第39話 タバル傭兵隊

「その話、本当なんだろうな? イリーナ」


 口髭をはやした精悍な顔立ちの男が、鋭い眼光で目の前にいる一人の女、冒険者イリーナを睨みつけていた。

 並大抵の人間なら竦みあがってしまいそうな視線に晒されながらも、イリーナは平然とした態度で椅子の上にふんぞり返っている。しかも、これが一対一ではなく、周りを殺気立った男達に囲まれてのことなのだから、彼女の胆力は並外れていると言える。


「そういきり立つんじゃないよ、タバル。あんた相手に嘘つくほど素人じゃないって。一応、証拠品だってある」

 そう言って取り出したのは、柄に独特の意匠をこらした一本の短刀だった。


 タバル、と呼ばれた口髭の男は短刀の柄を検分すると、一度だけ大きく頷いて、周りの男達にも見えるように短刀の柄を掲げた。

「間違いない。夜鷹の盗賊団が持っていた短刀だ」

 タバルの言葉に周囲の男達から『おお……』と歓声にも似た声が上がった。イリーナのすぐ脇を固めていた男達が包囲を緩め、先程とは打って変わってイリーナに対する態度を軟化した。


「若い姉ちゃん、よくやった。大手柄だぜ」

「皆、諦めていたところだからな。この仕事、失敗したら大赤字になるところだった」

「この証拠があって、盗賊どもが本当に死んじまっているなら、後は死体を確認すれば依頼が完了できる。やったな!」

「イリーナとか言ったか? 冒険者にしとくにゃ勿体ない。うちの傭兵隊に入れよ」

「剣の腕もそれなりにあるんだろ、今よりずっと稼げるぞ。歓迎する」

 口々にイリーナの功績を称え、自分達の仲間に勧誘する始末である。イリーナは苦笑しながら、やんわりと勧誘は断っていた。


 彼らは傭兵。

 隊長タバルの元に集う、荒事専門の傭兵部隊である。

 彼らは夜鷹の盗賊団を討伐する依頼を受け、一度は盗賊団を追い詰めたものの、詰めを誤り半分以上の賊に逃げられてしまい、今日までその潜伏先を見つけられずにいたのだった。腕っぷしは確かな傭兵達であったが、いかんせん探索という行為は苦手としていたからだ。


「おい、静かにしろお前ら。これからが本題だ。そうだろ、イリーナ?」

 タバルは夜鷹の盗賊団の消息について、情報量として銀貨を五枚、イリーナに手渡す。イリーナは手の上に乗せられた銀貨を眺めながら、しかし手の平は広げたままでタバルに挑戦的な笑みを向ける。


「もちろん、子供の遣いじゃないんだ。本題はここからさ。まず、奴らが拠点にしていた場所の位置座標……銀貨五枚。それと拠点の中の情報、こっちは銀貨二〇枚だ」

「座標に銀貨五枚は払おう、教えろ。だが、拠点の中の情報に銀貨二〇枚? 随分とふっかけるな、罠でもあるのか? 銀貨十枚にまけろ」

「さて、どうかね。でも聞いておいた方がいい情報だと思うよ。銀貨十八枚なら考えてやってもいいね」

「ふん、お前が生きて帰って来られるくらいだ。そこまで価値ある情報でもないだろう? 銀貨十二枚にしておけ」

「こっちも命がけで、どうにか戻って来られたんだ。安いくらいだよ。銀貨十六枚、これより安くはならないよ。あたしも命の安売りはしないんだ」

「命がけの情報か? だが、俺達だって常日頃から命を懸けている。銀貨十五枚でなら買ってやる。それ以上なら聞かん。自力でどうにかするさ」

「知らなければ確実に一人、二人は怪我するか、死ぬね。あと銀貨一枚をけちって、それだけの危険を背負うのかい?」

「ちっ……価値のない情報だったら殴り飛ばすぞ。その情報、銀貨十六枚で買ってやる」

「商談成立だね。なに、聞いて損はないはずさ。実際にあんた達もあそこへ行けば、嫌でも情報のありがたみがわかるはずだからね……」





 イリーナから得た情報を元に、盗賊団の死亡確認を行う為、教えられた座標の洞窟へ向かうタバル傭兵隊。

 本当はイリーナに洞窟の案内を頼みたかったのだが、本人はしばらくあの洞窟には近づかないと頑として拒んだ為に連れてくることはできなかった。もっとも、案内に連れてくるにも別料金を取られただろうから、本人が行くと言っても結局は連れてこなかったかもしれないのだが。


