第5話 三匹の子鬼

 仮住まいとした何かの巣穴で一晩を明かした俺は、巣穴に差し込む朝の日差しと耳障りな動物の鳴き声に起こされた。


 意識が覚醒するに従い、耳元で騒ぎ立てる雑音がはっきりと聞こえてくる。


「ゴギグ、ガゲ?」「ギグガ、ガゲー?」「ゲギガ! ゲギ!」「ゲギ!」「ゲギ!」

「くぅっ……なんだ、うるさい。うう、身体がだるいな」


「ゲゲッ!」「ゴギガゴ?」「ゴギガッ!」「ゴギガ!」「ゴギ……」

「ああー! やめろ、やめろ、耳元で騒ぐな! 何の用事だ、俺はまだ――」


 周囲の騒々しい雑音に、堪らず起き上がろうとして俺は体の自由が利かない事に気づいた。

 自身の体を見れば、丈夫そうな植物の蔓で腕も足もぐるぐる巻きにされていた。


「うおお! どうなってんだ、この状況!」

「ゴゴッガ!」「ゴゴッガ?」「ゴゴッガ!」「ゴゴッガ!」「ゴゴッガ!」

「げ。お、お前ら! よるな、あっち行け! おらぁ!」

『ゴゴッガー!』


 複数の小柄な影が俺の威嚇で一斉に逃げ出す。

 しかし、少しの間を置いてから再び、小柄な影は一つ二つと俺の傍に寄ってきていた。


 目覚めてすぐ視界に入ったもの。

 蔓でがんじがらめにされた自分の体、そしてたぶん俺をこんな風に縛り上げた犯人達。

 巣穴を取り囲むようにして、こちらの様子を窺っているのは五匹の子鬼ゴブリンだった。


「最低だ……。朝からどうしてこんなにも最低な状況になっている……?」


 ぎろりと、自分を縛り上げた子鬼共をにらみつける。

 横倒しになった状態では、いまいち気迫に欠けただろうが、子鬼共はあからさまに敵意の視線を向けられたことで一歩後ずさる。


 ――子鬼。

 説明するまでもなく一般的によく知られている、害獣の一種だ。

 主に山林に生息し、天然の洞穴に棲みついたり、場合によっては自分達で巣穴を掘り生活する。

 俺が一晩を過ごした何かの巣穴は、子鬼の巣であったようだ。


 子鬼はそこそこの知能を持ち、簡単な道具を使い、群れをなして狩りをする。

 学術的に子鬼の起源を語るならば、奴らは『森の賢き獣』と呼ばれた種族を祖先に持つ。

 その祖先が、魔導開闢期の混乱で突然変異を起こし、爆発的に繁殖した結果生まれた比較的新しい種族と考えられている。


 森の賢き獣の血を引くのだ。多少の知能はあるだろう。そして、この場における力関係でどちらが優位な存在か、判断がつかないほど馬鹿でもない筈だ。


「お前達、今回は見逃してやる。命の保障はしてやるから、今すぐこの蔓を解け!」

「ガギ?」「ガガ……?」「ゴゴゲ!」「ゴーガ!」「ゴゴゲ!」


 俺の言葉に五匹の内、三匹の子鬼が傍まで寄ってくる。

 子鬼は腰の後ろに括りつけていた動物の骨を逆手に握ると、三匹で一斉に俺の事を突き始めた。


「いてっ、痛い! この! 脳無しが! こんなことして、ただで、痛っ、済むと、思うなよ!」

「ギグガ!」「ガガゲ!」「ガガゲ!」


 所詮、奴らは獣だ。

 人語を解するわけもなし、人間の恐ろしさも身をもって経験しないことには学習しないのだろう。

 おそらく、この子鬼共は人間と遭遇したことがないのだ。だから、こうも無謀で愚かな行動に平気で出る。


「ギゲ!」

「いっ、てぇ!」


 俺が身に着けているのは、金属の糸で編まれた厚手の衣服だ。

 動物の骨ごときで簡単に貫けるものではないが、多少の打撃は通る。

 あまり長く続けられれば編み目が広がってしまうことも考えられるだろう。


 にもかかわらず、俺が甘んじて奴らの攻撃を受けていたのには訳がある。

 別に、がんじがらめで本当に動けないわけではない。


 俺は試しているのだ。

 つい先頃、契約を交わしたばかりの精霊が、どこまで俺を守護する気があるのか――。


 俺は首だけを動かして、俺を突き回している三匹の子鬼とは別のもう二匹に視線をやる。

「ガガギ!」「ゴゲ、ガガギ!」

 そいつらは俺のすぐ隣で、大の字になって寝転がっている精霊、ジュエルに向かって必死に尖った動物の骨を突き立てようとしていた。だが、ジュエルの体は硬すぎるのか骨の先端の方が既に欠けてしまっていた。ジュエルのつやつやとした翡翠色の肌には傷一つ付いてはいない。


