第46話 自称騎士セイリス

「ここがあの有名なダンジョン、底なしの洞窟……」

 一人の女性が、永眠火山の中腹にぽっかりと開いた洞穴を覗き込んでいた。

 女性の体形に合わせ胸元豊かに作られた軽銀の鎧は、真っ白に塗装され金縁の装飾が施されている。

 

「噂通り、底の知れない感じだ……」

 意志の強そうな目に僅かな陰りが生じた。

 地の底深くまで続いていそうな洞穴を覗き込みながら、不安を紛らわすように後ろで一括りにした自身の長い髪を撫でる。

 腕に装備した軽銀製の盾が、まるで彼女の弱気を咎めるように後頭部を軽く打った。……盾など持ったまま髪をいじろうとするからである。


「ダンジョンには凶悪な獣が棲みついていると言われる。騎士となる私が腕試しをするには、相応の場所に違いない」

 腰に帯びたダマスカス鋼の長剣を固く握りしめ、自称騎士は覚悟を決めて洞窟へと足を踏み入れた。




「たぁっ!!」

 横に一閃した長剣が、飛びかかってきた灰色狼の胴を薙ぐ。鋼が肉にめり込み、骨を断ち切る感触に顔をしかめながら長剣を振りきった。切り伏せられた同胞をよそに、立て続けに襲い掛かかってくる灰色狼を盾で押し戻しては隙を見て長剣で斬りつける。


 幾度かの応酬の後、灰色狼は不利を悟ったのか仲間を呼び寄せようと、頭を上げて遠吠えの姿勢をとる。

 その隙を見逃さず、自称騎士は狼の喉笛をダマスカス鋼の長剣で一突きにした。

 灰色狼は遠吠えを上げることなく、中空に虚しくさらされた口蓋から血を噴き出して絶命した。


 剣にまとわりついた血糊を振り払い、一息つく。辺りにはもう獣の気配はなかった。

「獣相手とは言え、いい訓練になった」

 狼達の動きはまるで人に調教でもされたかのように連係が取れていて、不気味なほどに合理的な振る舞いだった。底なしの洞窟には悪魔が棲むと噂されるが、実際には魔物使いが拠点としているのかもしれない。

(近隣の住民も脅威にさらされていると聞くし、修行のついでに魔物使いを成敗することも一考しよう)


「それに、ここで修業を積めば私も……」

 そこまで口に出して、この洞窟へやってきた経緯がふと頭を過ぎる。

(立派な騎士になって、父上に認めてもらえる。兄上の横に並び立つことができる……)

 彼女の家は代々、騎士を輩出してきた一門である。

 母は武芸とは無縁の貴族の女性だったが、騎士である父との間に生まれた兄は、幼少のころから騎士としての素養を垣間見せていた。今では騎士協会に所属する正式な騎士である。

 彼女もまた騎士として認められるべく、剣の腕を磨きにこうして危険な洞窟へと修行に来たのだ。


「私はきっと、立派な騎士なってみせる!」

 自称騎士は固い決意を胸に抱き、洞窟の奥へと歩みを進めるのであった。




 噂では底なしの洞窟には、凶暴な森の巨人トロール赤銅熊しゃくどうぐま、それに剣歯虎サーベルタイガー屍食狼ダイアウルフといった並みの剣士では太刀打ちできないような獣も巣くっていると聞く。

 そんな獣達を討ち果たすことができたなら、騎士への道が一歩近づくような気がした。


「……と、思っていたが。先程から、一匹も獣と遭遇しない。どうなっているのだろう?」

 確かにこの洞窟には多種多様な獣が生息している痕跡がある。なのにどういうわけか洞窟の中は静まり返っていて、入り口付近にいた灰色狼以外には全く獣が見当たらなかった。

「おかしい。もしかして私が洞窟に来たことを察して、罠でも仕掛けているのか?」

 考え過ぎだとは思ったが、こうも獣が見当たらないと拍子抜けも転じて疑念に変わってくる。

(罠だと言うなら、それはそれで望むところだ。騎士ならば目の前の苦難には怯まず立ち向かい、いかなる困難も打開してみせるもの)


 自称騎士は覚悟を決めて、複雑に枝分かれする洞窟を奥へ奥へと進んでいく。

 歩き通した時間もわからなくなり始めた頃、急に坑道の幅が広がり、大きな空洞へと繋がった。洞窟の地面と天井を支える無数の柱が立ち並び、壁の所々が深く掘り返されていた。

 巨大空洞の向こう端に、明々とした人工の光に照らし出された蠢く影が見える。一つや二つではない。数えきれないほどたくさんの影だ。

(……獣の群れ!! しかも、多種類の獣が一堂に集まっている!?)

