第59話 蠢くもの

※関連ストーリー 『自然淘汰と突然変異』参照

――――――――――


 薄暗い洞窟の入り口で、複数人の人影が寄り集まって話し込んでいた。

「どうかな、ネーベル? この辺りで採掘はできないかな?」

「駄目ね、洞窟に入ってすぐの上層部だし。ここら辺はもう細かい宝石の欠片まで、目に付く範囲は採り尽くされているみたい」

 白地の外套に身を包んだ地質学士ネーベルは、壁や地面の掘り返された痕跡を手に持った杖で指し示して、既にこの辺りには宝石の欠片も残っていないことを説明した。


「そりゃま、仕方ない。もう少し奥に進むか」

「まじかよー。ここまで辿り着くのも一苦労だったてぇのに」

「お宝が確実に手に入るってんなら、多少の無茶は構わないけどよ……」

「でもなあ、骨折り損のくたびれ儲けじゃ困るんだぜ?」

 周りを囲んでいた屈強な男達が口々に文句を垂れる。そんな雰囲気の悪さもどこ吹く風といった様子で、ネーベルは自分の提案を口にする。

「ねえ、宝石採掘は自分で取った分がそのまま自分の物、ていうのでいいのかしら?」

「馬鹿、ちげぇよ! 稼ぎは山分けだろ。それで仕事の分担も決めてあるんだ」

「まー、大粒の宝石とか見つけたら、自分のにしたくなる気持ちはわかるけどさ。抜け駆けはなしだよ、ネーベル」

「はいはい、決め事には従うわよ」

 肩ほどまで伸びた茶色の髪を指先で弄びながら、渋々といった表情でネーベルは納得した。



 丈夫そうな獣の革を生地に、金属製の金具で補強された鎧をまとう冒険者達。

 洞窟の玄関口には、先客の冒険者のものだろうか、朽ち果てた天幕が放棄されていた。

 彼らはその天幕を立て直して、ひとまずの休憩所として使っていた。


 ――底なしの洞窟。その入り口まで辿り着くには永眠火山の樹海を抜けて来なければならない。

 子鬼、灰色狼そして絞殺菩提樹といった危険な動植物から身を守りつつ、洞窟までやってくるにはそれなりの戦力がないと厳しい。

 反面、侵入者が容易に入って来られないことで、洞窟の資源は掘り尽くされずに残っていた。

 いまや底なしの洞窟は、そこそこの実力を持った人間達にとっては安定して宝石採掘による収入が得られる穴場となっていた。

 私有地という話ではあったが、洞窟の入り口に注意看板が立てられているだけで、止めるものは誰もいない。

 ただし、危険な猛獣は洞窟内に闊歩している。

 実力のある者達でも、それなりに数を揃えてこないと厳しい環境だ。


 今、洞窟の玄関口に到着した冒険者達も、大半は元傭兵でそれなりに修羅場をくぐってきていた。

 人数も男女合わせて十人を超えている。

 武器はそれぞれ短刀から長剣まで様々だったが、硬度の高い鋼で作られたものばかりだ。大分、使い込まれている。

 これだけの戦力なら子鬼や狼は恐れるに足らず、大型の猛獣にさえ立ち向かえると彼らは考えていた。

 実際に、彼らのうち何人かは宝石採掘よりも、珍獣の毛皮などが目当てで洞窟に来ている。

 本職の猟師も連れてきているので、罠や道具を駆使すれば危険な大型獣でも捕獲は可能なはずだった。


「ここにいても始まらないわ。次の場所を探さない? 早く号令かけてよ、フューレ」

「じゃあ、役割分担も決まったことだし、奥へ進むとしようか」

『おー!』

 リーダー格の若い男、フューレが号令を出して、冒険者達は洞窟の奥へと足を踏み入れる。



 迷路状の坑道を抜けて、視界の開けた大きな空洞まで来た冒険者達は、一旦そこで足を止めた。

「ここよ、この辺りが良さそう! ねえ、フューレ! この辺で少し、採掘を行ってみたいんだけど」

