第41話 自称勇者の原則

「ここが今話題のダンジョン、底なしの洞窟か……」

 一人の若者が、永眠火山の中腹にぽっかりと開いた洞穴を覗き込んでいた。

 身体に合わせて軽量化された鋼の鎧を着込み、平たい円形の水晶を嵌め込んだ額当てを被っている。

 

「なるほど、噂通り悪しき気配が濃く渦巻いている」

 洞穴の中から漂ってくる獣臭さに顔をしかめ、左手で鼻をつまむ。

 腕に装着した青銅製の丸盾が、ほんの少しだけ臭いを遮ったように錯覚した。


「未だこのダンジョンを攻略した者はいないという。まさに売出し中の勇者である僕の実力を示すにはうってつけの場所だ。うん」

 腰に帯びたウーツ鋼の刀剣を意味もなく抜き放ち、太陽に向けてかざしながら自称勇者は一人大きく頷いていた。


 しばらく、いやかなりの長時間、そのまま洞穴の前に佇む自称勇者。


「……よし、覚悟は決まった。足の震え……じゃなくて、武者震いもようやく治まった。いざ冒険へ!」

 若干腰は引けていたが、自称勇者は勇気を振り絞って洞穴へと足を踏み入れた。



「予想していたよりも複雑だな……」

 壁に照明の埋め込まれた坑道を、なんとなく気分で赤々と燃える松明を掲げながら歩いていく。 

 奥からは岩を打つような金属音が散発的に聞こえてきた。


 岩陰からこっそりと音の出所を探ると、数匹の子鬼がツルハシを持って穴掘りをしているのが見えた。

「魔物か……」

 子鬼達は冒険者のように革の鎧を着ていたので、最初は人間かと思ってしまった。だが、魔物とわかれば彼にとって手心を加えるべき相手ではない。

 自称勇者は腰の刀剣を静かに抜き放ち、しっかりと両手で握りしめる。

「世にはびこる悪しき魔物めー! くたばるがいい!」

 岩陰から飛び出し、ツルハシを振るっている子鬼へ駆け寄って刀剣で斬りつける。


「ギギャッ!」「ガゲガッ!?」「ガゲガッ!!」

 いきなり背後から斬りつけられて、子鬼の一匹が悲鳴を上げながら倒れ伏す。

 残りの子鬼が驚き慌てふためきながらも、ツルハシを構えて臨戦態勢を取る。


「いざ尋常に勝負しろ!」

 背後からいきなり斬りつけておいて言う台詞でもなかったが、自称勇者はそんなことを気にもせず、残る子鬼に刀剣の切っ先を突きつけて挑発する。

「ゴゴッ!」「ギゴーゴゴッ!!」

 雄叫びを上げて、二匹の子鬼が左右から自称勇者へ向かって飛びかかる。


「二匹同時とは卑怯な! だが、僕は負けない!」

 自称勇者は一度大きく後ろに下がると、ひとまず右手の方向から来る子鬼に向かって挑んでいく。

 力一杯振り上げた刀剣を子鬼の持つツルハシに打ち下ろす。


 ウーツ鋼の刀剣は並みの鋼鉄よりも強度が高い。

 子鬼の扱うような粗末なツルハシなど、叩き斬ってしまえばいいのだ。

 ツルハシごと子鬼を叩き斬って、左手から迫る子鬼に向き直る――が、自称勇者の考えた筋書きは想像以上に固い手応えに阻まれた。


 ウーツ鋼の刀剣は、子鬼の持つ超硬合金製のツルハシと打ち合い、青い火花を散らして弾き返された。

「うっ!? 硬い!」

 自称勇者が怯んだ隙に、左から迫った子鬼がツルハシで襲い掛かる。

 青銅の丸盾でこれを防ごうとした自称勇者であったが、ツルハシは容易に盾を貫通してしまう。胸までほんの少しの距離に、盾を貫いたツルハシの先端が迫り、自称勇者は肝を冷やした。


