第47話 騎士への未練

「クレス……」

 自称騎士セイリスとの戦闘を終えた俺の傍に、心配そうな顔をしてビーチェが寄ってきた。

 終始、余裕を見せて斬り合っていたつもりだが、ビーチェには俺が危険に晒されているように見えたのだろうか。

「この程度のことで動揺するな。俺は平気だ。それから……俺のことは親方マイスターと呼べと言っているのに」

 ビーチェの額を左手の人差し指で軽く突き、何事もない様子を見せつける。

 先頃の打ち合いで砕けた段平の刃は早々に大地へと還し、痺れで震える右手は背に隠した。


 俺は洞窟の壁にもたれて気絶している自称騎士、セイリスを改めて見やった。段平に魔力を込めて放った俺の最後の一撃で、セイリスの鎧は吹き飛んで上等な衣服も下着も襤褸雑巾のように穴だらけの有り様となっている。

「おい、この女を洞窟の外へ放り出しておけ」

 近くに待機していた森の巨人へ指示を出してセイリスを運ばせる。森の巨人は軽々とセイリスを摘まみあげると、洞窟の入口へと向かい歩き去っていった。


「……さて、ビーチェ。思わぬ邪魔が入ったが誓約の儀式のやり直しだ。獣共を一堂に集める機会なんてそうはない。こいつらが大人しくしている間に、さっさと隷従させてしまえ」

 洞窟の獣達は一時的に、ここ大空洞へと集められていた。命令に従わない自由徘徊の獣も、今回に限っては特別に呪詛を掛けて連れてきている。

 日頃の生活において、俺自身は洞窟の獣達との誓約で襲われることはないが、ビーチェは対象外だ。いくら魔眼持ちと言っても彼女の力量では獣共を完全に抑えることは難しいだろう。そこで、改めてビーチェと獣達との間にも誓約を交わすことにしたのだ。


「と、言うことでだな、もう一回あの獣の群れに揉みくちゃにされてこい」

「う……唾液べとべと……」

 嫌々ながらも、ビーチェは獣の群れの中へ自ら進んでいく。赤銅熊に鼻先で突かれながら匂いを嗅がれ、剣歯虎の舌先で無遠慮に体中を舐め回される。こうして、ビーチェの匂いを覚えさせたところで、獣達が匂いの主に対して隷従する誓約を施していく。

「クレス……まだ?」

「まだだ。まだ全工程の三分の一だ」

 匂いを覚えた獣は、ビーチェから興味を失ってその場を去っていく。

 獣が匂いを覚えた瞬間、あらかじめ掛けておいた術式が発動し、それはビーチェに対する誓約へと変じる。そういう呪詛がかけられていた。


 召喚時の誓約は破棄されているので、俺に対する隷従の誓約も改めて行っていた。

 ちなみに俺は舐め回されることなく、自身の持つ魔導因子の固有波形を獣達の感覚器官に刻みつけている。通常はこのように魔導因子の波形で個体識別をさせるものだが、ビーチェの固有波形はまだ調べていないので原始的な方法に頼らざるを得なかった。

「ク……クレス……!」

「この方法だと確度が低いから、もう少し念入りにな」

 ビーチェの服は獣の唾液で濡れ半ば透けている。しかし、匂いを覚えた獣は全体の半分程度だ。ビーチェにはもう少しばかり我慢してもらわねばなるまい。


 固有波形を知るには専門の分析機関で検査しなければならない。

 これが時間を要する上に検査費用が馬鹿みたいに高い。固有波形に関する個人情報は、本人と限られた身内以外に知ってはならない、という魔導技術連盟の情報規約である第二級機密情報に該当する。その為、情報漏洩を防ぐ管理体制に多大な費用を割いているのだ。

「ク、ククク、クレス~!!」

「だからいい加減、俺のことは親方マイスターと呼べと――」

 屍食狼に群がられ、顔やら股やら足先まで執拗に舐められるビーチェ。服の中に鼻先を突っ込まれて匂いを嗅がれたり、尻や耳たぶを甘噛みされたり、まるで食事前の味見をされているかのようだ。ビーチェは真っ赤な顔をして堪えていたが、段々と顔の表情が弛緩してきて危ない感じだ。

