【ダンジョンレベル 3 : 入り組んだ迷路】
第17話 魔導技術連盟
夜中にフェロー伯爵家を出立してから、俺は馬車で魔導技術連盟の本部へと向かっていた。
連盟本部は首都の中心地にある。フェロー伯爵家のある野山ばかりの辺境からでは、ろくに街道も整備されていない。とにかく最短距離で馬車は進んでいたが、いつまでこの激しい揺れが続くのか、眠りたくとも眠れない状況に俺は苛立ちを募らせていた。
(時間を惜しんで急行馬車にしたのは失敗だったな……これでは身体が休まらない)
馬車を引くクォーターホースは若く、速度と持久力が高い反面、足運びは荒く、乗り心地は最悪だった。
やがて街道に出ると揺れは随分と収まり、しばしの安息を得ることができた。
自分でも気付かないうちに、よほど疲れが溜まっていたのだろう。次に目を開けた時には、薄闇に浮かぶ首都の外壁が見えてきていた。
俺が主な活動拠点としている
故に暗闇都市あるいは暗黒街などと物騒な名前で呼ばれているのだが、実際には少しばかり薄暗いだけで、真っ暗というわけでもない。むしろ夜間はガス灯の橙色の光が街中を照らし、田舎の村などと比べてよほど明るい雰囲気である。
時刻は早朝。日は既に昇っており、空一面にうっすらと光を含んだ灰色の雲が広がっている。街の人間も起き出して、
空腹を感じていなかった俺は、街に到着してすぐに連盟の本部へと顔を出した。
石造りの厳かな雰囲気が漂う連盟本部は、元々はある大貴族が所有していた城を譲り受けたものだ。今では術士達の互助組織としての機能が集約された場所となっている。
事務局の受付で声を掛け、空いている会議室を一つ予約する。奥へと進み、無駄に長い廊下を歩いていると向かい側から一人の女術士が歩いてきた。若草色のローブに身を包んでいる。
緩やかに波打つ栗色の髪は腰まで垂れ、長い睫毛と濃い褐色の瞳が特徴的な、妙齢と見られる女だった。
俺に気が付いた女術士は、皺一つない真っ白な笑顔を浮かべて立ち止まった。
「二ヶ月ぶりですね、クレストフ。少し、やつれましたか?」
「……さあ、そんなに久しぶりでしたかね? 貴女はいつもとお変わりないようで、『
決まった儀礼の型でもあるかのように、お互い一風変わった挨拶を交わした。
俺が敬語なのは、この魔女が俺よりもずっと年長者で、さらには一級術士にして魔導技術連盟の幹部でもあるからだ。噂では、この若々しい外見で半世紀以上を生きているとか。まさに魔女である。
深緑の魔女は一歩近づいて、俺の耳元に囁きかけてくる。
「貴方がフェロー伯爵家から借金をしたと聞いたときは耳を疑いました」
栗色の髪が鼻をくすぐり、仄かに
彼女はローブの中から小袋を一つ取り出して、俺に手渡してくる。
「鉱山の開発をしているのでしょう? 森が荒れると土砂崩れを起こしやすくなります。要所にこの種を蒔いておけば、一ヶ月で強く根を張って地盤を固めてくれますよ。それに……侵入者の排除もしてくれる優れものですから、上手くお使いなさい」
「……これは何の種子で?」
「植えてみてのお楽しみです」
そこはかとなく危険な匂いのする代物だ。考えなしにそこら辺へばら撒くのは控えた方がいいだろう。
「頂いておきましょう。まあ、うまく使わせてもらいます」
「期待していますよ」
笑窪のできない平坦な笑みを浮かべて、深緑の魔女は廊下の先へと消えて行った。
三階の会議室にて、俺は半刻ほど一人で窓から外の景色を眺めていた。
「遅い。度の過ぎた遅刻だ」
約束の待ち合わせ時間はとっくに過ぎている。
それなのに打ち合わせの相手は一向に姿を見せる気配がない。
いい加減にもう帰ろうかと、窓から離れて部屋の出口まで来た時、背後の窓が勢いよく開き一陣の風が吹き込んでくる。
「やあや、遅れて済まない。窓から失礼するよ」
すらりと伸びた長い両足を窓枠にかけ、背の高い女が部屋の中に入ってきた。
術士然とした恰好からは遠い、身体にぴたりと吸い付くような革のつなぎを着ており、完璧な女性の
胸は豊かで腰はくびれており、まるで舞台女優のように整った顔立ちをしている。
