第35話 冒険者イリーナ


 洞窟の上層部、目立たないように警戒しながら奥へと進む人影が一つあった。

 中背で肉付きの良い女性のシルエットだ。


「なんとも不気味だな……。いつの間にこんなダンジョンができあがっていたんだ……?」


 体型に合わせて加工された金属製の胸当てを身に付け、厚い黒革で縫われたレギンスをはいている。

 背中には飾り気のない鋼の長剣を背負い、真っ赤な髪留めの帯を額に巻いていた。

 山賊や盗賊とは異なる雰囲気の彼女は、傭兵崩れの冒険者イリーナ。

 冒険者稼業に性別は問題ではない。要は実力があるかないか、生き残る術を知っているかどうかだけが重要だった。


(ほんの数ヶ月前まではこんな洞窟はなかったという話だから、誰かが作ったんだろうけど。何の目的でダンジョンを作ったんだ……?)


 ありがちなのは非合法な活動を行っている犯罪組織が、活動の拠点として山中に地下施設を造る場合である。

 だが、イリーナが聞いた話では獣の巣窟になっているとも聞く。

 実際に子鬼や狼はちらほらと姿を見かける。彼らを刺激しないようにイリーナは獣がいない方へと歩みを進めていった。


(盗賊が出入りしているのを見たって話もあるし、奴らの活動拠点である可能性も捨てきれない。十分に注意しておこう)


 正面切っての戦いなら盗賊ごときに負ける気はしなかったが、奴らは大勢で徒党を組んでいる。

 囲まれれば圧倒的に不利な立場となる。特に、今回はイリーナ単独での潜入なので助けてくれる仲間もいない。


(今日は様子見だけ……。獣や賊と出会っても逃げるのが最優先だ)


 イリーナは近くの街で懸賞金のかかった盗賊の一団が、この洞窟に逃げ込んだという情報を入手していた。

 盗賊団は討伐依頼を受けた傭兵隊に追われ、山中に逃れていたのだ。

 イリーナ自身は討伐をするつもりはなく、賞金首の居場所だけ突き止め、傭兵隊に情報を売って小金稼ぎをしようと考えていた。そういう事情もあって、危険だが目立たぬように隠密行動する為に単独での潜入を行っていた。もっとも、三流盗賊の情報料程度では、稼ぎが少なすぎて人数をかけられるわけもないのだが。


(それにしても子鬼や狼が多いな……)

 洞窟の入り口周辺にいた狼は撒き餌で誘い出し、その隙に洞窟へと飛び込んだ。

 洞窟内は子鬼が闊歩しており、広い玄関口を抜けた辺りで四匹の集団が襲い掛かってきた。いずれもツルハシや短刀で武装しており、気を抜けば危険な相手であった。


「くっそ、こう広い場所で見つかったんじゃ逃げも隠れもできないか!」

「ゲギ!?」「ゲギガァッ!!」

「ガガゲー!」「ギゲー!」

 ぎゃあぎゃあと耳障りな声を上げながら突撃してくる子鬼に対して、イリーナは背負った長剣を左手に持ち直し、右手で鞘から抜き放つ。放り出された鞘が地面に落ちるのとほぼ同時に、一番に突っ込んで来ていた子鬼の頭蓋を鋼の刃で叩き割る。


 続けて二匹目が振りかぶったツルハシを長剣で弾き飛ばし、剣を水平に突き入れて心臓を貫く。子鬼の体を蹴り飛ばしながら刺さった剣を引き抜くと、短刀を持って飛び掛ってきた残りの二匹を横薙ぎに斬り払った。

 一匹は腹を深く割かれて転げ回り、もう一匹は浅く鼻の頭を切られて腰を抜かす。イリーナは腰を抜かした子鬼に容赦なく追撃を加え、肩口から胸にかけて斜めに斬り伏せた。


「ふぅーっ……。どうにか怪我せず切り抜けられたか。……しっかし、本当にこんな獣だらけの洞窟に盗賊連中が逃げ込んだのかな?」

 戦闘のあった場所から足早に離れ、周囲に何もいないことを確認してイリーナは一息ついた。

(さて、どうしたもんか。あまり深入りはしたくないんだけど……)