 異様な光景であった。本来、猛獣共は多種族間で群れることなどありえないのだから。


 自称騎士が息を潜めてその光景を観察していると、獣の群れの前に三人の人影が現れた。

 一人は黒い外套を羽織って、やたらと装飾品を身に着けた男。残る二人は粗末な服を着せられた少女だった。少女のうち片方など帯状の布きれしか身に着けておらず、遠目に見ても肌の血色が悪い。光の加減で薄緑に見えるほどである。


 黒い外套の男が、少女を前に引っ張り出して獣の群れに何やら号令を発した。位置が遠くて男が何を言っているのかわからなかったが、状況から察するにあの哀れな少女達は獣の餌にでもされるのだろう。

(許せない……! あのようにいたいけな少女をにえとして、獣どもを手懐けているのか!!)

 間違いない、あの男は魔物使いだ、と自称騎士は確信を抱いた。


 自称騎士が少女をどう救い出そうか考えている間に、男は黒髪の少女を突き飛ばすように獣の群れの中へ放り出してしまった。

「ああっ!?」

 逡巡している暇はなかった。身の安全など考えず、自称騎士はすぐさま獣達が蠢く空間へと飛び出していった。

 そして、少女が獣に襲われるのを満足そうに眺めている下衆な男へと、長剣を抜き放ち斬りかかる。

「この魔物使いめぇっ!!」

「ん!? 侵入者か!」

 抜刀の勢いを乗せた剣の一撃を、黒い外套の男は大きく飛び退って回避する。思いのほか身軽な輩だ、と自称騎士は身を引き締めた。


「女の子は!?」

 獣の群れの方へと目を向ければ、雑多な獣達に囲まれて全身を舐め回されている少女の姿が目に映った。

「貴様ぁっ! この下衆め!! あの女の子から、獣達を引かせろ! 傷一つでもつけることがあれば、私が貴様を斬り伏せる!」

 男に剣を突きつけて獣の動きを止めるように要求する。男は無表情でこちらの様子を窺っていたが、不意に片手を上げて獣達を一斉に退かせた。

(やはり……こいつは魔物使いだ……)

 男は考え込むようなしぐさで少女の方を見る。少女は体中が獣の唾液で濡れていたが、怪我はない様子だった。男は少女と視線を交わし、少女が何度か首を振ると、盛大な溜め息を吐いて肩を竦めた。


「まったく、誓約の儀式の邪魔をしやがって。何をどう見て勘違いしたか知らんが、たぶんお前が考えている展開とは大きく異なるはずだ。頭を冷やして、そして帰れ!」

 自称騎士には男の言い分が見苦しい言い訳に聞こえた。

「ふざけるな! すぐにその少女達を解放しろ!」 

「事情も確かめず、いきなり斬りかかってきて馬鹿な要求をするものだ……礼儀知らずな奴め。身なりからして出自は良さそうだが、どこの家の者だ、お前は?」

「魔物使いに名乗るほど卑しい家名は持ち合わせていない! だが、最低限の礼儀として私の名だけは教えておこう。私の名はセイリス! 正統なる騎士の家系に生まれた者だ!」