 予めイリーナから聞いた情報では、洞窟内には子鬼や灰色狼の他に、武装した森の巨人や赤銅熊、巨群粘菌がいるらしい。どうも盗賊団とは別に、ここを拠点とする操獣術士が潜んでいるらしいのだ。


 情報の通りだとして、傭兵隊全員でぞろぞろと出向こうものなら確実に洞窟内で大混乱が起きる。

 盗賊団の死亡確認だけならば少数精鋭で良いだろうと判断し、タバル傭兵隊長と他四名で洞窟へと入ることになった。

 盗賊の死体がまとまって遺棄された場所はイリーナから確認を取っておいた。人数分の短刀か、他に素性を示す物品を回収して来られれば依頼は完了の証明になる。


「隊長、本当に夜鷹の盗賊団は全滅したんですかい? 残党が何人かぐらいはいるんじゃ……」

「イリーナの話じゃ、三流の盗賊がこの洞窟で何日も生き延びることはできないだろうとさ」

「猛獣の棲み処ってことですからね。子鬼は確かに見かけましたし、きっと他にも――」

「しっ! ――静かに、黙れ」


 タバルは連れの仲間を低い声音で注意して黙らせると、耳を澄まして洞窟内の僅かな反響音を聞き取る。

 こちらへ向かってひた走る無数の足音が聞こえてくる。タバルは四人の仲間に身振りで警戒態勢を取らせた。


 間もなくして正体を現したのは五匹の狼だった。

 その一頭一頭が大の男並みの体長を有し、太く発達した四肢と丸く湾曲した鉤爪で洞窟の地面を削っている。狼達はやや離れた場所から値踏みするかのようにタバル傭兵隊を眺めていた。


「灰色狼……じゃないな、妙にでかいぞあの狼……」

「イリーナの奴、話が違うじゃねえか!」

「いや……灰色狼もいるのは間違いない。入り口付近にそれらしき抜け毛が落ちていたからな。だが、この洞窟の奥にはもっと凶悪なのが潜んでいたというわけか」

「タバル隊長、ありゃあ屍食狼ダイアウルフだ。この辺には生息していないはずだから、きっと召喚獣に違いない」


 タバルは油断なく辺りを見回した。

「イリーナの言った通り、この洞窟には操獣術士が潜んでいるようだな……」

 今は近くに人の気配はない。ひとまずこの狼を故意にけしかけてくるような、危険な輩はいないと判断できた。


「いいか、お前達。絶対に一人になるな。奴らは群れから離れた個体を優先的に獲物とみなす」

 一人になれば、あっと言う間に屍食狼に取り囲まれ、骨まで残さず食われてしまうだろう。

 とは言え、このさほど幅広くはない洞窟での遭遇だ。前へ進む以上は奴らを避けて通れない。例え、五人で固まっていようとも、こちらが近づき過ぎれば戦闘になるのは確実だ。


 徐々に距離を詰めていくに従い、屍食狼もタバル傭兵隊を囲むようにゆっくりと展開していく。

 屍食狼は低い唸り声を鳴らして傭兵を牽制しながら、その喉笛に噛みつく隙を窺っているようだった。


 先に痺れを切らしたのは屍食狼の方だった。

 傭兵を半円状に囲った段階で、中央にいた一匹がタバル目掛けて飛びかかってくる。

 半歩遅れて他の狼も動きだしており、これに合わせてタバル他四名は鋼の長剣を構えて迎え撃つ。


「はっ!!」

 一足踏込み、鋭い斬撃を繰り出すタバル。素早く斜め前に向けて振るわれた剣は、屍食狼の鼻先をかすめて血の雫を宙に飛ばす。

 首を断ち切るはずだったタバルの斬撃を、屍食狼は体を捩り辛うじて避けていた。そのままタバルに体当たりをくらわせて、反動で大きく下がると憎々しげに牙を剥き一声吠える。


 ――ギャワワウゥッ! グァウッ!! ガファッ!


