第16話 怒れる村人

「あれだけ注意しておいたというのに、何故、山に入ったのだ……」

「村長、これ以上は麓を捜索しても無駄だ。たぶん、山奥まで入り込んだのだろう」

「山歩きには慣れていたはずだ。戻ってこないのはつまり……そういうことかの」


 心配性の村人が山へ入ったという日から七日が経過した。

 ろくな装備も持たずに山へ入ったらしい。もはや、彼の生存は絶望的だった。


 そして同時に、あの山には確かに危険が存在するということだけはわかったのである。


「くそ! なんで新しい管理者は何も手を打たないんだ! 獣の群れが闊歩しているのはもう間違いないのに!」

「なあ、村長! 領主様はあれから何も言ってこないのか? 新しい管理者は役立たずじゃないか!?」

「……山への立ち入り禁止で、今は猟も認められていない。このままでは獣共が殖え続けてしまう……」

「どうするんだ! 山で殖えた獣が麓まで降りてくるかもしれないぞ!」

 村人達は皆、集会場で怒りも顕わに声を上げていた。それまでは漠然とした不安だったものが、実際に犠牲者が出たことで一挙に不満が噴出したのだ。


「領主様は何も言ってこぬ。新しい管理者からの通告も『私有地につき立ち入りを禁じる』との解答だけだ」

 沈鬱な表情で事実を述べる村長。

 村人達の怒りは収まらず、集会は進展もないままに流れ解散となった。皆、ここにはいない山の管理者に向けて悪態を吐きながら退室していった。



 山仕事が出来なくなり暇を持て余した一部の村人達は、酒場で昼間から酒を飲みながらくだをまいていた。

「ちくしょうめ、なんだって急に猛獣の類が湧き始めたんだろうなあ……」

「ああ、わからねえ。これまでこんなことは一度だってなかった」

「新しい山の管理者とやらは何の対策もする気がねえようだし、くそっ」

 グラスの中の酒を一気に飲み干すと、荒々しく机に叩き付ける。


 不平や不満も出尽くし、酔った村人達の間に無力感が漂い始めた頃、赤ら顔の村人がぼそりと小さな声で呟いた。

「山神様でもおられるなら、いっそ生贄でも差し出して鎮めるのも手だろうになあ」

「おい、滅多な事言うんじゃねえ。誰を差し出すってんだ」

 隣に居た村人が一瞬、素面しらふに戻って赤ら顔の村人をたしなめる。


 だが、赤ら顔の村人は酔った勢いもあって口が止まらない。

「そうだなー……あー、いや、ほら、いるだろうがあの……黴菌娘が」

「ああ、そういやいなくなっても困らないのがいたな……。けど、穢れた娘なぞ捧げたら山神様はお怒りになるんじゃねえか?」

「違いねえ。本当に厄介なだけで、役に立たない餓鬼だ」

「そうだ! そもそもあいつが早く、山に入った人間がいることを伝えていれば、犠牲者も出なかったんだ!」

「全くだ! 本当にあの娘は疫病神だな!」


 別のテーブルでは血気盛んな若者達が集まって、盛り上がっていた。

「今時、生贄だってよ。たかが獣の群れなんかにびびりやがって、情けねえ連中だぜ」

「おうよ、狼だの子鬼なんぞ、軽く撃退してやるっての」

 腰にぶらさげている錆びついた鉈を軽く叩いて、若者の一人が言った。

「いっそ、俺らで片づけちまわねえか? 獣共の巣は山の中腹にあるって話だろ。やつらが数を殖やす前に狩っちまおう」

「お……! 面白そうな話だな、やろうぜ。十人ばかり武装した奴ら集めりゃ、狼の群れでも駆逐できるだろ」

 血気盛んな若者達は一致団結して獣の巣窟を一掃することにした。


 翌日、鉈や果物ナイフ、木剣などそれぞれの得物で武装し、朝早くから山へと向かう血気盛んな若者達の姿があった。

「待たんか、お前たち! どこへ行く!?」

「うっせーな、どこ行こうと勝手だろ。邪魔すんなよ爺さん」

 村長の制止も振り切って、若者衆は意気揚々と獣狩りに出掛けるのであった。


 血気盛んな若者達は、山の中腹で獣狩りに興じていた。

「どうだ、そっちにいたか?」

「いんや、こっちもいないか」

 ひとまずは獣の巣窟を突き止めようと、辺りを探索しているところだ。

 しばらくして、切り立った崖の近くで騒ぎがあった。

「おーい! 見てくれよ! これ、傑作だぜ!」

 一人の若者が一匹の子鬼を引きずりながらやってきた。子鬼は全身を鈍器や刃物で傷つけられ、見るも無残な様子で息絶えている。


「お、すげ、子鬼だ」

「俺らが仕留めたんだぜ。楽勝だったよな?」

 自慢げに子鬼の死骸を見せびらかす若者に、一緒になって子鬼を狩った他幾人かの若者が同意する。

「どうってことなかったな。この調子で子鬼の巣もぶっ潰しちまおう」

「近くにそれらしい洞穴を見つけたんだ」

 散開していた若者達は一度全員が集まり、子鬼達が住処にしているだろう洞穴付近へと向かった。

 時刻はまもなく正午になろうとしていた。



「……おい、あれ子鬼の巣か? 狼がいるじゃねえか」

「どっちでも構わないだろ。片づけちまおうぜ」

 警戒もなしに獣の巣へと近づいていく無謀な若者達。

 すぐに入口付近で寝そべっていた狼が気付き、激しく吠え立てる。


「うるせえ!」

「やっちまえ!」

「おら、くたばれ!」

 若者達は狼を囲んで、口々に罵声を吐きながら手にした木剣や棍棒で殴りつける。

 囲まれた狼は数の暴力に抗うこともできず、ぼろきれのようになるまで打ち据えられた。


