第37話 召喚獣の饗宴

 ――巨群粘菌ヒュージスライムの暴走。

 

 その忌まわしき事件によって、洞窟兎など弱い獣はことごとく逃げ出し、中途半端な強さを持った灰色狼は果敢に立ち向かい巨群粘菌に取り込まれた。

 巨大なだけの粘菌と侮ってはいけなかった。彼らは攻撃的な捕食者だったのだ。


 生き残った子鬼は知恵を働かせて、敵わないと見るや洞窟の外へ一時退避した。

 幸にも森の巨人や赤銅熊は巨群粘菌に取り込まれることはなかった。


 それでも、被害は甚大なものだった。


「……子鬼と狼の個体数はどれくらいになった?」

「子鬼が半分、狼は三分の一くらいに減ったみたい。兎さんもいなくなっちゃった……」

 精神的に落ち込んでいた俺に代わり、ジュエルが洞窟内の生態調査を行い、結果を報告してくれた。個体数に関してはかなり大雑把な報告ではあったが、それでもおおよその被害がわかってしまうあたり、今回の事故の規模が窺えるというものだ。

「労働力の減少は痛手だな。それでも地の精ノームに被害がなかったのは救いか」

 幻想種であるノームは、自然界の生態系からは少し外れた存在だ。そうそう滅多なことで消滅することもないのであった。


 いつまでも失敗に気落ちしていても仕方がない。

 気を取り直した俺は現場の復旧に動き始める。



 巨群粘菌は洞窟内を好き勝手に荒らした挙句の果て、食糧となる獲物が消えると勢いは急速に衰えた。巨群粘菌にとってはやや乾燥気味の洞窟環境にも適応できず、短期間で死滅してしまうという散々な結末だ。


 崩されてしまった洞窟内の生態系だが、洞窟兎の方は危機が去ったと見るや徐々に数を戻してきていた。干乾びた巨群粘菌は洞窟兎や、他の粘菌の餌となっている。

 他の粘菌種が生き残っていたのは僥倖であろう。巨群粘菌が暴走している間、天井に潜んでやり過ごしていたようだ。洞窟内の掃除はこれからも彼らに任せることになる。


(とは言っても、子鬼や灰色狼は戦力としても役に立っていたからな。数が減った分、侵入者への対応も考えないといけないか……)

 森の巨人や赤銅熊は強力だが、数が少ないので大勢の侵入者に対して対応しきれるものでもない。早々に穴埋めの戦力を補充してやる必要があった。


「採掘の役には立たないが、積極的に侵入者を排除する召喚獣を用意するとしよう」

「召喚獣? 今度はどんなの呼ぶのー?」

「そうだな……。なるべく生態がわかっているやつを複数種、バランス良く召喚してみるか」




 魔導技術連盟に所属しながら、俺がまだ学士としても活動を続けていた頃、地質の現地調査フィールドワークで立ち寄った場所で、獣の楽園とも言うべき領域に足を踏み入れたことがある。


(――世界座標、『黒い森』に指定完了――)


 黒い森の獣達を召喚する魔導回路を刻まれた結晶。明るく透き通った光の反射を見せる、黄緑色をした苦土橄欖石ペリドットに魔導因子を流し込み、深くて暗い森の風景を思い浮かべながら俺は召喚の楔の名キーネームを口にする。


