第43話 生贄ビーチェ

※関連ストーリー 『怒れる村人』、参照

――――――――――


 洞窟の入り口に少女が一人、座り込んでいた。

 それは何日か前と同じような光景。日に干され少し萎びた野菜の隣に、乾いた藁に包まって座っていた。


(どうして私はまた、ここにいるんだろ……)

 少女は虚しい胸の内を抱え、身動き一つせずに座り込んでいた。


「どうしてお前はまた、ここに居る」

 黒い外套を着た青年が、洞窟から顔を出して少女に問いかける。その問いかけに、少女は明確な答えを持っていなかった。

「狼に喰われても知らんぞ。早いところ村に帰れ」

 そう、ここにいる必要はないのだ。

 帰っていいのなら、早く村へと帰るべきだ。


 そこまで思い至って、少女はぽつり、と言葉を漏らした。

「村……帰れない」

「ああん? もしかして帰り道がわからないのか!?」

 青年は苛立たしげに少女へ怒鳴り散らす。供え物の山が、いまだに片付いていないことに腹を立てているのだろう。どうせ、誰も取りに戻っては来ない。捨てられた物なのだから適当に処分してしまえばいいものを、律儀な人だな、と少女はぼんやり考えていた。


「冗談じゃない、俺は迷子の案内などしないからな」

「いい。どうせ帰れない。帰ってくるなって、言われているから」

 少女は自分で口に出してみて、その事実に悲しくなった。

「私には、もう……帰る家がない」



 ◇◆◇◆◇


 生贄として捧げられた少女、ビーチェ。

 背が低く、痩せ細った姿からは十歳に満たないように見られるが、実際の年齢はもう十二歳になっていた。その割に発育がよくないのは、両親が亡くなってから三年ほど、満足に食事を摂れていないことが原因だった。


 彼女の村では伝染病が流行り、両親は病に罹って死去してしまったのだ。

 全身にうみを含んだ水疱を発生させ、極めて高い確率で感染者を死に至らしめる病気であった。感染率も高く、水疱の治癒した後に残される特徴的な痘痕あばたが感染者の目印となって、完治した人間に対しても必要以上の隔離措置が取られるなど混乱を招いていた。

 ビーチェもまた感染を疑われ(潜伏期間からすると罹っていないと断言できるのだが)、村人からは黴菌娘と罵られ、ついには厄介者を追い出す口実として洞窟の悪魔への生贄として差し出された。


 大人達が勝手に自分の行く末を決めてしまっても、ビーチェは反論の一つもできないまま洞窟へと連れてこられた。供え物に手を出さないように強く、必要以上にきつく言い含められて、ビーチェはそのまま洞窟の入口に残された。


 東の空がまだ白み始める前、普段なら家で寝ている時刻にビーチェは洞窟の前で座り込んだまま起きていた。

 自分で思っているより緊張しているのか、眠気はなかった。その代わり、頭の中では取り留めもない思考が渦巻いていた。

(洞窟の悪魔……どんな悪魔?)

 ビーチェとしては悪魔への恐怖よりも純粋な好奇心が勝っていた。

 あのまま村にいても、冷たい村人達に囲まれて苦しい生活が続くだけだ。

 どうせなら一思いに悪魔に食われてしまうか、あるいは粗相でもして怒りを買い、村も巻き込まれて滅びればいい、とビーチェは陰鬱な感情を抱きながら洞窟の入口に座り込んでいた。


 太陽が昇り、朝の気配にふと目を開けると、すぐそばに黒い外套を着た青年と可愛らしい妖精がいて、何やら話し合っていた。ぼーっとする頭を持ち上げ、身じろぎすると、青年はひどく驚いた様子でビーチェから距離を取った。青年はビーチェのことを遠巻きに眺めながら、物乞いかと尋ねてくる。

 そうではない、と言い切ったものの、では何かと問われてみてビーチェは今の自分のことをよくよく振り返ってみた。自分は悪魔に捧げられた生け贄。その事実を思い出し、今更になって悔しさとやるせなさで胸がいっぱいになった。泣き出しそうになるのを、唇を噛んで無理に押し止めた。


 黙りこくったビーチェに妖精が無邪気な笑顔で話しかけてきた。

 笑顔の裏に、言いようのない禍々しさを感じて「……あなたが、洞窟の悪魔?」と、つい問いかけてしまった。しかし、その子は妖精でも悪魔でもなく、精霊だと言った。

 では、もう一人の青年の方が悪魔かと尋ねれば、こちらは普通の人間だったらしい。

(――なんだろう、この人達。悪魔は、どこ?)

