第55話 地下空間への導き

 昼夜を問わず、底なしの洞窟では貴石を求めて採掘作業が続けられていた。

 今や採掘作業は規模を増し、坑道を掘り進めるのはあくまで鉱床に行きつく為の道の整備に過ぎず、本格的な採掘は露天掘りのようにすり鉢状の穴を掘っていくのが主な手法になっていた。

 結果として出来上がるのが円形で階段状に広がったすり鉢部屋だ。太古も太古、もはや現存する遺跡はないとされる時代の闘技場にも似た異質な空間。

 永眠火山の内部は蟻の巣のように、複雑な坑道で繋げられた幾つもの大空洞で構成されていた。


(……随時、世界座標の刻印や楔で位置を確認しないと、気を抜いた直後に迷いそうだ……)

 いくら術式で岩盤を透視できても、蟻の巣のように折り重なった坑道を紐解き、出口を探し出すのは不可能に近い。入口と現在地をつなぐ座標点の正しい順序を知らない限り、一度迷ったが最後、二度と外へ出ることは叶わないだろう。

 急激に複雑さを増した洞窟内では、子鬼や狼が迷わないようにある程度の活動範囲を決めさせて、土砂の運搬と排出は縄張りの端から端までとした。決められた隣の縄張りまで土砂を運ぶだけなら、迷わず作業効率も高くなる。


(不思議なことに地の精ノームどもは迷わないんだよな……)

 彼らには彼らなりの感覚器官があるのか、それとも粘菌のように群体として意思の共有でもしているのだろうか。

 幻想種なる精霊の生態は謎だらけだ。

 小さな毛むくじゃらの体で洞窟内にあまねく存在し、細かい指示を与えるまでもなく、洞窟の入口と最深部を行き来しながら採掘作業を手伝ってくれている。


 洞窟内は俺の管理下でさえそんな調子なので、外からやってきた侵入者達にとってはまさに迷宮のようであった。彼らの中でも知恵ある者達は、独自に地図を作りながら侵入を試みている。それでもここ最近は掘削速度の方が速く、侵入者達の地図が完成することはない。

 そのおかげなのか、現在の下層部には侵入者の影はほとんど見当たらなかった。

 大概は中層付近で迷うか、獣の餌になっているのだろう。あるいは中層部の放棄した坑道で、運任せの採掘にかまけて下層への探検をあきらめているのか。

 なんにせよ邪魔をされずに採掘作業が進むのは好ましいことだ。


 下層部に作った貴石の保管庫は厳重に守りを固めておいたが、この様子では守護者ガーディアンの仕事はほとんどないかもしれない。ちなみに、上層部の一時保管庫などは鉄血粘菌ブラッディスライムの棲み処になっていたり、獣達が好き放題に使っていたりする。ここの保管庫も用済みになれば、同じようになるのかもしれない。



 もう幾つ目の大空洞になったのか。

 すり鉢状に採掘を進めていると貴石を含んでいた固い岩盤から、徐々に下へ掘り進めるに従い柔らかい地質の層が現れてきた。灰白色かいはくしょくをした石灰質の地層に行き当たったようだった。

「掘っても掘っても、石灰質の岩ばかりだな。貴石の産出量も減ってきたし、ここの鉱床もそろそろ潮時か?」

「そっかもね~。地質もすかすかで、掘るのは楽ちんでいいけど、宝石が出ないんじゃ意味ないしー」

 鋼鉄の錐で地面を掘り進めるジュエルに声をかけると、作業の手はそのままに間延びした答が返ってきた。


 すり鉢構造の一番下で大空洞の天井を見上げると、無数の吸血蝙蝠ヴァンパイアバットが逆さ吊りになって、採掘に動き回る子鬼やノームを観察している。

 蝙蝠のひしめく天井から小さな糞が落ちてきて、掘削をしていた子鬼の頭に乗った。子鬼は何か当たったような感触に首を傾げながら、再びツルハシを振るって採掘を続ける。子鬼は頭から肩にかけて、糞まみれになっていた。