「そうか、ならばこちらも誤解がないように名乗っておこう。俺は魔導技術連盟に所属する準一級術士、クレストフだ。この洞窟と山の管理をしている」

「何!? 術士の連盟に所属しながら、公然とこのような悪事を働いているのか!? なんて厚顔無恥な……! はっ!? まさか、連盟も一枚噛んでいるとか?」

「おいこら、寝惚けた陰謀説は大概にしろ」

 外套の男、クレストフはまだ苦しい言い訳を続けている。あくまで自分の非を認めるつもりはないらしい。


「それより、お前は何が目的でここへ来た。返答次第では……」

「修行だ!」

「…………修行、と言ったのか?」

「そうだ! そのついでに非道な魔物使いを成敗するのもやぶさかではない!」

 クレストフは自称騎士セイリスの言葉に、眉をしかめて天を仰いだ。

「何がおかしい!」

「おかしいだろうが!? 何もかも!」


 真剣に言った言葉を欺瞞と思われ、セイリスの頭には、カァッと血が上ってきていた。

「剣は弱き人を守る為のもの! 修行の途中とは言え、目の前で行われる非道を見逃す道理はない!」

「……お前みたいな剣術馬鹿を見ていると虫唾が走るな……」

「自分では戦わず、他者の力頼りの魔物使い風情ふぜいが、剣の道を侮辱する資格などあるものか!」


 ふっ、と。

 クレストフの顔から表情が消えた。


 顔を手の平で覆い完全に表情を隠してから、再び手の平をどけて見せたクレストフの表情は、先程までとは正反対に醜悪な笑みへと変貌していた。

 くつくつ、と鼻先でセイリスを嘲笑うクレストフ。


「ふん。修行だと言っていたな。いいさ、少し揉んでやる」


 クレストフは外套を翻して、一欠けの青い結晶を取り出した。その結晶に向けて意識を集中するような素振りを見せると、クレストフは高らかに術式発動の楔の名キーネームを口にした。


三斜藍晶刃さんしゃらんしょうじん!!』


 クレストフの右手に握られている藍色をした半透明の結晶、藍晶石カイヤナイトが握り手を中心に上下へ成長する。柄を中心として、上下双方向に幅広の刃を持った段平だんびらが形成された。

 美しい、藍色に澄んだ刃。まるで結晶の塊から削り出したかのように荒々しい形状だ。

 尋常ならざる力の波動が、その刃から放たれているのをはっきりと感じ取ることができる。


「今ここで、実戦を知れ」

 一歩右半身を引いて、双刃の段平がちょうど身体に隠れるよう構えを取るクレストフ。

 つい今しがた実物の刃を見ていたのに、改めて正面から見るとまるで無手であるかのように錯覚した。――ほんの小さな気の緩み、セイリスが構えを緩めた瞬間、クレストフは地面を滑るように駆けて間合いを詰めてくる。


「はっ!?」

 対応が一瞬遅れた僅かの間にセイリスの目前へとクレストフが迫り、背後に隠していた双刃を下から掬い上げるように振るう。

 藍色の剣閃が走り、咄嗟に前へ突き出した軽銀製の盾へ信じられないほど重い一撃が加えられた。

 あまりの衝撃に盾が捲り上げられる。

「くぅっ……!!」

 浮いた盾の間隙を縫って、後ろへ泳いだセイリスの上半身を段平の切っ先が狙う。長剣を横薙ぎに振るい、段平の腹を叩いて間一髪クレストフの刺突を逸らした。

 軽銀鎧の脇腹付近を切っ先がかすめ、藍色の火花と共に浅からず鎧表面を抉り取っていく。


 たった一合、二合と打ち合っただけでも、クレストフの力量を推し測るには十分だった。

(――この男の剣技……刃筋が逸れていなければ、腹部を貫かれていた――)

 立て続けに藍色の段平から繰り出される上刃と下刃、双刃の連撃はセイリスの上体を揺さぶり防御態勢を崩していく。

 剣の応酬の最中、セイリスは混乱の極みにあった。

(そんな!? この男は魔物使いではなかったのか! この戦い方はまるで、剣術士……!)


 セイリスは防戦に回り、盾を固く構えて猛攻に耐えるが、クレストフはすぐさま攻撃の手管を変えてくる。

 セイリスの盾を蹴りつけて防御を崩すと、隙を突いて素早く刃を叩き込んだのだ。

 段平を受け止めた長剣が甲高い金属音を鳴らし、籠手を通して痛いほどの振動を伝えてくる。

 鎧の下では冷や汗が胸元を滑り落ちていくのがわかる。セイリスには嫌というほど感じ取ることができていた。

(――格が違う)