 盾を前に突き出すように構えていなければ、胸まで貫かれていた。 

 あるいは攻撃を受けた位置によっては、盾ごと腕を貫かれていたかもしれない。

 その事実を自覚した瞬間、どっと冷や汗が噴き出してきて、鎧の下で背中と胸のあたりに湿った感触が広がっていく。


 自称勇者は盾と一緒にツルハシを振り払って遠くに投げ飛ばし、再度、右方向にいた子鬼のツルハシを弾いて牽制すると、一目散に背を向けて逃げ出した。

「なかなかやるじゃないか! 子鬼の戦士よ! お前たちの勇姿に免じて、今回は命を取らないでおいてやる! さらばだ!」

「ガギッ!?」「ゲゲグガーッ!!」

 後には、仲間を一匹殺されて怒り狂う子鬼が残された。



「雑魚にかまって体力を無駄に減らすことはないよな。真の勇者は逃げる勇気も持ち合わせていないと!」

 そう考えた自称勇者は、遭遇した敵からはとにかく逃げていた。狼とか熊とか虎とか、勇者の倒すべき相手は獣ではない。この洞窟の支配者、近隣の村に生贄を要求しているという噂の悪魔だ。


 麓の村人から、この洞窟の悪魔に村の若者達が何人も殺されたと聞いた。酒場で酔った村人から聞き出した情報だから間違いない、と自称勇者は確信していた。

 その後、洞窟へ悪魔を退治に行くと宣言したら、村人達に「やめてくれ」と強く止められた。

(彼らはきっと悪魔の報復を恐れているんだ。でも、大丈夫。この僕がきっちり倒してしまうからね)

 根拠のない自信を胸に、自称勇者は洞窟の悪魔を探してさまよい続けた。




 勢いだけで洞窟の下層部まで入り込んでしまった自称勇者。岩を削るような喧しい音のする方へ歩いていくと、長く延びた坑道の奥で見たまま岩を削っている何者かの後ろ姿が目に入った。

「ふんふふ~ん♪ ご~りゅごりゅ。割れ目に突っ込み~♪ ごりゅごりゅっ、ごりゅっ!」

 両腕には鋼鉄の錐、背中には二枚の透き通った翅が生えていた。それは間違いなく人外の証。


(……あれは? 不気味な翅を持っている……。はっ!? まさか、あれが噂に聞いた悪魔? でも悪魔にしては凄味がない。邪妖精かな?)


 自称勇者は本物の邪妖精を見たことさえなかったが、勝手に想像した邪妖精の姿と穴掘りをしている人外が脈絡なく繋がり、彼にとってそれはもう邪妖精以外の何者にも見えなくなっていた。


 自称勇者は刀剣を抜き放ち、目の前で邪悪な歌を奏でながら穴を掘る人外の者に、剣を突きつけて言い放った。

「貴様! ひとではないな! 邪妖精じゃようせいか!」

「わあ、いじめないで! ボク、悪い妖精じゃないよ。精霊だよ!」

 邪妖精? と思われた人外は自称勇者に詰め寄られると、途端に両腕の錐を消し去り、頭を抱えてその場に縮こまった。涙で潤む赤い瞳で助けを乞う姿は、とても悪しき存在とは思えない。その姿はむしろ無垢で儚い少女のようだった。


「うん……なんだ精霊か。それなら善きものであって、悪しきものではないな」

 精霊なら善きものという、よくわからない理屈で剣を収める自称勇者。

「……ふふん……ばーか、ばーか……ボクを邪妖精と間違えるなんて……目がふしあなだよ、ば~か……」

 精霊は周囲には聞こえないほど小さな声で罵倒を吐いていた。もちろん、普段から他人の話を聞かない自称勇者は、精霊の独り言など耳に入っていない。彼は精霊との遭遇を運命の導きと思い、彼が個人的に崇拝しているダイフルオロドトキ神に感謝の祈りを捧げていた。


