第50話 樹海に潜む暗殺者
※関連ストーリー 『魔導技術連盟』『広まる噂』参照
――――――――――
ここ最近になって急に緑を濃くした永眠火山は、所々が岩肌剥きだしで禿げていた以前とは変わり、鬱蒼とした樹海が広がる山になっていた。
それでも相変わらず獣の姿は少なく、時々食糧を求めて徘徊する子鬼や灰色狼の姿が散見される程度だった。
宝石の採掘が可能なダンジョン・底なしの洞窟へ挑む冒険者達は、木々を切り倒して山中に野営地を作り、猛獣溢れる危険な洞窟を攻略するための拠点としていた。近くには川もあるので水に困ることはない。大抵の冒険者にとって、洞窟に踏み込む前までは気楽な山登りといった感覚だ。
薪を火にくべて、川魚を焼いている小さな野営地があった。
木々が増え、森の土壌が肥えてから川に流れ込む栄養も増えたのか、川面に餌の付いた糸を垂らせば魚を容易に釣り上げることができた。
他にも森の中には木の実を主食とする小動物や大型の草食動物も生息するようになり、それらを狩ることで持ち込みの食糧を温存しながら洞窟攻略に挑める環境が整えられていた。
「うおおーい、獲物を狩ってきたぞー。肉を捌くの手伝ってくれぇー」
「あら、お帰り! ねえ、皆ちょっと集まってよ。大きな獲物が手に入ったみたい!」
「大きな獲物? 子鬼じゃねえだろうな。あれは筋張っていて、とても食えたもんじゃないから……」
「ばっかやろー! よく見てみろ! 捕ってきたのは
「本当だ、すげえ大物だな」
「でも、この山に剛槍鹿なんて生息していたかしら?」
「知るかよ、こうして捕まえたんだからいるんだよ」
「別の山から移動してきたのかもしれないな」
丸太の骨組みと厚めの布で造られた簡素な野営地で、冒険者達は英気を養っていた。彼らは洞窟の上層部で細々と宝石採掘を行っては、野営地で休息するといった生活を何日も送っている。息詰まるほどに獣の臭いが漂う洞窟内では、一瞬たりとも気を抜くことができない。だが、野営地に戻ればそこは静かな風の吹く安全地帯だった。
剛槍鹿の肉を捌いて焼き肉にしようと燻っていた炭を熾す冒険者達。
のんびりとした空気の漂う静かな山中に、突如として獣の波が押し寄せた。
血と煙の匂いに誘われて、数えきれないほどの子鬼と灰色狼が野営地を襲撃したのだ。
子鬼の集団に棍棒やら刃の潰れた剣でめった打ちにされ、全身を灰色狼に噛みつかれる。不意を突かれた冒険者達はまるで反撃をする間もなく、剛槍鹿の肉ともども、あっと言う間に挽き肉と化した。
獣の群れは幾つかの集団に別れながら山中へと散った。
あちこちで冒険者の野営地が急襲を受け、ある者は無残に食われ、ある者は応戦し、ある者は逃げ出した。
これまでも山で獣に襲われることは稀にあったが、今回ばかりは状況が違った。獣達は明らかに冒険者を標的にして、一斉に襲い掛かってきたのだ。
「はぁっ……はっ……畜生めが……! いきなり、あんな大群で襲ってきやがるなんて!」
「皆、無事か!?」
「何とかなぁっ!」
「こっちも無事だ!」
獣の襲撃から逃れた数人の冒険者達が、獣を振りきろうと必死に山を駆け下りていた。
「混乱の最中に逃げ出してきたが、数えきれねえほどの子鬼と灰色狼だった!」
「うげっ!?」
「森の巨人や屍食狼でもあるまいし、装備さえ整えて向かい合えば恐れることはねえ!」
「馬鹿、あの奇襲を受けて平静でいられたかよ! 即座に逃げて正解だったんだよ!」
ばらばらに逃げながらも、声を発してお互いの位置を確認し合う。落ち着いて四人が力を合わせれば、子鬼や狼など撃退できない相手ではない。
「これからどうする!」
「そうだな、一旦――」
「山を下りよう! 態勢を立て直してから再挑戦する方がいい!」
全員が同じ気持ちであったのだろう。特に反対意見も上がらず、半ば滑り落ちるようにして山の斜面を駆け下りていく。
遠くで狼の遠吠えが聞こえた。
「麓の村で落ち合おう!」
「わかった! 皆、無事に――」
言うが早いが、周囲にいた仲間の気配が消える。
これ以上の無駄口は危険と判断したのか。今はとにかく各自の判断で、可能な限り速く山を下りるべきと思われた。
灰色狼が数匹、冒険者の男に追いつこうとしていた。
「はあっ、はあっ! もう少し、もう少しで、麓だ! 逃げ切れる!」