「最近は随分と面白いことを始めたようじゃないか。慎重派の君にしては大きな賭けをしていると噂だね」
前置きもなく唐突に本題に入る辺り、この女は相変わらずの非常識というべきか。
年齢は俺よりも一つ上なだけのはずだが、実際の年齢以上に落ち着き払った雰囲気を持つ女だ。
「あんたの方こそ各地で派手に活躍しているだろ。最近では『
「その呼び名は恥ずかしいから、やめてもらいたいんだがね。それにしても君は耳が早いな。洞窟掘りに精を出していて、世俗の情報から遠ざかっていると思ったのに」
整った顔を苦々しく歪め、本気で嫌がっている素振りを見せる。
才媛、はともかくとして、風来坊であることは間違いないので、そう外れた通り名でもない。時間が経てばその呼び名も定着するだろう。
「それで、今日は何の話をする予定かな? 君が事前に何も情報をくれない時は大きな話になる事が多い。今回もそうなんだろう?」
「ここから先、口外は避けてくれ。その上で、優秀で適切な人材を見繕ってほしい。
「宝石の丘? それは御伽噺の類じゃなかったのかい」
「実在する。その証明たる
女は息を呑み、絶句していた。性根の図太いこの女が驚きを顕わにするのは珍しい。俺の話が極めて壮大でありながら、信憑性に足るものを持っていると理解したのだろう。
女はひとしきり唸った後で口を開いた。
「……しかし、宝石の丘か。その最果てへ向かう旅に適切な人材は何人でも候補に挙げることができるが……信頼できるかどうかは別だよ、クレストフ」
女にしては歯切れの悪い回答だった。
「どんなに欲のない人間であっても、宝石の丘を目の前にしては理性を保つことが難しいと言われている。それほどまでに魅惑的な場所へ、命を懸けて向かうんだ。赤の他人同士なら後々、報酬で揉めるのは目に見えている。信頼できる身内はいないのかい?」
「数えるほどになら、いるな。彼らは既に旅への同行を了承している。今は、彼らなりに調査と準備を進めている。そして俺は今、旅の為の資金を稼いでいるところだ。だが、現状ではとにかく人手が足りない」
宝石の丘への道は長く険しいと、精霊のジュエルからある程度は聞き出している。その情報だけでも、
「報酬に関しては心配ないだろう。とても一人では抱えきれない宝石の山が存在するらしいからな。報酬の山分けで揉める理由もないはずだ」
「だといいがね……。ま、とりあえず適当に人選をしておくよ。後で一覧表を作って渡すから、その中から選んでくれ」
「ああ、頼んだ」
打ち合わせを終えて、連盟本部から出て帰ろうとする俺に風来の才媛が改まって声をかけてきた。
「残念ながら、一覧表に私の名前は載せられない」
「わかっている。長い旅になるからな、あんたが首都を離れるわけにはいかない」
「私は悔しいんだよ。自分の立場が恨めしい。一年前なら喜び勇んで、君と一緒に行けたというのに」
風来の才媛は、一級術士だ。魔導技術連盟の幹部候補でもあり、既に彼女なしでは進まない仕事も多数ある。同世代ということで俺達は何かと仕事を共にこなしてきたが、今や彼女の立場で私事による長期間の不在は許されない。
「君にとって、大きな転換期になるだろう。長い旅路ともなれば、道中で何があるかわからない。何かあった時、私がその場にいなかったことで後悔しそうな、そんな気がしてならない」
「あんたに心配されるほど、俺は餓鬼ではないぞ。年齢にしたって一つしか違わないだろう」
「君の心配ではないよ、私の不安さ」
「……ふん。よくわからんな」
女が何を言いたいのか、俺には理解できなかった。ただ、宝石の丘への旅路が過酷なものになるであろうことは、俺も理解している。
だがその杞憂はまだ、ずっと先にすべきことだ。
今はとにかく資金の調達が最優先。
俺は再び、地の精が掘り進める洞穴へと戻る。
鉱山開発はこれからようやく本格的な段階へと移るのだから。
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