第18話 彷徨の洞窟

 最低限の社交活動とでも言おうか、気の進まない用事の為にしばらく洞窟を留守にしていた俺は、面倒からようやく解放された喜びを感じながら、山の中腹にある洞窟へと戻ってきた。


(ジュエルに掘削を進めておくように言っておいたが、俺がいない間もしっかりと働いていたんだろうな……?)


 若干の不安と期待を抱きながら岩壁に開いた穴へと入っていく。


 洞窟の玄関口は一見して変化した様子が見られない。血痕らしき染みが地面や壁に付着していたが、狼がここで食事でもしたのだろう。骨や腐肉が転がっていたりはしないから、衛生上もまあ問題はない。

 さして気に留めることもなかろうと、さらに洞窟の奥へと足を進めた。



 洞窟の奥へと進み始めてすぐ、俺は明らかな変化を感じ取った。


(……増えているような?)


 小さな毛玉が忙しなく洞窟の奥と入口を往復し、俺の足元を駆け抜けていく。

 毛玉の正体は言うまでもなく地の精ノームなのだが、明らかに以前よりその数が増えていた。

 倍はいるかもしれない。


 どこか他から新しくやってきて増えたのか、それとも洞窟の中で自然発生したのだろうか。


 精霊の詳しい生態など知らないが、幻想種に含まれる存在ならば基本的に、魔導因子の渦が生じやすい環境と存在の核となる何がしかの要因が揃えば自然発生する。

 尤も、俺の見立てではこの洞窟内で魔導因子の流れに特別な異常は見受けられない。


 不思議に思いながら彼らを観察していると、全て同じようなノームに見えて、やや異なる特徴を持った二種類に分かれていることに気が付く。


 一種は艶のある茶色い毛並みのノーム、もう一種は艶消しの灰色をした毛並みのノーム。

 それぞれ、前者は泥土を掻き出し、後者は岩石を主に掘削している。灰色よりやや数が多い茶色のノームは、泥土だけでなく岩石の掘削も行っていたが、岩石掘削の作業速度は灰色の方が速い様子だった。


(と、すれば……そうか、この灰色のノームは山の岩場に住んでいたやつらだな……)


 この鉱山に来てまもない頃、岩場に隠れる小動物を見かけたが、その姿や色形に酷似していた。あれもまたノームだったのだ。

 茶色のノームは泥土の扱いに慣れており、灰色のノームは岩石への干渉力が強いのだろう。洞窟掘りも次第に岩石によって阻まれることが多くなってきていた。茶色のノームだけでは掘削が難しくなってきて、岩場に住んでいたノームにでも応援を求めたのだろう。


 俺は頼んでもいないのだが、これは非常に助かる。


「協力、感謝する」


 近くを通りがかった灰色のノームに俺は一声かけた。通じているかどうか疑問だったが、声をかけられた灰色のノームは一度だけ軽快に跳ねあがってみせると、後は何事もなかったかのように作業へと戻っていった。



 増えたのはノームだけではなかった。灰色狼や子鬼ゴブリンの数も増えていた。

 この短期間で繁殖したとは考えにくいから、元々、腹の中に子供がいたのかもしれない。

(いや、子鬼に関しては繁殖力が異常に高いという情報もあるし、あるいは……)


 もし俺が洞窟を離れている短期間で新たに繁殖していたのだとしたら、俺は子鬼の繁殖力を侮っていることになる。しばらくは様子を見て数を調整するか、幾つかの群れに分けて眷属も複数に増やす必要があるかもしれない、と考えた。


 不意に眷属の気配を感じて分岐した坑道を見やると、奥から大岩を抱えた巨人が歩いてくる。


「ホッホッホッ……」


 森の巨人トロールはすっかり洞窟生活が板についたようだった。

 一体だけとは言え、巨人の労働力は大きい。その為、彼の食糧は子鬼の一集団に確保を命じてある。獣と言えども、俺は優秀な奴には好待遇を与える準備がある。


(まあ、外にも出られず一日中、穴掘りさせられているのが好待遇かは微妙だがな)


 働く巨人の後ろ姿を見て、俺は「あれ?」と間抜けにも目を見張ってしまった。

 巨人の背中に、埋め込んだはずの呪詛を込めた結晶が見当たらなかったのだ。

 おかしい。確かに、眷属の気配を感じた。

 服従の呪詛を破って結晶を外したわけではなかろう。

 ならばあの巨人はどうしたと言うのか?


 俺が疑問を抱いてその場に突っ立っていると奥からもう一匹、別の巨人が現れた。

 今度こそ、濃厚な眷属の気配を感じる。すかさず後ろに回り込んでみると今度は確かに呪詛の込められた結晶が二つ、背中についている。


 間違いない。俺が眷属にした巨人だ。


(ん? だったら、さっきの巨人は本当に、何だったんだ?)


