第38話 広まる噂

「お久しぶり、と言う感覚ですわね。随分と長く山に篭っていた様子ですけれど、収穫はありまして?」

「借金の台帳は貴女が確認しているのだから、聞くまでもないでしょう。順調ですよ、宝石採掘は。返済も滞りなく、当初予定していた期間よりも早く済みそうです」


 俺は鉱山開発の定期報告としてフェロー伯爵家へとやってきていた。


 鉱山開発の際にした借金は利子も含めて、銀行を介して計画的に返還をしていたが、伯爵令嬢はどうあっても俺と直接会って鉱山開発の進捗状況を聞きたいらしい。


 もっとも、今回ばかりは俺も直接会って話をしたいことがあった。不本意ではあるが、伯爵家へと出向いてやることにしたのだ。


「ああ、そうだ。遅くなりましたが以前お約束した宝石をお持ちしました。未研磨の原石ですけどね、鉱山で採掘された中でも上質の結晶を持つ黄玉トパーズです」

 俺は伯爵令嬢に土産物として、微細な縦筋が走る角柱状の淡褐色に透き通った宝石を目の前に差し出す。


「まあ綺麗! これが天然の宝石ですのね……はぁ、美しくていくら眺めていても飽きませんわ……」

 伯爵令嬢は土産の品をいたく気に入った様子だった。これで今後の付き合いも円滑に進むことだろう。あまり媚びを売り過ぎて妙な誤解を受けてもいけないが、なおざりにして関係が悪化するのもよくない。お互いの関係に適度な距離感を保つことが肝要だ。



「ところで……最近、貴方が開発を進めている鉱山が噂になっているのですけれど」

 俺の方から話を切り出すまでもなく、伯爵令嬢から噂に関する話を振ってくる。今日は、最近の侵入者の増加に関して、周辺地域の情報を得る目的があった。向こうから話題を振ってくるぐらいだから、それなりに情報は期待できそうだった。


「噂ですか。採掘事業が忙しくて洞窟に篭っているものですから、山の外の情報はほとんど入ってこないのですよ。面白い話でもあるのなら、お聞かせ願えますかね」

 俺は出された紅茶を軽く口に含み、伯爵令嬢の次の言葉を待った。


 信頼性の高いまとまった情報は喉から手が出そうなほどに欲しかったが、俺はさほど興味もなさそうに振る舞い、伯爵令嬢に話の続きを促す。あからさまに物欲しそうな態度で食いつけば、それだけ向こうも情報の出し惜しみをするかもしれない。

 あくまで、双方が他愛ない好奇心をもってお互いの話を聞く、という立場を崩してはいけない。伯爵令嬢も知りたいことがあるはずなのだ、噂の真相について。


 伯爵令嬢は山の洞窟について、妙な噂が流れていると伝えてくる。


「巷でどのような噂が流れているか御存知ありませんでしたの? 朝露の砂漠リフタスフェルトそびえる『永眠火山』、その山の中腹には『底なしの洞窟』があって、凶悪な魔物達の棲み処になっている。そして、洞窟の奥には両手で抱えきれないほどの宝石が眠っている……そんな噂です」

「事実だけ見れば、噂に間違いはありませんが……」

 獣を労働力として働かせて洞窟に住まわせているし、宝石採掘も実際に行っていることだ。


「冒険者内では別の噂もありましたね。底なしの洞窟は入るたびに新たな道が生まれる、不思議なダンジョンである、とも。冒険心を刺激された方々が『あの洞窟には何かとてつもない秘密が隠されている』と想像をして、競い合うように探検へと精を出しているとか」

「間違ってはいませんが……行き過ぎた妄想も混じっているようですね」

 別にやましいことなどありはしない。勝手な想像で不法侵入を繰り返されては迷惑だ。


「ええ、まったく笑い話ですわ。他にもその、底なしの洞窟には悪魔が棲みついていて、月に一度、近くの村に貢物を要求するのだとか。いったい何のことかお分かりになりまして?」

 それは黒猫商会に俺が発送を依頼した物資だ。洞窟の奥へと搬入しているところでも見られたのだろう。くれぐれも言っておくが、正規に対価を支払って手にしている物である。俺はそのことについて淡々と伯爵令嬢に釈明した。

「……まあ、そうでしたの? 意外とつまらない背景ですのね」

 心底、つまらないといった表情で嘆息する伯爵令嬢。何か特別なことでも期待していたのだろうか。例えば俺が噂通りに近隣の村から物資を収奪しているとか。


「ああ! でも、もう一つ噂がありましたの! 貢物の要求には、若い少女を生贄として差し出すようにとの指示もあったとか? 裸で氷漬けの少女や強制労働させられる子供を見たという証言があるそうですわ」

 危うく出された紅茶を噴き出しそうになった。誤解を受ける原因には心当たりがある。ただ、氷漬けの少女に関しては、伯爵令嬢にも真相を告げるのは躊躇われた。誅罰であると言っても理解されないと思う。


