第52話 適応個体 洞窟狼

 準一級術士クレストフが宝石採掘を進める底なしの洞窟には、穴を掘ったものの貴石があまり産出せず、採算性の悪さから放棄された坑道が多く存在する。

 相も変わらず不法侵入を繰り返す者達は、敢えてそのような坑道を狙って宝石の盗掘にやってくるのだった。放棄された坑道には、洞窟を守護する獣もほとんど寄りつかないと経験的に知っているのだ。


「ねえ、ちょっと? 本当にこの暗がりが穴場なの?」

「ああ、間違いないって。人工の灯りも取り付けられていないし、壁や地面も先に誰かが荒らした様子はねえ。同業者が手を付けてない証拠さ」

 生き物の気配が全くない坑道を一組の男女が歩いている。

 革と鉄で作られた軽装の鎧を着込み、取り回しの容易な長さをした鋼の剣を腰に帯びていた。


 侵入者達の顔ぶれも、最近はすっかり様変わりしていた。ほんの数ヶ月前までは有象無象の山賊、盗賊、ならず者が洞窟に入り込んでいたが、永眠火山が危険植物の樹海に囲まれるようになってからは、あまりに力不足の侵入者は洞窟に辿り着くより前に淘汰されてしまうのだった。

 もっとも、侵入者の絶対数が増え続けているので洞窟に侵入する人間の数も減ってはいないのだが。


「これで宝石が出なかったら怒るわよ? ここに辿り着くだけでも、獣除けの道具をいっぱい使ったんだから」

「うるせえなあ、ぐだぐだ言ってないでお前も手伝えよ。灯り持っているくらいはしろよな」

 冒険者風の男女は、女が灯りとなるランプを持ち、男がツルハシを持って近くの壁を掘ることにしたようだ。

 女の方は、けだるそうに欠伸をしてランプを持った腕を突き出している。

「おい、炎を揺らすなよ。ただでさえ手元が見えにくいんだ」

「何よ、面倒ね。ほら、これでどう? この位置なら――」

 女が灯りの位置を調整したとき、坑道の奥で小さな光が煌いた。


「ね、ね! 今、何か光ったわ! ひょっとして宝石じゃない!?」

「本当か!? ようし、幸先がいい! もっと奥に入ってみようぜ」

「ああ~、どうしよう。宝石が手に入ったらー、まずは新しい服を買ってー、美味しいものでも食べに行こうかしら~」

「せこいこと言うなよ。もっと派手な使い方を考えようぜ」

「ええ? 他に何があるのよ?」

「そりゃお前、ええと……酒を浴びるほど飲んでよぉ」

「は、馬鹿みたい」

「なにぃ!?」

 二人が灯りを持って坑道の奥に進むと、闇の中の煌きは次第に数を増していく。

 その輝きに彼らは歓喜の声を上げかけて――。



 ◇◆◇◆◇



 ……静寂と暗闇が支配する地下の世界。

薄暗い洞窟を大柄の人影が二つ、明かりもなしに歩いていた。

「兄貴、兄貴。グレミーの兄貴ぃ!」

 人影の一つがもう一つの人影に声をかけると、声をかけられた方は素早く隣の人影の頭を叩き、ドスの利いた声で叱咤する。

「馬鹿野郎が。声を抑えろ。猛獣の餌になりてぇのか!?」

 明らかに前者の声よりも大きな声で怒鳴ったのは、グレミーと呼ばれた男。

壁に自生している光苔がグレミーの横顔を僅かに照らした。その顔は銀色の毛で覆われており、鼻と顎は異様に突き出し、口は大きく横に裂けていた。グレミーの容貌はまさに狼そのものであった。


