第63話 黒き聖帽の四姉妹
※関連ストーリー 『貴き石の精霊』参照
――――――――――
僅かな明かりの灯された坑道を、黒い女の
賊とも冒険者とも見て取れない場違いな服装の人物が、底なしの洞窟を小走りに駆けていく。
ひらひらとした薄手の黒い外套は、人物の影を実体よりも余計に大きく見せていた。
影の実体はずっと小柄で細身の女性のようである。
髪は短く、肌の白い少女だった。
黒い看護帽を被り、胸元には十字架を模した銀の首飾りを下げている。
一見して育ちの良さそうな、まだ若い修道女であった。
その後ろに、足音を殺して忍び寄る大きな影があった。
滑らかな曲線を描く四足獣の影、口元から生える長大な突起物。
底なしの洞窟でも攻撃性の高さを危険視されている猛獣、
目標とする獲物はもちろん洞窟に迷い込んだ人間の少女。たった一人でうろついているなど、狙ってくれと言わんばかりの状況だ。
芳しい肉の香りが剣歯虎の狩猟本能を刺激する。
幾らかの時間、静かな追走は続けられ、少女の影が動きを止めた。
剣歯虎はそのままゆっくりと歩みを進める。わかっていた、この先が行き止まりであることは。
ついに獲物を追い詰めたのだ。
逃げ場のない坑道なら急ぐ意味もない。後は確実に、獲物の首に牙を突き立てれば容易に仕留められる。
剣歯虎が獲物の前に姿を現したとき、追い詰められた少女は壁に向かって立ち尽くしていた。
不意に後ろを振り返り、もう数歩の距離まで剣歯虎が迫っていることに気が付くと悲鳴を上げた。
「きゃぁー!!」
少女の甲高い声が上がり、同時に血飛沫が舞う。
大きな振動が地面を伝わり、洞窟の壁に低く鈍い音が反響した。
剣歯虎の狩りはそこで終わった。
◇◆◇◆◇
剣歯虎の頭蓋は大きく陥没し、目玉が勢いよく飛び出して、ころころと地面を転がっていく。
頭部を失った巨大な虎の体は一度だけ大きく痙攣すると、完全に力を失って地面に横倒しとなった。
剣歯虎は頭部を鋼鉄製の
戦鎚には、白く華奢な手が添えられていた。
暗闇から伸びたその腕には魔導回路が刻まれ、仄かな輝きを放っている。
坑道の行き止まりには黒い外套を羽織った小柄な少女、そして剣歯虎のすぐ傍らに同じ服装をした女性がもう一人、姿を現していた。
暗がりから姿を現した女は、細かく波打つ黒髪を腰まで伸ばした色白の女だった。
剣歯虎の頭を叩き潰した戦鎚を持ち直し、付着した血と肉片を振り払う。
顔に飛んできた血の飛沫を手で拭い、血に濡れた手を見て小柄な少女が再び悲鳴を上げる。
「きゃー! きゃー!」
「エイミー、遊ぶのはやめなさい」
戦鎚の先端を勢いよく地面に下ろし、波打つ髪の女は鋭い視線を小柄なエイミーに向けた。
戦鎚が発した腹の底に響くような振動を受けて、エイミーはぴたりと悲鳴を止める。
すると、今までの怯えた態度とは裏腹の余裕に満ちた表情でエイミーは薄ら笑いを浮かべた。
「あ~ん、マーガレットお姉さま酷い。あんなに可愛い動物を一撃で殺してしまうなんて。もっとじっくり可愛がりながら殺してあげたかったのにー」
「無用な痛みを与えて嬲るなど、主の意思に反します。自戒なさい」
きっぱりと言い切るマーガレットの説教にもエイミーは一切表情を変化させなかった。
だが、続いて坑道の闇から姿を現した二つの気配を感じ取り、エイミーは薄ら笑いを消した。
「エイミー、お前は無駄が多い」
「……そうです。お、お姉さま達の言うとおりですよ……」
新たに現れた二人もまた、エイミーやマーガレットと同じ服装をしていた。
一人は男勝りの体格で、肩の辺りまで伸びた髪を頭の後ろで一括りにまとめている。肌は焼けた小麦色、髪は透き通る金色をしていた。
もう一人はひどく痩身で、猫背で姿勢も悪く、病的なまでに青白い肌の色をしていた。髪質が細く、ほとんど白に近い銀色をしている。
「い、命は全て平等です。人も、獣も、虫も、等価値に重んじるべきです……」
「だが、所詮は獣畜生。歯向かうなら殺すべき」
「はぅ……ジョゼフィーヌ姉さま、そ、それは……」
「何か異論があるのか、エリザベス?」
