第48話 五級術士ジミニー
※関連ストーリー 『魔導技術連盟』参照
――――――――――
「こ、ここがあの悪名高いダンジョン、底なしの洞窟……」
一人の女性が、永眠火山の中腹にぽっかりと開いた洞穴を覗き込んでいた。
頭巾と一体になった真っ黒な外套を羽織って、顔から全身にかけて一切を隠している。深く被った頭巾の隙間から、かろうじて赤い唇が覗いているくらいだ。外見からして誰がどう見ても術士の装いであった。
洞窟の入り口からは獣の唸り声のような風吠えの音が鳴り、これから足を踏み入れんとする愚か者に警告をしているかのようだった。
「ひぃいいぃ……。噂通り、恐ろしげな感じがひしひしと……」
恐れのあまり細く赤い唇を大きく歪め、体の震えのままにかちかちと歯を打ち鳴らす。
女術士は洞窟の入り口でかれこれ一時間以上も悩んでいた。
「ううう……いくら仕事だからって、やっぱり来るんじゃなかった……。別の人に代わってもらえば良かった……ああ、でも誰もいなくて私に回されてきた仕事だった……」
彼女は魔導技術連盟に所属する正規の術士。
五級術士ジミニー。
三十路一歩手前の年齢にして独身、恋人もおらず、当然ながら結婚の予定はない。
両親からも孫の顔はあきらめられており、かと言って仕事に情熱を傾けるほど熱心な勤め人でもなかった。
魔導技術連盟の情報部調査課に所属し、いつも毒にも薬にもならないような情報集めの仕事をさせられている。
今回もそんな仕事の一つだとジミニーは思っていた。
実際に仕事が回されてきた当初は、山の中腹にできた洞穴に野生の獣が棲みついた、という他愛のない話だった。早々に調べを終えて、当たり障りのない報告書を書いてこの仕事は完了。
――そう思っていたのだ。ほんの数ヶ月前までは。
この仕事の優先順位が低かったこともあって、別の用件を片づける為に遠くまで出張していたジミニーは、帰還してすぐ『洞穴に棲みついた野生動物の調査』に出向いた。
ところが、洞穴のある山へと近づくにつれ徐々に不穏な噂が耳に入るようになる。ジミニーが向かう予定の洞穴は、今では底なしの洞窟と呼ばれるほどに拡大しているのだとか。
ごく最近になって猛獣が大量に棲みつくようになり、最寄りにある麓の村で聞いた話だと人死にが把握されているだけで数十人、未確認の事例も含めれば百人以上という規模で被害が出ているらしいのだ。
わずかな期間で、洞窟の危険度が急激に高まったようだった。
このことを知ったジミニーは、すぐさま連盟本部にある調査課のドロシー課長に向けて、簡易報告書を送還術で送った。自分の手に余る事態が起こっている、と。だが、ドロシー課長の反応は冷たいものだった。
『周辺の噂程度では正しい実態はわかりませんよ。そこはしっかり、洞窟内を調査して来て頂かないと。出張費、行き帰りだけでどれだけ使うと思っているんです? しっかり頼みますね、ジミニーさん。そのまま帰ってきたら、業務放棄とみなしてお給料から差し引いちゃいますから』
簡易報告書を送ってから十分後、ドロシーからジミニーの元に送還されてきた紙片には、有無を言わさぬ走り書きがあった。汚い字だ。仕事の片手間に書き殴って寄越したのだろう。
(――くそっ、くそくそっ、あんの魔女め! 現場の状況も知らないで、勝手なこと言ってー! 大体、私より十歳も若いくせに課長とか、小娘のくせに、ななな、生意気なのよぅ! あ、いや、だからって私は課長職なんて面倒な事やりたくないけど……と、ともかく、あの魔女は何もわかっていない! ……いいえ、いいえ、それもきっと違うわ。あの魔女のことだもの、たぶん全部わかっていて私に面倒な仕事を押し付けたに決まっている!)