「あ、兄貴、そんなに凄まないでくれよぉ。ただでさえおっかねえ顔が凶悪になっているからよぉ……」

「ああん!? おいブチ、てめえが言えたことかぁ? 自分で鏡見やがれってんだ。てめえの方があくどい面しているじゃねえか!」

 グレミーによって壁際に押しつけられたブチの顔が、光苔によって照らし出される。その顔は茶と黒の混じった斑の毛で覆われ、グレミーと比べるとやや潰れたように低い鼻と小さな口、そして落ち窪んだ両目は白目の見えない真っ黒な瞳をしている。

 特徴的なのは頭頂部から背中にかけて生えた橙色のたてがみだ。グレミーの言うように強烈な印象を与える容貌である。

 亜人種、狼人おおかみびとのグレミーと鬣狗人はいえなびとのブチ。狼と狗の名の付く人種の二人だが、容姿は全く似ていない。ブチはグレミーを兄貴と呼んでいるが、血を分けてはおらず義兄弟の関係である。


 彼らは普段、亜人ばかりを集めた一部隊を作り、流れの傭兵として日銭を稼いでいた。今はブチと二人、新たな稼ぎ場所を探している最中だ。部隊の他の連中も金になりそうな儲け話を探してあちこち動き回っている。

 グレミーの勘では、ここ底なしの洞窟ではまとまった利益が得られそうな予感がしていた。まずは少数で様子を探り、本当に儲けに繋がりそうなら仲間を呼び集めるつもりでいた。


「それで、さ。兄貴ぃ? 実際、どうなんよ、ここ。金になりそう?」

 潰れた鼻をひくつかせながら訊ねるブチに、グレミーは鼻の付け根に皺を寄せて唸った。

「てめえはそんな単純な質問を、わざわざ俺様に聞くってのか? ちっとはてめえも金になるかならねえか、自分の頭で考えてみやがれ」

「ならないんじゃね?」

「……ブチ、俺様はてめえに『考えろ』と言ったんだ。考えなしに即答してんじゃねぇ!」

「いってぇ! 殴らないでくれよぉ兄貴。それに騒ぐと猛獣どもに気付かれるって」

「それはさっき、俺様がてめえに言ったことだ! 偉そうに説教たれるつもりか? ああ!?」


 大声で騒いでいたのが原因か、どこからか音を聞きつけて無数の足音が二人の元に近づいてくる。

「ちっ……てめえが騒ぐから、獣に気付かれちまったじゃねえか」

「ええ!? グレミーの兄貴こそ、大声で……いやぁ何でもねえや……」

 グレミーに鋭く睨みつけられ、ブチは押し黙った。すると、無数の足音は先ほどよりはっきりと近くに聞こえてきた。獣の臭いも微かに漂ってくる。

「ふぅん? この臭いはひょっとすると、近縁の下等種どもか……?」

 鼻を高く上げて、洞窟に漂う浮遊臭から、迫り来る獣が自分と近しい存在であることをグレミーは察知した。


 ほどなくして五匹の灰色狼がグレミーとブチの目の前に現れた。だが、侵入者が体格の大きな亜人と見て、狼達は強い警戒をもって迂闊に襲い掛かったりはしなかった。本能的にこの二人が秘めた危険性を感じ取っているようだった。