『服従を誓うもの、我が呼びかけに参じよ……』


剣歯虎サーベルタイガー!』

 それは長大な牙を誇る獰猛な虎。


屍食狼ダイアウルフ!』

 それは死肉を骨まで食い漁る狼。


吸血蝙蝠ヴァンパイアバット!』

 それは生き物の血と体液を啜る蝙蝠。


 三種の獣は雌雄で複数、それぞれ召喚された。剣歯虎は四匹、屍食狼は十匹、吸血蝙蝠は二十匹。

 そのうち、吸血蝙蝠の六匹は改めて呪詛をかけて眷属とする。これで、洞窟内の様子をより探りやすくなった。 


「うわー! うわぁー! おっきいー! かっこいいー! きもちわるいー!!」

 呼び出された獣達の姿に興奮するジュエル。ただ吸血蝙蝠だけは、ジュエルの美的感覚に合わなかったようだ。

「さあ、散れ。この洞窟が今日からお前達の棲み処だ! 侵入者は速やかに排除しろ!」

 俺の号令に従い、召喚獣達は一斉に洞窟内へとばらけていく。

 これで戦力増強は成った。

 後は穴掘りの労働力たる子鬼や灰色狼が再び数を増やしてくれれば元通り、いや、これまで以上の布陣となるに違いない。




 ――だが、俺の思惑はいつもどこかで予想外の弊害を生み出してしまうようだ。


 自称冒険者達は噂する。


「なあ、知ってっか? 『朝露の砂漠リフタスフェルト』の『永眠火山』によ、最近になって急にえらく深い洞窟ができたんだってよお」

「ああ、聞いた聞いた。宝石が採掘できたり、珍獣がいたりして、うまくやりゃあ一儲けできるって話題沸騰中のダンジョンだろ?」

「その話、本当かよ。普通の鉱山跡地じゃないのか? 行くだけ無駄足になるんじゃないか?」


「……他にも裸の少女が氷漬けにされていたとか、下半身丸出しの女が森を走り回っていたって話も聞いたぜ……」

「おお、その話も聞いた聞いた! 結構な数、目撃者もいるみたいだぜ」

「その話、本当かよ!! 駄目で元々、行ってみようぜ!! 女! 宝石! 珍獣!」



 召喚獣だらけになった物珍しい洞窟は、逆に冒険者達の挑戦心を煽る結果となってしまった。

 特に、腕試しの自称冒険者の数が増え、果ては勝手に洞窟前で野営地を作ってしまう始末である。


 かく言う俺も先日、洞窟の入り口付近で自称冒険者に声を掛けられていた。

「よう、お前もこのダンジョンに挑戦するのか?」

「ダンジョン? 何のことだ?」

 三人組の男達が、洞窟の玄関口で休憩していた俺に話しかけてきたのだった。

 俺が問い返すと、三人の男は訳知り顔で自慢気に口を開く。


「こーれだから、最近の新人はなっちゃいねえ」

「ダンジョンの下調べは冒険者の基本だぜ?」

「そうそう、女! 宝石! 珍獣! 果てしないロマンが俺達を待っている!!」

 最後の一人が口にした言葉で、俺は大体の事情を察することができた。

 彼らは洞窟の噂を聞きつけてやってきたのだろう。だが、女と宝石については心当たりがあるものの、珍獣の噂が立っているというのは初耳だった。


「この洞窟に珍獣がいるという噂が広まっているのか?」

 また、面倒な噂が立ったものである。よりにもよって、猛獣ではなく珍獣と噂されているようだ。それでは猛獣に怯えて侵入者が減るよりも、珍獣目当てで侵入を試みる奴らが増えてしまうではないか。


「おうよ! 捕まえりゃあ一儲けできるってな」

「おい……! あんまりべらべら喋るなよ! 競争相手が増えるだろ」

「女も宝石も珍獣も、俺達が手に入れるからな! おい新人! お前は邪魔になるから、俺達の後について来ようなんて考えるなよ」


 俺は呆れ果てて言葉が出なかった。

 自信過剰なばかりで、大した実力もないだろう自称冒険者達。

 こいつらは俺の洞窟で、迷惑な冒険ごっこを始めるらしい。


「あー……、あんたらが何者かは知らないが、ここの洞窟は危険だから入らない方が身のためだ。と、言うよりも私有地だから入るな」


 俺の忠告に男達はまったく怯むことなく、鼻息荒く胸を張って名乗りを上げた。

「俺達は、泣く子も笑うゴッチ冒険隊だ!」

 どうやら隊長の名前を冠しているらしいゴッチ冒険隊。

(これは本当に心の底から笑われていそうだな……)


