第36話 放たれた掃除屋
洞窟の入り口のすぐ脇にある岩陰に、無残にもへし折られた立て札が落ちていた。
何度も大勢の人間に踏まれた形跡のある立て札には、大きな文字で警告が書かれていた。
“私有地■■■立ち■■禁■”
一部の文字は酷く踏みにじられて消えていた。
その隣に別の立て札の残骸がある。
“不法侵入は■■です。直ちに■■■りなさい”
やはり、ひどく汚されていて文字の一部を読み取ることができない。
さらに少し離れた場所には、また別の立て札が転がされていた。
“警告。侵入者は■■する。■■■■はないと思え ←ばーかお前が死ね”
これも文字の一部が削り取られていたり、落書きが書き加えられて見るも無残な状態だ。
俺は怒りにまかせて、新たな立て札を「ふん!」と洞窟の入り口に突き立てた。
どうせこの立て札も無視されてしまうに違いない。だから、親切な警告はこれで最後。
“警告は既にした。自殺を止めはしない。この山、この洞窟に入るのは自己責任である。そして私にはこの地を守る義務と権利がある。管理者が保障するのは山の外への安全のみである”
『晶結封呪!』
立て札を魔導で作り出した透明な水晶に閉じ込め、立て札を折ったり落書きしたりできないように覆ってしまう。
あまり意味があるとも思っていなかったが、一種の免責事項として注意を促したという言い訳を用意したのだ。これで立て札を見なかったとは言わせない。
俺が立て札を術式で覆った直後、近くの林から人の話し声が聞こえてきた。
「お! ここだ、ここだ! 新しくできたダンジョン!」
「奥には宝石がたんまり眠っているって噂よ!」
「おっしゃあ、お宝は俺達、お宝探偵団がもらったぜ!」
「うふふ……、さあ、探すわよー、稼ぐわよー」
昼間から堂々と他人の私有地である山へと分け入り、俺の横を素通りして宝石採掘場である洞窟に侵入していく男女四人組。彼らの目には立て札がダンジョンの入口を示す
「さあてぇ……。俺は幾度も幾度も幾度も警告をしたわけだから、後は別にどうなっても構うまい? 聞く耳を持たない連中が悪いんだ。工事現場の作業中に飛び込んできて誰か死んでしまっても、それは警告を無視して私有地に入り込んだやつが悪い。そうは思わないか?」
「うん、そだねー。ボスは正しいと思うよボクもー」
半ば呆れた表情をしながら、棒読みの台詞で俺の意見に賛同をするジュエル。
これから俺がやろうとしていることを知っての態度というわけだ。つくづくこの精霊も情け容赦がない。
「さすがにこうも侵入者が増えては、赤銅熊や森の巨人でも相手をしきれないからな。奴らを文字通り一掃してくれる召喚獣を使うことにしよう」
「おお~。そんな便利なお掃除屋さんがいるの?」
「ああ、以前に魔導技術連盟の依頼で立ち寄った旅先に珍しい生き物がいてな。その時に、後から召喚できるように標識を付けてきたんだ。俺専用の陣も楔を打ち込んで作ってきたし、いつでも呼び出し可能ってわけだ」
俺は洞窟の玄関口で地面に座り込むと、召喚用の魔導回路を刻んだ
俺が意識を集中している隙にジュエルが黄水晶を拾って口に入れようとしていたが、その行為は敢えて無視して術式の発動を優先した。
(――世界座標、『腐海の湖』に指定完了――)
魔導因子を波動として全身から周囲に発散し、辺りに散らばった黄水晶の魔導回路全てに干渉する。
ジュエルが口に含んだものも加えて合計十二個の黄水晶が輝きだし、水晶の色と同じ黄みを帯びた光の粒が放出され始める。
「うみゃみゃ!」
口の中で弾ける光にジュエルが泡を食った様子で右往左往する。
――馬鹿め。自らの食い意地を呪うがいい。
『服従を誓うもの、我が呼びかけに参じよ――
複数の黄水晶が立て続けに閃光を放ち、光の粒を放出すると黄水晶の数と同じだけ、巨大な橙色の粘菌が召喚された。
「むああぁ~ぅ……」
そして、最後の一匹は涙目になったジュエルの口内からネリネリと姿を現した。
「本当にお前は懲りないやつだな。俺の宝石に手を出したらどうなるか今までも散々な目にあってきただろうに」
「うぅ、だってー。宝石見たら食べたくなるのは、ボクの本能みたいなものなんだものー」
粘菌を吐き出してげぇげぇとやっているジュエルを見ると、少しばかり罪悪感も湧いてくる。俺は召喚に使い終わって、魔導回路の寿命により罅割れた黄水晶を二つ、ジュエルにくれてやった。