 ちなみにダイフルオロドトキ神というのは――。

 説明するまでもなく、自称勇者の妄想が生み出した都合の良い神様である。


「精霊よ、ここで会ったのも運命に違いない。実は僕は、この洞窟に棲む悪魔を探しているんだ。心当たりはないか?」

「悪魔?」

 精霊は銀糸の髪を揺らして、疑問に満ちた表情を返す。

「ありていに言えば、ダンジョンのボスを探しているんだ。勇者はダンジョンに潜ったらボスを倒すのが決まりだからな」

 自称勇者が故郷の村立図書館で読んだ『寓話:勇者の原則(対象年齢十歳前後)』によれば、勇者の行動原則の中でも上位にある重要項目だった。


「お兄さん、ボスを探しているの? それなら、ボク心当たりあるかな」

「本当か!? 居場所はわかるのか!?」

「うん! 任せて! ボスならもっと奥の方にいるよ、連れていってあげる」

「助かる。……いよいよボスとの決戦か……」

 自称勇者はウーツ鋼の刀剣を握りしめ、昂る気持ちを鎮めようとしていた。



 精霊に連れられて辿り着いたのは洞窟奥の小部屋。

 そこには巨大な魔方陣の中心に佇み、何やら大量の物資を召喚する黒い外套の男がいた。高級そうな装飾品を身に着けていて、いかにもボスといった風体である。

(あの物資は……きっと近隣の村から要求した貢物に違いない!)

 勝手に勘違いした自称勇者は義憤に駆られ、小部屋へと飛び込むと刀剣を抜き放ち、天井へ切っ先を向けて朗々たる声で宣言する。

「僕はロドスの勇者バーン!」

 誰も訊いていないのに勝手に名乗りを上げる自称勇者。


「ああ? 誰だ貴様は。別に自己紹介など求めていないが……まあ、とりあえずこちらも名乗っておこうか。俺は準一級術士のクレストフだ」

 自称勇者の名乗り上げに、黒い外套の男クレストフは顔を顰めながら振り向いた。


「お前がここの洞窟のボスだな!?」

「確かにこの洞窟は俺が管理しているが――」

「黙れ! それ以上、言わなくても知れているぞ!」

 話の流れも雰囲気も読めない自称勇者はここぞとばかりに言い募る。

「私欲を満たさんがために、罪なき民を苦しめる悪しき魔法使いよ! ロドスの勇者バーンが粛清してやる! 覚悟しろ!」

「覚悟しろー! 悪い魔法使いめー! 強制労働反対ー! 不平等契約反対ー!」

 クレストフを悪の魔法使いと決め付ける自称勇者、ジュエルまでも調子に乗って彼を悪者扱いする。


「…………。それで、今度は何の遊びだジュエル?」

「遊びではない! 悪しき魔法使いめ、お前を成敗しに来たのだと言っている!」

「そうだそうだー、悪どくてケチな魔法使いめー」

「誰がケチだ、こら」

 ジュエルにケチ呼ばわりされて、クレストフはさすがに怒りを顕わにした。


「悪の魔法使いよ、もはや問答は無用だ! 神妙に討ち取られろ!」

 自称勇者はウーツ鋼の刀剣を眼前に両手握りで構え、目を閉じて静かに集中を始める。

(う~ん、むにゃむにゃ……ダイフルオロドトキ神さま、ダイフルオロドトキ神さま……悪しき敵を打ち滅ぼすための力を僕に授けたまえ……)


『――活心剣・風の型――!!』

 自称勇者の手の甲にさざなみ模様の輝きが浮かび、瞬時に渦巻く風が刀剣を包み込んだ。

 吹き上がる風に自称勇者の前髪が揺れ、鋭い眼光が目の前の悪へと向けられる。



 ◇◆◇◆◇


 刀剣に渦巻く風をまとわせた自称勇者を前にして、俺は少なからず感心していた。

(――驚いたな。自称勇者なんて単なる頭のおかしい奴かと思えば、剣術士とはね……)

 剣術士とは、簡易的な魔導回路で攻撃補助の術式を行使しながら、剣を主体に戦う武闘派の術士である。


「行くぞ!」

 わざわざ攻撃を宣言してから自称勇者が突っ込んでくる。渾身の力を込めた一刀を放たんと、前傾姿勢で駆けてきた。

 俺は腰を屈めて地面に手を付く。その手には魔導回路を刻んだ一欠けの水晶が握られている。自称勇者が前口上を述べている間に意識を集中して、魔導因子の生成は既に済ませていた。


(――組み成せ――)

石英せきえい一柱ひとはしら!』

 地面の岩盤に干渉し、結晶構造を組み変え石英の柱を創り出す。

 自称勇者のすぐ足元に。

「だあぁあっ!? あば」

 景気よく躓いて転び、持っていた刀剣を手放すこともできず、顔から地面に倒れ込む。刀剣を放して両手を付けば無事だったろうが、なにしろ刀剣は渦巻く風をまとったままだ。そこいらに放り出そうものなら、どこへ吹っ飛んでいくかわからない。


