第31話 喉絞る洞
仄暗い石の洞窟を、盗賊の頭目がたった一人で走っていた。
額は脂汗でべったりと濡れ、乾いた血と砂粒にまみれている。
この洞窟に入ってから半日の内に、仲間の盗賊達は次々と姿を消して、今や彼の周りには一人の取り巻きも見当たらなかった。
盗賊の頭目の口からは自然と悪態がついて出てくる。
「はぁ、はぁっ……ちっくしょう! どうなってやがるこの洞窟! 宝どころか、獣と罠ばかりじゃねえか!」
頭目と行動を共にしていた手だれの手下数名はつい先程、森の巨人によって全滅させられていた。
森の巨人は二匹現れた。
一体どこで手に入れた物なのか鋼で作られた手甲と脛当て、それに胴鎧を毛むくじゃらの体に身に着けていた。
ただでさえ怪力の剛腕と強靭な肉体を誇る巨人に、その強さを助長するような鋼の装備ときたら、並大抵の人間に太刀打ちできるわけがない。
盗賊の切り札とも言うべき毒を塗った短刀も、鎧と剛毛に阻まれて傷口を開くことさえできなかったのだ。
剛腕で振るわれる巨大な金鎚に殴打され、ぶっ飛ばされる手下達を尻目に、頭目は一人だけ命からがら逃げだしたのが現状である。
(この洞窟は危険すぎる! かと言って、何の収穫もなしに逃げ出すなんざ考えられねえ。一から出直すにも金が要るしな……。土産は貰っていかねぇと……)
森の巨人の脅威からどうにか逃れた頭目は、冷静になった頭で今後の食いぶちをどうするか考えていた。
盗賊の仲間は壊滅状態。
拠点に戻って盗賊団の財産を回収、独り占めするのは当然として、今回の損害を少しでも穴埋めするだけの利益が欲しかった。
――だが、この時ばかりは冷静に打算など働かせるべきではなかったのだろう。
本能のままに洞窟の外へ逃げ出していればよかったのだ。
それが盗賊の頭目の命運を分けた選択であった。
罠をかいくぐり、獣から逃げながら、盗賊の頭目は洞窟内で金目の物を探していた。
宝石の貯蔵庫はまだ見つけていなかったが、道中で宝石の欠片などは見つけることができた。
ここで宝石採掘が行われていることはもう間違いない。
他にも宝石が転がっているなら拾って、あわよくば貯蔵庫に保管された宝石も頂いて……と欲が出始めた頃、頭目は一本の細長い坑道の奥にお宝の気配を感じ取った。
理由なんてない、盗賊の勘だ。
この先にお宝がある。
長年の経験から直感的にそう思った。
慎重に歩みを進めながら、坑道の奥の様子を伺う。
頭目は坑道の奥にあるものを見つけて、喜びのあまり思わず口笛を鳴らした。
薄赤く透き通った美しい結晶の花、
素人目にも大層立派で、高価な宝石として売れるに違いないと確信が持てた。
しかし、ここで喜び勇んで宝石に手を伸ばすのは素人以前の愚か者だ。
盗賊の頭目は罠が設置されていないか念入りに坑道の入口や壁を調べた。
いずこかの毒ガスが漏れ出る危険な坑道とは違って妙な臭いもないし、壁際には緑色をした粘菌も普通に生息している。
緑色の粘菌にも石を投げつけて反応を見たが、動きは鈍くこれといった反撃を見せる様子もない。
(どうやら命を奪う罠や毒になるようなものは、この坑道には無いようだな……)
一抱えほどもある美しい宝石、この危険な洞窟に忍びこんだ帰りがけの駄賃としては申し分ない。
「へへへ……苦あれば楽ありってな。厳重にここまで洞窟のあちこちに罠を仕掛けているんだ。お宝も相当な物だとは思ったが、こいつはすげえや」
頭目は警戒を続けながらも坑道の奥へと進み、ついに薔薇輝石へと手をかける。
ところが、宝石の目前まで近づいた盗賊は急に眩暈がして、膝をついてしまう。
(何だ!? 何かの罠だったのか? あ、頭がくらくらしやがる……!! こんな罠、聞いてねえぞ――)
「ぶぐぐ……ぢぐじょう……。エシュリーの奴……! 嵌めやがった……な……」
今はその場にいない、彼らを洞窟へと呼び込んだ女盗賊エシュリーへと恨みの声を遺して、盗賊の頭目はあっさりと倒れ伏した。そしてそのまま意識を失い、二度と目覚めることはなかった。
◇◆◇◆◇
貴き石の精霊ジュエルに導かれ、俺は宝石が採掘されたという坑道の一本へ向かっていた。
「ボス、あれあれ」
ジュエルが指し示したのは、一抱えほどもある薔薇輝石だった。
「半貴石の薔薇輝石……。ここは菱マンガン鉱の坑道なのか」
俺は坑道の入り口から一歩引いて、坑道の様子を探る。
坑道の壁面には緑色をした粘菌が無数に蠢いていた。
「嫌気性の粘菌がいるな。だとすれば、この坑道内は酸素欠乏の状態を疑った方がよさそうだ」
酸素と結びつく力の強いマンガン鉱は、こういった狭い坑道ではしばしば人が呼吸するに必要な分の酸素まで奪ってしまう。
俺は薔薇輝石のすぐ脇に転がっている盗賊の死体に気がつき、この坑道には手を付けずに立ち去ることを決めた。
「ボスがいらないなら、ボクが食べる~!」
酸素がなくても平気なジュエルは、つまみ食いの絶好の機会と捉えたのか奥へ行こうとするが、俺はその首根っこを捕まえて連れ帰る。
「ここはそのままにしておけ」
「ええー……、そんなぁ~」
ジュエルが潤んだ赤い瞳で、上目遣いに懇願してくる。だが、俺はいつものように聞く耳を持たなかった。一度許せばこいつは調子に乗って好き放題を始めるに決まっているからだ。
ここは馬鹿な侵入者用の罠として使えるから残しておくことにした。死骸はそのうち嫌気性の粘菌が片付けてくれるだろう。壁に張り付いた緑のぶよぶよを視界の端に捉えながら、俺はその場を立ち去った。
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