 ビーチェが口にして尋ねたわけではなかったが、青年はその問いにはっきりと答えた。

「悪魔なんて、この洞窟にはいないぞ」


 どういうことだろうか。

 自分は確かに生け贄として、ここへ連れてこられたはずだ。

 だと言うのに、肝心の悪魔はいないときた。


 青年の言葉が信じられず、ビーチェは執拗に悪魔の存在を訴えたが、全て否定された。

 そして、生け贄など不要だから村へ帰れ、と。

 訳がわからなかった。

 青年に追い立てられるようにして、ビーチェは考えがまとまらないまま山を下り、村へと戻った。



 村の入り口に着くと農作業をしていた大人達がビーチェに気が付き、慌てて村の中心部、村長の家へと走り込んでいった。

 ほどなくして村長と共に大人達がやってきて、皆一様に殺気だった表情をしてビーチェを取り囲んだ。

「ビーチェ……!? なぜ……、なぜ戻ってきたのだ!」

 血走った眼をして、村長が震える声で詰問する。


「……洞窟にいた人に、悪魔はいないから帰れって言われた。生贄はいらないし、供え物も片づけるように、村に伝えろって」

 言葉足らずの説明だが、ビーチェの言葉は真実を的確に伝えていた。冷静に聞けば、その洞窟にいた人が何かしらの事情通であり、穿った見方をすれば管理者であると想像もついただろう。

 だが、村人達は冷静さを欠いており、無断で戻ってきたビーチェを口々に糾弾した。

「この、ばっか! 黴菌娘がぁ! 今更、生贄なるのが怖くて帰ってきたか! んなこと許されねえぞぉ!」

「そうだぁ! 村の皆で決めたことだ! お前一人のわがままが通ると思うなぁ!」

「さあ! 早く洞窟さ、戻れ!」

 村人達の剣幕に怯えたビーチェは、その中でも比較的冷静な村長に助けを求める視線を送った。


「……ビーチェよ。すぐに戻るのだ、洞窟へ。どこの馬の骨がいい加減なことを吹き込んだか知らんが、これは村の判断なのだ。従えなければどの道、おぬしにこの村で暮らす権利は与えられない。さ! 戻るのだ!」

 村長もまた、冷静ではなかった。

 以前に大勢の若者が洞窟へ向かったまま帰って来なかったこともあり、村長はすっかり悪魔の存在を信じていた。いや、実際には悪魔など信じてはいないとしても、洞窟に何か危険な者がいて、脅迫文を送ってきたのは事実だ。

「すぐに、洞窟へ戻るのだ!」

 村の代表として、決定事項を覆すことはできなかった。

 生贄を捧げることは村を守ること。その曲げようのない意志が、残酷なまでにビーチェへ現実を突きつける。

「悪魔は、いなかった!」

 ただ一言を言い放ち、ビーチェは大人達の包囲を飛び出した。

 洞窟に戻っても意味がない。自分を食べる悪魔などいないのだ。

(だったら、どうしようも、ない……!)


