第54話 借金返済

※関連ストーリー 『借金取りは貴族令嬢』、『広まる噂』参照

――――――――――


 固く閉ざされた扉の前に立ち、扉に刻まれた魔導回路に手を押し当てながら鍵となる楔の名を告げる。

『主待つ宝の蔵、我が意に従い、堅き扉を開け』

 魔導因子の固有波形を読み取り、扉が主と認めた者の音声と言葉を認識して、閉ざされた閂が静かに抜け落ちた。そして重々しい駆動音を響かせながら、分厚い鋼鉄の扉が左右に割れ開く。


 部屋の中にはうずたかく積み上げられた貴石の山。母岩から剥がされた原石を削り出し、宝飾品として加工される裸石ルースに仕上げられている。原石のまま売り捌くのと、ある程度の形を整えて売りに出すのとでは、その価格差や雲泥の差である。多少の時間は取られたが、錬金術で精錬加工を施して純度を高め、石と石を擦り合せて削る術式の応用でそれなりに見られる形にしたのだった。

 裸石としては削りが粗いが、本格的なカットと研磨は自分で行うだけの時間はなかった。それでも十分な付加価値を与えて売りに出すことができる。後の仕上げは宝石職人が好きにやればいいことだ。


 朝露の砂漠にある永眠火山、底なしの洞窟。そこから遠く離れた場所にある永夜の王国ナイトキングダムの首都――その街中にある自身の工房へと俺は戻ってきていた。

「綺麗、幻想的……」

 うっとりとした様子で貴石の山を眺めるビーチェ。この少女にも宝石を愛でる美的感覚があるようだ。どこぞの食い意地が張った屑石精霊とはやはり違う。

 ちなみに精霊ジュエルは工房の外で待たせており、工房の中へ連れてきてはいない。当然だ。ここへ連れてきて万が一にも貴石を食い尽くされようものなら今度こそ俺は狂い死ぬかもしれない。宝物庫の頑強な扉も空き巣対策というよりはジュエルを警戒した防衛策である。

(奴は一度、俺の工房の最下層まで潜り込んで金庫破りをした前科があるからな……油断ならん。防衛用の粘菌も後で数を増やしておくか……)

 何か未知の魔導的な方法で侵入されることも考慮して、結界石や守護者ガーディアンを神経質なほど緻密に配置してある。この宝物庫へは虫一匹とて入り込むことはできないはずだ。


 今日はこの宝石の一部を売却して換金する予定になっている。黒猫商会のチキータが信頼できる宝石商を知っていると言うので、その伝手を使わせてもらうことにしていた。黒猫商会を全面的に信頼しているわけではないが、チキータ個人に関しては信用できる。裏切ったらジュエルをけしかけてやればいいだけだ。とても単純な信頼関係である。



 首都にある黒猫商会の本店に立ち寄った俺は、何事も問題なく宝石を換金し終えた。残念ながら本店ではチキータと顔を合わせることはなかったが、代わりにチキータが紹介してくれた宝石商と、本店で営業をしている職員が対応してくれた。

(……チキータの代わりに、業突く張りのニキータが出てこなくて安心したな……)

 チキータはジュエルのことを警戒したのだろうか。

 黒く艶やかな毛並みの猫人を頭の片隅に思い浮かべながら、俺は今日の取引が望む以上の結果であったことに気を良くしていた。


 ◇◆◇◆◇


 首都で早々と用事を済ませた俺は、ビーチェとジュエルを伴って早駆け馬車へ乗り込み、一路フェロー伯爵家を目指していた。

 馬車に乗るのが初めてのビーチェは落ち着きなく、揺れる車内でしきりに身じろぎしていたが、揺れにも慣れて窓の景色を眺め始めると途端に静かになった。様子を見ればビーチェは窓枠に頭を乗せて眠っていた。馬車の外から見ると、ビーチェのあどけない寝顔が窓から覗いていることだろう。