 見かねたビーチェがぼろ雑巾で糞を払ってやっているが、糞を払う彼女自身の体も、所々に蝙蝠の糞やら石灰の粉などが付着して汚れきっていた。


「水浴びしたい……」

「ボクも同感~。でも、外まで戻るのも大変だよー。どうせ、また汚れるんだし」

「そうかもしれない。なら、このままでいいのかも」

「ゴグゲ、ゴゴゲグ……」

 自己完結して水浴びをあきらめるビーチェとジュエル。そして、何故か同意するように頷いている子鬼。


 そんな終末的な様子を見てしまった俺は、この場の鉱床に見切りをつけ新たな鉱脈を探すことに決めた。

 採掘の終わった大空洞は獣達の住み処となる。

 兆候はその鉱床における採掘が終盤に差しかかる頃には表れてくる。吸血蝙蝠の繁殖具合を見ればわかるというもの。

 壁のあちこちには粘菌が這っているし、採掘の邪魔にならないところでは洞窟兎が巣穴を勝手に作り始めている。

 ちなみに、最近になって何故か三角大兎も繁殖するようになっていた。

 俺は召喚した覚えがないので、外から入り込んできたのだろう。さほど危険な動物でもないので、眷属化することもなく放置している。


 これまでは貴石の産出があったので、うろつく粘菌を押しのけながらも粘り強く採掘を続けてきた。しかし、いい加減この場も獣の住居として明け渡す時が来たのかもしれない。

 ここいらで一区切りつけて、自分達も休憩がてら体の汚れを拭き取るくらいはした方がいいだろう。



 俺は採掘作業に当たっていた子鬼とノームに作業を中断するよう指示して、彼らを呼び集める。

「ここでの採掘はもういい。横穴を掘って次の鉱床を探せ。ジュエル、お前が先導しろ」

「イエッサー、ボス! やぁっと退屈な石灰岩崩しから解放されるよ! 実はもう、次の鉱脈は目星が付いているんだ! 早速、そっちへ向けて掘っちゃおう!」

「ジュエル……頑張って」

 ビーチェの小さな応援を受け、ジュエルは剛槍鹿の突進の如く水平方向に坑道を掘り始めた。高速回転する大きな鋼鉄製の錐が石灰岩を瞬く間に削り砕いていく。いつもより随分と調子よく掘り進んでいた。


「いぇーい! 掘るよー、掘っちゃうよー。上に、下に、横にー! やっぱり下を掘りながら、横に掘るー!」

(この分なら、次の鉱床に行き当たるのもそう遠くはないな……)

 ジュエルの掘削の様子を眺めながら俺が楽観的な予想をしていると、俺の足下に茶色の毛玉……もとい茶色い毛並みのノームが寄り集まってきた。

 わさわさと落ち着きなく、ある者は飛び跳ねて、またある者は俺の外套を引っ張るなど、急に動きが慌ただしくなった。

「……? 何をしているんだ? 次の鉱脈に行くのがそんなに嬉しいのか?」

 見た感じでは嬉しそうでもないのだが、そもそもノームの考えることはよくわからない。

「どうしたものかな……。ふむ。おーい、ジュエル! なにやらノームが騒がしいんだが、お前、こいつらが何を言いたいのかわからないか!」

 俺は掘り進められた坑道の中にいるジュエルへ声をかけた。だが、掘削中のジュエルには騒音が邪魔をして俺の声が届かないらしい。


「おおーい!! ジュエル! ちょっと手を止めて、俺の話を聞け!」

 やかましい破砕音が響く掘削中の坑道へ入り込み、俺は自分の耳を両手で塞ぎながら大声でジュエルに声をかける。俺のすぐ後ろではビーチェも人差し指で耳の穴を塞ぎながら、ぴったりとくっついて来ている。

 坑道の奥へ進んで間もなくジュエルの小さな背中が見えた。火花を散らしながら、岩石の嵐のように砕けた石灰岩が周囲に飛びかっている。危なくてとても近寄れたものではない。

 危険を感じて足を止めると、すぐ後ろについて来ていたビーチェが俺の背中にぶつかり、尻もちをついてしまう。


「悪い、無事か」

「平気」

 俺が助け起こすまでもなく、自力で腰を上げたビーチェ。その尻には、べったりと薄茶色の泥がくっついていた。

(――この泥は)

 思わずビーチェの尻に顔を近づけて、まじまじと観察してしまう。

 それから足元を見れば、俺の周囲にも泥の溜まりができていた。

 この坑道の入口にはなかった泥だ。だとすれば、この泥はどこから出てきているのか?