「そら、口直しだ」
「わーい! ボス大好き、愛してるー! ん~この罅割れた黄水晶から滲み出すような酸味が堪らないね~」
(……酸味ってなんだ、それは)
罅割れた黄水晶を口に含みながら、ジュエルは常人には理解しがたい批評をするのだった。
俺はジュエルの機嫌を適当に直した後、新たに召喚したもの達へと改めて向き直る。呼び出したのは、死体の腐肉や骨まで分解してくれる大型の粘菌種族、
今、この場にいるのは一抱えほどの大きさをした巨群粘菌が十二匹。
腐海の湖の奥底には、直径が測りきれないほど大きな個体が存在すると噂もあるが、一個人の行使する召喚術では魔導因子が不足して呼び出すことは難しいだろう。もっとも洞窟内に呼び出すには手ごろな大きさの方が扱い易いのだから、大きいことに拘ることもなかった。
「さて、お前らには侵入者の排除と洞窟内の死体処理を頼む。くれぐれも俺の眷属とその仲間達には手を出すなよ。ああ、ただし死体は別だ、子鬼や狼でも死んだのは掃除してくれ」
脳もない粘菌に命令が理解できるわけではないのだが、こうして誓約を口に出すことで明文化し、俺の理解の通りに呪詛が発動するように調整を行うのだ。彼らが誓約に反する行動に出れば、呪詛によって行動の阻害が行われる。他にも幾つか条件を足して、準備が整ったところで俺は巨群粘菌に号令を発した。
「さあ行け! 洞窟内の大掃除だ!」
号令に従って散開する巨群粘菌達。見た目の頼りなさからは想像もつかないほど俊敏な動きで巨群粘菌は洞窟内に散って行った。
巨群粘菌のほとんどが散っていた後に、何故か二匹だけその場に残りふるふると震えていた。
「どうした? お前らも適当に散れ」
二匹は相変わらずふるふると震えていたが、しばらくするとあっちへふらふら、こっちへふらふらと迷いながら洞窟の中をうろつき始めた。
(……粘菌にも個体差というか性格があるのだろうか……)
この時の俺は二匹の粘菌の奇妙な挙動に違和感を覚えたものの、その異質性には全く気が付いていなかった。
思えばその迂闊さが、後の悲劇へと繋がることになったのだ。
泣き叫ぶ獣の吼え声が響いた。
悲痛なまでの叫びは徐々に小さくなっていき、やがて尻すぼみに消えた。
そしてまた別の場所で叫び声が聞こえる。今度は人も獣も入り混じった、混乱と困惑の騒ぎ。
男の野太い怒声、女の絹を裂くような叫び、獣の遠吠え。
……やがてそれも静まった。
俺は内心の焦りを必死に抑えながら、洞窟内を走り回っていた。
(……いったいどうした? 何が起きている? くそ、狼と子鬼の眷属から救難信号が送られてくる……! とりあえず、近場の方から様子を見に行くか――)
洞窟内はいまや大きな混乱の渦の中にあった。
初めは些細な変化だった。
つい先程まで作業をしていた子鬼が突然いなくなり、遠くの方で狼どもが騒いでいた。
侵入者でも来たのかと思って現場に向かってみれば、そこには狼も何もいなかった。
代わりに別の場所で作業に当たっていた獣を呼びつけ、仕事に当たらせた。
そんなことがここ数日のうちに何度か続いて、気がついたら子鬼や狼の数が明らかに減っていた。
群れのリーダーである眷属に点呼を取らせたので間違いなかった。
そうした事態を受け、眷属には注意深く洞窟内を巡回するよう言いつけ、俺も精霊のジュエルと一緒に見回りを開始したのだが、その矢先に眷属から危機を報せる思念が飛ばされてきたのだ。
とりあえず近場にいた狼の方に俺は走り、子鬼の方には眷属たる森の巨人を向かわせた。
まもなく騒ぎの現場に辿りついた俺はそこで信じ難い光景を目にする。
「こんなこと……起こるはずが……」
「あれあれ、ボス? あれ遊んでいるわけじゃないよね? なんか、狼さん達がおっきなスライムに呑み込まれているみたいなんだけどー」
ジュエルの言葉通りに灰色狼が数匹、巨人を丸呑みできそうなほどの大きさに成長した巨群粘菌に絡め取られ、半ば消化されかかっていた。
「おかしい。誓約は成されているはず……」
俺は誓約の呪詛を視覚化できる『天の慧眼』の術式で、巨群粘菌にかけた呪詛を確認する。
すると巨群粘菌には確かに召喚獣にかけられた誓約が、波紋となって視て取ることができた。しかし、よくよく見てみると誓約はたった一つ『召喚者を襲わない』という条件の標識だけしか確認できなかった。
「嘘だ!! どうしてこんな間違いが!?」