 ジュエルは意外にも旅慣れた感じで、馬車へ一番に乗り込むと真ん中の席で行儀よく座っていた。乗り込む際にはジュエルの重みで馬車が傾き、馬が不安げに嘶いていた。

「今日は随分と静かだな、ジュエル。馬車には乗ったことがあるのか?」

「まねー、こっちの地方に来る途中で、親切な御者さんが乗せてくれたんだけど……曲がり道で振り落とされてね~……」

 よほど嫌な思い出だったのか、ジュエルは馬車に備え付けられた椅子にどっかりと腰を下ろし、そのまま伯爵家に着くまで石像のように動かないでいた。



 ここ最近は採掘作業に没頭して危うく忘れそうになっていたが、俺は伯爵令嬢に多額の借金がある。利子も馬鹿にならないのだし、返せるのならなるべく早いうちに返済してしまいたい。採掘した鉱物や宝石の原石を錬金術で精錬して売り飛ばし、利子をつけて借金を返すだけのあてができた。今日をもって借金生活からは脱出する。

(いや、実のところすっかり忘れていたが。……フェロー伯爵家の令嬢、ようやくあの女狐の枷から抜け出せるんだな……)

 金の切れ目が縁の切れ目とはよく言ったものだ。もう相手に余計な気を使ったり、我が侭を聞いたりする必要はないわけである。特に用事もなくなれば、フェロー伯爵家へ来ることも今後はないだろう。


 伯爵家へ着いてすぐ、俺は挨拶もおざなりにして、借金の額を示した証書と利子を含めてぴったり同額の金貨と銀貨の詰まった袋を令嬢の前に放り出した。

「今日は借金の清算に来た。すぐに領収してもらおうか」

 伯爵令嬢は普段よりも高圧的な物言いをする俺にやや驚いた顔をしたが、すぐに事務的な雰囲気で袋の中身を検めると、印を押した領収書の写しを俺に手渡してきた。

「……これで貸しはなくなってしまいましたのね。もう少しの間、貴方相手に我が侭を言わせて貰いたかったのですけど」

「俺は御免だ」

 伯爵令嬢は貸し借りがなくなってしまったのを心底から残念そうにしていた。

「借金はなくなっても、鉱山の所有者と管理者の関係は続きます。今後ともよろしくお願いしますわね、クレストフ」

「そうだな。これでようやく対等の仕事付き合いができる。鉱山はこれまで通り、俺がうまく開発してやる」

 対等、という言葉に伯爵令嬢は何故か嬉しそうな顔をして微笑む。彼女の澄ました余裕の態度は、借金の返済後も変わらないようだ。


「頼もしいことですわ。最近は植林までしてくださったようで、永眠火山は水と緑に満ちて遠目にも見違えるようでした」

「視察したのか? 遠目から眺めるだけにしておくんだな。侵入者を撃退する罠があちこちにあるから、例えあんたでも下手をすれば死ぬぞ」

「まあ怖い。でもご心配なく、あんな土臭いところには私、足を踏み入れませんから」

「ふん、ならいいけどな。近隣住民は何か騒いでいないか? 山に入るなと通達はしていると言っていたが」

「ああ……そういえば、大勢の署名が載せられた陳情書のようなものを持ってきた人がいましたわね」

 やはり陳情に来ていたのだ。あれだけ派手に山が変化したのだから、当たり前の反応だとは思う。しかし、伯爵令嬢は相変わらずあまり気にしていない素振りであった。

「あんなもの王国法では何の効力も持たないというのに。手間をかけずに、領主に歯向かう抵抗勢力の一覧表が手に入ったのは助かりましたけど」

 伯爵令嬢は酷薄そうな笑みを浮かべて、ここにはいない愚か者の誰かを嘲笑った。

「文句が出ないなら俺としても構わないでいいな。鉱山開発は今まで通りに進める」

「ええ、今まで通りに。何の問題もありません」

 鉱山開発で出た利益の一部は、伯爵家にも税として一部が流れている。近隣住民が多少騒いだところで止める理由にはならない。


「それはそうと、先ほどから気になっていたのですが……」

 伯爵令嬢は俺から視線を逸らし、その背後にいる者達に目を移した。

 俺と共にこの場へやってきたジュエルとビーチェに関して、胡散臭げな疑いの目を向ける。

「その、何と言うべきかしら……。その子達はやはり……そういう趣味で買った子供なのかしら?」


「わーい、待て待てー」

「やー、わー……。お戯れを、お戯れを……」

「うぇっへぇっへっ! よいではないか、よいでは~!」

「あー、れー。領主様、おやめくださいー……」


 ジュエルの見た目は一風変わった露出の多い美少女の姿、ビーチェも最近は肌の色艶が良くなってきて、元から悪くはなかった容姿が目立つようになってきていた。そんな二人が鬼ごっこ、もとい悪徳領主ごっこの戯れで、下品な口調をして騒いでいる様子に疑念を持ったようだ。