斜面は徐々になだらかになっており、あと少しで平地へ出て村に辿り着くことができる。
山裾へと近づき、樹海の切れ目が遠目にも見え始めた頃、灰色狼は急に追走を諦めて動きを止めた。
(どうしたんだ、やつら? 縄張りの端まで来て諦めたか? なら、逃げきれ――)
ひゅぅっ、と風を切る音が耳元で聞こえた。
瞬間、息が詰まり、視界がぐぅっと高い位置に引っ張られる。
地面が驚くほど下の方に見えた。
(――!! 何、が!? どう、して? 浮いて、いる? 視界、高く、息、できない――)
体をじたばたと動かしもがいても、体は空中に浮いていて自由がきかない。
何かが、細長い何かが首に巻き付いていた。
必死にそれを外そうと首に巻き付いた何かを握りしめるが、緩めようにも引き千切ろうにも固く絞められていて解けない。
爪が剥がれるほどに力強く毟っても、自分の首の皮が破けるばかり。しばらく足掻いていたが、すぐに脳へと酸素が行かなくなり意識が遠のく。
視界が霞みゆく途中、自分のすぐ隣に冒険者風の女が一人、宙吊りになっているのが見えた。
高い木から垂れ下がる植物の蔓に絡まれ、女は首を括られて息絶えていた。
それがまさに自身の陥った状態を示すものだと気付く頃には、冒険者の男もまた息絶えていたのだった。
◇◆◇◆◇
太い木の根元に死体が横たわる。
その傍には、血肉の匂いに敏感な狼も近づいては来なかった。
「……よしよし、利口だな、狼共。あれには決して近づくな。吊るされるぞ」
俺は周囲を警戒しながら、死体に巻き付いている木の蔓を注意深く観察していた。
太く高い木に、寄生するように巻き付いている植物の蔓。
その蔓こそ、魔導技術連盟の一級術士『深緑の魔女』から親交の証にと譲り受けた、『
しかし、なんとも怪しげな植物の種だったので、一応、強力な服従の呪詛を込めた結晶を成長段階の途中で埋め込んでおいた。植物の蔓全体に魔導回路が自動形成されるように、成長に伴って呪詛が進行するような術式を組んでおいたのだ。
その後、とりあえず間違っても自分に被害が出そうにない場所で成育を見ることにしたのだが……、正体はこれである。あらかじめ呪詛による制御を加えておかなければ、俺自身が首を括られることになっていたかもしれない。
絞殺菩提樹は長い蔓を他の木や地面に這わせて成長し、動物が触れたりすると蔓を一気に巻いて締め上げるという特性を持っている。
(深緑の魔女め……俺を殺す気か? それとも、これくらい扱えなくては一級術士になれないと言うつもりか)
もし、これが純粋な好意から渡されたものだとしたら、それはそれで恐ろしいことだ。
……絞殺菩提樹の種を植えて数ヶ月、さほど木々の生育のよくなかった山林は、枝葉が鬱蒼と茂る樹海へと変貌していた。空を遮る緑の枝葉、その五分の一ほどが絞殺菩提樹の葉であることを考えると背筋がうすら寒くなる。
もともとこの辺りの地域は雨が少なく、幾本かの数少ない小川と朝露に濡れた木々の葉が貴重な水源となっているほどで、植物の成長には厳しい環境であった。
しかし、土中深くには地下水が多量に存在しているらしく、これを地中深くまで根を伸ばした絞殺菩提樹が吸い上げることで土地を潤したようなのだ。
土が湿り、水を吸って木々が増えれば、森の恵みを受けて多くの動物達が生息できるようになる。そして多くの動物達がその地で生活するようになれば、糞や死骸など木々の苗床となる優良な土壌が形成される。特に絞殺菩提樹に限っては、意図的に動物の死骸を養分として吸収している傾向があった。
自然の好循環が樹海を成長させ、所々が岩肌剥き出しであった以前の永眠火山とは景色が一変していた。
洞窟に篭りがちの俺はその変容の様を今まさに知ることになった。正直、ここまで急激な環境変化が起こっているとは思わなかったのだ。
永眠火山の山裾までびっしりと覆い尽くす樹海を眺めながら、俺は思わず独り言を呟いていた。
「敷地境界を越えて繁殖しないよう呪詛を掛けなければ、今頃どうなっていたんだろうな……」
自身で撒いた種とは言え、今更になって少しやり過ぎたことを反省した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます