第2話 お腹が痛い

 クレストフ・フォン・ベルヌウェレは準一級の錬金術士で、首都でも指折りの術士である。


 堅実に、魔導技術連盟からの依頼をこなし、依頼主の信頼を勝ち取って、より難易度が高く金払いも良い依頼を引き受けるようになっていた。


 幾つもの研究成果と、実践された魔導技術の数々。まだ二十歳前でありながら独自の工房を持ち、それも近い内に改築・増設される予定である。


 それだけの実力と資金が、『俺』にはあった。


 


 俺はとある得意先の依頼で、価値ある宝石が産出するウラル鉱山に調査へと出向いた。


 依頼主の話では、最近になって使われなくなった坑道に妖精が住み着いたので、追い払って欲しいということだった。


 ――妖精。厳密には低級の幻想種げんそうしゅだろうとあたりをつけていた。特別、危険度が高いものでもないが、意図せずして人に害を為す事はままある。依頼主が気になるなら排除しなければならないだろう。


 問題の坑道に足を踏み入れてすぐ、その幻想種らしきものは見つけることができた。


「うーうー……。うー……お腹、お腹が痛いよぉ~」

 初めは、子供が迷い込んで泣いているのかと思った。


 しかし、それが二枚の羽を持ち、異常に大きな赤い瞳を持っていたことから、すぐさま人外であることに気がついた。

 依頼主は妖精と言っていたが、人型で子どもと同程度の大きさ、加えて人語を話している事から、かなり高位の精霊であるように思われた。


 だが、疑念を感じたのはその存在感。


 妖精や精霊といった幻想種は、魔力の根源とされる小さな粒子の集合体、魔導因子まどういんしの渦と定義されているほど物質的な質感とはかけ離れたものなのだ。


 ところが目の前で唸っているのは、しっかりと質量を持った存在だ。

 慎重に近づいて様子を窺い、声をかける。


「おい、どうした? 具合が悪いのか?」

「うー、うー……。う? だ、誰か、誰でもいいから、助けて、お腹が痛いの」

 精霊がお腹を壊すとは聞いたことがなかった。そもそも彼ら幻想種に内臓器官があるはずもない。


 何かの罠かもしれない。

 探りを入れる意味でも、解析用の術式でまず精霊の様子を調べてみることにした。


 左耳に付けられた耳飾りを軽く指先で抓む。


 黒、茶色、象牙色の三色が、同心円状に入り混じった不気味な球形の石――天眼石アイズアゲート

 耳飾りに使われている石の主成分は、一般的に知られている鉱物の水晶と変わらない。


 だが、様々な含有物が層を成し、取り分け緻密な結晶構造をしている。これは、ある種の術式を封じるのに適した石だった。

 

 肉眼ではほとんど視認できないが、この石の内部には術式を構成する『魔導回路』が刻み込まれている。これに、人の脳から発生する『魔導因子』を流し込むことで術式が発動する。


 頭の中で思考を言語化し、意識を集中する。


 やがて、脳髄を搾り上げられるような感覚と共に、脳の神経を通じて魔導因子が分泌される。魔導因子の流れを指先へと誘導し、天眼石に刻み込まれた魔導回路へと、術式の原動力たる魔導因子を流し込んだ。


 仄かに、天眼石が白い光を帯びる。

 回路が魔導因子で十分に満たされた事を感じ取り、術式発動の意思を込める。


(――見透かせ――)


『天の慧眼けいがん!』


 発動の一声と共に、目の前の風景が一変した。

 周囲の岩壁が半透明に透けて見える。


 そのまま地べたに転がる精霊を見やると、魔導因子の渦が確認できた。渦の流れの特徴から間違いなくこいつは幻想種であると断定できた。


 その中で明らかな異常が見て取れる。

 人間で言うならば下腹部、膀胱のある位置に何やら白く輝く小石が視える。

 これはまさか――。


尿結石にょうけっせき、か?」

 そんな馬鹿な。ありえない。

 すぐに思い直してその石の正体に検討をつける。

(……結界石けっかいせき。それもかなり強力なもの。どこで取り込んだか知らないが、こいつが魔導因子の流れを乱しているな)


 結界石は本来、呪詛や強制召喚の術式から対象物を守るために作られた人造結晶だ。複雑な魔導回路を有しており、それが魔導因子の流れを乱して、術式の発動を阻害するようになっている。今は、精霊の体内で渦巻く魔導因子の流れを乱してしまっているのかもしれない。


「み、見えるなら取って~!」

「いや、しかし取り除くといっても……」

 幻想種は普通、かすみのように朧気おぼろげで、手で触れることはできないのが一般的なのだが、この精霊はどういうわけか実体を持っている。そして、実際に触れてみると極めて硬い。柔らかい部分は精霊が纏っている羽衣はごろもだけだ。


(……石や岩を媒体に憑依しているのか? ならば実体を持っていても不思議はないが、何のために? 苦しければ媒体となっているものから離脱すればいいのでは?)


 疑問は尽きなかったが、事実こうして目の前で苦しんでいる以上、やむにやまれぬ事情があるのかもしれない。

 俺はとりあえず『人間で言うならば股間』のある位置に手を伸ばし、結界石が取り出せないか試行錯誤する。


「きゃははっ! くすぐったい! きゃーきゃー!」

「くすぐったい? 精霊にそんな触覚があるのか……初めて知った」

 傍から見れば異様な光景に、周囲に人がいなくて良かったと思いながら処置を施していく。

 と、言ってもやっていることは岩の割れ目から指を突っ込んで、内部で挟まった結界石を掻き出そうとしているだけだ。

 決して卑猥な行為を行っているわけではない、断じて。



 結局、数時間ほどかけてようやく結界石は取り出すことができた。

「終わったぞ……おい」

「ひふひふ~」

 精霊は恍惚とした表情で横たわり、ぐったりとしたままだった。

 改めて観察して、俺はこの精霊に対して疑念を強めていた。やはり、普通の精霊とは思えない。


 しばらく待っても精霊は動かなかった。心配になって顔を覗き込んでみると、気の抜けた表情で「ふひ~」と変な空気を漏らしている。


「もしかして、眠っているのか?」

 精霊が眠ることは……まあ、ないわけではない。ただ、その場合は極端に魔力が低下している状態で、下手をすると何年も活動を停止することがある。


 頬をつねって起こそうにも、どういう構造になっているのか緩んだ頬は石のように硬かった。


(……放り出していくわけにもいかないか。とりあえず依頼内容は妖精らしきものを追い出すことだから、こいつを捕獲して連れ帰れば達成だな)

 こちらの都合で結論を出して、ひとまず精霊を自宅に連れ帰ることにした、が。


「おお! お、重すぎるだろこいつ……!」

 見たまま子供の大きさの岩を持って帰るに等しかった。

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