(……そろそろ限界か? これ以上は精神に異常をきたすかな……しかし、あと二割程度で誓約は完了するのだし……)


 固有波形を他人に知られると容易に呪詛をかけられてしまう。

 それだけで人生終わりということはないが、固有波形を変更するには少々厄介な手術を受ける必要がある。固有波形に関する情報の扱いは慎重にしなければならなかった。

(……わざわざ山を下りて固有波形の検査を受けさせるのは却下。金も時間もかかりすぎる。ビーチェには独自の固有波形を有した楔の石キーストーンを持たせても良かったが……失くしたら危険だ。やはりこの方法が最善だろう)

 次々と、入れ代わり立ち代わり獣に舐めまわされているビーチェを眺めながら、俺は自身の判断に納得していた。

「あと一割、続行だ」

「ぁあ……あっ……あぅっ……!」

 それからまだ十分ほど、ビーチェの悩ましい声が洞窟内に響き続けた。



 洞窟の大空洞でビーチェが獣に囲まれている間、暇になったのか精霊ジュエルが俺の背中に覆い被さり、耳元で甘ったるい声を出し囁きかけてくる。

「ねえボス~。どうして、あの女の人は見逃したのー?」

「あ? さっきの自称騎士のことか? 面倒くさいからだ」

「嘘だー。美人だから見逃したんでしょ? あ、でもそれなら裸に引ん剥いて結晶漬けにするのがボスの趣味だった。ねえ、本当にどうして見逃したのー?」

 とんでもないことを言い出す精霊である。こいつの中で俺は一体、どういう認識をされているのだろうか。


「俺の趣味は……いやそれはどうでもいい。理由は単純だ、あの女は騎士ではないが貴族だ。装備品を見れば金がかかっているのはわかる」

 本人が言っていたように、騎士を多く輩出している帯剣貴族の家系なのだろう。

 そういった家系では、男でも女でもとにかく騎士としての力が評価の全てだ。だから、無理をしてダンジョンに飛び込み、騎士としての才能開花に賭けたのかもしれない。

 実際に、実戦の最中で騎士の才覚に目覚める例は少なくない。特に、騎士が生まれている家系なら尚更だ。


「貴族だとどうして見逃すの? 身代金取ればがっぽりなのにー?」

「俺を人攫いにする気か。無法者相手ならともかく、貴族の娘を捕まえて身代金要求とかこっちが犯罪者になるぞ。下手すればその帯剣貴族一門と戦争だ。私有地に入り込んで暴れたことについては慰謝料請求してもいいんだが、詰まる所そういったやり取りが面倒くさい、手続き上な」

「ふーん……ボスは本当に面倒くさがりだねー」


 違う。何故見逃したか、その理由は自覚していた。

 ――本当は、昔の自分に似ていたのが痛々しくて直視できなかったのだ。




 俺が剣を習い始めたのは五歳の時だった。

 それから五年、基礎を固め、型を知り、実戦に近い訓練を積み、まもなく――俺は自分の才能に見切りをつけた。


 剣の腕は子供ながらに達者であったと、今の自分でも自信を持って言える。

 だが、それだけだったのだ。

 騎士に必要とされる才が、明らかなそれが俺には現れなかった。


 騎士が騎士足るゆえんは、ひとえに『闘気』の発現に根ざしている。

 五年間、剣を振り己の闘争心を高めたが、俺は一度もその片鱗を自身に見出すことができなかった。それでも自分の才能を信じて騎士を目指そうとしていた。


 だが、ある時に『本物』を見た。

 俺よりも年下の剣術見習いの子供が、ある日の稽古中に突然、体から青い光を立ち昇らせた。

 本物の騎士にしか発することのできない圧倒的な『闘気』を目の当たりにして、俺は騎士の道を諦めた。

 元よりわかっていたことだった。

 騎士の素養は血筋に大きく影響される。

 闘気を発した子供も、由緒正しい騎士の家系であった。

 先祖や親類に騎士のいない俺には、初めから可能性などなかったのだ。


 騎士への憧れは、転じて妬みとなった。

 大した剣の腕もないのに、自分達が特別な存在であると信じて疑わず、他者からも認められる騎士という存在が疎ましかった。


 俺は騎士の道には見切りをつけて、術士として大成しようと決意した。

 ただ、最下級の十級術士として魔導技術連盟に登録へ行った際、紙切れ一枚と僅かな登録料で得られた資格には虚しさを覚えたものだ。騎士と違って術士とは、こんなにも軽い資格なのか。

