第11話 隷従を強いる

 ――頭痛がする。


 無地の布で作られた天幕の中、朝起きてすぐ、俺は違和感を覚えた。

 洞穴の入り口から朝の日差しが入り込み、薄い布地を通して侵入した光が瞳の奥を刺激する。

 俺のすぐ隣には緩んだ表情で眠りこけている精霊ジュエルの姿があった。


 不意に怒りのような感情が湧き上がったのだが、自分がこの精霊の何に対して怒ったのかは自覚できなかった。


(――昨日の晩、何かあったような?)


 昨晩のことを思い出そうとすると軽い頭痛がする。意識が茫洋として、それ以上考える事を脳が拒否した。

 思い出せないのなら、その程度のこと。

 気にするまでもないかと違和感を振り払い、俺は天幕の外へ出た。


 洞穴の中から見る外の風景は、さながら額縁がくぶちに囲われた絵画のようで、雲ひとつない空と青々とした森が地平線まで広がって、ずっと見ていると吸い込まれそうなほどに美しかった。


(……ああ、しかし、俺はまたこれから薄暗い穴掘りの作業に戻らねばならないわけだが……)

 ふと洞穴内部を振り返って、またはっきりとしない違和感を覚える。


 天幕が斜めに傾いているのが、何故だかひどく気になった。



 俺は洞穴の外で火をおこし、入り口付近で荷物を広げ朝食の支度をしていた。


(――搾り出せ――)


そらの水源!』


 辺りの空気が一瞬だけ震え、何もない空中から鍋一杯を満たすだけの水が出現する。


 西瓜電気石ウォーターメロントルマリンの結晶に魔導因子を注いで発動させたこの術式は、空気中の水蒸気を凝縮して水を得ることができる。生存競争サバイバルには欠かせない便利な術式だった。


 献立は質素なもので、固めの黒パンに豚肉の腸詰ちょうづめ、それから野菜のスープだ。豚肉の腸詰は遠火とおびで焦げ目がつくまでじっくりと炙る。スープは鍋に沸かした湯へ鶏がらの粉末出汁ふんまつだしと圧縮乾燥された野菜玉を放り込み、味の好みで岩塩を一粒入れた。そのままでは固くて噛むのも一苦労な黒パンはスープに浸して、ほどよくふやかしてから口に運ぶ。


 俺が食事の準備を終え、パンを一口、二口と食べ始めたところで狙い澄ましたかのようにジュエルが起きだしてくる。


「わーい、ご飯? ボクの分はー?」

「その辺の石でも食ってろ」


 にべもなく言い放った俺にジュエルは、ぷう、と頬を膨らませた後、洞穴の中へ戻って本当に手近な石を食べ始めた。

 硬そうな石を幾つも両手で口に運び、ばりぼりと咀嚼しながら飲み下す姿は、ジュエルの容姿が人間の少女に近いこともあって欠食児童のように哀れを誘う。


(……こいつはまあ、これでいいだろう。人間と同じ食事などしても栄養になりはしないのだから)


 食糧をわざわざ無駄にしてしまうこともない。


 ましてや上等な宝石をこれ以上食われることのないように、贅沢を覚えさせては駄目だ。

 下手をすれば今度こそ破産しかねない。

 採掘を進めて上質な結晶が産出しても、ジュエルには決して食わすまいと俺は固く心に決めていた。



 簡素な朝食を済ませた俺は、今後の本格化する鉱山開発に向けての段取りを考えていた。

 ノーム達やジュエルだけに穴掘りを任せるわけにはいかない。俺が指示を与えなければノーム達は無秩序に坑道を掘り進めてしまうだろう。ジュエルの場合はもっと悲惨な結末が待っていそうだ。せっかく掘り出した結晶も、この意地汚い精霊なら勝手に食ってしまうかもしれない。


 そうなると当面、まず優先されるのは俺自身の継続的な生活の維持だ。


「もう少し金に余裕ができたら、黒猫商会に配送を頼むんだがな……。くそ、最低だ、金欠ってのは……」


 生活物資は今のところ、工房に設置した『陣』からこちらへ必要な分だけ召喚している。相当量の準備はしてきたが、陣に蓄えた分がなくなったら、一度工房に戻って物資の補給をせねばならない。その間は採掘も中断するしかない。


 一々、工房に戻って陣を組み直してくるなど非効率的だ。いくらノーム達が手伝ってくれるとはいえ、こんなペースでは宝石の丘ジュエルズヒルズを目指す前に人生を終えてしまうかもしれない。


「何とかしなければ……せめて穴掘りの人員がもっといれば……」

 今、手伝ってくれているノームは十匹。それでも確かに大きな手助けになってはいる。

(……そういえば岩石地帯にもノームが多数居たな……彼らも手伝ってはくれないだろうか?)