「いいかもしれないね。まだ、それほど荒らされていないようだし」

 ネーベルの進言を受けて、フューレはその場で採掘を開始することに決めた。

「獣がやってこないか見張っておいてやるよ」

「珍獣が現れたら、俺達で狩っちまってもいいんだろう? その場合、宝石とは別で、狩ったやつの取り分にして構わないよな」

「ああ、それはまあいいかな。危険手当ってことで」

「おっし、気合いが入るぜー」

「来るならこいやー」

 腕まくりをして身構える男が三人ほど。彼らは珍獣狩りこそを目的としていた。


「ああ、でも他の冒険者とかが現れるかもしれないから、そこは穏便に頼むよ」

「わかってらい。俺らだって、盗賊じゃねえんだ。最低限の道徳ってのは心得ているさ」

 平気な顔で盗掘している時点で、道徳も何もあったものではないのだが、男達の道徳とはそのようなものらしい。

 三人の男は周囲を見渡せるように、それぞれ別方向に分散して配置についた。


「ねえ、見て! これ半貴石じゃないかしら?」

 採掘作業をしていた冒険者の女が手に握った石を掲げて、他の冒険者達に声をかけた。早速、地質学士のネーベルが鑑定をする。

「どれどれ……ああ、本当ね。価値はさほど高くないかもしれないけど、量が集まればそれなりの額になるわ」

 小粒ながらも、宝石の採掘は順調に進んでいた。

 その最中、辺りの警戒に当たっていた男の一人が声を上げた。

「おい! 何か近づいて来る! 気をつけろ!」


 全員が武器を手に取り身構える。

 警戒を向けた方向からは確かに、複数の影が見えた。

 影は坑道の奥から、ゆっくりと近づいてきていた。

「あれは……人じゃないか?」

 ぽつりとフューレが呟いた。他の冒険者達も同じことを思った。

 近づいてくるのは確かに人影だ。ゆっくりとこちらに歩いてくる。

 見たところ武器は手に持っていないので、すぐさま戦闘になるようなことはなさそうだった。


「向こうに戦う意思はなさそうだ。ここは穏便に済まそう」

「そうね、取り敢えず声をかけておいて、お互い不干渉ってことにしましょう」

 あまり興味もなさそうにネーベルが賛同する。戦いが得意ではない彼女にとって、人間同士の争いなど迷惑極まりないことだった。

「よっし……そういうことなら。おおーい! あんたら! 冒険者かぁっ? 俺らもそうだ! お互いに面倒くさい関わりはなしにしておこうぜ!」

 見張りに立っていた男が大きな声で呼びかける。

 だが、人影は返答をせずに黙々と歩き、近づいてくる。


「おい……やつら、様子がおかしくないか? こっちの呼びかけに何も答えない」

「そうかい? 警戒しているのかな。武器を構える様子もないし、こっちも身構えるのはやめよう」

「いいの? まだ安全と決まったわけじゃないわよ」

「警戒はもちろんしているさ。皆も、いざってときは戦えるように――」

 フューレが途中で話を止めた。

 遠くに見える人影が、大空洞に姿を現したからだ。そしてそのまま、絶句した。

「な――なんだ、アレは?」

 現れたのは確かに人間だった。だが、その見た目は明らかに異常だった。

 現れた五人の集団はいずれも目の焦点が合っておらず、口から涎を垂らし、意味不明な呻き声を漏らしていた。


「く、来るなっ!」

 冒険者の集団に加わっていた猟師が、慌てて弓で矢を射かけた。

 矢はゆっくりと迫る人間の足に当たった。突き刺さって、普通なら悶絶する痛みがあるはずだが、坑道から現れた人間は無反応で歩みを進めてきた。他の人間達も同じだ。仲間の体に矢が突き立っても気にせず、ただ歩いてくる。

