第45話 新参者の洗礼

※関連ストーリー 『あこぎな商人』参照

――――――――――

 当面、俺が面倒を見ることにした魔眼持ちの少女、ビーチェ。

 体調が安定したところで色々と話を聞き出すと、ビーチェは村から追い出されたらしい。

 原因は両親が、疱瘡ほうそうという流行り病にかかったことだろうと本人は語っていた。両親は残念ながら病で死去したが、ビーチェだけは病を発症することもなく生き残ったようだ。

「そいつは『膿疱病毒分子のうほうびょうどくぶんし』だな。俺は大半の病毒分子に対して抗体を持っているし、お前もここへ来てから経過した日数を考えれば、潜伏期間から言っても発症の危険はないだろうが」

「の、のーほー、どくぶんし……?」

 ビーチェのような一般人には馴染みのない呼び方だったかもしれない。


 疱瘡というのは俗称で、正式には膿疱病毒分子と呼称されている。細菌性の感染症と比べて、より原始的な構造を持つ非生物の病原体である。

 予防接種を受けていれば免疫による抵抗で十分に発症を抑えられる。金さえあれば俺のように、あらゆる病毒分子や細菌に対して抵抗力を持たせるワクチンを接種することができる。だが、貧しくて予防接種を受けることすらできない者も世の中にはいるのだ。


「俺の専門じゃないから断言はできないが、お前は運よく感染を免れたか、あるいは既に免疫がついていたのかもしれん」

「そう……安心した。私、黴菌じゃない」

「だが、感染者の血液や瘡蓋かさぶたに病原体が潜んでいることもあるそうだ。お前もその汚れた服は捨てて、体を川で洗ってこい」

「……でも、服、ない」

 服も下着も持たないことを恥じ入るようにビーチェは俯いた。


「仕方ないやつだな……。さすがに侵入者がのこしていったような服を使わせるのも不潔だし、黒猫商会が来たら買い揃えるか」

「……お金ない……」

「お前の衣類ぐらい、大した出費にもならん。どうせ、将来的にはそれ以上に稼いでもらうつもりだしな」


 俺がそうして魔眼の使い道について利益の計算をしながら、洞窟の入り口へと気分転換に出ていった時、まるでこちらの物入り事情を察知したかのように黒猫商会のチキータが訪問してきた。

「ま、毎度~。黒猫商会でございます~」

 黒く艶やかな毛色をした猫人のチキータは、辺りを警戒しながら俺の方にそろそろと近づいてきた。

「チキータじゃないか。いい時に来た」

「ごぶさたしております……今日は、あの精霊はいないようですね……?」

 立ち上がった猫耳を忙しなく周囲へ向けて、慎重に辺りの気配を探っている。

(挙動不審なのは、ジュエルを警戒していたのか。まあ、前回は散々、弄ばれていたからな)


「お客さん……?」

「うにゃっ!?」

 変態精霊ジュエルに警戒するチキータは、不意に洞窟から飛び出してきた小さな影に身構える。だが、出てきたのが精霊ではなく、純人の小さな少女とわかると一息ついて警戒を解いた。

「……おっきな、猫さん?」

「亜人を見るのは初めてなのか? そう珍しい種族でもないんだが」

「初めまして、可愛らしいお嬢さん。私、黒猫商会のチキータと申します」

 チキータは営業用の笑顔でビーチェに微笑みかけ、目と目を合わせて一瞬だけ息を詰まらせた。

 獲物を見定める猫の瞳が大きく見開かれ、すぐにその目は優しげに細められた。


「驚きました。クレストフ様、この子はひょっとして、魔眼持ちでしょうか?」

「その通りだ、よくわかったな。さすが商人だけあって人を見る目がある」

「仕事柄、様々な人とお会いしますので。魔眼持ちの方とも直接お話しする機会があったのですよ」

「そうか……なら、聞くだけ聞いておきたいんだが、この魔眼持ちの娘、売るとしたら幾らで売れそうだ?」

「う……!?」

 自分が売られると聞いて硬直するビーチェ。


 少女の反応を横目で見ながら、困ったようにチキータが返答する。

「うーん……人身売買に関しては、当商会では扱っておりませんので何ともお答えできません……でも、もしそれ相応の場所でなら……」

 チキータがごにょごにょと小さな声で俺の耳元に金額を囁く。チキータの猫ひげが俺の頬をくすぐってこそばゆい。

「ふん……そんなものか。やはり、魔眼はそれを正しく理解した者が管理してやって初めて価値が出るようだな」

「あまり珍し過ぎるものも、扱いに困る為に値段が付かないことはよくあることです」

 チキータの意見を聞いて、俺は納得した。先程から硬直を続けているビーチェの頭を軽く撫でて、緊張に固まった体をほぐしてやる。

「……だ、そうだ。残念だったな。お前に価値があるなら、もっといい環境へ自分を売り込めたろうが。お前はしばらく俺の下で生きていく術を学べ」

 ビーチェは、ほっと息を吐いて安心した様子を見せる。自分に価値がないと知って安堵するのはどうかと思うが、この少女にはまだ社会へ自分を売り込んでいくだけの勇気がないのだろう。