 そこかしこで屍食狼の怒りに満ちた吠え声が上がる。

 タバル以外の四人の傭兵も、それぞれ剣で屍食狼に切り付け、軽い傷を負わせていた。

「ここからだっ! 来るぞ!」

 タバルの張り上げた声に、他の四人の表情が引き締まる。

 五匹の屍食狼は目を血走らせ、牙をがちがちと打ち鳴らしながら腕や足を狙って猛然と攻撃を仕掛けてきた。本気を出した獣の動きは速く、さしものタバルも初手の不意打ち以降はなかなか追撃が加えられないでいた。


「これ以上は相手にしきれん! 一気に奥へ進むぞ!」

 五対五の乱戦になりかけた所でタバルが傭兵達に指示を飛ばす。

 意を汲み取った傭兵達はなるべくお互いの背を合わせるようにして近づき、

「走れ!」

 タバル隊長の号令で洞窟の奥へと走り出す。

 いきなりの逃走に屍食狼は一瞬の間、吠えることも忘れて傭兵隊を見送ってしまう。

 数瞬後になって怒り狂ったように追って来るが、傭兵の誰かが放った拳大の癇癪玉が炸裂し、屍食狼の足を見事に止めた。


 坑道に硝煙が漂い、傭兵達の姿と臭いを狼達から隠す。

 それきり屍食狼が追ってくることはなかった。




 イリーナに教わった洞窟の内部構造を参考に坑道を進んでいくと、曲がり角で一人の人間と鉢合わせした。


「ぬっ!?」

「む……」

 タバルは突然現れた人物と一瞬だけ視線を交わすと、大きく飛び退いて距離を取る。

 相手を見れば、まだ少年とさえ言えるかもしれない、若い青年であった。

 黒い外套を羽織り、両耳には丸い石の耳飾りイヤリングを垂らして、腕には銀と宝石の腕輪ブレスレット、首には丈夫そうな布地に小粒の宝石を縫い付けた首輪チョーカーを身に着けていた。


 タバルは角を曲がるまで、その青年の気配には全く気が付かなかった。足音も聞こえなかったし、曲がり角の付近で立ち止まっていたのかもしれない。

 ただ、武器らしい武器も持たず、こんな危険な場所に一人で佇んでいるというのは、いかにも怪しげな様子だった。


 そう考えたのはタバルだけではなかった。

 先程の狼との戦闘で気持ちがたかぶっていたこともあるのだろう。傭兵の一人が青年に剣を向けて怒鳴った。

「そこのお前! 冒険者か? 盗賊の仲間じゃないだろうな?」

「盗賊だと……?」

 青年は、盗賊と呼ばれたことが心底不快であるように顔を歪めた。底冷えのするような冷たい視線と憎悪に満ちた気配が彼から発せられる。怒鳴った張本人の傭兵は、青年の気迫に押されて思わず一歩後ろに退いていた。


 タバルは場の雰囲気に背筋を凍らせた。

 経験でわかる、感じ取れる。

 こいつは、決して怒らせてはいけない種類の人間だ。

 

「待て! 違う、誤解だ。我々はここに逃げ込んだと思われる夜鷹の盗賊団を追ってきただけだ」


 何について釈明しているのかすら曖昧な、愚にもつかぬ弁解だった。

 仲間の傭兵達も、タバルが何故この状況でこのような発言をするのか理解できず眉をひそめていた。


 ――途端に霧散する威圧感。

 警戒心を顕わにしながらも、どういうわけか青年から明確な憎悪の気配は消えていた。

 彼はしばしの間、耳飾りを指で弄りながら傭兵達を観察していたが、不意に口を開きタバルの話に乗ってきた。


「夜鷹なんぞ知らん。だが、愚かにもこの洞窟に侵入した挙句、くたばった者の屍なら心当たりがある」

「……!? それを教えてくれるのか?」

「坑道をこのまま進むと右手に脇道がある。その奥に骨の積まれた小部屋がある。探せば目当ての物が見つかるかも知れん」


 何故、この青年は親切にここまで教えてくれるのだろう。

(――罠か? しかし、盗賊の仲間とは思えない。洞窟の内情に詳しい冒険者なのだろうか。それともやはり彼こそが……)