「あー……兄貴ぃ、これ、狼だぁ。兄貴そっくりだなー」

「あんだとぉ!? ブチてめえ、ぶち殺すぞ!! 誰がこんな、主人に尻尾振って生きている下等種と似ているってんだ? うらぁあっ!!」

 グレミーの一喝で灰色狼は縮み上がり、尻尾を丸めて後ずさるとそのまま背を見せて逃走に移った。

「けっ……腰抜けが」

「あーあ、兄貴ってば大人げねえなぁ」

「うるっせえ! 俺様はなぁ、誰かに媚びる態度ってのが自分でも他の奴でもとにかく気に食わねえんだ」 


 肩を怒らせて歩くグレミーに、肩を竦めてついていくブチ。

 二人はそのまま複雑に分岐する洞窟を明りもなしに探索していく。やがて、大きな空洞に出ると図体の大きな屍食狼ダイアウルフが一匹、彼らを出迎えた。

「兄貴、でけえ狼だ……」

「ああ、野生じゃねえな」

 屍食狼はグレミー達を視界に捉えると、グッグッグッ……と笑い声とも聞こえる低い唸り声を零した。

 馬鹿な獲物がまたやってきた、とでも言うかのように涎を垂らしながら牙を舐めている。

「は? 俺様を笑ってやがるのか、どこぞの操獣術士にでも飼いならされた畜生めが」

 グレミーは獰猛に牙を剥き、拳を固めた。


「おらおらぁっ! どうしたぁっ! 犬畜生がっ!! かかってこいやぁ!」

「グレミーの兄貴ぃ、そんな挑発に獣が乗ってくるわけ……」

 ブチが何やら言いかけた途中で、屍食狼が猛然とグレミー目掛けて駆け出した。

「うわぁ、来たよ、本当に来た! 兄貴!」

「てめえは引っ込んでろブチ! こいつには俺様が格の違いってもんを教えてやる!」

 グレミーは真っ向から勝負を挑んだ。

 対する屍食狼もまた体を上下に揺らしながら加速し、グレミーの喉笛めがけて飛びかかる。


「うぉらっ!!」

 グレミーは鋭い爪の生えた拳で飛びかかってくる屍食狼の横っ面を殴り、更に下腹がめり込むほどに強く蹴り上げた。

 屍食狼は顔面から血を噴き出し、体を折り曲げて地面を転がっていく。

 しかし、すぐさま態勢を立て直すと洞窟の壁を蹴りつけて勢いよくグレミーに体当たりをかます。そのまま押し倒して首に噛みつこうとしているのか。咄嗟に危険を察知したグレミーは勢いに逆らわず、押された力で後方に大きく飛び退る。

「けぇっ! 俺様を下がらせたことだけは褒めてやるぜ! だがよぉ――」

 グレミーは地面を這うように姿勢を低くして突進し、屍食狼の顎を下から掴みあげると隙のできた喉元へ鋭い剣歯を突き立てた。屍食狼の喉から血飛沫と空気の音が漏れる。そのままグレミーは顎の力で喉の肉を食い破り、首の骨を噛み折って屍食狼を絶命させる。

「……噛みつくのは、てめえの専売じゃねえんだよ」


 がくり、と屍食狼の全身から力が抜けて、グレミーが口を開くと何の抵抗もなく地面へと体を横たえた。

「どうだ、思い知ったか!! ああ!?」

「あ、兄貴、盛り上がっているところ悪いんだけどぉ」

 ブチがグレミーの肩をつついて、大空洞の先へ続く奥の坑道を指差す。

 わらわらと屍食狼の群れが坑道から現れており、その数は十匹にも及んでいる。

「おっと……こいつはまた、大層なお出迎えじゃねえか」


 群れの中に一匹だけ、体格が他の倍はあるだろうか、極端に体の大きな個体がいた。群れの統率者と見られる個体には額に小さな水晶玉が埋め込まれており、その獣の瞳には明らかな理性の光が宿っていて、グレミーを見ると品定めでもするかのように目を細めた。

 屍食狼の統率者はグレミーの隣にいるブチには一瞥をくれただけで身を翻した。大空洞から繋がる何十本もある坑道のうち、出てきた場所と同じ坑道へと戻っていく。他の屍食狼達も遅れて元来た坑道に消えていき、大空洞にはグレミーとブチ、そして一匹の屍食狼の死体が残された。

