怖いものが登場しない恐怖譚
不適合作家エコー
ランニング
仕事終わりの夜間、健康のために身体を動かす人が増えているらしい。
人口密集地では新たなコミュニティの場でもあり、そこにはマラソンとはまでは言わないまでも沢山の人が集まる。ランニングシャツ、ハーフパンツに首にかけられたタオルや帽子、音楽プレイヤーとランニング飲料水とその容器……それぞれが走ることに適した姿に着替えて集まった集団はもはや、夜のその場所は健康のために走る場所であるという事を自然にさえ見せる。
本当だろうか。
本当に夜、人が走るという行為は自然な行為なのだろうかという疑問を私が持ったのはつい先日の事だ。私も……その日まではランニングを試みた1人の中年だった。
理由はありきたりなものだ。
健康診断、いよいよ健康に気をつかう必要があると感じたある日、テレビで夜のランニングをする若者の特集を見た。多少の疲労はあれ、これならば自分でもできるのではないかと考えた私は会社の帰路に丁度良い場所を探した。
見つけたのは1つの公園だった。
正確にはその外周が運動場の400mトラックより少し広い程度の手頃さだった事が一番の決め手になった。次に車の路駐に適した環境、外周の車道は広く路上駐車が問題になりにくい。近隣は民家だったが、小学校とバス停が外周に隣接しているせいか比較的人気がない事も気に入った。あぁ、走りなれない私としては公園にベンチと手洗いがある事も大事な条件だ。
さて、そうしていよいよ私のランニングが始まった。
最初の一ヶ月はなんの問題もなく継続し、習慣化に成功するとランニングはそう苦に思う行為でもなくなった。
しかし、ランニング仲間は出来ない。
この場所には誰もランニングに来ないのだ。まぁ、それも仕方ない。テレビの特集は都心、私の住まう地域とは違う。むしろ、静かな環境は目的にだけ集中出来て有難いではないか。そう思った。
誰にも見られない。誰にも知られない環境。
その情景を恐ろしく感じる事は当時の私にはなかった。
その認識が変わったのは不意の出来事だった。
私はいつもの様にランニングを開始した。冬を忘れさせるような妙に生暖かい空気が吹き込む不気味な夜だった。その日、私がランニングを始めたのは18時頃だった。小一時間もすれば空腹が訪れるが、ランニングを始めたての私にはそれは丁度良い辞め時だった。問題は日の陰りだ。夕日が沈むのはだいたい17時で、その1時間後となれば街灯の灯す明かりが浮き上がるほどに周囲は闇に覆われる。
私はこれまでランニング中に人とすれ違った事が数回ほどしか無い。
初めは良い歳をして走るとい行為を見られるのは気恥しかったが、すれ違う人は何も言わない。次第にそれは異様な行為では無いのだと私の中で認識され、むしろ、健康に気を使う良い中年という解釈が優っていった。
ウォーミングアップを兼ねたウォーキングを30分、これが一番苦痛だ。
音楽プレイヤーを用意していない私の視線は変わらない公園の外周をボーと眺めながら過ぎて行く。何周も何周も同じ光景が続く。
ランニングとは違いゆっくりと歩く時間は色々な事が脳裏に過る。
大抵はその日の仕事、次の休日の過ごし方なのだが、そこにとりとめた思案がなかったその日は自身の行いや公園の様子が気にかかったのだ。
初めに目がいったのはバス停前に立ち、スマートフォンを持って俯く髪の長い女性だった。
表情は見えないが、スマートフォンの明かりに照らされ顔だけが照らされた女性を私は不気味に思ってしまった。
考えなければ良かったのだが、私は思ってしまった。
『まるで幽霊の様だ』と
だってそうだろう。
スマートフォンを見るという行為はまるで外界を遮断し、その世界にふさぎ込んでいる様な状態だ。夜間に顔だけを照らされた女性が無表情に直立する姿はそういう発想を思わせるにこと足らない条件だ。
そして、そういう思考は次の疑心を連れてくる。
公園に生えた木々が風に揺れる音、とりわけ手洗いの建物の上、平らな屋根に乗りかかった木の枝葉はまるで何者かが屋根に潜みながらこちらを伺っている様に見え、そう感じた瞬間、温まり始めていた身体が急に冷えた。