 そんな都合の良いことを考えた一瞬、こつん、と後頭部に何かがぶつかってくる。

 振り向けば、近くの茂みに複数の小さな影が潜んでいた。

 そいつらは俺やジュエルに向けて次々と石礫いしつぶてを投げつけてくる。


「何だ! こいつら!」

「子鬼さんみたいだね~」

「子鬼だと!?」


 茂みから続々と姿を現す子鬼達。ざっと十匹はいるだろうか。

 突然の子鬼の襲来にノーム達は慌てふためいて散り散りに逃げ出してしまう。

「あ、おい待て! 子鬼なんかに驚いて逃げる奴があるか!」

 逃げ出すノームを無理に捕まえるわけにもいかず、俺は軽く舌打ちをして見送った。


「くそが! 邪魔しやがって。何の真似だ、子鬼共!」

 俺の一喝にやや怯みながらも、子鬼共は「ガガガ! ガガギグギ!」と興奮しながら意味不明な奇声を上げている。

「ねえボスー。この子鬼さん達、仲間の仇討ちに来たって言っているよ?」

「仇討ち!?」

 ジュエルの言葉に俺は驚いた。


「お前、子鬼の言っていることが理解できるのか?」

感覚フィーリングでね~」

 俺はその事実にひどく驚かされていた。子鬼には子鬼の簡単な言語体系が存在するという話は聞いたことがあるが、実際に奴らの言葉に耳を貸そうと子鬼の言語を勉強する人間などまずいない。ジュエルの場合は言語というより、感覚で子鬼の言いたいことがわかるようだが……。


「しかしせないな。仇討ちとはいったい何のことだ?」

「あれのことじゃないの?」

 洞穴入口から少し離れた地面の上、ジュエルが指差した所には真っ黒な炭の塊が三つ転がっていた。

「あれが何だって?」

「え? ボスが焼き殺した子鬼じゃないの? ボクが寝てる間に子鬼が襲ってきた、ってボスが自分で言っていたでしょ?」

「…………。ああ、そんなことあったっけか」

「ひょっとして忘れちゃってた?」

 完全に忘れていた。俺の脳内では、興味のないことはすぐに記憶から消去されてしまうのだ。


 だがそうすると、仇討ちというのは逃げた二匹の子鬼が仲間を連れて復讐に来たということか。

(……やれやれ、なまじ群れの仲間を想うだけの知性があるばかりに。愚かだな……)

 わざわざ見逃してやった結果がこの報復とは。他の仲間にも、この洞穴への恐怖を伝染させるつもりで敢えて逃したのは全くの逆効果だったようである。


「さてどうするか、殲滅しても構わないが……ただ邪魔だから殺すというのも『生産性』がないよな?」

「ボスは生産性があれば邪魔者を殲滅するんだ……あわわっ……」

 薄緑の顔色を白くして、ジュエルは自身の細い体を抱きながら小さく震えた。


 俺は常に打算的なのだ。子鬼共を生かして得なことがあるのなら、最大限に利用する。無論、損しかないなら迷わず切り捨てる。


 ――こいつらはどちらなのか。


 黙々と穴を掘り続けるノーム達、彼らは無償で働いてくれている。実に都合がいい。

 子鬼はどうなのだろう? 試してみるか。思わず口の端がきゅうっと歪み、よこしまな笑みがこぼれる。

「お前達、穴掘りは得意か?」

「ガ!? ……ガギ?」

 伝わるわけもない言葉で子鬼共に問いかける。

 別に、伝わってなくてもいい。

 彼らの意思など、俺は初めから尊重する気などないのだから。


(――我が呪詛を受け入れ、服従し、命に従え――汝が身の力全てを絞り――)


 俺は無造作に奴らとの間合いを詰めると、騒ぎ立てる子鬼の一匹を捕え、額に一粒の水晶を埋め込んだ。

眷顧隷属けんこれいぞく!』

「ギ……! ギガァーッ!!」

 無論、額に埋め込んだのはただの水晶ではない。魔導回路として、ある種の呪詛が込められた水晶だ。

 水晶を埋め込まれた子鬼は全身の筋肉を膨張させ、顔の表情からは生気が失われる代わりに、目には落ち着いた理性の光が宿る。

 そこには子鬼であって子鬼でない、特別な生き物が新たに生まれていた。



 次の日から、ノームの隣で穴掘りに精を出す子鬼達の姿があった。

 彼らは何故自分達が穴を掘り続けるのかわからなかった。

 だが、彼らの中に生まれた強力な首領リーダーがそれを命令したなら逆らうことはできない。

 そしてもちろん、彼らのリーダーが群れに穴を掘るよう命じる理由はただ一つ。額に埋め込まれた水晶から、直接、脳に指令が届くのだ。


 『穴を掘れ』と。

 彼らがその苦行から解放されるのは、群れが存続するのに最低限必要な食糧調達の時だけ。


 そしてもう一つの命令がリーダーを通じて群れには徹底されていた。

 群れのリーダーを作り出した張本人、『御主人様』には手を出すな、と。

 そこそこの知能があり、群れを作る習性がある生き物ならば、リーダーが認めた特定の相手を群れの仲間も認めるという暗黙の了解がある。完全な縛りではないが、その影響力は確かにあった。


「よーし、お前達はもう一つ別の坑道を作るんだ! ノームが驚くから、作業領域はきっちり区別するぞ。こらそこ! 遊んでいるんじゃない!」

「ひゃああ~! 助けてー」

 平然と子鬼の群れに囲まれている俺の隣で、子鬼共に揉みくちゃにされているジュエル。

 どうやら、ジュエルにまでは恩恵が及ばないようであった。


「良い調子だ。子鬼は穴掘りが得意な様子だし、これは思いもかけない労働力を手にできたな」

 子鬼達は傀儡と化していた。奴隷と言い換えてもいいだろう。


「ボスってば鬼だね~。極悪だね~。ボク尊敬しちゃうよ」

「家畜の扱いなんてこんなものだろう」

 子鬼の労働力が加わり、鉱山開発はまた大きく進展することとなった。

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