 岩陰から洞窟の奥に続く道を観察していると、大きな人影が目に映る。イリーナはすぐさま近くの小部屋に身を隠し、息を殺した。人影は近づくにつれ巨大さを顕わにしていく。その影は人でなく、毛むくじゃらの森の巨人トロールだった。

 イリーナは緊張のあまり心臓が口から飛び出しそうな感覚に襲われた。森の巨人が洞窟内に居たことも驚きだが、何よりも簡素な鎧に身を包み、恐ろしげな大金槌を肩に担いでいる姿に目を剥いた。


(……うっそだろ!? 森の巨人が何で武装してんだ! まさか、盗賊団に操獣そうじゅう術士がいるのか!?)


 もし、この洞窟が盗賊団の逃げこんだ場所に違いなく、奴らの中に操獣術士がいるとすれば、イリーナが持ち帰る情報は極めて重要なものとなる。事前情報なしに洞窟へ足を踏み入れれば、腕自慢の傭兵隊と言えど無事では済まないだろう。


(だけど妙だな、さっきから獣は居ても人が居ない。もっと奥に潜んでいるのか……?)


 この洞窟の危険度からすれば、すぐにでも引き返したいところだった。しかし、まだ盗賊の一人も見つけられていない状況では、とても傭兵隊に売れる情報ではない。

 進むべきか退くべきか、イリーナは逡巡した後、結局は退くことにした。

 危険と利益が釣り合っていない。小金稼ぎの情報収集で死ぬかもしれない危険を冒すのは愚かなことだ。


 急ぎ洞窟の入り口へ戻ろうと一歩引いたイリーナは、足元に転がっていた何か細くて硬いものを蹴り飛ばしてしまった。

 カラカラと乾いた金属音が洞窟内に反響し、イリーナは思わず身を竦ませる。

 だが、自身が蹴り飛ばしたものを見るや、今度は本気で悲鳴を上げそうになった。辛うじて、両手で口を塞ぎ声を押し殺す。


 目の前にあったのはうずたかく積み上げられた骨の山。

 骨の大きさと形状からして、それは間違いなく人骨であった。そのどれもが酷く痛み、五体満足な白骨死体は見当たらなかった。死体の所持品を確認してみると、どうにも堅気の人間の装いには見えない。


「お、おいおい、こりゃ参ったな……。もしかして、盗賊連中は皆くたばっちまったのか……」

 だとすれば、あの武装した森の巨人は誰が操っているのか。

 得体の知れない何者かの存在を背後に感じて、イリーナの背筋は寒くなった。

 巨人しかり、盗賊など比較にならない脅威がこの洞窟には潜んでいるのだ。


(ま、なんにしても奥へは行かない方が良さそうだね……。目的はそもそも盗賊の所在を突き止めることだけなんだし)

 白骨死体の腰に括り付けられた短刀を取り上げ、その特徴的な柄の意匠に目をやる。同じ装飾の短刀を他の何体かの白骨死体も身に付けているようだった。

(依頼を受けた傭兵達なら、この屍が賞金首のものか判断できるかもしれないな……)


 白骨の山を横目に見ながら、イリーナが今後の動きをどうするか考えていたとき、再び森の巨人が近くを通りかかった。

 慌てて小部屋の死角に身を隠し、巨人の動向を探る。巨人は洞窟の通路で立ち止まり首を傾げていた。


「ホ……?」

(ん? 何だ……?)

「ホあッくション!!」

「うわぁっ!」

 巨人の突然のくしゃみに驚いたイリーナは、反射的に声を上げてしまった。


「ホォ?」

「ぅへ?」

 小部屋を覗き込んでくる巨人と、イリーナの視線が交錯する。


「ホオオオォォオ!! オホ、オホッ!」

「おわ、おわああぁ!?」 

 巨人はイリーナを見つけると大上段に金槌を振り上げ、彼女の頭を叩き潰さんとばかりに金属の塊を打ち下ろす。

 その場を飛び退き、前転しながら金槌の一撃を回避するイリーナ。空気を裂く風切り音と共に、腹に響くような重低音が背後に轟いた。


 イリーナは背後を見なかった。振り返る間も惜しみ小部屋から飛び出すと、全力で洞窟の出口へ向かい逃走した。

(死ぬ! 死ぬ! 殺される! あんな攻撃、一撃でも食らったら即死だ!)