 ビーチェは自宅へと逃げ帰った。

 薄い木の板と、頼りない細木を柱にしたような粗末な家だったが、流行り病で両親が亡くなるまでは家族三人で暮らしていた家だ。勢いよく戸を開けて、中へと駆け込んだ。

 そこには何故か、少女もよく知らない村人が一家族で食事をしていた。家族三人、男の子が一人と母親らしき女と父親らしき男。


「な、なんだぁ、おめえは!? ……あ、おめえは……黴菌娘じゃねえかぁ! なんで、村に戻ってる!? 生け贄になったはずだろうが!」

 訳がわからなかった。

 どうして、この人達は他人の家で勝手に食事などしているのだろう。

 ビーチェは一瞬、よその家に間違って入ってしまったかと思った。だが、中を見回し確認しても間違いなく自分の家だった。

「私の、家……帰ってきた」

 その言葉を聞いた三人家族の父親は、顔を真っ赤に染めて怒号を発した。

「寝ぼけたこと言ってんなぁ! ここはもう、おめえの家じゃねえ。生け贄はおとなしく、洞窟で悪魔に捧げられていろぉ」

 薪を投げつけられ、角材で突かれ、ビーチェは自分の家から叩き出された。


 昔、父と、母と、ビーチェの三人で住んでいた家。

 両親が病で亡くなった後も、一人で住み続けていた家。

 そこはいまや、よく知りもしない他人が我が物顔で住まう場所になっていた。

 彼女の帰る家は、既になくなっていたのだ。


 自分の置かれた境遇を理解したビーチェは、山を下りた時と同様に、考えもまとまらないまま再び山を登り洞窟を目指した。

 そこにも自分の居場所はないとわかっている。だが、他に行く場所など、どこにもなかったのだ。



 ◇◆◇◆◇


「家はもう、ないから。だから、ここにいる」

 洞窟の入り口に座り込むビーチェに、青年は説得を諦めたのか溜め息を一つ吐くと背を向けて洞窟の中へと引っ込んでいく。

「……もういい、好きにしろ。どうなっても知らんぞ」

「ボスー? 放っておいていいの?」

「どうしろって言うんだ? 村から追い出された子供を。それともお前が責任持って養うのか?」

「別に~、ボスがいいなら、ボクもいいんだけどー」

 洞窟の奥へと遠ざかっていく声。

 彼らに何かを期待したわけではなかったが、本当は助けてほしかった。


 しかし、みっともなく縋り付いて庇護を求めるほど、ビーチェは世渡りが上手くはなかった。彼女が熱心に他人へ働きかけるほど、その努力は反して他人を遠ざける結果になる。彼女自身どういう理由によるものかわからなかったが、ただそうなることだけは知っていた。

(だから、私は、誰にも求めてはいけない……近づけば遠ざかるから……)

 だが、自分から近づかなければ誰も彼女に近寄らない。

 結局、ビーチェはどこまでいっても一人だった。

 かつて生きていた両親さえ、彼女と目を合わせようとはしなかったのだから。



 それから五日ほど経った。ビーチェは供え物の穀物で食い繋ぎ、藁に身を包んで夜を明かしていた。

 六日目の昼、近くの川で飲んだ水が良くなかったのか、ビーチェは腹を下した。体力が一気に失われたようだった。

 七日目の晩、誤って毒の芽を生やした芋を口にしてしまい、軽いめまいと吐き気に襲われた。

(私、このまま死ぬ……)

 実際の所、症状は大したこともなかったのだが、ビーチェが精神的に弱っていたことで一度崩した体調は徐々に悪い方へと転がっていった。


 八日目の朝。降りしきる雨の中で、濡れた藁に体温を奪われながらビーチェは目を覚ました。

(洞窟……中に、入ろう)

 これまでは入口付近に狼がうろついていたので、なるべく洞窟に入るのは避けていた。だが、このまま外にいては体が冷え切って本当に死んでしまう。洞窟で狼に喰われて死ぬか、外で凍えて死ぬか。ビーチェはとにかく今現在の寒さ、苦しみから逃れたくて、力なく立ち上がり洞窟の中へと入り込む。


 洞窟の中は外よりも幾分か温かかった。ビーチェは濡れた藁を捨て、麻の服を脱いで絞ると体にかけて横になった。すぐに浅い眠りに誘われ、夢に落ちた。夢の中だけでは幸福そうな一家団欒の光景に安らぐことができた。

 その後、目を覚ましたビーチェは上半身を起こして壁に寄り掛かる。そのまま、それ以上動く気力も湧いてこないまま降り続く雨を眺めていた。



 衰弱したビーチェの元に、灰色狼が近づいてくる。

 弱った獲物に止めをさして狩るのは容易いことだ。だというのに、狼はある程度の距離までビーチェに近づくと、ぴたりと静止してしばらく動かなくなり、その後どこへともなく去っていく。そんなことが何度か続いた。


 ビーチェは知らぬうちに狼へ手を伸ばしていた。凶暴な獣に対する恐れより、寒さと孤独がなにより恐ろしかった。例え首根っこを噛まれたとしても後悔しない。温かそうな毛皮に触れられるのなら。

(――でも、誰も私には、近づかない)

 人間はおろか、獣さえ自分には寄ってこない。こんなにも無防備で格好の餌食であろうに、目が合うと皆、きびすを返していなくなる。病に伏せった両親は、最後までビーチェのことを気にかけていたが、最期の最後までまともに目を合わせずに逝ってしまった。

(私は、こうして一人で、死んでいく……)

 緩やかな死を覚悟したビーチェの元に、やがて黒い死神が足音を響かせながらやってきた。


「まだ生きていたのか」

 黒い死神は冷たい光を宿した双眸そうぼうでビーチェを観察している。

「とっくに狼に喰われていてもおかしくないはずだが……」

 そう言って、誰もが目を逸らす彼女の目を真正面から覗き込む。

 そこに一切の恐れはなかった。


 こんなにも長く誰かと視線を交わしたのは、生まれて初めてのことだった。

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