「あいつら、兄貴の迫力にびびって逃げ出したみたいだぁな」

 ブチは鼻をふん、と鳴らして大空洞を進み、屍食狼の出入りがなかった別の坑道へと向かう。

 大きな態度を見せていても屍食狼とは関わりあいになりたくないようだ。


「ブチ、そっちの坑道は行くな」

 グレミーは、大空洞をそれ以上は進まずにブチを呼び戻す。言われて首を傾げたブチだったが、グレミーの言うことを素直に聞いて戻ってくる。

「へぇ? 何でぇ?」

「そっちにはなぁ、気にくわねえ臭いが充満しているのよぉ……。いいか、こっから先の坑道は無視だ、ここいらで掘り出し物がないか探すぞ」

「へーい。あ、言われて見れば確かに、宝石っぽい石ころがこの辺りは落ちていやすねぇ」

 能天気にも辺りの地面を這ってお宝探しに没頭するブチをよそに、グレミーは幾つもある坑道の奥を睨みつけていた。

 大きな蝙蝠が何匹も頻繁に出入りを繰り返している。


 グレミーにとっては顔を顰めるほどに濃厚な血の臭い。

 ブチはもともと血の臭いをあまり気にしない性格なので、血の量の過多について考えもしなかったのだろう。だが、グレミーにはわかる。

 そこは何者かが好んで狩場としている場所なのだ。それもグレミーの鼻が利かなくなるほどの血が染みついている。

 明らかに罠だ。

 潜むものがいかなる存在かわからない以上、敢えて危険地帯に飛び込む愚を犯すこともあるまい。

 グレミーは一度、洞窟を脱出することを考えた。

 ここから先は気を引き締めて行かないとならない。だから、仲間を呼び寄せてから改めて挑戦することに決めたのだ。

 基本的に短気な性格で行動は粗雑なグレミーだが、本能的な危機意識は鋭く、その感覚に絶対の自信も持っている。


「今は一旦、退いてやるさ。けどよぉ、いつか必ず攻略してやるぜ。このダンジョンの、奥の奥までな……」

 グレミーは坑道の奥を睨み据え、大きな口を歪め不敵に笑うのだった。


 ◇◆◇◆◇



 大空洞から分岐する複数の坑道。それらの坑道では、クレストフが採掘の為に設置している日長石の灯りも取り外されてしまっている。僅かに壁に生えた光苔が闇の中で薄ぼんやりと光を放っているだけだ。そこは既に採算が取れるだけの貴石を取りつくした、いわば廃坑であった。

 それでも、品質は低いが貴石の欠片は産出した。僅か一欠けでも、個人で採掘を行う分にはちょっとした稼ぎになる。貴石の欠片を目当てに侵入する冒険者は相変わらず後を絶たなかった。


 だが、一見して何もないように見える廃坑の奥に蠢くものがある。

 高い集光性を持った対の瞳が、息を潜めて闇の奥から獲物を狙っていた。

 欲に目がくらんだ愚かな侵入者が迷い込んでくるのを、今か今かと待ち構えている。


 日長石の灯りで照らされた場所は、目に付く範囲では貴石の欠片一つ残さず採りつくされている。

 侵入者の狙い目はむしろ、他の人間がまだ手を付けていない穴場。

 必然的に灯りのない、坑道の本筋から外れた場所へと敢えて入りこんでいくことになる。

 そこが、獰猛な狼の狩場とも知らずに。


 闇に潜む狼達。

 その体高は灰色狼よりやや大きく、さりとて屍食狼ほど大きくなく、毛並みは艶のない黒一色。

 彼らは平原や山地を走る灰色狼とは、似て非なるものだった。

 洞窟の奥深く、狭い坑道の中、暗闇での生活に順応した獣。


 闇の中から牙を剥く、灰色狼と屍食狼の交雑種『洞窟狼』。

 偶然か必然か、彼らは底なしの洞窟に適応して生まれた種である。洞窟に渦巻く悪意を存分に吸って成長し、人の血の味を覚えた野獣だ。

 身動きのとりにくい狭くて暗い坑道内で、静かに素早く動き回って獲物を狩ることに特化している。


 放棄された真っ暗な坑道の奥から、絶望の叫び声が響いてくる。

 今日もまた恐れ知らずの冒険者が暗い穴へと入り込み、そして二度と出てくることはないのだった。

 暗闇の中、洞窟狼の姿を見て、生きて戻った者はまだいない。


 故に闇の中の獣の正体は、未だ秘匿されたままである。

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