 青年は言いたいことだけ言うと、五人の傭兵にはそれ以上の興味を示さず、洞窟の入り口方向へと歩き去ってしまった。

 タバル傭兵隊は果たして脇道に入るべきかと逡巡したが、結局は青年の言葉に従って骨の小部屋なるものを探すことにした。



 タバル傭兵隊は人の白骨死体が無造作に捨てられている薄気味悪い小部屋に辿り着いた。

「……言っていた通りだな」

 それは先ほど会った青年の言葉であり、イリーナの証言のことでもあった。

 山と積まれた白骨は、身に着けているものや死体の特徴から夜鷹の盗賊団に違いなかった。

 奴らはここで全滅していた。


「盗賊もかたなしだな。おっかねえ」

「本当だ、無残なもんさ」

「だが、憐れみを向けてやるような奴らじゃなかった」

 散々、殺しと盗みを各地で働いてきた輩だ。むしろ罪深き者の末路としては相応しい。

 傭兵達は証拠品を拾い集め、骨の小部屋を後にした。



 洞窟の帰り路。

 傭兵達の後を暗闇の中からひたひたと追い続ける複数の気配があった。

「つけられているな。獣の類か……?」

 タバルは後をつけてくるのが、行きに遭遇した屍食狼に違いないとみていた。

 警戒してすぐに攻撃を仕掛けてこないのも、ついさっき痛い目を見たばかりだからだろう。


「お前達、狼共を刺激するなよ。この様子なら、余計な戦闘をせずに洞窟を出られ――」

 急に膨れ上がる背後の獣の気配。重量感のある鈍い足音と、微かに聞こえてくる不気味な息遣い。

 洞窟の闇から堂々と姿を現したのは、一匹の剣歯虎サーベルタイガーだった。いつまでも仕掛けない屍食狼を押しのけ、剣歯虎がゆっくりと加速をつけて、タバル傭兵隊に襲い掛かる。

 あまりに長大な牙は、傭兵達に容易く死の恐怖を連想させた。


「盗賊の死体は確認した! 証拠も得た、すぐに帰還するぞ!」

 タバルは声を張り上げ仲間達に撤退の指示を出し、洞窟の外へと向けて走り出す。

 追ってくる剣歯虎を牽制する為、タバルがしんがりを務めることにした。

(三流の盗賊団を討伐する程度の仕事のはずが、まったく割に合わない仕事になったものだ!)


 剣歯虎は隙あらば飛びかかろうと傭兵隊の後ろを一定の距離を保って追ってきていた。

 時折、洞窟を逆走して剣を振るうタバルの牽制も、剣歯虎は次第に慣れてきたのか、徐々に大胆な接近を試みるようになっている。このままではいずれ本格的な戦闘になるのは避けようがない。

(全員でかかれば倒せないことはない……だが、一人二人は犠牲になるかもしれぬ)

 タバルは密かに覚悟を決めた。

 そして前を走る仲間達に、迎え撃つ準備を指示しようと剣歯虎から目を離した一瞬。


 ――巨体が地を蹴る音が背後で聞こえ、タバルの肩に長大な牙が突き立った。

 鉄の肩当てを貫いて、牙の先端が肩の肉に食い込んでいる。

「ぬぅああっ!!」

 痛みを堪え、剣歯虎の腹を目掛けて鋼の長剣を横薙ぎに振るう。

 剣歯虎は素早く距離を取り、剣を避けて一旦後退すると、再び加速を付けて飛びかかってきた。


「隊長!?」

 前を走っていた傭兵の一人がタバルの危機に気が付き駆けつけようとする。その足が、何故か途中で止まった。

 止まったのは傭兵の足だけではない。今まさに飛びかからんとしていた剣歯虎の動きも止まっていた。躊躇うように、その場で足踏みをしている。


 タバルと剣歯虎の間には、行きの道中で会った黒い外套姿の青年が立っていた。

 青年は剣歯虎を前に武器を構えるでもなく、ただ悠然と身動きせずに佇んでいる。

 場の空気が奇妙な停滞を見せるなか、青年は剣歯虎を睨み据えたままタバルに言った。

「用が済んだのならとっとと帰れ。そして二度と来るな」


 何が起こったのか詳しい状況はわからなかった。

 だが、助かったことは事実だ。

 タバルは仲間の傭兵と共に洞窟を脱出した。


 逃げる間、剣歯虎は一歩も前へは出てこなかった。

 それはまるで目の前に、絶対的に大きな壁が立ち塞がっているかのようであった。





 盗賊退治の依頼を達成し酒場で祝杯を挙げながらも、タバルは浮かない顔をしていた。


 結局、あの洞窟は何だったのか、あの青年は何者だったのか、彼の中では答えが出ていなかった。


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