「ホォッ!? ホホッ! ホッ!」

 俺の強い疑念を感知したのか、眷属である巨人から回答らしき思念の流れが送られてくる。

 曰く、俺の彼女、だそうだ。

「そ、そうだったのか? まあ、服従の呪詛による下位支配の効果も出ているようだし……良しとするか」


 これがもし、巨人の彼女の方が強い立場にあれば、下位支配の効果は得られない。そうなれば、俺は先ほど野生の森の巨人トロールとすれ違ったことになる。

(なんて危険な状況……他にも変な獣が紛れ込んでいないか早急に確認した方がいいな)

 俺は坑道の奥、更に分岐した道を慎重に、気を引き締めて進むことにした。




 淡い褐色の光を生み出す日長石ヘリオライトを手にして、俺は真っ暗な洞窟の中を奥へ奥へと進んでいた。


 幾つかの分岐を経て、ようやく坑道の突き当りへと至った。そこでは上機嫌で鼻歌を漏らしながら岩盤を掘削する精霊ジュエルの姿があった。

 鋼鉄の錐を両手に持って高速回転させ、火花を散らしながら固い岩を削っている。

「随分と頑張って掘り進めたみたいだな」

「ふんふ~ん。あ! ボス~!!」

 高速回転を続ける錐を前に掲げたままジュエルが後ろを振り返る。俺の鼻先に錐の先端が突きつけられた。身の危険を感じた俺は咄嗟に懐へ手を伸ばし、意識を集中して魔導因子を絞り出した。


「ボスー―! 会いたかったよぉー!」


(――壁となれ――)

『白の群晶!』


 錐を前方に構えて、突撃の気配を見せたジュエルの前に、すかさず大きな水晶の壁を創り上げる。高速回転する錐が水晶と激しく衝突し、派手な火花が岩盤を削っていた時の比ではなく大量に飛び散った。


「ぐわぐわぐわわわわわぁん!!」

 錐と水晶の激しい衝突と振動に、ジュエルの全身も細かく揺さぶられる。

 水晶の壁は、喧しい破砕音と共に粉々に砕け散った。即席で作った為に結晶も未発達で混じり物が多く、天然の水晶に比べればひどく脆い代物だ。

 それでも、考えなしなジュエルの突撃を阻止する役には立った。一歩、対応が遅れていたら大惨事になっていたところだ。


(――危機一髪だぞ、今のは。もっと発動を早く、瞬時にできるような方法も考えておくべきだな……一瞬の遅れが命取りになる)

「ううぅ? 痺れ、びれ、るぅ~……」

(そしてこいつの躾も今一度、考え直す必要がありそうだ)



「ボス、酷いやー……。まだ手が痺れているよぉ」

「阿呆、いきなり錐を前に向けて突撃してくるやつがあるか」

 近くに転がっていた水晶の破片でジュエルの頭を小突くと、白く濁った水晶はあっさりとジュエルの頭に弾き返され砕けた。相変わらず非常識な石頭だ。


「でも、ボス! 見てよ! こーんなに長く坑道を掘ったんだよ!」

「ん。そうだな。かなりの距離を掘り進めたな」

「ここだけじゃなくて、他にも掘り進めているんだから! 坑道の本数をいっぱい増やしておいたからね!」

「ほほう、そんなにいっぱい増やしたのか?」

「そっりゃあもう、数えきれないくらいだよ! ね、ボスがいない間にこれだけ頑張ったんだよ! 褒めて褒めてー!」

「ああ、本当に大したものだ。お前はよく頑張ったよ。それで、一つ確認しておきたいんだが……ここはどこだ?」

「さあ! どこだろうね!」

「お前、何て言った今……?」

「え?」


 俺が数日離れている間に、ジュエルが調子に乗って掘り進めた洞窟。その坑道は複雑多岐になっており、幾つかの分岐を経た後には、俺は帰る道順がわからなくなっていた。その果てに、一番奥で掘削をしていたジュエルを見つけ、俺はどうにか帰れそうだと密かに胸を撫で下ろしていたのだ。


 それなのに、坑道を掘削した張本人は掘った坑道が何本あって、自分がどこにいるかもわかっていない。


「どうやって帰るんだこれ?」

「さ、さあ……?」

「お前が掘ったんだ、どうにかできるよな?」

「え、えーと。そういえば、迷路で迷った時は壁に手を当てながら歩き続ければ、いつか出られるって話を聞いたことが……」

「お前、高低差のある通路も作っただろ? それだと通用しないんだが?」

「か、壁にしるしをつけて、虱潰しに回れば!」

「どれくらい時間がかかりそうだ?」

「……わかんない」


 その後、俺達は無言で洞窟を彷徨さまよい続けた。


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