「ふひ~。ひひふっ」

 当のジュエルは骨で突かれても全く気がつかず、精霊のくせに夢でも見ているのか至福の表情で寝転がっている。


「おい、ジュエル。起きろ、ジュエル! 聞こえないのか! お前の御主人様が危機に陥っているんだぞ!」

「んん~。ボスー? わぁぁ、ボスやめて、そんな変態……くすぐったいよー……ふひひ」

 完全に夢の中だ。俺の声は届いていない。本当に必要なときに役立たない精霊である。

 しかも、俺にとって非常に失礼極まりない内容の夢を見ているようだ。


 いくら声をかけても起きないジュエルに、俺はあきれ果ててしまった。

 ジュエルとの契約には、俺を『安全に』宝石の丘まで、最善で最短の方法によって導く、など他にも細かい条件をつけている。

 契約を遂行できるだけの能力がこの精霊にはあると踏んでのことだったが、こんなに早く期待を裏切られるとは思ってもみなかった。


 子鬼は相変わらず俺のことを突き回している。

 精霊は契約者の危機をよそに眠りこけている。

 俺は間抜けにも蔓に絡まれて横たわっている。


(――もう充分だろう?)


 誰に問いかけるわけでもなく、俺は心の内で答えを出した。

 意識を集中し、魔導因子と術式を練り上げる。


 そして、通常であれば発声あるいは動作によって術式を発動させるところ、あまりの怒りに声も出ず、意思一つの一段工程シングルアクションで術式を発動する。


(――焼き尽くせ――煉獄蛍れんごくぼたる――)


 心の内で吐き出した呪詛に反応して、ヘソに埋め込んであった蛍石フローライトが仄かに輝き、周囲に橙色をした光の粒が無数に現れる。


『ギゲー……』

 幻想的な光景に目を奪われ、呆けている子鬼共。


 光の粒が絡んだ蔓を焼き切り、俺は体の自由を取り戻した。

 突然立ち上がった俺に、子鬼共は飛び上がったが逃げ出しもせずに俺の足元でギーギーと奇声を発している。


 いまだにどちらが優位にあるのか、先程までとは立場が逆転していることにさえ気が付いていないらしい。

 下手に知能があるばかりに、完全に捕らえた筈の獲物を逃してしまうのが惜しくなったのかもしれない。

 本能に従って、よくわからないものからは逃げる、という選択肢もあっただろうに。


(……とっとと逃げ出せば見逃してやったものを……)


 橙色をした光の粒は、ふわりふわりと俺の周囲を漂いながら徐々にその数を増していく。

 それは洞穴の闇に漂う蛍のようで、その実――闇さえ焦がす炎の球。

 ほどなくして、煉獄蛍は視界を埋め尽くすまでの数になる。


「ギゲー!」「ギゴー!」「ギグ!」

 三匹の子鬼がこちらへ飛び掛ってくる。無知というのは、これほどまでに愚かなものなのか。

 それまで静かに漂っていた煉獄蛍が、敵と見なした三匹の子鬼に殺到し、断末魔の悲鳴を上げる暇も与えずに焼殺する。


 狭い巣穴の中に、焼けた肉の匂いが充満した。

 事ここに至り、ジュエルを襲っていた残り二匹の子鬼は、ようやく自分達が弱者であると認識した。


「ギゲゴ!」「ギゲゴー!」

 一言、二言、声を交わすと、炭になった仲間の子鬼には目もくれず、巣穴を飛び出して森の中へと走り去っていく。

 俺は敢えて二匹の子鬼は追撃せず、炭になった三匹の子鬼を巣穴の外へ放り出す。


 その後、これだけの事態になってもまだ眠りこけている呑気な精霊の枕元に立った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る