 あれほど惨めな想いを俺は忘れることができない。



 しかし思い返せば、見切りが早かったのは唯一の救いだった。

 ほとんどありえない可能性にすがって、いつまでも剣と騎士に拘っていれば、今頃しがない傭兵業にでも身をやつしていたかもしれない。

 現在の俺は、若くして準一級術士という価値ある資格を得ている。

 ただそれでも、いまだ騎士という才能に対して俺の心の内では暗い情念が湧き上がってくる。


 こんなにも苛ついているのは、才能もないのに無駄な努力を続けるセイリスを見ていられなかったからか?


(――否、それもまた違う)


 彼女には、きっと才能がある。

 自分にはなかったものを彼女は持っている。

 そのことに気が付いたからこそ、俺は途中で戦いを止めた。早々に決着をつけたのだ。

 あれ以上続けていれば、彼女の闘気を呼び覚ましていたかもしれない。


(追い詰められた時、宙に漂う煙のように立ち昇った群青の光……あれは闘気の片鱗か……)


 このまま修行を続けていれば、遠くない日に彼女は騎士として大成するだろう。

 それを羨ましく感じ、その未来の芽を摘み取ってしまいたくなった自分に、俺は苛ついていたのだ。

(最後の一撃、俺はあの女を本気で殺そうとした……)



「あ、ボス。ビーチェの誓約、終わったみたいだよー」

 ジュエルの声に現実へと引き戻された俺は、大空洞の真ん中で仰向けになり小刻みに震えている少女に視線を向けた。その光景に俺は、自身の内なる嗜虐心が満たされていくのを感じていた。

 魔眼という稀有な才能の持ち主をこの手で自由にし、自らの望みを叶える糧とする。いつかきっと、才能など人の価値を決めるに微々たるものだと笑ってやる。積み重ねた確かな実力で、才能に頼り切った騎士共を捻じ伏せ、見下してやるのだ。



(――俺はまだ騎士への劣等感を拭い切れていない――)


 準一級術士では足りない。

 さらに上の一級術士にならねば、俺の心は才能に負けたままなのだ。


 これ以上ないという最高評価の術士。

 誰にも計りきることのできない実力。

 それこそが一級術士という存在。

 一級術士は一流の騎士をも凌駕する可能性を持つ者。


(そうとも、俺は必ず一級術士となる。宝石の丘ジュエルズヒルズは、その高みへ至る為の道標となるに違いない)



 俺は荒れ狂う感情を鎮め、虚ろな瞳を宙に泳がす少女の前に立った。

 宝石の丘へ向かうには、もっともっと稼がねばならない。

 ビーチェにもこれからは、色々と役に立ってもらうことになるだろう……。



 ◇◆◇◆◇



 永眠火山の中腹にぽっかりと開いた、底なしの洞窟の入り口。

 そのすぐ脇に放り捨てられるようにして、襤褸をまとった女が転がっていた。

 女、セイリスはぼんやりと、怪しげな木々が深々と茂る山林を眺めていた。

 表情は虚ろで、あらわになった胸を隠すこともなく、横たわっている。


「よお、見ろ。こんな所で女が寝てるぞ」

「なんだ。ボロボロだぞ。死んでいるのか?」

「いや、生きている。胸も上下して……」

 半裸で地面に寝転がるセイリスを見て、通りがかった三人組の冒険者が驚きの声を上げていた。


「……よく見りゃ、器量も悪くねえな」

 冒険者の男の一人が生唾をごくりと飲んだ。釣られるようにして、他の二人も横たわるセイリスの顔や胸を無遠慮に眺めまわす。後ろ頭で一括りにされていた長い髪がほつれ、胸元の起伏に沿って流れる姿はひどく扇情的であった。