 その考えに至ったとき、俺はジュエルが採掘を続ける石灰の壁を見て確信した。

(非常にまずい――)


「ジュエル!! 掘削をやめろっ!!」

 相変わらず聞こえた様子のないジュエル。

 両手に構えた鋼鉄の錐は、柔らかい石灰岩を容易く抉り抜いた。

 俺が命令を発した直後、割れた石灰岩の壁から突如として大量の水が噴き出した。

(――最悪だ。水脈に、当たった――)

 噴き出した水は瞬く間に水量を増して、怒涛の勢いで坑道の奥から流れだしてくる。

 一番奥で掘削していたジュエルは、逃げる間もなく水の奔流に呑まれた。


 俺はビーチェを左脇に抱えあげると、踵を返して大空洞へと飛び出す。

 後を追うように大量の水が坑道から溢れ出し、流れの勢いでもって坑道を削り拡げながら更に水の勢いを増していく。


 すり鉢状の大空洞に流れ込んだ水は、まだ採掘作業が一段落したばかりで休んでいた子鬼やノームを押し流し、渦を巻きながら広い空間を満たしていく。

 すり鉢の段を、ビーチェを抱えながら登るのは厳しいと判断した俺は、すぐさま懐から魔導回路を刻んだ一握りの瑪瑙めのうを取り出し、意識を集中した。

(――囲め――)

『晶洞結界!』

 魔導因子を強引に脳から絞り出すがごとく、急ぎ術式を発動させる。急激な魔導因子の流入に、負荷のかかった瑪瑙が罅割れる。

 それでも術式は無事に発動した。

 俺とビーチェを包み込むようにして石英の小さな粒が寄り集まり、内部が空洞になった球状の多結晶体を構築する。


 かなりの重量を有しているはずの晶洞結界は、しかし圧倒的な水量によって浮き上がり、水の中をゆっくりと転がりだした。

「ビーチェ! 頭を打たないように体を丸めろ! 舌を噛まないように歯をくいしばれ!」

 無言で俺の指示に従ったビーチェは、狭い結界の中で俺の腹部に頭を押し付ける形で丸くなった。俺自身は結界内部に作った凹みに手足をかけて、揺さぶられないように体を固定した。

 水の流れは激しく、結界の動きが速度を増すにつれて回転も速くなっていく。段々と平衡感覚が失われていき、やがて上下の区別もつかないほどに天地が入れ替わる。


 いつまでも収束しない渦巻く水の流れ。それが、結界の外で走った地が震えるほどの衝撃に煽られ、激しい乱流と化す。

 途端に結界の中で重力が失われた感覚が生じる。腰から背にかけて冷やりとした悪寒が走った。

 落下している。

(まさか? 崩落……底が抜けたのか!?)

 それはすなわち、すり鉢状の大空洞に穴が開いたということ。

 下に落ちるということは、地下に空洞があったということだ。

(自分達で掘った洞窟の地下構造は完璧に把握している。だとすればこの空洞は、俺たちが掘った空洞ではない)