「ところで、クレストフ様。細かい事情はお聞きしませんが、この子、最近になってお預かりになったのでは? ひょっとして『いい時に来た』というのは、この子の身の回りの物が入り用なのではありませんか?」

「話の理解が早くて助かるな。見ての通り、服もこれだけで酷い格好だ。洞窟暮らしになるとは言え、何着か着回せる衣服と生活雑貨を頼みたい」

「それでしたら! 新生活に向けた生活雑貨一式の詰め合わせなど、お得な商品がございます!」

 瞬時に商売人へと転じるチキータに、俺は苦笑しながらもビーチェの肌着と衣服を幾つか購入した。汚れてもいいような動きやすい綿布の服だが、これまでビーチェが着ていた麻の服に比べて厚手で、よほど丈夫な服である。


「よし、これだけあれば衣服には困らないだろう。ビーチェ、川で体を洗ったらこれに着替えろ。古い衣服は洞窟の入り口辺りに置いておけばいい、後で焼却処分するからな。着替えが済んだらジュエルと一緒に洞窟の奥へ引っ込んでいるんだ。俺はまだチキータと商談がある」

 衣服を着替えてくるようビーチェに言いつけると、素直に指示に従って、肌着と布の服を一着持って近くの川へと歩いていった。

 洞窟の入り口からビーチェを見送ると、俺は改めてチキータとの商談を再開した。


 ◇◆◇◆◇


 ビーチェは一人で川へとやってくると、濡れない場所に新しい布の服と肌着を置いて、古びた麻の服を脱ぎ捨てる。下着はつけていない。襤褸ぼろとなった麻の服一枚、これがビーチェの持ち物すべてだったのだ。

(家から、何も持ち出せなかった……)

 流れの緩い場所を選んで、腰のあたりまで水の流れに浸かる。川で行水するにはやや肌寒い季節。体の芯が凍える前に、肌と髪の汚れを落としてしまおうとビーチェは川の中に頭まで潜って、全身の垢と脂をこすり落とした。


 川面から顔を出し上半身を空気にさらすと、風が垢の落ちた皮膚を冷たく刺激した。あちこちに飛び跳ねていた長い黒髪は水に濡れ、胸の小さな膨らみを覆い隠すように肌へと張り付いている。

 新しい服を汚したくない思いもあって、ビーチェは念入りに軽石で体のあちこちを擦り、垢を洗い流していた。ビーチェが頭皮のしつこい脂汚れを落とそうと横向きなって川に頭を漬けていた時、近くの茂みが小さく揺れたように見えた。

「……、誰?」

 風による枝揺れとは思わなかった。人か獣か、何者かがそこにいるようだった。ビーチェが頭を上げて、じっとそちらを見つめていると、茂みの揺れは遠ざかり洞窟の方へと向かって行った。


 何とはなしに不安を抱いたビーチェは川から上がる。汚れが落ちてすっかり綺麗になった白い肌から水滴を落として、清潔な布で全身を拭いた。すぐに新しい肌着を身に着けて服を着替えると、急ぎ足で洞窟まで戻る。


 洞窟の前ではまだ、猫人の商人チキータと、自分を何故か拾って面倒を見始めた青年クレストフが、ビーチェには難しくてわからない商談とやらを続けていた。真剣に、熱の入ったやり取りが交わされており、ビーチェが話しかける隙もなかった。とりあえず言われていたように古い服はそこらに放って、ビーチェは洞窟の奥へと戻っていった。


 洞窟に戻るとすぐ、入れ違いで精霊のジュエルが奥からやってきた。ついこの間、洞窟の中で意識を失って、改めて目覚めてからこの精霊を見た時、あまりにも美しい容姿と幻想的な雰囲気にビーチェは見惚れてしまったほどだ。けれど浮世離れした外見とは裏腹に、とても人間くさい性格であることを知ってからは親しみが湧いた。クレストフ曰く、貴き石の精霊と呼ばれる古い存在らしいが、ビーチェにはこれまでいなかった同年代の友達という感覚が強かった。