「ここはなあ、お前さんみたいな素人が遊びで来る場所じゃないんだぜ?」

「そうだぞ、素人は怪我しないうちに帰んな」

 あまりの愚かさに思わず俺の口から皮肉が漏れる。

「それは俺に向かって言っているのか? それとも、自分達に言い聞かせているのか?」


 男たちは訝しげな顔をして首を傾げている。

 どうやら皮肉さえ通じなかったらしい。愚鈍に過ぎる。


 もう、うんざりだ。

 装備を見ただけでこいつらが三流未満のごろつきだとわかる。

 どこかで拾ってきたかのような黴の生えた革の鎧、全体に錆が広がり光沢を失っている青銅の剣。

 以前に侵入してきた盗賊の方がよほどましな装備をしていた。腕前も装備の質に相応といったところだろう。


「ようし! それじゃあ、宝石求めてゴッチ冒険隊出発だ!」

「おうよ! 稼ぐぜー」

「女! 珍獣! 一儲け!」


 こうしてゴッチ冒険隊の冒険ごっこが始まった。

 俺は休憩がてら、特別念入りに眷属化した吸血蝙蝠の視界に接続して、彼らの様子を観察することにした。


 ◇◆◇◆◇


 ゴッチ冒険隊は洞窟の入り組んだ迷路で、迷っていた。

「なんだこりゃ? さっきから同じところを回っていないか?」

 迷路で闇雲に歩き回っていた彼らは、足音を忍ばせることすらしていなかったので、すぐに洞窟の捕食者達に気が付かれることになった。


「み、見掛け倒しの獣がぁ、怖かねえんだよ!」

「こっちは三人もいるんだからな、囲んでやっちまおう!」

「そ、そうだ! 怖くねえ! てめえなんぞ、牙を折って、毛皮を剥いで、それからそれから……売り飛ばしてやる!」

 彼らは今、剣歯虎と遭遇していた。

 新たに召喚した獣の強さを測るにも都合がよい。ここはじっくりと戦闘能力を観察させてもらうことにした。


 剣歯虎が喉の奥から、低く腹の底に響くような唸りを上げる。

 ――グルゥオオッ!!

「でぇやあぁああ!!」

 負けじと声を張り上げ、自称冒険者の男が剣を手に切りかかる。

 腰の引けた格好で男が振り下ろした青銅の剣と、剣歯虎の振るった爪が激突する。

 軽い金属音と共に、男の剣が半ばから折れ飛んだ。

「…………うそ?」

 呆然とする男達。

 強度からすれば青銅の剣の方が硬いはずだが、罅でも入っていたのだろう。古びた青銅の剣は衝撃に耐え切れなかったようだ。


 剣歯虎は自慢の牙を使うまでもなく、ゴッチ冒険隊を圧倒していた。

「だああぁ!?」

「おい! こいつ強いぞ! 一旦、態勢を立て直そう!」

「珍獣のくせに、珍獣のくせに!」

 しかし、思いのほか逃げ足の速かったゴッチ冒険隊は、命辛々、逃げだすことに成功した。




 逃げた先、洞窟のある小部屋でゴッチ冒険隊は死体の山を見つけてしまう。

「ぎゃあ! 人骨!」

「やべえよ、この洞窟やべえよぉ!」

「く、くそ~、裸の女を見つけるまでは死なねえぞー!」


 ひとしきり騒いだ後、冷静になった彼らは死体が身に着けた武器や防具を拾い上げた。

「なあ、この装備類、なかなか良いんじゃないか?」

「青銅の剣も折れちまったからな。持っていこう」

「死体の装備を剥ぐことになるとはな~……これが生身の女だったら……」


 丈夫な鉄製の長剣を拾って喜ぶゴッチ冒険隊。

 他にも、黴の生えた革鎧よりは少しばかり上等な、鉄板補強した革鎧を見つける。

 装備を整えたゴッチ冒険隊は妙な自信でもつけたのか、無謀にも勇んで剣歯虎との再戦に挑んだ。


 ――だが、得物が変わっても剣の腕がお粗末では勝負の結果は見えている。


「ぶっぎゃああぁ!!」

 下品な断末魔の声を遺して、冒険隊の一人が剣歯虎の牙に腹を突き破られて絶命する。出血死よりも先にショック死を起こしてしまったようだ。鉄板補強した程度の革鎧では装甲が薄すぎた。


 不利を悟った残りの二人は逃げ帰ろうとするが、すぐに屍食狼の群れに囲まれてしまう。

「うわあぁあ! かじるな! かじるなよぉ!!」

「ぎゃっ! 俺の! 俺の指がぁ!」

 あるいは一撃のもと、即死してしまえればどれほど安楽な死であったろうか。

 ゴッチ冒険隊の残る二人は、生きながらに手足の肉と骨を食いちぎられ、動けなくなった状態で腹を食い破られ、腸を引きずり出されてゆっくりと屍食狼の餌食となるのだった。


 彼らがどの段階で死を迎えたのかはわからない。屍食狼は骨の欠片も残さず、噛み砕いて食べてしまった。残る血溜まりには吸血蝙蝠が集まって、血の池を一心不乱に啜っている。


 ただその場には、拾われた亡者の装備が再び亡者の装備となって打ち捨てられていた。

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