「ぜ、全員、戦闘態勢だ!」

 明らかな異常を察知したフューレが武器を構えなおした。

 他の者達も一斉に武器を構える。

「ちょっともう、何なのよ! 人間同士で争うとか、ふざけないでよ!」

 ネーベルの上げた不満の声に耳を貸す者はいなかった。


 異様な集団はすぐ目の前まで、歩みを止めずに迫り来ていた。


 ◇◆◇◆◇


 洞窟の最深部で掘削作業を行っていた俺のもとに、眷属である吸血蝙蝠ヴァンパイアバットから緊急信号が送られてきた。

 洞窟の上層部で異変が察知されたのは、ほんの今しがたのことだった。

 吸血蝙蝠の送ってきた情報を脳内で再現すると、多数の揺れ動く不気味な人影が確認できる。


(……侵入者、にしては動きが変だな……)

 超音波によって探られた情報では、はっきりとした全容が確認できない。

 だが、それでも頭部を左右に揺らしながらゆっくりと前進する人型の集団は、明らかに普通の動きではないとわかる。

(視覚に捉えて確認するか……)

 上層部の様子を探らせるために、特別に眷属とした剣歯虎サーベルタイガーを上層部の現場に走らせる。

 剣歯虎の眼球は、魔導回路を刻んだ虎目石タイガーズアイに置き換えてあった。

 外眼筋と視神経に直結された虎目石は、眷属から俺に向けて高精細な視覚情報を送るのに役立つ。


(――見透かせ――)

『虎の観察眼!』

 剣歯虎の虎目石と対になる魔導回路を握り締めて意識を集中すると、瞼を閉じた目の前に剣歯虎が見ている光景が鮮明に浮かび上がる。

「こいつらは……」

 視覚に捉えた異様な集団は人の群れであることには違いなかった。


 丈夫そうな革を生地に、金具で補強された鎧を身に着ける傭兵風の男。

 白地の外套に身を包み、杖を支えにして歩く学士風の女。

 身軽な服装で、大きな弓矢を背負った猟師風の男。


 だが、どいつもこいつも虚ろな表情で、一部の者は腕や足の骨が折れているようだった。なのに倒れることなく一定の歩みを続けている。

 明らかに異常だ。

 そして、決定的に普通の人間と異なるのは、体のあちこちに付着した白い粘液と綿埃。

 一目見てそれが何か、俺は想像がついてしまった。


 この異常現象を引き起こしている原因は、まず間違いなく人型に纏わりついている白い物体。

 いや、生物。

(――寄生性粘菌パラサイトスライム――)

 この粘菌に胞子を植え付けられた人間は生ける屍となって歩き回り、十分に距離を移動したところで最後には胞子を拡散させて力尽きる。

 傷口などから他の生物に寄生して、脳を侵食し宿主の行動を操っているのだ。都合のいい環境へと運んでもらう、動きの鈍い粘菌にとっては効率のいい移動手段である。

 危険な種は確実に排除してきたつもりだったが、またぞろ突然変異でも起こしたのだろうか。

 寄生性の粘菌は確かに洞窟内でも見かけていたが、宿主の行動を操る能力までは持っていなかったはずだ。


(下手に獣どもをけしかけると、感染する恐れがあるな)