ドロシーとのやり取りをまざまざと思いだし、ジミニーは
「嫌だけど……嫌なんですけどぉ……。行かなくちゃ、給料から本気で引かれちゃうから……あの魔女は本当にやるからぁ……ひっく。なによ、年上のお姉さん苛めて何が楽しいのよ、あの魔女はぁ……」
ジミニーは泣く泣く、底なしの洞窟へと足を踏み入れた。
心の中で葛藤を始めてから、実に二時間後のことだった。
洞窟の中では無数の灰色狼がうろついていたが、ジミニーは獣避けのお香を使って、どうにか危険を退けていた。今回の調査は危険度が高まったので、召喚術で取り寄せたのだ。ちなみに、連盟の経費では落ちない。自腹を切っている。
「うぅう……頼むから近づいて来ないで~……。と、とにかく生息している獣の種類だけ遠目に確認して、洞窟の規模を調査するのも道を一本奥まで行って戻ってくる。それで十分なはず……」
何も洞窟内の全容を把握する必要はないのだ。この洞窟の危険度がどの程度か、より等級の高い術士による調査が必要か、それだけはっきりとさせればよい。
さっと行ってすぐに戻ってくる。そのつもりだったジミニーだが、途中から洞窟の構造が複雑な迷路のようになり、彼女は方向感覚を失い迷ってしまった。
「まずい~。まずいわー……。も、もしこの状況で猛獣なんかと遭遇したら……」
不安を口にした途端、まるでそれが呪詛を発動する
「で、出た~!!」
ジミニーの悲鳴に対して剣歯虎も一声吠えた。縮み上がる彼女に剣歯虎は一歩一歩、間合いを測るようにして歩み寄ってくる。こうも正面切って遭遇してしまっては、獣避けのお香などもはや意味をなさない。
背を見せた瞬間に飛びかかられて殺される。このまま突っ立っていても確実に殺される。
ならばもう覚悟を決めて戦うしかなかった。
(……とは言ってもー……武闘派の術士でもない私が、こんな猛獣相手に近接戦闘できるわけないし……ここは、召喚術でどうにか……)
まだ剣歯虎との距離があるうちに、自らを守ってくれる召喚獣をこちらも呼び出すのだ。
戦う覚悟を決めると、ジミニーは目深に被った頭巾を跳ね上げ、腕まくりをして剣歯虎に相対する。肩口まで伸びた茶色い髪がふわりと広がり、焦げ茶の瞳が涙に潤んできらりと光る。
ジミニーは意識を集中して脳から魔導因子を搾り出し、腕に刻んだ魔導回路へと循環させていく。
脳神経と腕の魔導回路がびりびりと痺れるように痛む。術士として未熟なジミニーは魔導を扱う際の苦痛にいまだ慣れないでいた。
普段の生活では、体に負担をかけるような強力な術式は全く使わない。こうも追い詰められる事態にでもならなければ必要ないのだ。
痛みは意識の集中を妨げ、世界座標の指定など術式の制御を困難にする。
(ううう……っ、『パンノニアの大平原』に世界座標を指定して……うう、私の呼びかけに応えしものよぉ、こっちに姿を現せぇ~……)
腕の魔導回路が不安定に明滅を繰り返しながら、魔力反応による活性を示す。
『い、出でよ!
ジミニーは召喚術を使った。
しかし、何も起こらなかった!
剣歯虎は様子を見ている。
「あ、あれ? 失敗? あ! そ、そうか、もっと範囲を絞って、契約対象を特定して直接……」
ジミニーは再び集中を始めた。
剣歯虎は警戒している。
(ええと、『パンノニアの西平原』に世界座標を指定。私と契約を交わせし絆ある者よ、呼びかけに応えここに参じよ……)
『出でよ! 三角大兎!』
召喚術の行使によって、光の粒が飛び交い、一点に収束して形を成していく。
牙を剥いて身構える剣歯虎。
光が徐々に弱まった後には、召喚術によって呼び出された三角大兎――の、死骸が出現していた。
「ああっ……! そんな、腐ってる!」
剣歯虎は大きく体を伸ばし、あくびをしている。
「そっかー、そうだよねぇー……。この子に召喚用の標識付けたのって、かれこれ十年以上前だもんね……。死んじゃってたかー……」
昔、パンノニアの西平原へ出張した時、自分も立派な召喚獣が欲しいと思って、平原にすむ獣を確実に呼び出せるよう標識を付けることに挑戦した。人間の大人ほどの体格がある三角大兎にど突き回されながら、そのもこもこの体へ必死にしがみつき標識を付けたのは懐かしい思い出だ。
ジミニーが感慨に耽っていると、ひどく苛立たしげな獣の声が聞こえてくる。
剣歯虎は軽く唸った後、ジミニーがもはや警戒に値しないと判断し、のしのしと無造作に近寄ってくる。