「ああ、こんな山奥でこの格好だ。悪い男に連れ込まれて、やられちまったんだろうよ」

「もう事後ってか。じゃあ、別に俺らがついでに遊んでやっても大差ねえな」

 身勝手な理由を作って、男達はセイリスを自分達の欲望の捌け口へとすることに決めた。


 命懸けの洞窟探検に出向いてきた男達は元より興奮状態にあった。

 周囲に人の目はなく、仮にどれだけ騒がれたとて山の中なら誰も助けには来ない。そんな場所で、目の前に半裸の若い女が現れようものなら、猛りを鎮める為に見知らぬ不運な女一人、犯すことになんら迷いは生じなかった。

「じゃあ、ま、川にでも放り込んで体を綺麗にしてやろうぜ」

「そうだな、このまんまの格好じゃ立つものも立たねえ」

「へへへ、隅々まで綺麗に洗ってやっからよ、そおれ」


 男の一人がセイリスの腕を取り持ち上げる。

 そのまま上半身を起こし、柔らかい胸をわざと揉みしだきながら抱え上げた。

 すると、セイリスは男の腕に縋りつくようにして、自ら体を密着させた。

「うひょぉ~、震えてんのか? かぁわいいね~!」

「よおよお、どうだ? 抱きつかれた感触は?」

「うえっへへ、そりゃお前、いい感触に決まって――」


 枯れ枝を踏み抜くような軽快な音が鳴り、セイリスを抱き上げた男の上腕が半ばから折れ曲がる。


「あぇっ? あ、あああ、あぎゃあぁあ!? い、痛ぇええ!!」

 骨折の痛みに、腕を圧し折られた男は堪らずセイリスを放り出して腰を抜かす。

 放り出されたセイリスはまた地面に倒れ伏したが、ゆっくりと上半身を起こし、片膝をついてから立ち上がった。

「な、なんだよぉ、この女……? あ、あああ……!?」

「知るかっ……! お、お前らが手ぇ出したのがいけないんだ……ぞ? あひっ……!?」


 男達は見た。

 セイリスの身体から立ち昇る、群青色の力強い光の帯を。


「あ、ああ……。こいつ……騎士だ……」

「嘘だろ……。なんで騎士がボロボロの格好で、こんな山奥で、半裸で昼寝してるってんだよ!」

「ひいぃいいぃー……!! いってえ、痛ぇよ! 腕、腕!! 折られた!」

 冒険者の男達はセイリスが発する群青色の光を見て恐慌に陥り、一目散にその場から逃げ出した。


 後に残されたセイリスは一人、自分の身に何が起こっているのか理解できぬまま、近くの川へと向かった。

(……体が、熱い。涼しい場所、体を冷やせる水場へ……)

 本能の赴くまま、セイリスは頼りない足取りで近くの川へと向かった。

 そして、川の水面に移る自分の姿を見て、初めて自分の身に起きている異常事態に気が付いた。


「体から……光が……?」

 淡い群青をした、風に棚引く帯のような光の筋。

 セイリスはその光を見たことがあった。

 騎士である父や、兄が、同じような光を発している光景が記憶に蘇る。

「闘気……?」

 それは紛れもない闘気。

 騎士の素養を証明するもの。

 だが、セイリスはまだ事態を正しく理解できていなかった。


 つい先程、自分は洞窟にいた術士に敗北を喫したばかりだ。

 完全に自信を失って絶望していたのだ。自分には騎士になる素質がなかったのだと。

 だと言うのに何故、今の自分からは騎士の証である闘気が発せられているのか。

「……わからない。疲れた……修行はやめて、ひとまず実家に帰ろう……」

 これが本当に闘気なのか、だとしたら自分は騎士になれるのか。

 だが、先頃の完全敗北が甘い考えを否定する。

「どのみち、今のままでは駄目だ……もっともっと、剣の腕を磨かなければ……」



 その日、一人の女騎士が誕生した。

 覚醒はひどく緩慢で、本人には実感もない。

 けれど確かに、群青色の闘気が騎士の証を立てていた。

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