 一撃の速さ、重さ、狙いの鋭さ。

 流れるように繋がる連撃の淀みなさ。

 そして息一つ乱さない、余裕の物腰。


「これほどの剣の腕を持っていながら……! 貴殿はここで、いったい何をしているのだ……!?」

「お前こそ、この程度で何を驚く。術士が武術に長けているのがそんなに意外か?」

 切り結びながら問いに答え、セイリスの剣を押し込めるようにしてクレストフは刃筋を彼女の首元に立てようとする。

 淡々とした口調で世間話でもするかのように、口は開けど手は一切抜かず本気で殺しにかかってきている。


「まあ、剣術士でもなければ珍しいぐらいの腕だとは自負している。昔は騎士を目指して剣の稽古に励んだこともあったのさ。素質がなくて諦めたけどな」

 素質、という言葉に思わず眉がぴくりと動くセイリス。一瞬、力を込めてクレストフの刃を打ち払い、飛び退って間合いを広げる。

 大きく後退したセイリスを嘲笑うかのように、クレストフは段平の切っ先を誘うように揺らしていた。

「どうした騎士殿。『闘気』は出さないのか?」

 再び、セイリスの眉が動く。そして眉をしかめたまま、表情は凍りついて動かなくなる。

 クレストフの言葉に、セイリスの体は完全に硬直してしまった。


 ――闘気とは、並みの呪詛ならば寄せ付けず、驚異的な身体能力を発揮する天性の力。


「やはりな」

 藍色の斬光が閃き、軽銀製の盾が重い一撃を受けてひしゃげる。

「出せないのか」

 間断なく襲いくる刃に、鎧に施された真白い塗装が剥がれ落ちて金縁飾りも無残に削り取られていく。

「三流未満だな」

 あまりに速い連撃は盾で受けきれず剣でも捌ききれない。鎧に叩き込まれる斬撃は鋭く、強度の低い軽銀の鎧に切り欠きが入り、続く攻撃に傷を大きく広げていく。


「お前を騎士と称するは愚か、剣術士ですらない!」

 澄んだ藍色の段平が淡い光を放ち、次撃に強力な負荷を加えてセイリスの持った盾を弾き飛ばす。

「分を弁えろ、自称騎士が!」

 ダマスカス鋼の長剣でクレストフの攻撃を受けるセイリスであったが、衝撃力を伴った剣撃を止めきれず鎧の籠手に亀裂が走って弾け飛ぶ。

「うっ!?」

 クレストフの流れるような連撃に、脛当て、肩当てが砕け散り、前垂れが切り裂かれる。

 三連撃の次なる一撃はセイリスの長剣を掬い上げるようにして弾く段平の上刃。間髪を入れず、背を見せるように回転して、下刃の先端を一瞬だけ防御の空いたセイリスの胸元へと突き入れる。全身の回転力が乗った恐るべき威力の痛撃。

「あぁっ!!」

 藍色の閃光が迸り、軽銀の胸当てが木端微塵こっぱみじんに砕かれた。

 その衝撃でもってセイリスは洞窟の壁へ強かに打ちつけられる。


「う……うぅ……っ……」

 胸元から豊かな乳房がこぼれ出る。軽い脳震盪で前後不覚に陥ったセイリスは剣を落とし、前を隠すこともできず洞窟の壁に背を預けていた。

「ふん……惨めな格好だな。自分に素質があるなどと、淡い希望に縋って剣を振り続けた末路がこれか。早々に諦めるのが賢いと何故わからないのか」

 ――素質、またその言葉だ。

 セイリスは意識が朦朧とする中で薄らと目を見開き、蔑んだ眼をしたクレストフをどうにか睨み返そうと頭を上げた。

「私は……諦めない。父のように、兄のように、騎士に……なるんだ……!!」


 眼前で、群青色の淡い光が立ち昇った。

 同時に、セイリスの体内から力が湧き上がり、闘志がみなぎる。

 段平を油断なく構えたクレストフが、舌打ちを一つしてから間合いを詰めてくる。

 全身が痛みで引き攣るのを耐え、セイリスは剣を拾って立ち上がった。敵を迎え撃つという気構えだけで、まっすぐ正眼に剣を構えていた。

 藍と群青の閃光が交差して、襲ってきた衝撃にセイリスの意識は完全に刈り取られる。意識の飛ぶ最後の瞬間、愛用していたダマスカス鋼の長剣が悲鳴を上げてへし折れたのが見えた。

 その光景は、藍色の閃光によって目蓋の裏にしっかりと焼き付けられていた。



 その日、自称騎士セイリスは底なしの洞窟で手痛い洗礼を受けた。

 剣を折られ、心を折られ、完全なる敗北を喫したのだ。

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