「生きるうえで必要な殺生なら、主は許してくださいます……」
「私達の殺しは遊びじゃない。心しておけ、エイミー」
ゆったりとした修道服に、黒い看護帽をかぶった女達。
互いを姉妹として呼び合う彼女らは、しかしどう見ても四姉妹とするには似たところがなかった。
「……つまるところ、痛みを感じることのないように、一撃で頭を潰すのが慈悲というものです。理解しましたか?」
「はーい、わかりましたぁ、お姉さま。次からはなるべく時間をかけずに殺しますからー」
「それでよし」
「エイミーちゃんは、物分りのいい子ね~……」
修道服と黒い看護帽、それに十字架の首飾りが彼女ら四姉妹の共通点だが、他にも特徴的なことがある。
全員が手に、
先程、剣歯虎に追い詰められていたエイミーも、いつの間にか手に鋼鉄製の戦棍を携えていた。
マーガレットが手を出さなければ、その武器で剣歯虎を嬲り殺しにするつもりだったのだろう。
修道服に隠れて殆ど見えないが、マーガレットの腕には魔導回路も刻まれていた。
術式を行使するようだが、彼女達は魔導技術連盟に所属する術士ではなかった。
もちろん、騎士協会に属する騎士でもありえない。
彼女らが属するのは全く別の組織。
規模だけで言えば連盟や協会よりも大きいかもしれない。
彼女らが属するのは『聖霊教会』、姿なき創造主を信奉する者達の集い。
信徒達のほとんどは術士でも騎士でもない、普通の一般人ばかりだ。
おおよそ物騒な荒事とは縁遠い組織のはず。
しかし、組織も大きくなれば様々な役目を持った専門職が必要になってくる。
その中でも、教会が独立した組織として在る為にどうしても必要だったのが武力だ。
教会の武力の象徴と言えば、『十字騎士団』、『神官戦士団』、『従軍司祭』、『悪魔祓い』、『異端審問官』と数あるが、彼女達がどれに属するか傍目にはわからない。
問題は、彼女達が何を目的に洞窟へ入り込んだのかということだ。
それだけわかれば、彼女達の素性もおのずと知れる。
四姉妹は洞窟の片隅に集まり、分散して得られた情報を互いに交わしていた。
「この洞窟は幻想種の力を借りて掘り進められていましたね」
「確かに。かなり高位のやつが干渉した痕跡も残されていた」
「そ、それについては複数の、冒険者の目撃情報もありました……! 容姿は教会から聞かされていた通り……」
「なら、決まりでしょー。アイツはここに逃げ込んだのよー」
エイミーの言葉に全員が頷いた。
「この洞窟の管理者は誰だったかしら?」
「エリザベス、誰だったか知っているか?」
「準一級の錬金じ、術士、クレストフ・フォン・ベルヌウェレ……」
「うわ、なにその名前? 舌、噛みそー。エリザベス姉さま、よく言えたわー」
真剣な表情で名前を繰り返すマーガレットとジョゼフィーヌに対して、取るに足らないことで盛り上がり囃し立てるエイミー。
「きょ、教会で資料を受け取った後、練習したの!」
「あはは、でも術士のとこで噛んでいたしー」
「ううぅ……」
マーガレットが軽く咳払いをして、全員の注目を集める。
そして、改めて互いの意見を確認した。
「術士クレストフは既に憑かれたと見るべきかしら?」
「疑いは濃厚」
「で、でも証拠はない……」
「直接、本人に会えばわかるんじゃなーい?」
エイミーの軽口に他の三人は沈黙した。
だが、すぐに互いの顔を見て頷き合う。
「そうね、そうしましょう。もしも彼の者が悪魔と契約を交わしていたのなら……」
「火刑に処すべし」
「火炙りはやり過ぎ……。慈悲を与えて土葬にすべきかと……」
「頭だけ潰して自然に還してあげればいいのよ。すぐに獣に食われて骨になるわ」
彼女達は
悪魔と契約を交わして世を乱す存在を、探しだし滅するもの。
「大いなる真理と、祝福の子と、
厳かに、胸の前で十字を切って、マーガレットは文言を唱えた。
「監獄破りの宝石喰らいとその契約者に主の裁きを」
『主の裁きを』
ジョゼフィーヌ、エリザベス、エイミーの三人も、十字を切って復唱した。
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