 入り組んだ洞窟の中を素早く駆け抜け、追走してくる巨人をまくことに成功したイリーナは、どうにか玄関口の大部屋近くまで戻ってくることができた。あと少しで出口、そこまで来て安心した彼女の目の前に、通路を封鎖するようにして巨大な影が立ち塞がった。



 立ち塞がる巨大な影は両腕を大きく広げて通せんぼしながら、口から涎を垂らして低い唸り声を漏らしている。

「……グゥルルルゥ……」

「しゃ……赤銅熊? こんな洞窟にいるなんて……」

 何者かは知れないが、間違いなくこの洞窟には操獣術士の類が潜んでいる。そうでもなければ、森の巨人と凶暴な赤銅熊が同じ巣穴に棲みついている訳がない。

 無論、そんな事実がわかったところで事態の解決には役に立たない。

「ほーんとに、参ったねこりゃあ……。やるしかないか……」


 鋼の長剣を鞘から抜き放ち、両手でしっかりと握り締めて腰丈の位置に構える。

「ゴフアァッー―!!」

 唾液を撒き散らしながら赤銅熊は四つ足になって突進してきた。イリーナもまた長剣を構えたまま走り出す。

 赤銅熊は勢いそのまま抱きつくように両腕の鉤爪を振るってくる。

 横薙ぎに振るわれる爪に対してイリーナは身を屈め、斜め前方に走り抜けた。

 すれ違いざまに鉤爪が鋼鉄の胸当てを削り、同時に長剣が赤銅熊の足に斬りつけられ、両者の体から橙色の火花が散る。


「くぅっ!? 硬い!!」

 火花を散らした赤銅熊の足は、銅線のような体毛がひしゃげて数本が切り落とされていた。

 損傷としては皮膚に小さな切り傷を負わせた程度でしかない。まともにやりあっても勝ち目がないのは明らかだった。

 だが、幸にもすれ違うことで出口への活路が開けた。


(このまま外へと駆け抜けて――)

 赤銅熊に背を向けて走り出したイリーナであったが、すぐにその行動の過ちに気がつく。

 数歩と進まぬ内に、恐るべき速度で走り寄ってきた赤銅熊に体当たりを食らい、撥ね飛ばされて壁に叩きつけられてしまった。天地がひっくり返り方向感覚が狂う。


 身を起こしたときには赤銅熊に回り込まれていて、出口への通路は再び塞がれてしまっていた。

 しかも厄介なことに、先程よりも通路の幅が狭い所で陣取っている。これではすれ違いながら駆け抜けることもできない。


(無理に押し通るのは危険が過ぎる……。こいつも一旦、洞窟内でまいてやり過ごすのが賢明か……)


 決断するやイリーナは赤銅熊から目を離さずに洞窟の奥へと後退していく。

 距離が離れると赤銅熊はイリーナを追って走り出した。イリーナは後ろ向きに飛び退りながら、赤銅熊をぎりぎりまで引き付ける。


 目前まで赤銅熊が迫った時点でイリーナは懐から数個の丸い玉を取り出し、赤銅熊の鼻先へ投げつけた。

 乾いた破裂音が連続して鳴り響き、辺りに硝煙の臭いが立ち込める。

「ゴフゥッ!?」

 堪らず怯む赤銅熊。イリーナが投げつけたのは火薬を丸めて包んだ癇癪玉かんしゃくだまだ。殺傷力はまるでないが、獣を怯ませるには都合のいい道具だった。



 イリーナは赤銅熊が怯んだ隙に入り組んだ洞窟の迷路へと身を隠し、まんまと赤銅熊から逃げ果せることができた。


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