 ちなみにビーチェも棒読みではあるが結構のりのりでやっている。貴族の屋敷にあがり込んだのは初めてなものだから浮かれているのだろう。ふかふかの絨毯の上で二人して寝転がっている。

「あ……ジュエル、下着掴むのは、だめ」

「よいではないか、よいではない――ぁがっ!」

「……いい加減にしろ」

 俺に後頭部を踏みつけられて、ふかふかの絨毯に顔面を潜り込ませながらじたばたと足掻くジュエル。

 どことなく、踏まれて嬉しそうに見えるのがまた腹立たしい。


「あ……そうそう、今日は他にも重要なお話があったのですわ」

 伯爵令嬢は些か急な話題転換で、床に踏みつけられるジュエルの姿から視線を外した。

 どうやら見なかったことにするらしい。

 以前など、本物の精霊を一度見てみたいと言っていたのだが、実物を見て幻滅してしまったのだろうか。俺は特にその点には突っ込まず、彼女の言う重要な話とやらを聞くことにした。




「率直な意見を聞きたいのですけど、クレストフは今の魔導技術連盟、そして術士の社会的地位についてどう思われます?」

 唐突な話だった。

 それでも続く話の前置きとして必要なことと判断し、ここは真面目に意見を言ってみることにした。

「どう、と言われてもな。いくらでも考えていることはある。連盟は組織として健全と言い切れないものの、それなりにどうにか回っている。経営層として外部の人間を招いたのも、連盟の資金運営の状況が改善するきっかけになった」

「私もそう思いますわ。術士個人に関してはどうです?」

「……十級から一級の術士まで多様な人材がいる。得意分野はそれぞれ違えども、いずれも等級に応じた実力者だ。連盟は完全な実力主義と言っていいだろうな」

「実力主義……そう、そうなのですわ……それが今、問題になっているようなのです」

 伯爵令嬢はいつになく真剣な様子で顔を伏せた。長く華やかな金髪が肩口から流れ落ち、彼女の表情にいっそう深い影を落とした。

 この令嬢もほんの数ヶ月の間に随分と雰囲気が変わった。以前は無知で無邪気な貴族の息女そのものであったのが、いつからか深い思考をする大人の貴族へと成長したようだ。


「面倒な話みたいだな」

「聞いておいて損のない話だと思いますわよ。いえ、知っておいた方が安全でしょう。何も知らずに巻き込まれると大変なことになりますから」

 あからさまに忌避感を示した俺に、伯爵令嬢は言い含めるようにして言葉を繋いだ。

「私、最近になって正式に術士登録をしましたの。連盟にも頻繁に顔を出すようにしていますわ。何故かおわかりになって?」

「いや、あんたには必要ないことだと思うが。暇潰しの道楽か?」

 俺の投げやりな回答に伯爵令嬢は苦笑する。

「いいえ、自衛の為です。それは実力的にもそうですが、派閥としても……どちらにでも動けるようにと」

「派閥争いの話か……」

 思わず舌打ちが出てしまうのを止められない。俺はそういう面倒事が大嫌いなのだ。


「術士の社会が実力主義なのはご存知の通りですが、永夜の王国は土地を媒介とした主従の関係を重視する封建制度を採用していますわ」

「ああ、もう大体のところ話は読めたが……続けてくれ」

「理解が早くて助かりますわ。問題になっているのは、術士としての実力至上主義である派閥と、王国の息がかかった経営層の派閥との間に摩擦が起きているのです」

「わかりやすい構図だな。対立が明確になった原因は?」

「一級術士の古参魔女を中心とした上級術士達……彼女らへの任務割り当てと、その対価の妥当性について」

「対価が妥当ではないと揉めたか? 任務割り当てと報酬を決めたのが経営層の派閥ってことだな」

「ええ。経営層の独断で無償奉仕のような仕事を上級の術士に強要したのです」

「はっ! そいつは誰だって怒るだろう。とりわけ、金策が苦手な古参の魔女共はな」

 俺は思わず鼻で笑ってしまった。

 連盟の経営状況は、経営層にフェロー伯爵のような王国貴族が加わるようになって改善した。だが、それは術士個人の報酬を減らし、組織の運営費に回したからだ。その結果として術士の収入は全体に落ち込み、とりわけ上級術士は減額分が大きかった。仕事の難度に対して、正当な報酬が得られなくなれば不満も溜まるというものだ。