「ち、近づいちゃ駄目です! こ、今度こそ、今度こそ呼びますよ、出しちゃいますよ~……」
失敗に挫けながらも、命までは諦めきれないジミニーは最後の賭に出る。
標識なしでも座標付近で条件に合うものがいれば召喚は成り立つ。成功率は低いが……。
(――世界座標『パンノニアの西平原』! 契約にあらがわぬ者よ、呼びかけに応えここに参じよ)
『出でよ、三角大兎!』
光の粒に包まれて、今度こそ生きた三角大兎が召喚される。雄々しき三つの鋭い角、血の如く真っ赤な眼、ひくひくと動く鼻と髭。
堂々たる佇まいで現われた三角大兎に、剣歯虎が猛然と襲いかかる。
三角大兎は一瞬で長大な牙を首に突き立てられて絶命した。
「いやあぁぁあっ!! うさぎさ~ん!!」
いくら大型の兎とは言え、剣歯虎の前にいきなり召喚したところで恰好の餌食である。
剣歯虎は大兎を食らって満腹になると、ジミニーを残してその場を去っていった。
ジミニーは大兎を生贄に捧げ、どうにか窮地を脱したのだった。
命辛々、剣歯虎から逃げ出してきたジミニーは、その後も何匹かの大兎を犠牲にしながら洞窟の奥へと進んでいた。仕事だから奥へと足を進めているわけではない、逃げ回っているうちに奥へと入り込んでしまったのだ。
「ひぃ、ひぃ……! 死ぬ! もう死にます、私……!」
連続して召喚術を行使したことで、魔導回路を刻んだ腕は痺れて感覚もない。そんな状態の彼女に容赦なく洞窟の獣達が追い縋ってくる。
ひどい頭痛に苛まれ、意識も朦朧とする状態で歩いていたジミニーは前方に人影があることに気がついた。この洞窟へ稼ぎに来た他の冒険者かもしれない。ならず者の人間は獣より恐ろしい、と話には聞くが、現時点で獣に殺されかけている状況を考えれば、相手が例え盗賊であったとしても助けを求めるほか選択肢はなかった。
「そ、そこの人! お願いです! 助けて!!」
「ああん? 助けだと?」
黒い外套を着た姿から、その人がジミニーと同じ術士であることを確認できた。間違いない、あの外套は連盟本部で支給されているものだ。それは向こうもわかったのだろう。やや、警戒するような視線をジミニーに向けながらも、追ってきていた獣の前に立ち塞がる。
「しっ、しっ! 俺はこの女術士と少し話があるから、あっち行っていろ」
獣の群れはやや不満気に唸っていたが、渋々と引き下がり元来た坑道を戻っていく。どうやら助かったらしい。
(た、助かったぁ……。それにしても今のやり取り……もしかして先程の獣達は、この人が操っていた? あわわ、だとすると、もしかしてこの人、法外術士だったりして――)
術の力に溺れ、法を破って犯罪に走る術士は決して少なくはない。そういう者達は大抵、人の少ない土地に引きこもって禁呪の研究をしていたりする。他にどういう理由があって、こんな辺境の洞窟に拠点を構える術士がいるだろうか。
「お前、連盟の術士だな?」
「は、はいっ!?」
思わず素直に答えてしまってから失敗を悟った。相手が法外術士で、こちらが正規術士なら、目の前の人物は通報を恐れてジミニーを殺そうとするかもしれない。だが、ジミニーの杞憂をよそに法外術士?は、はっきりと自分の所属を告げてきた。
「俺は連盟本部、監査室所属の準一級術士クレストフだ。今は宝石の……んんっ! 個人的な用件を優先して、ここ永眠火山を拠点に仕事をしている。お前はどこの所属だ、何をしにここへ来た?」
都合の悪いことを口にしそうになったのか、途中で咳払いを挟みながら話をするクレストフ。
対するジミニーは、監査室と聞いて先程までとは違った意味で震えあがる。監査室とは連盟の内部における不正を暴き、場合によっては法外術士を色々な形で『処分』してしまう部署だ。その仕事柄、彼ら自身も法外術士と紙一重の世界に身を置いている。もし彼らに法外術士と認定されたら、社会的あるいは文字通りそのままに抹殺されてしまう。
「わわわ、私は、連盟本部の情報部調査課に所属している五級術士のジミニーです! ここへは、ええと、『洞穴に棲みついた野生動物の調査』に来ました!」
長い沈黙が訪れる。
自分は何か問題のある発言をしただろうか。
不安に駆られるジミニーに対して、クレストフは事務的な口調で答えを返す。
「いったい、いつの話をしているんだ? 確かに洞穴に野生の獣が入り込んできたという報告は上げたが、それについて俺から調べてくれとは言っていないし、今は準一級権限でこの永眠火山の調査行為は禁じられている。元々が私有地で、管理権限も俺が有している。調査の許可など下りるはずはない」
