第15話 心配性の村人

 準一級の錬金術士クレストフが鉱山開発を開始してしばらく後、鉱山の麓にある村では、山の中腹に獣の巣窟ができたと噂になっていた。


「山で灰色狼の群れを見たぞ。他にも山の中腹辺りには子鬼ゴブリンがうろついていたし、獣の動きが活発になっているようだ」

「数はどれくらいだった?」

「わからん。だが、少なくとも十匹以上の群れだった。狼も、子鬼もな」

「十匹以上か……ううむ」

 村の猟師の報告を受けていた村長は深刻な顔で唸った。


 村の集会場では大人たちが集まって、猟師と村長を中心にした輪ができていた。

「心配だな……ちょっと様子を見に行ってみるか」

「やめとけっ! 獣の群れを見つけたのは本当だ! 巣穴はまだ見つかっていないが、山中にも他に何が潜んでいるかわかったものじゃない!」

 様子を見に行こうかと口にした心配性の村人を、猟師の男が強い口調で諌める。


「でもなあ……。そんな兆候はこれまで全くなかっただろ?」

 猟師の言葉を信じられないといった感じで、別の村人が疑問の声を上げた。

 つい先日、山の管理者が変更になる、と領主から連絡があったくらいで、ここ最近まで山に大きな変化は見られなかったのだ。


 ほとんどの村人は近くの山が自分達の地元だと思っており、勝手知ったる土地と疑っていなかった。

 私有地とは言っても、暗黙の了解で山に分け入り、山菜や獣を狩るなどある程度の自由度がこれまでもあったのだ。

 管理者が変わってもそれは同じと考えている村人が多かった。


 しかし、実際には村長や猟師には立ち入りを禁じる報せが直接に届いていた。村の掲示板にもその旨が貼り出されていたのだが、形式的なものとしか村人は見ていなかった。


「別の土地から群れが移動してきたのかもな……。住み心地の良い場所だと感じたら、そのまま居ついてしまうかもしれない」

「なおさら心配じゃないか。新しい管理者が山の手入れをしないで放置するつもりだったらどうする。せめて、巣の場所とどういう獣が出入りしているか確認しておかないと……」

「危険だ。巣穴に近づいて獣を刺激してしまったら襲われるぞ」

「うむ。しばらくは様子を見るべきだの。麓まで下りてくる気配があるなら、対策を立てねばならんが。今はフェロー伯爵からの通達通り、皆、山林へは入らぬように」


 村長が結論をまとめて、その日の集会はお開きになった。

 不安な表情を浮かべながら村人がそれぞれ家路につく中、ある村人は独り言を呟きながら歩いていた。

「放っておいて繁殖されても困るじゃないか……。やっぱり、確認しておかないと心配だ……」

 心配性の村人は自分に言い聞かせるような口調で何度も頷いていた。



 明くる朝、心配性の村人は他の者の制止を無視して、山へ様子を見に行くことにした。

 それは例えば嵐が来たとき、浮ついた気持ちになって川の様子を見に行くのと同じ感覚だった。


「どこ行くの?」

「ひゃっ……」

 朝方早く、一人隠れて山へ入ろうとした心配性の村人に、声をかける者がいた。

 跳ねた黒髪と金色の瞳、左目の下に泣き黒子のある十歳前後の少女。

 身に着けた麻の服は、布きれに穴を開けて紐で縛っただけの粗末なものだ。


 心配性の村人は薄汚れた少女を見て、大きく息を吐き安堵した。

「何だぁ、お前か黴菌ばいきん娘、驚かすんじゃない」

 黴菌娘と呼ばれた少女が、首を傾げながら心配性の村人に近づくと、彼は小さく悲鳴を上げた。

「よせ、近づくな! 病気がうつるだろう……!」

 心配性の村人は両手を振り回して少女を遠ざける。


 半年ほど前、村では疫病が流行り、多くの死者を出していた。

 少女の両親も感染して命を落とした。だが、少女だけは今もこうして生き残っている。

 村人の多くは両親が感染していた事実から、少女もまた病気に感染しているのではないかという疑念を拭い切れずにいた。

 一応、村で面倒は見ているものの、皆が少女を厄介者扱いしており黴菌娘と忌避していた。


「どこ行くの?」

「う、うるさいな、お前には関係ないだろう」

 少女の金色の瞳が心配性の村人を見据え、真意を探るように凝視する。

 気のせいか、少女の瞳孔が縦に細く絞られたように見えて、心配性の村人は思わずたじろいだ。


「や、山だよ。山の様子をちょっと見に行くんだ」

「……山は、危険」

 ぼそりと口にした言葉には、やけに確信を持った重みを感じる。

 子供らしからぬ言動は村人達から気味悪がられ、よりいっそう少女を孤立させていた。

 年齢の割に大人しく、妙な眼力のある視線が、心配性の村人に底知れない恐怖心を抱かせる。


「い、いいんだよ! あ、でも、このことは村の誰にも言うんじゃないぞ? ちょっと様子を見てくるだけだ。そんなことで一々騒がれちゃたまらない。もし、言ったら……酷い目に合わせるからな。わかっているよな?」

