍に落下してくる。

「ひぃいいっ!?」『ギゲゴー!!』

 小さく悲鳴を上げるエシュリー。子鬼達は大きな叫びを上げて一斉に逃げだした。


 地響きを立てて倒れた大鬼の後ろには、一人の女が立っていた。

 真っ白に塗装された鎧が神々しく輝き、全身からは群青色をした光の帯が立ち昇っている。

(め、女神……。いや、騎士だ、この人……!)

 エシュリーは始めて見たが、立ち昇る光が騎士の発する闘気だと本能で理解した。

 携えた長剣も群青の光に覆われていて、大鬼の首を切った後だと言うのに血糊は一滴も付着していなかった。


「無事か?」

 子鬼が逃げ出して一匹もいなくなると、女騎士は闘気を収めてエシュリーに話しかけてきた。

「たっ、助かったよ! 本当に殺されるところで……」

「確かに危なかった。君は見たところ猟師のようだが、まだ若いし経験がないように見える。この辺で活動するのは危険だ」

 いきなり痛いところを突かれてエシュリーは返答に窮した。だが、少なくとも山賊や盗賊の類でなく猟師に見えているのなら、その誤解を利用させてもらうに限る。

「あたし、身寄りがなくて……。遠くに行く路銀もないし、生きていくにはこの森で狩りをするしかないから……」

 薄幸少女を演じてみれば、女騎士は哀れむような視線を向けてきた。見事に同情は誘えたようだ。


「そうか、苦労しているんだな……。うん、ここで会ったのも何かの縁だ。どうだろう、しばらく私と行動を共にしないか? 私もしばらく山篭りをする予定なんだ。その間に大きな獲物を何匹か狩れば、もう少しましな地域に移るだけの路銀も稼げるだろう」

「えっ、いいの?」

「ああ。その代わり、ここ最近の山の様子を教えて欲しい。久しぶりに来たんだが、随分と様変わりしていて戸惑っていたんだ」

「ははっ、うん、そうだろうな。山の環境もここ最近になって急変したから。よし、このあたしエシュリーが山を案内してやるよ!」

「よろしく頼む。私はセイリス。まだ騎士になりたての三流ではあるが、剣はそこそこ使えると自負している」

 大鬼の首を一撃で切り落としておいて三流というのは謙遜も度が過ぎるように思えたが、騎士としてはそんなものなのだろうか。

 いずれにせよ本物の騎士が一緒ならば、この樹海の猛獣共も怖くない。うまく狩りを成功させて、毛皮などを売り捌けばどうにか路銀を稼げるかもしれなかった。


 だが、エシュリーの淡い希望はセイリスの次の言葉で絶望へと変わった。

「早速で悪いんだがエシュリー、底なしの洞窟まで案内してもらえないか? 樹海に阻まれて、道がわからないんだ」

「え……? な、なんでまた、そんな危険な洞窟へ?」

 聞き返すまでもなかった。

 騎士がわざわざこんな場所へ来る理由など一つに決まっている。

 永眠火山にある底なしの洞窟は、いまや有名なダンジョンなのだ。一攫千金、腕試しにと訪れる武芸者は数多い。

「大丈夫、心配するな。私と一緒なら平気だ。無理に洞窟の奥まで潜ろうというわけじゃないし、ちょっとした人探しだ」


 そう簡単に言われてしまうとエシュリーとしても断りにくい。一度捕まってからは近づいていなかったが、一部の冒険者が洞窟から宝石を採掘してくる姿を見ては羨ましく思っていたのだ。

 騎士を味方につけるなど滅多にない機会、逃す手はなかった。

「ま、まあ、そういうことなら、一緒に行ってもいいかなー……なーんて」

「おお! 助かる! ところで猟師ということだったが、洞窟の罠などにも詳しいのだろうか?」

「え、ま、まあな~! 危険な罠を察知するのは得意だな!」

「うん。ますます心強い。よろしく頼む」

 セイリスに過度な期待を寄せられてしまい、エシュリーは後に退けなくなってしまった。




 山の中腹に薄気味悪い口を開いた底なしの洞窟。

 気のせいか、禍々しい気配が穴の奥より漂ってくるようだった。

 洞窟の入り口に立ったエシュリーは耐え難い羞恥を思い出し、尻の穴に幻痛を感じて今更ながら後悔していた。

(何やってんだ、あたし……またこの洞窟に入ろうとするなんて……。今度、捕まったら、確実に殺されるっての……)


「あ、あのさぁ……。あたし、やっぱり洞窟の中までは……」

「では行こうか!」

 セイリスは力強くエシュリーの腕を引っ張って前進する。

「うあぁ……もう、どうにでもなれ!」

 騎士と猟師の二人組は、因縁深い底なしの洞窟へと再び足を踏み入れた。


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