「わあい! ボス、失敗したの? 失敗した!? しっぱ――むぐ」
囃し立てるジュエルの口に腕を回し締め上げて塞ぎながら、俺は召喚の手順を思い返していた。
(よく思い出すんだ……通常の召喚と違う部分はあったか? 一匹ずつ召喚するのが面倒だから、一度に十二匹を召喚した。その後すぐに細かな誓約を交わしたが……。――待て、そういえば召喚に使った魔導回路、黄水晶が二つ罅割れていたな……。完全に壊れたわけではなかったし、召喚そのものは成功していたから気にも留めなかったが、まさかその後の誓約の調整段階で機能を果たしていなかった……? あれ? 違うな。そもそも罅割れた黄水晶は用済みとジュエルに食わせて――)
一度にたくさんの召喚をしたので失念していた。誓約の調整は、召喚に使った魔導回路でのみ可能な事に。元々、召喚獣の行使は俺の専門分野ではない。頻繁に使うこともなかったのだが、ここへ来て経験の浅さが露呈したのだ。
思い当たる自らの失態に血の気が引いていく。締め上げていたジュエルを放してその場に呆然と佇む。
「なんてこと……初歩的なミスをこの俺が……」
「もう終わり? ねえ、ボス、もう終わり?」
ジュエルは締め上げられたお返しのつもりか、腰の辺りにしがみついてきたが俺はもはや相手にする気にもなれなかった。
そういえば、赤銅熊の召喚に使った結晶も既に砕けてしまっていたな、と思い返しながら。
◇◆◇◆◇
息を潜め、岩でできた柱の陰に隠れていた冒険者イリーナは、赤銅熊をまんまと迷路に誘い込んだ後、まくことに成功していた。
「どうやら完全に振り切れたみたいだね。さぁ、また遭遇しないうちにさっさと帰るとするか」
イリーナが洞窟の出口へ向かって歩き出したところ、急に洞窟内が騒がしくなり、十数匹の子鬼がイリーナのすぐ横を通り過ぎて、脇目も振らず一目散に洞窟の外へと飛び出していった。
「? なにかねぇ、あんなに慌てて……どうにも嫌な予感しかしないんだけど……」
ふと後ろを振り向けば、眼前にはイリーナの身の丈を超えるほど大きな、半透明の橙色をした壁が迫ってきていた。そしてそのまま、ずぶり、とイリーナは全身を壁にめり込ませてしまう。
「ぶぶっ! う、ごぼぅっ!? ぷ、ぶはっ!! な、な、これは!?」
橙色の壁に呑み込まれそうになったイリーナはどうにか頭だけを外に出して、改めて自分を取り込んだものを目にする。それはぶよぶよとして柔らかく、油断すれば再び頭まで呑まれてしまいそうな、異様な運動性を有した存在だった。
「まさかこいつ、粘菌なのか!? くっそー、抜け出せない!」
ヌルヌルとした感触が全身を包み、見る間に金属の胸当てが腐食して、黒革のレギンスが白く変色していく。強塩基性の溶解液がイリーナの装備を腐食しているのだ。
「うわ、ま、まずい。早く抜け出さないと! う~……ん!!」
近くの突き出た岩にしがみつき、巨群粘菌から勢いよく身体を引っ張りぬく。ずるり、と下半身が底なし沼から抜け出したような感覚と共に、イリーナは体の自由を取り戻した。
巨大な粘菌からがむしゃらに逃げ、イリーナは
ほっと一息ついたイリーナは、ここへ来てヌルヌルと濡れた肌が冷える感覚に違和感を覚えた。
ふと自分の腰から下を見て、恐ろしい事実に気が付いてしまう。
「う……うぅわあああぁ……!?」
自分の下半身に、身に着けているはずのものがなかった。
何もはいていなかったのだ。
そればかりか、胸当ては腐食し、下着も生地が傷んでドロドロに崩れ落ちそうになっていた。
「ま、まさか、あの粘菌の溶解液で!?」
ヌルヌルとした感触、それは動物の革が溶けた感触。
幸いにもイリーナの皮膚はまだ溶けていなかったが、体に付着した溶解液を放置すれば、皮膚がずる剥けてしまうかもしれない。
実際に下半身の体毛は脱色された上に、半ば溶けてしまっていた。
「体を、早く体を洗わないと! ええと、水、水……そうだ! 確か山の中に川が流れていたはずだ!」
イリーナは皮膚が溶けてしまうかもしれないという恐怖に駆られ、着衣も整えぬまま川を目指して走り出した。
その日を境に、胸当て一つ身に着けた裸の女が、山中を走り回っていたという噂がまことしやかに囁かれるようになった。
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