「へ、大したことねえや。子鬼も狼も、俺達で全部やっつけられるぜこりゃ」

「まったくよ、爺共は何を及び腰になってたんだか」

「よーし、このまま洞窟探検と行こうぜ。獣狩りだ!」

 意気揚々と洞窟の中へと足を踏み入れる無謀な若者達。



 洞窟に入ってすぐ、彼らは玄関口で大きな人影に遭遇した。

「は?」

「ホ?」

 お互いに見つめ合って――と言っても人影は若者達の倍ぐらいの上背があったが――しばし間の抜けた沈黙が訪れる。

 人影は、両手一杯に抱えていた岩石を地面に落とす。洞窟内に岩の砕ける鈍い音が響き渡った。それでも若者達は呆けて目の前の人影を見上げていた。


「ホォオオオオオォ――!!」

 先に沈黙を破ったのは大きな人影の方だ。

 身も竦むような雄叫びを上げて、先頭を歩いていた若者の頭をその毛むくじゃらの腕で力任せに殴りつける。

 悲鳴を発する間もなく、先頭の若者は洞窟の壁に頭から叩き付けられ、割れた頭から真っ赤な血をぴゅうぅっと小さく噴き上げた。

『うでろわああぁぁあっ――!?』

 他の若者達が意味不明な絶叫を上げて洞窟から逃げ出す。


「オォホ! オォホ! オォホッ!」

 大きな人影は狂ったように、地面に転がっていた岩を若者達に向けて放り投げてきた。

 後ろの方にいて事態を把握できていなかった半数が逃げ遅れ、三人が投げつけられた岩の直撃を頭や腹、足に受け、その場に崩れ落ちる。

「ホッ! ホッ!」「ぐげへっ……」「あがっ……!」「ぶぴゅふっ……」

 倒れこんだ三人の若者を丁寧に踏みつけて、人影は逃げた若者達を追っていく。


 洞窟の入り口まで飛び出してきた若者達は振り返って、自分達を追ってきた大きな人影の正体を知る。

 全身毛むくじゃらで大きな人型の獣。

森の巨人トロールだ!」

「どうして、こんな所に!?」


 森の巨人トロールの背には太陽の光を受けて輝く、禍々しい呪詛を込められた美しい水晶が埋め込まれていたが、追われる立場の彼らがそれを目にすることはなかったし、見ても何なのか知ることはなかっただろう。

 錬金術士クレストフの命令を受けて、巨人は洞窟の掘削で出た岩や土砂を外へと運び出す仕事を受けていた。同時に、この洞窟に入り込んできた異分子の排除も。


 巨人が両手に持った岩を、竦みあがって動けない若者目がけて力一杯投げつける。

 二つの岩が、二人の若者の顔面を的確に捉え、潰した。投げつけられた岩の質量と速度から、脳が圧壊してのほぼ即死であろう。


 残り四人となった若者は二手に分かれて逃げ出した。

 どちらか一方を巨人が追いかけてくれれば、もう一方は助かる。そう考えての判断だったが、彼らはすぐにこの判断が誤りであったことを思い知る。


 森の巨人トロールはクレストフを主人として、服従の呪詛をかけられた他の眷属とも認識を共有している。彼らにとっての異分子とは、『洞窟の掘削作業の邪魔となる自分たちと面識のない動物』という括りにあてはめられる。子鬼や狼、地の精ノームは彼らの身内という認識だ。だが、それ以外の動物は、山の獣だろうと麓の人であろうと関係ない。


 それでもクレストフならば相手次第で分別をつけられただろう。

 若者達にとって不幸だったのは、彼が洞窟を留守にしていて眷属との距離が遠く、交信が一時的に途絶えていたことにある。

 故に巨人は、己の中にある認識と自身の判断に従い、侵入者を排除した。

 そしてそれは、子鬼と灰色狼の眷属も同様だった。


「ひい! ひいい! 来るな!」

「寄るな! あっちへ行け!」


 二手に分かれた若者は、それぞれ子鬼の群れと、狼の群れに囲まれていた。

 当初は数と腕力で有利にあった若者達だが、今や立場は逆転していた。


 若者達にとっては不幸なことに、彼らを囲んだ群れはクレストフが服従の呪詛をかけた眷属が率いていた。眷属は普通の獣よりも格段に知恵が回り、強い。多少の武装をした村人でどうにかなる相手ではなかった。ましてや、ただでさえ数の上で不利なのだ。



 その日、山を登った無謀な若者十人は一人として村に戻ることはなく、獣達の餌食となった。




 翌日の朝、村の集会場は通夜の様相であった。むせび泣く夫婦がいれば、怒り狂って村長に詰め寄る者もいた。そんな中で村長は頭を抱え込み、塞ぎ込んでいた。

「なんということだ……なんということだぁ……」

 若者達が山へ日帰りのつもりで向かったのは、軽装で出かけたことからもわかっていた。それなのに一晩明けても戻ってこないのだ、一人も。

 村長は新たな被害として、領主に今回の事件を報告することに決めた。



 後日、新たな被害が発生したことについて、村は領主から「私有地に勝手に入った」ということで逆に注意されるという屈辱を受けた。慰労もなく、対策もなく、厳しい警告文だけが届いた。領主からは「新しい管理者が言うには山に立ち入らなければ危険はない」との最初の通告と全く同じ、簡単な説明だけだ。


 新しい管理者とやらは直接に村とは連絡を取っていない。こちらが管理者と話をしたいと領主に持ちかけても、必要がないとのことで会わせてもらうこともできなかった。


 村人達は、怒りと絶望に打ちひしがれていた。

 力のない彼らは、泣き寝入りするしかなかった。

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