 ジュエルはビーチェの姿を認めると、にこにこ笑いながら近づいてきた。二枚の薄い翅をぱたぱたと羽ばたかせながら、全く風も起こさずにふよふよと低空飛行をしている。

「あれれ? ビーチェってば、その服どうしたの?」

「買ってもらった……」

 ビーチェの言葉にジュエルは大きく口を開けて、騒ぎ出した。

「いいな、いいなー! ボクも何か欲しいなー! ねえ、ボスは? ボスはどこ?」

「入口で猫さんとお話している」

「猫さん? あ、もしかしてもふもふ黒猫のお姉さん!? わーい! また来てくれたんだー!」

 猫さん、と聞くが早いか、ジュエルは高速で洞窟内をかっ飛んでいく。


 すぐに、洞窟の外から「ぎにゃー――っ!!」と、甲高い悲鳴が聞こえてきた。




 ジュエルが洞窟の外へと飛んで行ってしまい、一人になったビーチェはとりあえず洞窟の奥へと進んだ。複雑な洞窟内の構造はまだ上層部さえ把握できていなかったが、好奇心に駆られてビーチェは複雑な迷路の前まで足を踏み入れていた。

 さすがに一人で迷路に入るのは躊躇われ、引き返そうとしたビーチェは一匹の子鬼と偶然に鉢合わせた。

 その子鬼は、洞窟で採掘作業をしていた他の子鬼とは少し様子が違っていた。体中に枝葉をくっつけて、荒い息を吐いている。


「ゲグ……ゲグ……ガギゲー……ゴガグッ!」

 子鬼はしばらく様子を窺っていたが、ビーチェが弱そうな少女だと認識すると途端に飛びかかって押し倒した。やたらと息の荒い子鬼は、ビーチェを組み敷きながら、雄の象徴であるモノを屹立きつりつさせる。

 体格が子鬼に近いビーチェを雌と認識したようだった。幾ら体格が似通っているとはいえ別種族の雌に発情するとは呆れ果てた性欲である。


 一方のビーチェは状況が理解できずにいた。子鬼が何故に自分に対して雄の象徴を屹立させているのかわからない。ただ自分が襲われていることだけは理解できた。

 ビーチェの脳裏に「自分の身は自分で守れ」と言ったクレストフの言葉が浮かんだ。彼は今、商談の真っ最中で助けには来てくれない。彼は衣食住の保障は約束したが、身の危険にまで庇護は与えてくれなかったのだ。ならば、自分の力で窮地は脱しなければいけない。

 ビーチェは覚悟を決めると、布の服を乱暴に剥こうとする子鬼に対して、必死に抵抗して金色の瞳で睨みつける。

「グッ……!? グゴゲッ……ガギ……ッ!」

 ビーチェの肌着を半ばまで引きずり下ろしていた子鬼であったが、金色の視線に射竦められると金縛りにあったように身動きが取れなくなった。

 ――そこへ、横手から突っ込んできた別の子鬼が、ビーチェを組み敷いたままの子鬼を弾き飛ばす。

 飛び蹴りを受けた子鬼は、ゴム毬のように洞窟の地面と壁をはね回って転がった。

 ビーチェと、彼女に襲い掛かった子鬼との間に、突っ込んできた子鬼が立ちはだかる。その子鬼の額には白く輝く水晶、眷属の証が埋め込まれていた。



 実はクレストフの眷属である子鬼のリーダーには、ビーチェに危害を加えないように群れへの指示が出されていた。だが、ビーチェに襲い掛かった子鬼は群れに属するものではなかった。外から迷い込んだ野生の子鬼である。本来なら、眷属の子鬼に負うべき責任はないが、知能を高められた彼はビーチェをある程度の危険から守ることも務めであると判断していた。


 野生の子鬼は、眷属の子鬼に攻撃を受けてすっかり萎縮した。眷属の証たる水晶が白く輝き、群れの支配者たる威厳を野生の子鬼にも植え付ける。これでもう、問題はない。群れに対する支配力を高める呪詛が働き、この野生の子鬼も新たに洞窟で住まう子鬼達の一員となったのだ。

 一連のやり取りを呆然としたまま眺めていたビーチェは、ふと自分が半裸のまま洞窟の地べたで横たわっていることに気がついた。

「……服、汚れた……」

 洞窟の地面に引き倒されたことで、真新しい服には土がついていた。のろのろと肌着を引き上げて服装を正す。

 恨みがましい視線を自分に襲い掛かった子鬼にちらと向けて、ビーチェは洞窟の入口へと引き返していった。



 そんなちょっとした事件の後、見回りをしていたクレストフとジュエルに、ビーチェは合流することができた。ジュエルは体のあちこちに黒い猫の毛を付けていて、なんだかとても満ち足りた表情をしていた。

 ビーチェはクレストフの横を歩きながら、じっと彼の股間の辺りを見つめている。すぐ前を横切った灰色狼を見て、ふと母親が昔教えてくれたことを思い出し呟いた。

「男は、みんな狼?」

 凍りつく洞窟内の空気。

 疑いの眼差しをクレストフに送るジュエル。

「ボス~……? 何したのー……?」

「なっ!? 何もしてないぞ!?」


 こうしてまた一つ、準一級術士クレストフに誤解が生まれた。

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