 酷い目、の一言で少女は目を見開き表情に怯えを見せると、すぐに背を向けてその場から走り去った。


(……ふ、ふう。やっと行った。相変わらず気味の悪い子供だな。あんな餓鬼、さっさと村から追い出してしまえばいいのに。もし、病気に侵されていたらまた感染が拡がるじゃないか……)


 心配性の村人は走り去る少女を忌々しげに眺め、その姿が完全に見えなくなった後で山林へと入り込んだ。



 山はこれまでと変わらず、穏やかな様子だった。

 中腹辺りまで来ても、草食性の小動物をちらほらと見かける程度だ。


(随分、穏やかな様子だなあ。中腹辺りに獣の巣窟ができたって話も信じられない)

 心配性の村人は素人目で確認して勝手に根拠のない安心感を覚えていた。

 大した警戒もせず、普段の山菜取りと同じくらいの軽い気分で、山の中腹まで登ってきていた。


 だが、山の中腹にある断崖の近くで大きな洞穴を見つけてしまった彼は、途端に緊張感で胸の動悸が激しくなる。

 近くの茂みに潜んで様子を見ていると、洞穴の周辺に狼がたむろしていた。入り口付近にいるだけでも十匹ほど、洞穴の中にはもっと潜んでいそうだ。幼獣も何匹か混じっていることから、繁殖期にあるのかもしれない。

(……えらいことだ。やっぱり確認しに来て正解だったんだ! 放っておいたらどんどん数がえる……)


 急ぎ、村へ戻って獣の巣窟のことを知らせなくてはいけない。心配性の村人はそれまでの不安な心情から一転して、使命感のようなものに駆られていた。元来た道を戻ろうと後ろを振り返ると、そこに思いもかけない状況が展開されていた。


「ガゲ?」「あ……」


 心配性の村人は、ちょうど外出から帰って洞穴に戻ろうとしていた子鬼達と鉢合わせてしまった。

 子鬼は一目では数えきれないほど、小柄な子供も含めれば二十匹ほどの集団だった。そのうち何匹かは金属製のツルハシを持って武装している。

 偶然にも村人を洞穴前の狼との間に挟む位置取りとなり、彼は完全に逃げ場を失ってしまった。


「ゲガ?」「ゲガガ?」

「う……う、う」

「ゲガガ!」「ゲガガ!」

「うわあああぁああぁぁっ!!」


 悲鳴を上げながら子鬼達の集団をかきわけ逃げ出す心配性の村人。

 背を見せて逃げ出すたった一人の村人に、子鬼達は間抜けな獲物が自分から飛び込んできたことを理解する。


『ゲガ! ガゲー!!』

 逃げ出す獲物の背中に子鬼達は集団で襲いかかった。

「うわああ! た、たす、助けて……」

 次々に飛びかかる子鬼は心配性の村人を地面に組み伏せて、四肢を押さえつけた所にツルハシを持った一匹が奇声を上げて突撃してくる。

「ギゲー!!」

「ひぎゃあああぁっ! ぎゃふっ……!?」

 振り下ろされたツルハシの先端は村人の背を貫き、肺を破って胸から突き抜ける。村人は痛みに苦しみもがくが、四肢は子鬼に押さえられ体はツルハシで地面に縫い付けられていた為に僅かな身動きもできなかった。


 さらに数匹の子鬼がツルハシを振り下ろし、真昼の山中に血飛沫ちしぶきが舞い散る。

 血臭が微風そよかぜに吹かれて漂った。



 ……結果として、村人の注意を無視し、少女の警告を退けたことが、心配性の村人にとって命取りになった。


 洞穴に住む獣はクレストフに服従はしていても、それ以外の動物に対してなんら制約を課せられていない。

 当然、巣に近づいた敵を攻撃するのも、山中でふらついている獲物を狩るのも、獣達の自由だ。


 山の入口で心配性の村人を引き留めた少女は、言われた通りに他の村人へ告げ口はしなかった。

 それもあって、心配性の村人が消えたことに周りの者が気付いたのは、翌日の夜になってからだった。

 夜が明けて付近を捜索するも、心配性の村人の姿はない。


 さらに数日が経過してから、心配性の村人が山に入ったことを少女が話した。

 その時にはもはや、捜索へ向かうには手遅れだった。

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