ジミニーは血の気がさぁっと引いていくのを感じた。唇が震えてしまうが、弁解せずにいるのは非常に危うい気配だ。
「で、でも、そんな話は上司から聞いていませんよー……?」
「準一級権限の情報規制に関して、既に二ヶ月以上前に連盟へ申請している。それもあって、この洞窟に連盟所属の術士は一人も来たことがない。何故お前はここに来た? 永眠火山に関する報告書も見ていないのか?」
「はあ……見てないですねぇ。記憶を辿っても、やっぱり上司からも聞いていませんし――」
「この能無し! 聞いていなくとも! まず第一に誰の管理する土地か、確認するのが仕事だろうが!! 情報を追っていけば、規制が掛かっていることも正規の報告書に記載されているはずだ! 本当に見てないのか!?」
「ひゃいぃいっ!? すみませんっ!」
正規の術士であれば、この洞窟が準一級術士クレストフの管理する場所だと知りうる立場にある。だが、彼女には上司から詳細は知らされていなかったし、彼女自身も最初の下調べで満足して、数ヶ月前の情報を元に現地へやってきてしまったのだ。
そして、その裏にある事実については、ジミニーもクレストフも現段階では知り得なかった。
連盟の中には派閥があり、クレストフと敵対する勢力の術士が情報収集の為にジミニーを送り込んだというのが実際の所だった。
外部からの依頼として、目的はあくまで『洞穴に棲みついた野生動物の調査』。クレストフから連盟へ報告されていた内容は『鉱山開発の開始と、坑道に野生動物が入り込んだ事例』という古い情報のみが記録され、以後に上げられてきた情報は準一級権限の情報規制も一緒くたに、意図的に伏せられていた。
それは、クレストフが得ようとしている利権を、水面下で横取りしようと考える者達の策謀だ。クレストフ自身が情報規制している点を利用し、本来は公開されるべき情報まで隠ぺいしたのだ。他の派閥が興味を持って、乱戦となることを嫌がっての行いである。
そして、なるべく連盟の派閥争いに関係なく、都合よく実態調査を行える駒として無難に五級術士のジミニーが選ばれたのだった。
「まったく……これだから最近の術士は水準が低いと、騎士協会になめられるんだ……」
「ええ~、あなたも最近の術士ですよねー?」
ジミニーの見立てでは、目の前のクレストフはドロシー課長と同じくらいの年齢に見えた。
「だ・か・ら、一緒にされたくはないと、言っているんだ!! さあもう仕事の邪魔だ! 出て行け!」
「そ、そんな! 待ってください! このままじゃ私も帰れません! あの獣達は何ですか? あなたが召喚したんですか? せめて、この洞窟を何の為に掘っているのかとか、最低限、報告書が書けるだけの情報を――」
「うるさい! 準一級権限の情報規制だと言っているだろ!」
「そこを何とか~っ! それなりの報告ができないと、お給料から出張費を差し引かれてしまうんです~!」
「知らん! 報告書なんぞ、適当に書いておけ!」
クレストフに懇願するジミニーであったが、彼女はすぐに
――後日、情報部調査課五級術士ジミニーの報告書が連盟に提出された。
報告書は提出後まもなく、一級術士『風来の才媛』の独断によって、一級権限の情報規制がかけられた。報告書に目を通したのは情報部調査課課長、および情報部部長、一部取締役幹部と限られていた。
情報はそれ以上の拡散を防がれたが、この調査がいったいどこから依頼の出されたものか、真の依頼主は明らかにならなかった。あるいは既に、依頼主へと情報は伝わってしまったかもしれない。
もっとも、それは毒にも薬にもならない情報であったが。
以下、報告書を一部抜粋。
……永眠火山、底なしの洞窟は、血も涙もない恐るべき魔人の棲み処でありました……。
現在の所、魔人は永眠火山を縄張りとしており、それより外への勢力拡大は考えていない模様。彼の者は無数の獣を操り、その洞窟の奥に秘する何かを掘り出そうとしているようでした。
目的は不明。地の底深くに何があるのか、追加調査が必要と思われます。なお、洞窟内は非常に危険な環境にあり、安全を確保しつつ詳細な調査を行うには、少なくとも三級以上の実力を有した術士を派遣すべきと提案します……。
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