 おそらくは自然にできた地下空洞であろう、と冷静に理解した。

 掘り進める先に何があるか、ジュエル任せにしていて警戒を怠っていたことが失敗に繋がったか。

 後悔の念を抱いて舌打ちをした瞬間、よりいっそう強い衝撃が結界を襲った。


 目の前がぐるぐると回るなか、俺は必死に状況を理解しようとしていた。

 どうやら再び体に重力が戻ってきたようだ。

 落ち切ったのだ。晶洞結界はどうにか砕けずに維持することができた。

 まだ少し流されている感覚はあるが、結界の揺れは穏やかになりつつある。


 ……ほどなくして、ごつり、と結界の底が地面に当たる音がした。




 結界の内部から、透明度を高くした水晶を覗き窓にして外の様子を窺った。

 真っ暗で様子がわからなかったので、日長石ヘリオライトの魔導回路で明かりを灯す。

「どうやら、川岸近くに漂着したようだな」

 相変わらず洞窟の内部であることは間違いない。採掘をしていた地下に大きな水脈と、おそらくは水の流れによって削りだされたであろう地下空洞が存在したのだ。


「そろそろ結界内の酸素も持たない。思い切って外に出るぞ。いいか、ビーチェ?」

「うん……」

 ビーチェは頭をふらふらと左右に揺らしていた。それほど長い時間ではなかったはずだが、天地が逆転するほどに揺り動かされて、平衡感覚が戻っていないのかもしれない。

「無理はするな。俺にしがみついていろ。それだけでいい」

「ん……」

 力なく俺の体をつかむビーチェを、仕方なしに引き寄せてしっかりと抱えると、俺は晶洞結界の術式を解いた。


 球状の結晶が真っ二つに割れて、新鮮な空気と冷たい水が入り込んできた。

 辺りをもう一度見回すと、やや遠いものの岸が見えた。

 川の深さは俺の肘が水上に出る程度。水の流れは遅いので、押し流されるほどではない。岸までどうにか辿り着けるだろう。

 ただ、問題があったのは川幅がかなり広く、また水がひどく冷たいことだった。ずっと浸かっていると体の芯まで凍えるほど寒くなり、刻一刻と体温が失われていくのがわかる。


 体を濡らして、ぶるぶると震えるビーチェ。手がかじかむのか、しきりに俺の服を掴み直している。

「少しの間、我慢しろ。今はとにかく水場から脱出するしかない」

 肩を抱き寄せ、外套でビーチェの身体を包み込む。僅かでも水流から身を守り、体温が奪われるのを防いでやらなければビーチェの体力がもたないかもしれない。


 そんな不安が芽生え始めた矢先、周囲で奇妙な水音が聞こえ始める。音は段々と大きく、近づいてきているようだった。

 変化は水面にも表れた。

 川の流れとは明らかに異なる水の跳ね方、その動きに俺は不穏な気配を感じる。

 外套にたまたま引っ掛かっていた晶洞結界の砕けた破片を手に取り、周囲に注意を向けながら川を渡っていく。


 ひときわ大きな水音が上がり、針で突くような痛みが左腕に走る。

「――っく!」

 何かが、闇にまぎれて、俺の腕に噛みついていた。

 喰らいついてきた何者かに、尖った水晶の破片を突き立てる。

 水晶は予想以上に固い手応えに対して弾かれた。

「このっ!!」

 今度はもう一度、力を込めて突きたて、辛うじて何か固い板を貫いたような感触を得る。


 貫いた者の正体を日長石の明かりの下に晒してみる。

 それは一見して、魚のような形状をしていた。


 体長は両の手の平を広げたくらいの大きさだろうか。

 石灰質の硬い骨板で覆われた頭部と胴体、顎から生える鋸刃の如き突起。


 小柄で、硬い骨板に身を包み、淡水に棲む。

 これらの特徴を脳内で検索にかけて、俺は一つの種に見当をつけた。

(こいつは知っている……あれは確か『神々の大陸』にある大地の裂け目で、だったか……)

 通称として神々の大陸と呼ばれる土地。大地が割れてできた大きな崖があちこちに散在している。

 そんな大地の裂け目の一つで、原始地層帯を対象に発掘作業を行っていたときのこと。

 ある地層で大量に発見された魚類の化石。驚くべきことに、そいつは現代においても種の生存を確認されている生き物だった。

 人類よりも遥か古き時代から存在する、生きた化石。

 原始的な特徴を持った鮫の一種――甲骨鎧鮫コッコステウス


 鮫の仲間だけあって、当然のように肉食性である。

 顎の力も強く、衣服が強靭な金属繊維で編まれていなければ、とっくに俺の左腕は噛み千切られていただろう。

(……厄介だ。あの水音、跳ねているのがこいつらだとするなら、数が多い。こっちはビーチェを抱えている上に、水の中の敵に対して有効な術式が、すぐ思い浮かばない……)