「何かの間違いでしょう。それに関しては全く思い当る節がありませんね」

 平静を装い、ゆっくりと茶器をテーブルの上に置く。茶器がやたらと大きな音を立てたように感じたのは気のせいと思いたい。

「そう? 別に隠さなくてもよろしくてよ。若い少女を囲う貴族の男性など珍しくもありませんもの。貴方にそういった趣味があっても……」

「そのような事実はありませんね。大方、洞窟を徘徊する精霊でも見間違えたのでしょう」

 ここはきっぱりと否定しておく。妙な方向に話が進みそうな気配を察したのだ。


「そういえば精霊さんの協力で鉱山開発をしているという話でしたわね。そうだわ……次こそ精霊さんを連れてきてくださいな。どうしても一目見たいのです。約束ですよ?」

「善処しますよ……」

 いい加減、この神経をすり減らす伯爵令嬢とのやりとりをやめてしまいたかった。

 



「しかし……まさか、そんな噂が立っていたとは。道理で侵入者が多いと思いました」

 白々しい態度だったかもしれないが、俺はたった今事実を知ったふうに言い繕い、本題へと話を切り込んでいく。確認しておきたいことは別にあるのだ。

「それで、伯爵家からは近隣に通達がいっているのですよね? 永眠火山は私有地であり、許可なく立ち入ってはならないと」

「ええ、もちろん。許可なく立ち入った者は罰せられる、また立ち入った者がどのような事故にあっても伯爵家は一切の責任を負わないと通達しています」


 伯爵令嬢は落ち着いた様子で俺の問いかけに答えた。まるで、あらかじめ用意してあったかのような返答だ。


「それだけですか? 具体的な罰則などは決めていないのですか?」

「何故、そこまでする必要がありますの? 仮に侵入者がいたとして、一人一人捕まえて罰を与えるなど手間が掛かってしまうでしょう」


 伯爵令嬢はまるで領地が荒らされることに興味がない様子だった。いや、正確には、鉱山が荒らされることについては、興味がないのだ。


「噂は噂、取るに足らない民草の風聞。鉱山の管理に何も問題がないことは、貴方からの報告で確認しています。領主代理としては、それだけ確認できていれば領地の管理に何ら支障はありません。伯爵家からの通達内容は変わりませんわよ。山へ入るな、それだけですわ。山の細かい管理については、貴方の好きなようにしてもらって構わない、と以前にも言った通りです」


 はっきりと伯爵令嬢の考えが読めてきた。

 鉱山を開発する権利は俺にある。同時に管理する義務も俺にあり、鉱山の外に影響が出ていなければ領主としてそれ以上やることはない、ということか。

 そして、鉱山の中で何が起ころうとも、一切関与しないということだ。


 そもそも、鉱山開発で侵入者に被害を受けて困るのは俺だけだ。

 伯爵家は俺に金を貸し、鉱山開発の権利を売った。伯爵家はただ俺から利子つきで借金を返済してもらえればいいだけの話だ。今まで何の役にも立たなかった鉱山を俺に売り払ったことで、既に利益は確定している。むしろ、俺が借金を返すのが遅くなるほど利子が取れるのだから、進んで協力してくれるわけもない。


「しかしですね、余計な侵入者を水際で防げるように、伯爵家からもう少し強く言ってもらえれば――」

 俺は伯爵令嬢の笑みが深まっていくのを見て、途中で言葉を途切らせた。


(――駄目だ。俺は何を言おうとしている? この女に、『借りを作る』など)


 伯爵令嬢は単に協力の手間を惜しんでいるだけではない。

 この女は、俺が伯爵家へ助力を求めることを望んでいるのだ。借金という頚木くびきで繋がれた俺に、更に従順の証となる首輪を付ける為に。鉱山の管理を伯爵家に頼めば、その分だけ鉱山での利益を配分することを迫られるだろう。


(……冗談ではないぞ。利益を削られれば余計に借金の返済も遅くなる。伯爵家に協力など、とても要請できない!)


 俺はこの令嬢についての認識を少し改めた。

 単なる世間知らずの貴族令嬢とは違うと言うこと。

 こちらが下手に出て貢物を用意したところで、情に流されたりはしない。領地経営の不利益になる選択は決して取らないだろう。


「いえ、やはり伯爵家のお手を煩わせるわけにはいきませんね。ただ……そういうことでしたら今まで通り、鉱山の管理は好きなようにさせてもらいます」

 言葉を翻した俺に伯爵令嬢は「そう?」と気にした風もなく、優雅な笑みを湛えていた。どちらにせよ自分に不利益はない、そんな余裕の笑みに見えた。



 帰り際、伯爵令嬢が俺に余計な一言を伝えてきた。

「不安を拭いきれない一部の民が傭兵隊を雇ったという話も聞いています。賊や悪魔と間違えて討たれないように、お気をつけくださいまし」


(くそ、雌狐め。いつかは俺が泣きついてくると考えてやがる。そうはいくものか……)

 伯爵家は鉱山の管理を、好きにしていい、と言っているのだ。そちらが丸投げにするのなら、こちらも本気で好き勝手やらせてもらおうではないか。


 俺は洞窟への帰り路、如何に効率よく侵入者を排除するか、本腰を入れて取り組むことに決めた。


(……準備に時間はかかるが、こいつ・・・を使うとしよう。上手くいけば洞窟にやってくる侵入者は減るはずだ……生態系に悪影響が残るかもしれんが、鉱山開発が終わった後はどうなろうと知った事ではない。精々、返却された領地の管理に頭を悩ませればいいさ……)


 小さな袋の中に入っていたいびつな形状の種子を手の上で転がしながら、俺は一人、抑えようもない不敵な笑みを浮かべていた。


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