「くっ、うおおおぉっ!!」

 自称勇者はそれでもめげずに、気合いで立ち上がり再び突っ込んでくる。

 距離を取って様子を見ていた俺は、これに余裕をもって応じる。

 先端の尖った六角柱状の水晶に、魔導因子を流して先程とは別の術式を発動する。


(――組み成せ――)

 水晶をすぐ脇の岩壁に突き刺して術式を発動する。

六方水晶棍ろっぽうすいしょうこん!』

 岩の結晶構造を組み替えて、人の腕ほどもある六角錐柱の巨大水晶を形成する。水晶の底面からは長い丸棒のような柄を生やし、即席の水晶棍を創り上げる。洞窟内に設置された日長石の光が屈折して、水晶棍はぎらりとした輝きを放った。


 驚きに目を見張る自称勇者だったが、全速力で走ってきた勢いは殺せない。


「吹っ飛べっ!!」

 俺は突っ込んでくる自称勇者を水晶棍で力任せに横殴りする。自称勇者は刀剣の腹で受け止めようとするが、殴打の瞬間に水晶から電気火花が飛び、打撃と電撃の相乗効果で抗うこともできずに弾き飛ばされる。自称勇者は坑道の地面を何度か跳ねて、遠くまで転がされていった。

 仰向けに倒れ込み、それでもどうにか上半身だけを起こして、自称勇者はこちらを睨み返す。


「たった一合の打ち合いでこのざまか」

 俺はひどく冷めた気持ちで自称勇者に言い放った。

 いかんせん、剣も術式も未熟。どこで覚えたかは知らないが我流の技だ。おそらく魔導技術連盟にも登録していないモグリだろう。


 あまりにも圧倒的な実力の差に、傍で見物していた精霊のジュエルも呆然としている。


「……さてジュエル、遊びでいられる内にもう一度だけ聞いてやる。これは何の遊びだ?」

 俺が努めて優しげな対応を見せてやると、ジュエルは途端に態度を変えて自称勇者に向き直った。

「ふっふっふ……ボス! 実はボク、そこの間抜けな侵入者を騙しておびき出してきたんだよ! どうだ、この似非勇者えせゆうしゃ! 騙されたか!」

 びし、と指さして、あたかも初めから計画通りであったかのように振る舞う。


「何ぃっ! 裏切るのか! やはり貴様、邪妖精だな!」

「はーっはっはーっ! 騙される奴が馬鹿なのさー! ちなみにボクは精霊だから、間違えないでよ失礼な!」


 勝手に盛り上がる二人を尻目に、俺は懐から黄水晶を取り出して意識を集中し、召喚術を行使する。

(――世界座標、『鉄の砂漠』に指定完了――)

『服従を誓うもの、我が呼びかけに参じよ――鉄血粘菌ブラッディスライム

 俺は召喚した吸血性の粘菌を、ジュエル共々自称勇者に襲い掛からせる。


 自称勇者は足腰が立たない状態で、何とか刀剣を使って鉄血粘菌を追い払おうとあがく。

「ぬうぅぅっ!?」

「そいつらに剣は通用しない」

 刀剣でいくら斬りつけても、鉄血粘菌は分裂してまたくっつく、を繰り返すばかりだ。

「ぬわあぁぁっ……!」

「火炎を扱える術士ならば、五級程度でも楽に対処できる相手だが……」

 徐々に鉄血粘菌が自称勇者の身体に吸い付いて、身動きを封じていく。

「むぐぐっ……」

「モグリの自称勇者には丁度いい相手か」


「きゃぁー! 何でボクまでー!! ひぃややややー!」

 すぐ隣では、自称勇者の倍にも達する数の鉄血粘菌に吸い付かれ、ジュエルが悲鳴を上げている。

 俺は今まさに進行中の惨状を尻目に、結末を見届けるでもなくその場を立ち去った。



 その後、自称勇者がどうなったか俺は知らない。

 どうなろうと知ったことではない。

 これ以上、些事に煩わされるのは御免だった。

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