 このまま川を渡りきるのは難しい。

 どうにかする必要がある。

(いっそ、ビーチェを捨ててしまえば楽に川を渡りきれるが――)

 冷えていく血流に頭まで冷徹になったか。

 俺は危うい思考を捨てて、別の策を考え始める。その間も、二匹目、三匹目の甲骨鎧鮫が体に喰らいついてくる。

(…………うまくやろうと思うから、手段が思いつかないんだ。まともに相手するのも馬鹿馬鹿しい)

 冷静になった頭脳は、どこまでも冷徹な思考を働かせる。

(相手はたかが魚類だ。殺しようはいくらでもある)


 外套の裏に縫い付けた内袋、その一つを探り、所々に黄色みを帯びた毒々しい赤色結晶を取り出す。

(――世界座標『ベルヌウェレ錬金工房』、『鉱毒のはこ』に指定完了――)

 刻まれた回路に魔導因子をじっくり流し込むと、結晶は橙色の光を放った。

 体力を振り絞って噛みついた甲骨鎧鮫を振り払い、奴らよりも僅かに川上へ移動すると、すぐさま呪詛を発動させる。

むしばめ、鶏冠毒晶粉けいかんどくしょうふん

 楔の名による呪詛の発動で、結晶からさらさらと白い粉が召喚される。

 粉は直ちに川へと溶け込んだ。


 すると、それまで水を跳ね散らかしていた甲骨鎧鮫が突然、沈黙する。

 ざあざあと流れる川の水音だけが聞こえるなか、俺はビーチェを抱えて歩きだす。

 少し離れた川下で、ぷかりと腹を水面に出して浮き上がった魚影。

 次々に川面に甲骨鎧鮫が浮かびあがり、それらは例外なく腹を上にして微動だにせず下流へと流されていった。




 甲骨鎧鮫を撃退し、俺達は川岸へと辿り着いた。

「クレス……私、もう駄目……」

 ビーチェは青い顔と紫色の唇で、歯をかちかちと鳴らしながら震えている。

 濡れた衣服は早々に脱ぎ去ったものの、身体を拭く乾いた布など都合よくありはしない。

 裸で自身の体を掻き抱くビーチェは、既に凍死の一歩手前といった様相だ。

 俺はそんなビーチェの状態を敢えて軽く受け流した。

「大げさだ。洞窟で野垂れ死にそうになっていたときより、よほどましだろ。今、体を温めてやる。そうすれば体調はすぐ元に戻る」

 岸に上がった俺は早速、火の確保に動いた。

 急を要するときには便利な、意思一つの一段工程シングルアクションで発動する術式。

(――焼き尽くせ――煉獄蛍れんごくぼたる――)


 いつでも自身のへそに埋め込んで隠してある蛍石の魔導回路、それが成すのは無数の火の粉を出現させる術式である。

 蛍のように宙を舞う指先ほどの火の玉が、まとわりつくようにして手近な岩を真っ赤に焼いた。

 ビーチェの身体を暖めるのに直接火の玉をぶつけるわけにもいかない。だからこうして煉獄蛍で岩を焼いて、間接的な放射熱で体を温め、服を乾かすのだ。

 暗がりの中、日長石の照明とは異なった薄赤い暖かな光がぼんやりと広がる。

 すぐにビーチェの服は乾いて、本人にも血色が戻ってくる。


「あったかい……」

「もう平気なようだな」

 俺も外套と、自分の衣服を焼けた石に近づけて乾かす。

 体が温まってくると、周りに目をやる余裕も出てくる。


 今いる場所は天井が低く、思い切り飛び上がれば頭をぶつけてしまいそうなくらいの高さだった。水平方向に広大な空間が続いており、川は地肌の露出の方が少ないくらい幅広く流れていた。