そして公園の外周の4周目、バス停にいたあの女性が消えていた。
バスの音がすれば気付くだろう。女は突然に消えていた。それは、普通に考えれば何か用事ができただろう程度の事だが、気の揺らぎ始めていた私には何やら奇妙な思考が渦を巻き始める。
そういえば、気の循環という話を聞いたことがある。
あれは何かの心霊番組だった。解説を担当するそれらに明るいという人間が話したのは、人の思考は霊を惹きつけるという事で、特に霊について思案する事は霊の関心をひいてしまうという事。それは、まさに今の私の状態だ。
次いで思い出したのは子どもの頃に流行した心霊ゲームだ。
明かりを消した四角い部屋の角にそれぞれ人が立ち、1人が壁沿いに走ってバトンを渡す。渡されたバトンを持った人が次の人にそれを渡すという行為を繰り返す。順当に行けば永遠に走り続けるただのリレーだが、心霊ゲームの噂ではこれをすると誰かが必ず途中で辞めようというらしい。そして、明かりをつけて写真を撮るのがこのゲームの肝だ。その写真には必ず5人以上の人が映るのだという。
あぁ、この話を踏まえると気の循環というものが少し納得できる様に思える。
あの心霊ゲームはつまり、霊の事を考えた思念を四角い部屋の隅を回りながらグルグルとかき混ぜるのだ。まるでコーヒーに加えた少量のミルクが渦を巻きながら周囲を染める様に、空間に霊を寄せ付ける気を充満させる行為なのだろう。
そして、ふと気づいた。
私は今この公園の外周をぐるぐると回り、同じく思念をかき回しているのではないだろうか。それはまるで心霊ゲームだ。何か良からぬものを呼び出す儀式に類似する行いではないだろうか。
堪らず私は走り出した。
外周のためではない、車に戻るために外周の残りを走ったのだ。身体は冷え、そのくせ心臓は妙に早く脈を打った。後ろは振り返りたくない。気配は無いが、振り返ればつけられているのでは無いかという疑念が消えない。もしもそれがいたら、それは私と目が合えば走って追いかけてくるだろうか。そもそも、走る距離にいるのかも疑問だ。例えば……既に私の肩に顎を置く様な距離に大きく不気味な顔が置かれていたりはしないだろうか。
なぜだろうか。
周囲の民家から調理の匂いがしない。完全な無臭は私の焦りか、まるで近隣に人の営みが見えない。口が渇くが、今はポシェットの水筒を開ける事も躊躇われた。私の起こす一挙手一投足、どれが私を見つめる背後の存在を刺激するか分からない。
いつのまにか、足音だけが響いている。
私の駆け足の音……だけだろうか、そこに何か混じってはいないか、混じっている気がする。私と同じ距離を保とうと後ろを走る奴の足音が慎重に混じっている。
見えた。
公園の角を曲がり、ようやく私の車が見えた。黒い塗装の軽自動車は公園から伸びた手の様に歪な枝の木陰が落ちる場所に停車されている。今にも闇に染まり公園に飲み込まれてしまいそうに見え、私は急いで車にキーを向け、車のロックを解除した。
運転席に向かいながら、ちらりと後部座席を確認した。
無人だ。問題ない。そう、これは全て私の妄想で、本当は霊などいないのだ。私は安堵しようとしたが、それでもバックミラーは見られなかった。当然、私を追いかけて来た奴が今どこにいるのかも見ないことを選んだ。もしかしたら後部座席に座っていないかとか、それを見た時、私は奴に何か、知ってはいけないことを教えられてしまうのではという恐怖を持ちながら、痛むほど冷たい手で、冷えたハンドルを握った。
そう、これは私がただ怖がっただけの何もない退屈な話だ。
だから君は何も気にしなくていい。私はあれ以来夜のランニングを辞めてしまったけど、君は走ればいい。健康は大切なのだから。
怖いものが登場しない恐怖譚 不適合作家エコー @echo777
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