 かと言って、粘菌嫌いのジュエルに片付けさせるには荷が重い。

 俺は一旦、眷属との交信を絶つと、近くにいたビーチェに声をかける。

「ビーチェ、お前の力を試す初仕事ができたぞ」

「? お仕事?」

「今から手順を教える。それで問題を解決してみせろ」

「やってみる……」

 静かに、だが力強く頷いたビーチェは、初めて与えられた仕事らしい仕事に意欲を見せ、気合いを充実させていた。



 作戦はまず、屍食狼を使って寄生性粘菌の一部を噛み千切ってくることから始められた。

 ここは俺が指示を出して、粘菌に操られた寄生体を複数の狼で襲う。

 寄生体は狼が近づくと予想以上の激しい動きで抵抗した。自身の骨が折れるのも気にせず、力任せに腕を振り回して巨大な屍食狼に痛打を与える。

 数匹の狼を犠牲にしながらも、一匹が寄生体の一部を噛み千切り、寄生性粘菌の付着した肉片を持ち帰ることに成功した。

 粘菌を持ち帰った狼には殺菌消毒を施し、褒美に上質の干し肉を与えてやった。


 寄生性粘菌を前に、俺とビーチェは次の準備を進めていた。

「なるべく動きの速い粘菌を集めろ」

「ん。お掃除競争で優秀なの、いる」

 ビーチェが選りすぐった粘菌を呼び寄せる。動きの速いものを選んだだけあって、短時間で数十匹の粘菌が集まった。

 寄生体から採取した細胞と胞子を集めた粘菌に消化させ、同時に敵対意識を植え付ける。


「よし、仕込みはできた。作戦行動を開始しろ!」

「了解……!」

 ビーチェは右手の魔導回路に意識を集中し始める。

 まだ魔導回路を刻んで日が浅いビーチェは、魔導因子を流し込むにも時間がかかった。

 徐々に回路が淡い発光を示し、ビーチェの右手から発せられる魔力の波動が粘菌達へと伝わっていく。

『攻撃対象、洞窟内、敵性存在、似て非なるもの……』

 ビーチェが俺と一緒に考え、あらかじめ設定しておいた楔の名キーネームを口にした。


 発する言葉自体には意味などなくても構わないが、本人が意識の発露をしやすい言葉の方が術式の精度は高まる。

 特に術士として未熟なビーチェには、意識下で術式の制御を行うよりも楔の名を口に出して制御する方が、術式の暴発も防げるので安全である。

 ちなみにこの楔の名は、細かい言い回しを何度も俺に確認しながらビーチェが一晩かけて考えたものだ。


『……直ちに、駆逐せよ!』

 術式の完全な発動が成されると、命令を受けた粘菌達が一斉に動き出す。

 危険な変異種の粘菌は、胞子も含めて撲滅するように言いつけてある。

 これでビーチェ支配下の粘菌は積極的に変異種の排除に動くだろう。


 ◇◆◇◆◇


 争いが始まった。

 初めは大きな動きのある争いだった。

 ビーチェの操る粘菌が、寄生性粘菌を取り囲むと真っ先に宿主となっている寄生体の動きを封じにかかる。

 寄生体は手足を激しく動かしてビーチェの粘菌を振りほどこうとするが、飛び散ってはくっついて再び飛び掛る粘菌の群れに、次第に動きを鈍らせていく。


 やがて寄生体の動きが完全に止まると、今度は粘菌同士の細胞レベルでの戦いが始まった。

 相手を取り込み消化するか、あるいは敢えて取り込まれつつも敵の細胞核に自身の形質を埋め込んで同化するか。

 それは似て非なるもの同士の喰い合い。

 互いの自我境界線を越えてのせめぎ合い。

 己を保ちつつ、敵を取り込み、自身と同じものへと変質させていく。


 勝負を決めるのは、相手を分解する速度である。

 個としての分解力と、群体としての規模がものを言う。

 洞窟全体からビーチェの意思によって一箇所に集められた粘菌は、敵性存在を圧倒する質量でもって駆逐した。

 敵の本体が全て消化されると、今度は散らばった小さな胞子の一つに至るまで徹底的に探し出して滅ぼさんと、粘菌達は散り散りに洞窟内を這い回る。

 後はもう時間の問題だった。

 地面も、壁も、天井も、隈なく舐め尽くすように大掃除が行われた。


 生まれたばかりの新たな種は、その日のうちに根絶されたのだった。

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