 水脈に行き当たったことはわかっていたが、地下にここまで大きな空洞が存在しているとは予想していなかった。

「静かだな」

 川から離れてみれば、ここには余計な音が何もしない。

 水中こそ甲骨鎧鮫のような生き物もいたが、陸地には生命の気配というものがなかった。


「ジュエル、無事かな……」

 ビーチェがぽつりと不安を口にする。この娘とジュエルは仲の良い姉妹のようにお互いを想っている。

 ジュエルは晶洞結界で守る暇もなく、噴出した大量の水に呑み込まれてしまった。

(まあ、そりゃあ普通は心配するんだろうがな。あの程度で精霊が滅びるはずもない。現に今も、ジュエルは着実にこちらへ向かってきているのだから……)

 精霊契約によって、俺とジュエルは遠く離れていてもお互いのおおまかな位置を知ることができる。

 ほどなくして合流も叶うだろう。



「さて、ジュエルなんかのことよりもだ。ここいら一帯を詳しく調べてみる必要がある。ビーチェ、お前もはぐれないようについてこい。足を踏み外して川へ落ちるなよ」

 言うが早いか俺はまず川の水の成分を調べ始めた。

 召喚術で水質調査用の試験薬を取り寄せて、水質を確かめる。


 実際に分析した水の成分はやや塩基性の硬水であったが、成分を詳しく調べてみれば飲料水としても利用できることが分かった。

 これで地下においても獣達の水分補給が容易になり、水浴びも好きなだけできるようになり衛生状態も改善しそうだった。

 この辺りは貴石を採掘するにも向いていない地質なので、今後も敢えて手は付けずに水源として利用することが一番よいのかもしれない。


 ……考えなしに毒を撒いてしまったりもしたが、まあ、あの水量ならば奇麗に洗い流されたことだろう。

 無限希釈というやつだ。

 それ以上は深く考えないでおいた。



「ビーチェ~!! うわーん、会いたかったよー、ボク一人で取り残されてどうしようかとー」

「ん。よしよし」

 俺が地下空洞の調査を進めていると、川の中心を歩いて進んできたジュエルと無事に再会した。

 結局、ジュエルは水が噴出した場所から殆ど動いてはいなかったそうだ。水が地下空洞に引いた後は、いきなり周りに誰もいなくなっていたという。

 すり鉢状の大空洞には水の重みで崩落した、地下へと続く穴が出現していて、ジュエルは寂しさのあまりその大穴へと身を投げたのだとか。

「大仰な話だ。大方、面白そうだと思って何も考えずに穴へ飛び込んだんだろうが」

「そんなー!? ボスにはボクの愛が伝わらないの? およよよ……ボクらはこんなにも契約と言う、結婚よりも固い絆で結ばれているのに……。熱く鞭打ち合った仲じゃない?」

「鞭……? クレスとジュエル、そういう関係?」

「誤解を招くような表現をするな!!」

 あながち全くの嘘でもないのが否定しづらく忌々しい。


「あ、そーだボス。この辺で子鬼のゴブロフ君、見なかった?」

「だから、どこのどいつだそれは」

「さっきの鉄砲水で地下に流されちゃったみたいなんだよね。他にも結構な数、巻き込まれたから。地下空洞を進んでいけば会えるかな」

「死んでいなければいいけどな。それよりも、ここの地下空洞は掘削する価値はありそうなのか?」

 俺の見立てでは貴石採掘には向いていない地質だが、一応はジュエルにも確認してみる。

「はっきり言って、うん、ないね。ただ……」

 ジュエルの感覚によれば、もっと地下へと掘り進めれば、良質な貴石の採掘できる大規模な鉱床が存在するらしい。


「なるほど、そういうことなら大規模鉱床の場所まで行って、拠点もその近くに移すかな」

「お引越し?」

「近いうちに、な」

「わーい! 引越しだー! 引越しダー! ボロい天幕おさらばだー!!」

「ジュエル……お前はいつも一言多いな」


 だが、いい加減に洞窟玄関口の拠点は遠くて、うんざりしてきた頃合いだ。

 洞窟内に水場もあることだし、これを機会に本格的な第二の拠点を作るのは我ながらいい案かもしれない。

「さて、そうと決まれば行くか。先の見えない、地下空洞探索の始まりだ」

『おおー!』

 暗く静かな地下空洞に、底抜けに明るいジュエルとビーチェの声が響いた。

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