「笑いごとですめばよろしいのですけど……。どうも古参の魔女の方々は、術士としての実力を持たない経営層に対して、本気で武力行使を考えているようなのです」

「本当か? 監査役の俺の耳に直接入ったら粛清ものだぞ」

「連盟の幹部会議にも出席している御父様からの情報です。一触即発の事態にまでなったとか」

「勝手なことを……あの魔女共め。わかってないのか? 武力行使が自分達の首を絞めることになると」

 例え一級術士が相手だとしても、鎮圧する方法はある。経営層派閥の貴族から騎士協会に協力要請を行えば、一流の騎士を借り受けることができる。如何に一級術士といえども、騎士が相手では有効な術式も多くない。騎士協会は魔導技術連盟と協力関係にあるが、王国貴族とも繋がりが深い。現状では、どちらかと言えば王国貴族に味方するとみて間違いないだろう。


「クレストフ、貴方が連盟に不在がちなものだから、好き放題言っているのですわ」

「俺が長期休暇を取っている間にそんな有り様になっているとはな……。監査役たった一人欠けただけで、秩序も保てないのか」

「それだけ貴方の存在が重要である、と解釈してくださいませ」

「『風来の才媛』はどうした? あいつは役目を果たしているのか?」

「あの方は……あまり連盟に寄りつかなくなっているようですわ」

「……仕方ないか、あれも面倒事は嫌う性格だからな……」

「そんなわけですから、連盟としては秩序の引き締めのためにも貴方に早く復帰して頂きたいのです」

「どちらの派閥にも加わるつもりはないぞ」

「その立ち位置が良いのですわ。術士としての実力があり、正しい金銭感覚もある。貴方には派閥の仲裁に入ってもらいたいのです。双方の派閥を抑えられるだけの強い権限を持った、一級術士の幹部として」


 強い意志を込めて発せられた言葉を、俺は聞き逃さなかった。

「一級術士の幹部として、だと?」

「もう半分足をかけていますわ。何か一つ、貴方がそれなりの成果を示せば、喜んで一級に推す者もいるのですから」

 それなりの成果を見せれば魔導技術連盟の幹部候補として推薦する、と伯爵令嬢は言う。

 ちなみに推薦をするのはこの令嬢ではなくて、彼女の父親であるフェロー伯爵になるのだろう。

 伯爵は術士ではないが、連盟の運営に関わっている幹部の一人である。おそらくこれは伯爵の意向だ。推薦で恩を売っておけば自分にとって都合の良い味方になると考えてのことに違いない。

 打算的だが俺としても悪い話ではない。一級術士になる為の推薦を得られるのはこちらとしても有益なことなのだから。


「それなりの成果……ね」

「何か当てがあるのではなくて?」

 妙に確信に満ちた表情で微笑む伯爵令嬢。

(――どこかで情報を掴んだか? 否、それはないな。宝石の丘については情報を伏せてある。風来の才媛、あの女が情報を漏らすとは考えにくい)

 詳しい情報は掴んでいないのだろうが、俺が大きな仕事の下準備をしていることくらいは気が付いているのかもしれない。


(まあ、いいさ。期待を持たせておくのも、時には取引材料の一つになる)


「当然だ。近い内に結果を出してやる」

「期待していますわ」


 俺はおもむろに席を立ち、隣の部屋で菓子を貪り食っていたジュエルとビーチェの首根っこを掴み伯爵家を出た。

 

 足枷となっていた借金は完済した。

 ここから先は純粋に、宝石の丘に至る為の資金集めだ。

 鉱山開発はさらに加速しなければなるまい。


(――高みに至る為には、地の底深くまでだって穴を掘ってやるとも――)


 準一級術士クレストフの鉱山開発は続く。


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